勿忘草は、ノスタルジアな潤愛に乱れ咲く

奏多

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7.ダチュラは、偽りの魅力で陶酔させる

裏切りと笑い

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「リヒト。オレのスペアを取り返してよ」
「承知」
 
 穂月の命を受けて、河原崎が風を切り、笑い続ける圭子を奪いに来る。

「やめて、河原崎さん! 圭子ちゃんよ、わたしの大事な後輩なのよ!?」

 抵抗した香乃の手が河原崎に掴まれた瞬間、香乃の世界は逆転し、天井を見ながら仰向けに倒れていた。
 否、厳密に言えば穂積の腕の中に抱えられていた。
 自分が倒されたことも、穂積に助けられたことも一瞬の間の出来事。
 香乃は状況が理解出来ないうちに、そのまま床に座らせられた。

「理人、やめろ!!」

 穂積が声を荒げて河原崎に睨み付けるが、河原崎は冷ややかな面持ちで圭子を担ぎ上げる。
 目が合った瞬間に、火花のような激しいなにかが上がった。

「俺に命令が出来るのは、ひとりしか出来ないものでね。悪く思わないでくれ」
「ふざけるな!!」

 穂積が立ち上がり、河原崎との間合いを瞬時に詰める。
 同時に繰り出した拳は、河原崎が折りたたんだ片膝で弾く。
 重心をずらされてよろめきながらも片足を軸にした穂積が、上段蹴りを食らわせようとするが、河原崎はひょいと躱した。そして拳と蹴りの激しい応酬の末、勝負を制したのは圭子を担いだままの河原崎だった。

(そんな……穂積が負けるなんて。もしかして、本気になれなかったの? それとも……)

「……いつも手加減してやっていたということを思い知っただろう?」

 と、転がる穂積を冷淡に見下しながら、圭子ごとゆったりと笑う穂月の後ろについた。

(支配人が……)

 頭を鈍器で思いきり殴られたような衝撃だった。
 今まで見てきた河原崎の姿は幻だったのだろうか。
 なまじフレンドリーだっただけに、裏切られた感は計り知れない。
 香乃だって、河原崎を色々と信頼して穂積のことも話をしていたのだ。
 
 ……穂積の顔が見れなかった。彼にかける言葉が思い浮かばない。
 穂積が受けているショックは、自分以上だということははっきりわかるのに。

(駄目だ、このままでは)

「きーくんは、一番強いから支配人が自分についてくるとという自信があるのね。なにをもって、一番強いとあなたは言い切れるの?」

 香乃は背を正して毅然として、穂月に言う。

(わたしだって、MINOWAでかなりの修羅場をくぐり抜けてきたし、上司や部下に論破したことだってある。牧瀬のような話術はないけど、要は……度胸!)

「こんな場所に閉じ込められていて、ダチュラしか武器がない。真宮で力を持つ勿忘草の瞳があるといっても、真宮の外でも力を持つみっちゃんは同じ瞳を持っている。同じ舞台にも上ってもいないくせにみっちゃんより強いなんて、それこそただの自己満足。思い込みなんじゃない!?」

 香乃に残された術は、穂積に勝利して強さ至上主義だという河原崎に、穂月が一番強いわけではないということを認めさせることだった。河原崎は聡い。もしも穂月になんらかの方法で洗脳されているのなら、目を覚ましてくれるはずだ。

「きーくん、そんな細い体して、さっきもみっちゃんに、いとも簡単に投げ飛ばされていたじゃない。きーくんは、支配人と互角に戦っていたみっちゃんよりも強いわけ? 昔はともかく、もっと現実を認識しなよ」

(お願い支配人。どうかどうか、穂積の味方でいて。あなただけは裏切らないで)

「ねぇ、カノ。勘違いしているんじゃないか?」

 腕組みを立つ穂月は、なにひとつダメージがないというような愉快そうな笑みを浮かべる。

「力とは腕っぷしのことじゃないよ。さっきオレが言っただろう? オレは誰もが平伏す尊い存在だ。オレのいる場所がどこでも、オレがその気になれば、みーの首など一発で飛ぶ」

 柔らかだが冷ややかな語調。
 昔のように一直線に向かってくるのではなく、真綿で首を絞められるようなじわじわ感が恐ろしい。それでも負けるわけにいかない。

「きーくんは引き籠もっていて知らないかもしれないけど、そういうのって〝痛い奴〟っていって哀れみの対象になるの。ひとに自慢したいのなら、証拠を見せながら言ってよ。平伏す〝誰もが〟って、具体的に誰? そのひと達はあなただけに平伏すの? 次期当主だと公然とされている穂積には平伏さないわけ? わたし、この家に久しぶりに来たけれど、執事の河原崎さんだって穂積に対してはきちんと諂っていたわ」

 穂月の狭い世界を砕かなければならない。
 香乃は汗を垂らしながらまくしたてる。

 その時である。
 ピーピーという音が鳴り響いた。

 すると穂月が口元を緩めた。

「ちょうどタイミングがよかった。ふたりとも来てくれたようだ。せっかくだから聞いてみるといい。誰が頂点に立つ者か」
「え……」

 なにか雲行きが変わったような予感がした香乃の前に現れたのは、当主と、河原崎執事だった。
 この場に香乃や穂積がいるのに気づいているはずなのに目もくれず、まっすぐに穂月の元まで歩むと、穂月の足元で土下座をした。驚きに目を瞠る香乃の前で、艶然と笑う穂月が右の素足を一歩前に出すと、なんと当主はその足先に口づけたのだ。

 それだけではなかった。
 穂月が当主の前に屈み、当主の顎をくいと上に向けると――唇を重ね合わせた。
 それは挨拶程度の軽いものではない。
 段々と濃厚になっていく、男女の接吻だ。

 穂月から艶めかしい喘ぎ声が聞こえると、香乃はくらりとした。
 自分の許容メーターが振り切れそうだ。

(きーくんと、実のお父さんが……)
 
 香乃の横で、項垂れている穂積が震えていた。
 がっくりと膝をついた姿勢で。
 香乃は思わず穂積を抱きしめた。
 泥沼だ。
 真宮が隠し続けた奥の院では、禁忌の関係が結ばれ、それによる主従関係が築かれていた。
 ならば穂積が今まで築いてきたものはなんだったのだろう――。

 香乃が涙した時だった。

「くく……」

 声が聞こえたのは穂積だった。
 彼は肩を震わせ――笑っていた。

「あははははは」

 穂積らしくもない荒々しい笑いは大きくなり、誰もが穂積を注視する。
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