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拾いものの正体
しおりを挟むリルがはっと息を呑む。焔も目を見開いた。
少年の額、その中心に、淡く輝く印を見たために。
「【加護印】……じゃあ、やっぱり――」
「……今のシャラ・シャハルに、【加護印】持ちはひとりのはずじゃなかったか?」
「うん、ひとり。――【加護印】持ちの王、アル=ラシード・リューン・シャン=シャハラ、だけ」
「じゃあ、こいつは……」
「存在を隠された【加護印】持ちか――アル=ラシード王本人、だと思う」
「本人って、……アル=ラシードがこんなちびっこのはずないだろ?」
アル=ラシード・リューン・シャン=シャハラ。【加護印】と呼ばれる、シャラ・シャハルでは特別な意味がある印を持つ王。
【加護印】とは、シャラ・シャハルの初代王がその身に宿していた精霊の加護が顕れたものだと言われている。本来あるはずのない――人と精霊との間の子であったために。
その真偽は未だ不明だが、シャラ・シャハル王家に【加護印】を持って生まれる者が居るのは確かである。建国から五百年近い歴史の中で、確認されているのは初代王を除いて三人だけだが。
そしてそのひとりがアル=ラシード・リューン・シャン=シャハラ――初代王以外で初めて、【加護印】持ちで王になった男だ。――そして同時に、兄弟殺しの王としても有名だった。
本来王位を継ぐはずだったのは、彼の異腹の兄だった。
シャラ・シャハルでは、能力や母親の身分に関係なく、前王の血を引く男児に王位継承権が与えられる。それは年齢が高いものから順に第一位、第二位、第三位……と定められ、王家にのみ伝わる特殊な刺青で肌に刻まれる。先程焔が確認したのがそれだ。
王位継承順の高い者が死ぬか、何らかの理由で王位継承を辞退しない限り――これには王の承認が必要なのだが――低い者が王位を継承することはない。それに例外はなく、過去には事故により意識不明になった者ですら、王位を継いだという。
その決まりがあったために、アル=ラシードが王になる可能性はないに等しかった。第一王位継承者だった人物はアル=ラシードより十以上年上であり、学問にも武術にも秀で、父である王の覚えもめでたく、身体も健康そのもので――誰もが彼の即位を疑っていなかった。
しかし彼は、即位の直前に自殺をしたのだという。側近をすべて斬り捨てたあと、宮に火を放って。
何故彼がそんなことをしたのか――それは残された誰にもわからなかった。わからないまま、王位は継承権第二位を保持するアル=ラシードへと継がれることになった。
何ら問題のなかった次期王の、突然の蛮行。宮に火が放たれ、彼の側近もまた死したために、詳しい事情は何一つ明らかにされることなく。
それを不審に思った民たちは、いつしかアル=ラシードが彼を死に追いやったのではないか、と噂するようになった。
王宮内でさえ囁かれているというその噂に気付いていないはずはないだろう当人は、それについてはただ黙して語らず。
故に、流言飛語と一笑に付されるべきその憶測は、早すぎるアル=ラシードの即位とともに諸国へと広まって――今ではほとんど事実のように語られている。もちろん、公にではないが。
「ただの【加護印】持ちなら、秘された存在って考えるのが妥当だけど――第二王位継承者の印があるなら別。それに、今までに【加護印】持ちの第二王位継承者はいないの。【加護印】はもちろん、王紋にも細工はきかないから、この子が『アル=ラシード・リューン・シャン=シャハラ』だって考えるのが理にかなってると思う。――ありえないって思うけど……」
――そう、この子供がアル=ラシード・リューン・シャン=シャハラであるはずはないのだ。
何故なら彼は――リルの記憶が正しければ、二十を過ぎた青年のはずなのだから。
第一王位継承者が死んだのは十年前。そのときアル=ラシードは十を過ぎたばかりの子供だった。
そして彼の即位はその五年後。シャラ・シャハルにおいて成人と認められてすぐのことだった。
彼の治世は既に五年を経過している。つまり、少なくとも二十歳は超えているのだ。依然として目を覚ます様子のない少年は、どこをどう見ても二十過ぎには見えない。
その事実が示すことをリルはできるのなら否定したかったが、否定するだけの材料はなかった。
