古国の末姫と加護持ちの王

空月

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目覚めぬ少年

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  とりあえず、そのままにしておくわけにもいかないので、焔の力を借りて『間隙』へと少年の身柄を移したものの。

 「……目、覚まさないね」

  日が傾き始める頃になっても少年は一向に目を覚ます様子が無く、リルは途方に暮れていた。
  砂漠の金とは相容れない、光を喰らう黒の髪。固く閉じられた瞳の色は見えない。幼さの残る輪郭を照らす陽は、刻一刻と色を変えていく。

 「いやでも身体に異常はないんだろ? だったら放っときゃ目ェ覚めるって。姫さんがンな顔することない、ない」
 「でも……」

  そう言われても、異常が無いからこそ、どうして目が覚めないのかわからなくて不安なのだ。リルは正式に医学を学んだわけではないし、もしかしたら何か見落としがあるのかもしれないと思ってしまう。

 『知識だけが突出していても駄目だということはいくらお馬鹿なお前でもわかるよね。かと言って知識がさほど重要じゃないなどという短絡な思考に至るなんてことはないと思っているのだけど、大丈夫だろうね? 要は意識の問題だということだよ、リル。知識があったって出来ないこと、対処しきれないことは当然ある。実際何かの問題に直面した時に、己の内にある知識を適切に使用できるかは各々の器量によるということを常に意識しながら、その上でできる限り知識を蓄えるというのが、お前にできる最善だろうね。僕は知識をお前に教えるけれど、それを実際に使うのはお前自身でしかない。知識はお前の内に蓄えられていくだろうけど、お前は自分が平凡な人間であるという事を忘れてはいけないよ。お前は決して完璧な人間じゃなく、世に溢れる大多数の人間と同じように、記憶が薄れることも歪むこともあるはずだ。必要な知識がその場ですぐに余すところ無く正確に思い出せるなんてことは絶対にないのだからね。自分の知識を過信してはいけないし、いつでも自分の判断が裏切られる可能性を考えていないといけない。不測の事態というものはどこにでも転がっているのだから。……まあ、それに対する方法は、僕よりもザードに教わるのが良いだろう。あいつほど臨機応変という言葉を体現している人間は居ないだろうからね』

  二番目の兄、セクトの言葉が蘇る。病弱故に殆ど部屋から出ることのできない彼は、世界中の言語に精通し、暇さえあれば書物を読んでいた。更には一度見聞きしたことは忘れないという特技から、家族間では生き字引扱いをされていたりもする。
  そんなセクトに種々様々な知識を叩き込まれたリルは、勿論医学の知識だって持っているわけだが、まだセクトの持つ知識のごく一部しか教わっていないし、セクトと違って絶対的な記憶力など有していない。

  リルの持つ知識から判断すれば、未だ目覚めない少年の身体に異常はない。けれど、もしかしたらリルの知らない知識においては異常だと判断できる何かがあるのかもしれない。リルが覚え違いをしているのかもしれない。そもそも判断自体が間違っている可能性だってある。考え出したらキリがないことは、リルにだってわかっているのだが――。

  詮無いことだと理解しながらも、ここにセクトがいれば、と思ってしまう。
  目覚める様子のない少年を見下ろしながら、ぐるぐると己の思考に浸っていると、ふと焔が口を開いた。

 「つーかさ、姫さん。こいつ、なんでここに居たんだと思う?」
 「え?」

  さっきから気になってたんだけど、と焔は少年の手首を指し示した。

 「この紋様、どっかで見た気がするんだよなー」

  その言葉を受けて、リルも少年の手首に浮かぶ紋様を見つめる。黒い、恐らくは刺青によって施された、手首を一周する形で精密に描かれた紋様。その形状に、リルも見覚えがあった。

 「シャラ・シャハルの王紋……?」
 「あ、それだそれだ。王位継承者スーリヤに刻む王紋! えーと、これだと――第二継承者か。……ってなんでシャラ・シャハルの王族がこんなとこに?」

  焔の疑問ももっともだった。シャラ・シャハルの王族、しかも第二位とはいえ王位継承者が、何故ひとりでアズィ・アシークで砂に埋もれていたのか。
  供らしき姿はもちろん見あたらなかったし、それ以前に、少年の格好は明らかに砂漠向きではない。不慮の事故で飛ばされてきたリルと似たり寄ったりな格好をしている。自分の意思で来たとすればよほどの考え無しだし、そうでないのならなにやら不穏なものを感じる。

 「なあ、もしかして、なんかものすごく面倒なもん拾ったんじゃないの、姫さん」
 「…………」

  焔の言葉に、リルは沈黙で返すしかなかった。
  たとえ事前に少年の身分がわかっていたとしてもリルは彼を拾っただろうし、当然今から見捨てることなど出来はしないけれど、――面倒そうなのは確かだったからだ。

  王位第二継承者。所謂王子だ。少年がどのような性格かはわからないが、基本的に王族なんかは一筋縄ではいかない人間が揃っている、とリルは思っている。あんまり突飛な性格じゃありませんように、と密かに祈るリル。

 (……あれ?)

  そこではた、と気がついた。

 「第二継承者?」
 「へ?」
 「この子、第二継承者なの?」
 「そうだけど。……ほら、ここ。この紋様が『二番目』って意味。ちなみにこういう紋様だと『一番目』」

  言いながら宙に紋様を描く焔。焔がどれだけ長い間存在しているか、そしてその間に培われた知識の豊富さを知っているリルは、焔が嘘を言っているわけはないと頭では理解しながらも信じられなかった――否、信じたくなかった。

  何故なら、それは在り得ないことだったからだ。


 「第二継承者……【加護印シャーン】持ちの王……」

  空を見る。未だ陽は完全に沈んでいないが、宵闇が空を刻々と塗り替えていっている。もうしばらくすれば、陽の光ではなく月の光が世界を照らすようになる――そうすれば、リルの考えが正しいのか否か、はっきりするはずだ。

 「……姫さん?」

  リルの様子がおかしいのに気付いた焔が気遣わしげに声をかけるが、リルは少年の額を見つめたまま動かない。


  ――そして、月明かりが少年を照らした。
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