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8.ヒイラギナンテンは、激しい感情を伝える

したためられたのは、勿忘草の主張

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「これは……」
「やっぱりな」

 穂積はぼそりと呟いた。

「血が繋がっていようと、碧眼と若い女に欲情する父だ。穂月も例外ではなかったんだろう。むしろ、先に生まれていたのだから、父さんの偏愛は相当だったはずだ」
「え、ええええ!? きーくんも被害者だということ!?」
「父さんは、穂月には手を出していないと思う。彼女……Hのおかげで。ほらここ」

『○月×日 雨
 今日も座敷牢にいる穂香ほのかに会いに行った。オレとみーそっくりの顔の彼女が、なぜ外にでられないのかいまだわからない。オレの妹なのにさ。
 女だから父さんに嫌われて、牢に入れられていると穂香は言うけれど。
 父さんから寝間着の襟ぐりから手を入れられて、どの程度女なのかを確かめられた話をしたら、穂香は泣きそうな顔で言った。「大丈夫、穂月にお父さんは怖いことをさせないから」と。どうしてそう言い切れるのだろう…。だけど穂香はいいな、お母さんと一緒で』

『○月×日 曇り
 今日も穂香のところに行った。大好きなカノのことを話した。オレだってみーのようにカノと遊びたいのに、カノはみーとばかり遊ぶ。オレだって花の話とか聞きたいのに。
 すると穂香が笑った。
 「穂月は素直じゃないよね。まず、穂積くんと仲良くしなきゃ。本当は穂積くんだって好きなくせに」
 仕方ないだろう? みーに優しくしようとしたら皆が怒るんだから。そしたらみー、皆や父さんから、叩かれてしまうんだから。酷いことをしないと、大人達がもっと酷いことをするんだから。
 それと穂香からこうも聞かれた。
「最近お父さん、怖いことをしなくなってきた?」
 さすがは穂香。頭がいいし、よくわかっている。不思議なことに、父さんは怖い目をしなくなった。だけど……前以上にそっぽを向くんだよな。
 やっぱり嫌われているのかな、カノに父さんが喜ぶ花を聞いて父さんにあげたいな』

『○月×日 小雨
 近づいてはいけない奥の院は、碧眼だとドアが開くと言われているのに、なぜオレの瞳では開かないんだろう。それを聞きに行こうとしたら、父さんが地下に歩いていた。
 穂香や穂香のお母さんに会うんだなと思って追いかけたら、穂香の泣き声が聞こえて来た。裸の父さんが裸の穂香に体をぶつけている。オレに向けていたあの怖い目を穂香に向けて。
 助けようとしたけれど体が動かない。この甘い香りが気持ち悪くて、オレは逃げた。逃げてしまった罪悪感が強くて、しばらくしてまた地下に行ったら、もう父さんはいなかった。
 いつも通りの穂香がいて、まるでさっきのことが嘘のよう。そうか、あれは夢だったんだ。そうに違いない。凄く安心した。最近熱が出て朦朧としてしまうから、そのせいだ』

『○月×日 晴れ
 どうしてオレ、カノを怒らせてしまうんだろう。彼女がオレを嫌っていると思ったら、心がぎゅっとなってしまう。勿忘草がなんだよ、そんな花より、カノが欲しいよ』

『○月×日 小雨
 カノ、カノ……オレを見て。みーばかり見ないで。心が苦しい』

『○月×日 雨
 最近、咳き込むと血が混ざっている。いつもの薬が効かなくて、熱も出てしまうし、だるい。
 やっぱりオレの方が、みーのスペアだったのか。こんな弱い体、役に立つのかな。
 オレが死んだらカノは泣いてくれるかな。花束をくれるかな。みーにあげている勿忘草の花束を、今度はオレに。みーのついでではなく、オレのために…欲しいな』

『○月×日 雨
 生きたい、生きたい、生きたい…。
 カノからもみーからも穂香からも忘れられるのが嫌だ。
 父さん、助けてよ。父さん、みーばかりを愛さないでよ』

 最後になればなるほどに字は安定していない。
 書くのも辛いほど、体が弱っていたのだろうか。
 それ以降が白紙だった。

「こんなことって……」

 香乃にとって穂月は冷酷な王さまで、穂積を虐げる側の存在だった。
 香乃にとって穂積だけが庇護して愛する対象だった。

 最終頁からなにかがぽとりと地面に落ちる。
 それは四つ折りになった手紙だった。
 香乃は穂積と共に、目を走らせる。


『真宮穂積さま

 突然こんな手紙をお送りしますご無礼をお許し下さい。
 私は地下の牢で生まれ育った穂香といいます。
 私にとっての希望は、あなたの妹であり、私の姉となる穂月の訪問でした。
 私は彼女から、ひととして身につけるべき最低限の教養を学び、そして私達はよき理解者となりました。
 彼女は、仕方がないとはいえ、時に衝動的に爆ぜたようにあなたに辛くあたっていたことを嘆き、同時にあなたを羨んでいました。
 碧眼の男性が尊敬される家で、実は碧眼女性が虐げられてきたようですが、穂月もまた例外ではなかったのです。
 