更に、同じ考えに至ったらしい焔が、さらりとそれを口にする。
「っつーことは、なに? もしかして俺と姫さん、過去にいるってこと?」
言葉にすると尚更に信じがたい、常軌を逸した出来事だが、残念ながらそう考えるのが一番理に適っていた。
「可能性としては、それが一番高いと思う。【禁智帯】は空間が不安定だから、そういうことも起こりうるかもしれないってシーズ兄様が言ってたし。それに、【移空石】が何か変なふうに反応を起こした可能性もあると思う。そういう現象を拒絶するはずのアズィ・アシークに出たってだけでも、ありえないことでしょう?」
「……そういえばそうか。【移空石】があった頃には【禁智帯】もなかったしな……そういうトンデモなことが起こってもおかしくはないってか」
「この子の目が覚めれば、その辺りもはっきりすると思うんだけど……」
少なくとも、彼が何者か――本当にアル=ラシードなのか、それ以外の人物か――はわかるだろう。それがわかれば、過去に来たのではないかという仮説が合っているか否かもわかる。
「しっかし、気持ちよさそーに寝てんな、こいつ。もういっそ無理やり起こすってのはどうだ?」
「いやでも、そんな切羽詰ってるわけじゃないし……」
「や、姫さんはもうちょっと焦るべきだと思うぞ、俺。いきなりアズィ・アシークに飛ばされた、とか、もしかしたら過去に来ちゃったかも、とかにしては姫さん落ち着きすぎだし」
焔の言葉に思わず苦笑するリル。実際のところ、まだ色々と実感がないせいだと思うのだが、外から見れば『落ち着いている』ように見えるらしい。そうあるように――そう見えるように努めている、というのもあるのだろう。
『冷静さを欠くような状況でこそ、落ち着かないとダメだよ、リル。内心大混乱だろうと、わけがわからない状況だろうと、ひとまず落ち着くように意識すること。混乱してるとかって理解できてる時点である程度余裕があるんだから、そんなに難しいことじゃないよ。本当にどうしようもなく冷静さが欠片も無くなってるなら、自分を客観的に見られもしないしね。だから、少しでも自分の状況を客観的に見られる状態なら、『落ち着くこと』を最優先にして。別に、本当に『落ち着く』までいかなくてもいい。フリでもハッタリでもいいから、『そう見える』程度まで取り繕うんだ。そうすれば頭も通常程度には働くようになるはずだよ。そうすれば大抵のことはどうにかなるよ。なんたってリルは僕らの自慢の妹だからね!』
ザードの言葉を思い出して、自然と笑みが零れる。それに少しだけ不思議そうな顔をした焔は、けれどそれについては何も言わず、ちらりと起きる様子のない少年に視線を向けた。
「ま、姫さんが無理やり起こしたくないって言うなら俺はそれでいいけどさ。――でもアズィ・アシークを抜けるには、夜のほうがいいだろ?」
確かに太陽が力一杯照っている昼間よりは、夜のほうが移動には向いている。普通ならば夜は夜で気温が下がりすぎて移動には向かないが、リルには焔がいる。凍えないようにするくらいは精霊《イーサー》にはお手の物だ。
「……じゃあ、満月になっても目が覚めなかったら、起こそうかな。さすがにそんな時間になっても起きないならおかしいし」
アズィ・アシークでは、月は一晩で満ちて欠けるという。実際、先程まで細い三日月だったのが、だんだんと半月に近づいている。ザードに聞いてはいたものの、実際に見てみると異様な光景だ。
ともかく、幾度もアズィ・アシークに訪れているザードによれば、この月は陽が沈んでから再び昇る、そのちょうど真ん中の時間に満月になるらしい。時間が計りやすくて便利かも、と、リルはちょっとずれた感想を抱いた。
「了解。……じゃ、姫さんは休んでろよ。意識してないと思うけど、疲れてるだろうし。今夜移動始めるかもしれないんだったら、尚更無理にでも寝といた方がいいと思うぜ? もし姫さんが寝てる間に少年の目が覚めたら、ちゃんと起こすからさ」
ほらほら、と横になるように促される。リルは少し考えて、焔の言葉に甘えることにした。
「うん、わかった。よろしくね、焔」
「任せとけって。じゃ、おやすみ、姫さん」
「おやすみなさい」
自覚はまったくなかったものの、やはり疲れていたのだろう。リルは横になってそう経たないうちに意識を手放したのだった。
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