天ノ恋慕(改稿版)

ねこかもめ

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第6章:墜下

裏切りの罰

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 愛するセレーネが顔を覗き込んでも、横たわるジュアンはもう笑わない。

 セレーネが手を握ろうと、顔を近付けようと、声を掛けようと。何をしようと、反応は全く無い。

 また祈祷をすると騙って彼の両親を追い出し、セレーネは二人きりの空間を作り上げた。

「起きてよジュアン。ねえ、ねえってば!」

 ジュアンを蘇生するという意思を込めて月のオーラを出し、眠る彼に注ぎ込んだ。何度も何度も繰り返す。輝きは涙と共に彼へ染み込んでいく。だが、変化は何一つ起こらない。

「まだ、足りないって言うの?」

 ジュアンが瞼を開けないのは、己の力不足。そう判断したセレーネは、身につけた装飾品の月長石も取り外し、同じように飲み込んだ。痛みと苦しみを尻目に、彼女に宿った力は際限なく膨らんでいく。

「お願い、お願い、お願い、戻って来てよ!」

 放つことが出来るオーラの量は、最初とは比較にならないほど増えていた。力を身体の内から放つセレーネ。その容姿は別人のように変わっている。髪は逆だって、無作為に黒や紫へと変色を繰り返す。

 掌から出るだけだったオーラは、今では全身から溢れ出している。彼女はもはや、人の域を脱したのだ。

「お願い……お願いよジュアン! 私を、一人にしないで……! 一緒に遊ぼうよ! 一緒に果物食べようよ! またお花頂戴よ! ねえってば!」

 しかし、月の力をもってしてもセレーネの願いは届かない。一度潰えた命は、決して戻らなかったのである。

◇◇◇

 翌朝。セレーネは、冷たい石床で目を覚ました。よく磨かれ鏡面のように仕上がった床は、彼女の姿を反射する。髪はボサボサで、目は真っ赤に腫れている。

「ジュアン……」

 ゆっくりと立ち上がりながらそう呟くと、聞こえてきた声は掠れに掠れていた。よほど泣き叫んだのだろうと、察しがつく程である。

 辺りを見回すと、見慣れた玉座があった。そこが巫女の間である事を示している。どうやって神殿に戻ったのか記憶していない彼女だったが

──どうでもいいや

と、覇気無くトボトボ歩いて玉座へ座した。

 月の巫女を象徴する黒く絢爛な羽衣の上衣を脱ぎ、丸めて放り投げる。いたずらに肌を出した格好のまま、セレーネは座面に足を乗せて両膝を抱えた。

「もう、嫌だな……生きるの」

 少年との会合が生きる糧であった彼女の心は、もはや虚無と化していた。

◇◇◇

 これまでで、最も苦しい時間が流れていく。そんな苦痛から解放されるべく、セレーネはあらゆる手段を試みた。

「……また、ダメだった」

 大岩に頭を打ち付けても、喉や腹を裂いても。水に浸かって呼吸を諦めても、燃え盛る炎に跳び入っても。何をしても、彼女は自分を終わらせる事が出来なかった。

 少年を救わなかった加護は、反対にセレーネを生かし続けたのである。

「これは、ルナリーゼンを裏切った私への罰ってわけね」

 月の巫女という立場に在りながら、月の加護を司る立場に居ながら、己が欲の為に集落を騙した。あまつさえ、その力を支配しようと試みた。

 その報いを受けているのだと、セレーネは理解した。

「へえ、ムカつく。私に喧嘩売ろうっての?」

 しかし、彼女は逆に強気になった。

「私が私を終わらせられないなら……。私に歯向かおうってんなら」

 誰が決めたのだかも分からない理に、世界が今も支配されているのならば。糞にも等しい秩序が自身とジュアンを切り離して罰すると言うのならば──

「あんたは私の敵だね。じゃあぶっ壊してやるよ、何もかも。私からあの子を奪った奴なんて。あの子がいない世界なんて、要らない!」

 彼女がそう誓った日から、月の巫女は姿を消した。ルナリーゼンは月の加護を失い、人が暮らすただの集落となったのだ。セレーネは己が力の原点である月に拠点を移し、石材の神殿を模倣した。

「きゃははは。あ~可笑しい」

 過剰に摂取した月の力は、死と甦りの願い以外は何でも叶えた。彼女はまず、世界を闇で覆った。永劫にはけぬ厚い雲により、太陽の恩恵が受けられず飢饉が起こる。すると人々は勝手に争い始め、勝手に死に始めた。

 徐々に己の敵が衰退していく姿に、セレーネは思わず笑みをこぼした。

「そうそう。苦しめ、もっと苦しんじゃえ。ジュアンは最期まで苦しんだんだから、お前たちも同じ感覚を味わえ!」

 しばらくすると、人々は逆に結束し始めた。それを不愉快に感じた彼女は、闇より生まれるバケモノを創造。本能的に他の生命を襲う様に創られたそれらは、人の団結など容易に破壊した。

 居住地や食料の危機に陥ると、戦いの盤面はさらに混沌としていった。もはや何が敵で何が味方なのか、その区別は存在しないに等しくなったのだ。

「ほ~ら、どんどん壊れてく」

 阿鼻叫喚する人々は、ついに救いを求めるようになった。根拠の無い上位の存在に縋り、意味も無く偶像を創って崇めたのである。

「いくら祈ったって、助けてなんかやるもんか」

その様子を見て、セレーネは心の底から嘲笑った。

 時間と共に、人間のもがき苦しむ声は大きくなっていく。また同時に、セレーネの心は乱れていった。セレーネという少女なのか月長石そのものなのか、もう己にも判断がつかなかったのだ。

「あははは。ざまぁ見ろ、世界! あの子を奪って死ねなくして、それで私を罰したつもり? 残念でした~! 罰を与えてるのは私の方。お前に、滅びっていう罰をね!」

 月の力を概ね自由自在に扱うセレーネ。彼女を止めることが出来る手段は存在しない。かつては月の名を冠していたヴェルクリシェスの民でさえ、その前では無力であった。

 もう、世界は滅びるしかない。誰もこの闇を晴らす事は叶わない。彼女が望んだ通り、ジュアンが不在の世界は消え去ろうとしていた。

 しかし──

「うっ?! な、何これ……気持ち悪い」

 ふと、地表から吸い絞られるような不快を感じた。胸を押えながらよろよろと巫女の間を出て、セレーネは下界を眺める。大地を覆い隠しているはずの雲が、ほんの一部分だけ晴れているのを発見した。

「なんか、光ってる?」

 旧ルナリーゼンから見て東の方角に、大きな山がある。彼女を襲う感覚は、その頂上付近から来ているようだった。

「ま、何でもいいや。どーせ全部壊れるんだし」

 セレーネは極めて楽観的に、薄明を放置した。そんな彼女の元に「選ばれし者」を名乗る男が現れたのは、それから僅か十数年後の事であった。

◇◇◇ ◇◇◇
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