 穂月は先天性の病気がありました。
 彼女は長く生きられないことを嘆き、ある日私に決心したことを伝えに来ました。
 それはあの忌まわしき事故の前日でした。
 愛する者の手で、華々しく命を散らしたいと。
 永遠に忘れないでいて貰うために。
 彼女はとてもさみしがり屋でしたから、忘れ去られることをとても怖がっていました。
 私にも忘れないでくれと、彼女が生きた証である日記をくれたのです。

 碧眼は、あなたへの彼女からのプレゼントだそうです。
 それできっと、あなたはこの家で虐げられることはないと。
 あなたのものを今まで奪っていてすまなかったと。
 父様に、自分に万が一のことがあれば、あなたに返すようにとお願いしたようです。

 彼女の命をかけたプレゼントを受け取ったなら、彼女の願いを聞き遂げて下さい。
 どうか彼女を忘れないで。
 あなたの役に立ちたいというその心を無駄にしないで。
 
 彼女はただ、愛されたかった。
 彼女が愛する者達に。

 だからお願いします。
 この先もずっと、穂月を忘れず、愛し続けて下さい。
 優しくて不器用な、私の姉を。
 ご自分の幸せは、穂月の命のおかげだということを忘れないで下さい。

 私は……私の体の中には、事故に破損しておらず、病に冒されていなかった穂月の臓器がいくつかがあります。
 私は穂月の一部になりました。
 私は生きられなかった穂月に代わり、なにがあってもこの家で生き続けるつもりです。
 表に立つだろうあなたを脅かすつもりはありません。それは穂月が望んでいませんので。
 しかし、もしあなたが穂月のことを忘れられた時は、その命、穂月わたしに返して頂きます。

   穂香』


 書かれている日付は、今よりずっと古い。
 彼女H……穂香は、ずっとこの思いを抱えてきたのだろう。

「きーくんは、最初から死ぬつもりだったの?」

 そして自分達に植え付けた。
 トラウマになるほどの罪という名の記憶を。

 穂積は、穂月から貰った蒼い瞳を細め、静かに目を閉じた。
 溢れる涙を隠そうともせず。

「俺は、なにも知らなかった……」

(わたしも知らなかった。いや知ろうとしなかった。きーくんの本当の気持ちなんて)

 彼女が苦しみを抱えているなど。
 彼女からそんなに求められていたなど。

 残忍だった穂月の言動は、裏腹だった。
 彼女も、やり場のない激情に翻弄され、助けを求めていたのだ。

「……剃刀入りの手紙は、もしかすると穂香の指示だったのかもな。俺が香乃との幸せに酔いしれすぎていたから」

 今となっては犯人はわからない。
 だが穂香は、最初から穂月のフリをしながら自分達を責めていた。
 穂月の気持ちを代弁したつもりだったのだろう。
 そして穂月と共に訴え続けたのだ。
 穂月じぶんを忘れないでくれと。

――……穂月と穂積があなたのことを好きな理由、わかる気がする。あなたは生きて欲しい。最期に……あなたに会えて本当によかった……。

 香乃達を巻き込んで、全員で心中しようしていたかどうかはわからない。
 だが、穂香の中の穂月に、生きていいと赦されたのだ。
 だから今、自分は生きている――。

(きーくん……)

 穂月もまた、愛に飢えた哀れな子供だった。
 真宮の犠牲者だった。
 
 せめて恨みを持たずに逝ったことを願うしかない。
 彼らと共に、精一杯生き抜いた末の決断なのだと――。

 香乃と穂積は、涙しながら崩れ落ちる屋敷を見ていた。
 死者を弔う荼毘の炎は、きっと心の中で永遠に燃え続けるだろう。

 愛を渇望した者達の激情を刻み込みながら。

 『忘れないで下さい』
 
 それはまるで、勿忘草の訴えのよう。 

 彼らは勿忘草になったのだと香乃は思う。
 自分も穂積も、忘れることが出来ない大好きな花に。
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