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4その9
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グラント警部が戻って来たのは、それから一時間ほど経ってからのことだった。いかにも疲れた様子でいて、サロンに入るなり、窓際のソファに沈み込むようにして座ってしまう。
「だ、大丈夫ですか?」
ミリアが慌てた様子で近付いては、水を差し出している。これに頷いたグラント警部は「ありがとう」と受け取ってひと口だけ飲むと、ホゥとため息をついた。
「逃げられたのか、まだ潜んでいるのか……さっぱり分からん」
お手上げといった様子だ。すると、警部の隣に来たマギエラがパイプを咥えた。
「たしかに、ここは隠れられる場所が多すぎるわ。温室が沢山あるうえに、樹上にまで潜めるとなると……正直、お手上げね。枝から枝を伝って逃げたにしても、痕跡らしい痕跡も残っていない――あるいは、残っていたところでこう暗いと、見つけられないわ。もう、朝を待つしかないかしらね」
「そうすると……まあ、逃げられるな」
「でしょうね」
二人の会話からは、手詰まりな感じが滲み出ている。
「警官隊はどうなんですか?」
千早の言には、グラント警部がかぶりを振った。
「自動車の機関ランプで照らしてはいるが、街路樹が邪魔だ。あれでは影が多くて逃げられてもおかしくない。仮に、運よくインメルマン巡査が巡回しているところに犯人が現れてくれたなら……と、思わなくもないが――まあ、相手は森の民だ。すばしっこいだろうし、それでも逃げられてしまうだろうな。なかなか、思うようにはいかんよ」
要するに、人手が足りないということなのだろう。
「応援の要請は出来ないんですか?」
「……したが、もう逃げたかもしれない相手にそれは無理だそうだ。ほとんどの警官は駅を張っている。ノッティンガムシャーに逃げると見越して、ゆったりとしたズボンに杖を付いた小柄な男を、鉄道警察と連携して今も血眼になって探しているそうだ」
「わたしの考えた犯人像のせいで、こっちの現場としては裏目に出たかもしれないわね……」
「そうだな。しかし、まあ……もう逃げた後だろう。影響はないだろうよ」
グラント警部は、萌木のロビンフッドが既に現場から逃げた、と結論付けることにしたらしい。もう一度深くため息をついた彼は、煙草を取り出した。
「明日に備えて寝るかな……」
煙草をふかしつつ、そんなことを呟いている。マギエラが肩をすくめた。
「あら、次の襲撃に備える気はないのね」
「携帯できる矢の数にも限りがあるだろう? 杖に弓と矢を仕込んでいるとするなら、せいぜい一本が限界だ。違うか?」
「まあ、同感ね。けれど、わたしの犯人像が間違っている恐れもあるのよ?」
「その時は、駅の警官隊が無駄足を踏むことになるなぁ」
クツクツと愉快そうに笑うグラント警部は、今回の配置に思うところがあるのだろう。さも「そうなればいい」とでも言いたげである。
ふと、ミリアが話しかけて来た。会話を聞いていたらしい。
「何か、出来ることはないのでしょうか?」
「せいぜい栽培園を探し回るくらいだが……こう暗いと、折れた枝の一つも見逃すだろう。マグヌスのお嬢さんも言っていたが、それなら明日の朝にでもしたほうがいい。だから……今は、アーサー氏の周りを固めるが唯一出来る策だな」
結局、どう捻ったところで出来ることなど無いのだ。達観したふうにうそぶくグラント警部に、マギエラがため息をついた。
「わたしは、上の部屋を見て来るわ。キャリーが何を見たのか、興味があるしね」
「だ、大丈夫ですか?」
ミリアが慌てた様子で近付いては、水を差し出している。これに頷いたグラント警部は「ありがとう」と受け取ってひと口だけ飲むと、ホゥとため息をついた。
「逃げられたのか、まだ潜んでいるのか……さっぱり分からん」
お手上げといった様子だ。すると、警部の隣に来たマギエラがパイプを咥えた。
「たしかに、ここは隠れられる場所が多すぎるわ。温室が沢山あるうえに、樹上にまで潜めるとなると……正直、お手上げね。枝から枝を伝って逃げたにしても、痕跡らしい痕跡も残っていない――あるいは、残っていたところでこう暗いと、見つけられないわ。もう、朝を待つしかないかしらね」
「そうすると……まあ、逃げられるな」
「でしょうね」
二人の会話からは、手詰まりな感じが滲み出ている。
「警官隊はどうなんですか?」
千早の言には、グラント警部がかぶりを振った。
「自動車の機関ランプで照らしてはいるが、街路樹が邪魔だ。あれでは影が多くて逃げられてもおかしくない。仮に、運よくインメルマン巡査が巡回しているところに犯人が現れてくれたなら……と、思わなくもないが――まあ、相手は森の民だ。すばしっこいだろうし、それでも逃げられてしまうだろうな。なかなか、思うようにはいかんよ」
要するに、人手が足りないということなのだろう。
「応援の要請は出来ないんですか?」
「……したが、もう逃げたかもしれない相手にそれは無理だそうだ。ほとんどの警官は駅を張っている。ノッティンガムシャーに逃げると見越して、ゆったりとしたズボンに杖を付いた小柄な男を、鉄道警察と連携して今も血眼になって探しているそうだ」
「わたしの考えた犯人像のせいで、こっちの現場としては裏目に出たかもしれないわね……」
「そうだな。しかし、まあ……もう逃げた後だろう。影響はないだろうよ」
グラント警部は、萌木のロビンフッドが既に現場から逃げた、と結論付けることにしたらしい。もう一度深くため息をついた彼は、煙草を取り出した。
「明日に備えて寝るかな……」
煙草をふかしつつ、そんなことを呟いている。マギエラが肩をすくめた。
「あら、次の襲撃に備える気はないのね」
「携帯できる矢の数にも限りがあるだろう? 杖に弓と矢を仕込んでいるとするなら、せいぜい一本が限界だ。違うか?」
「まあ、同感ね。けれど、わたしの犯人像が間違っている恐れもあるのよ?」
「その時は、駅の警官隊が無駄足を踏むことになるなぁ」
クツクツと愉快そうに笑うグラント警部は、今回の配置に思うところがあるのだろう。さも「そうなればいい」とでも言いたげである。
ふと、ミリアが話しかけて来た。会話を聞いていたらしい。
「何か、出来ることはないのでしょうか?」
「せいぜい栽培園を探し回るくらいだが……こう暗いと、折れた枝の一つも見逃すだろう。マグヌスのお嬢さんも言っていたが、それなら明日の朝にでもしたほうがいい。だから……今は、アーサー氏の周りを固めるが唯一出来る策だな」
結局、どう捻ったところで出来ることなど無いのだ。達観したふうにうそぶくグラント警部に、マギエラがため息をついた。
「わたしは、上の部屋を見て来るわ。キャリーが何を見たのか、興味があるしね」
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