23 / 29
彼の答え
しおりを挟む(――この人は、もう、自分では止まれないんだ)
わかってしまった。わかってしまったからこそ、口にせずにはいられなかった。
「まだ、……アル=ラシードを、――殺す、つもりなの?」
リルの問いにも、彼は微塵も瞳を揺らがせなかった。
「だとしたら、お前は我を止めるのか」
「止めます」
止めるべきだと思った。誰も彼を――彼自身すら彼を止められないというのなら、知ってしまったリルが止めるべきだと思った。本来この時代にいないはずのリルが、この時代に深く関わるべきではないのはわかっていても。
リルの返答に、彼はふと口元を緩めた――気がした。それはもしかしたら、微笑だったのかもしれない。
「――安心するがいい。我はもう、アル=ラシードに手は出さぬ。我が我である限り、アル=ラシードを殺したところでどうにもならぬことなど、疾うに知っていた。……そうだな、我も、狂うていたのかもしれぬ。……無意味なことだとわかっていて、それでも亡き者にしようとしていたのだから」
静かな声だった。それはいっそ、不気味なほどに。
「我はもう手を出さぬが、――シャラ・シャハル王家そのものもまた歪んでいる。【加護印】を持つアル=ラシードを目障りに思う人間は、我だけではない。お前がアル=ラシードの安全を願うのなら、目を離さぬ方がよいだろう」
憑き物が落ちたようだ、という表現はこういうときに使うのだろうかとリルは思う。戸惑うほどにあっさりと、ザイ=サイードはそう告げた。
その言葉を、丸ごと信用はできない。それだけの関わりは、リルと彼にはない。けれどリルは、ザイ=サイードが口先だけの言葉を吐くようには思えなかった。
話は終わりだというように、アル=ラシードの所在を教えられる。アル=ラシード自身の宮、その自室で眠っているはずだという。案内役――リルを牢獄からザイ=サイードの元へと連れて行った者――をつけるからアル=ラシードの元へ行くといい、と言われれば、断る理由はリルにはなかった。
促されるままにザイ=サイードの宮(なのだろう、恐らく。こんなものが幾つもあると考えたくないほど大きいが)を出たあたりで、リルはこっそりと精霊石に触れ、呼びかけてみる。
(【焔】)
すると今度は思念が伝わってきた。ザイ=サイードのための魔力封じは、彼の宮に限定されているらしい。彼が宮を出る際は、また別に魔力封じを纏うなりするのだろう。
リルの身を案じてくれる焔に大丈夫だと思念を返して、リルは考える。
(……ザイ=サイードは、これからどうするんだろう……)
ザイ=サイードには一般的に言われる『魔力』がない。そしてシャラ・シャハルは『魔法大国』だ。ザイ=サイード自身も言っていたように、魔力がないことを隠し続けることは不可能だろう。
かと言って、魔力がないので王にはなれないなどと公言することも、彼の生い立ちを考えればできないだろうとわかる。可能不可能ではなく、心情的な問題――彼の母親の名誉のために。
『魔力なし』は不義の証である、などと言い出したのは一体誰だったのだろう。顔も知らないその人物が目の前にいたら、何の根拠があってそんなことを、と問い詰めたいとリルは思った。
せめてその認識さえなければ、ザイ=サイードもその母親も、もっと生き易い道があったはずだった。……それらを自身で選んだ面も確かにあったのだろうけれど、始めの一歩を間違えることはなかっただろう。――禁呪にだって、手を出すことはなかった。
美しく整えられた道を先導する人物を見る。外見的には普通の人間に見える。リルが違和感を抱く気配の無さも、そういう訓練を受けたのだと言えば通るのだろう。だからこそ、ザイ=サイードの側近として働いているのだ。
けれど彼は普通の人間ではない。ザイ=サイードの母が禁呪に手を染め生み出した、ザイ=サイードの特質を隠し続けるための人柱だ。
ザイ=サイードの母はもう亡いけれど、裁かれるべき人だった。そこにどんな理由があろうと、誰もが禁忌とする領域に手を出した――それは確かに罪だった。
それを、子である、そして原因であるザイ=サイードが背負うべきものなのかは、リルにはわからない。それを決められるのは、きっとザイ=サイードだけだった。
やがて周囲の雰囲気に変化が現れた。もしかしたら宮ごとに趣を変えているのかと考えて、それにかかる手間やその他諸々を想像して遠い目になる。
『転移所』も宮ごとにあるとアル=ラシードが言っていたし、流石『魔法大国』だけあるなぁ、とリルは考えるのをやめた。
「ここから先は、一人で行くように」
出る際にちらりと確認したザイ=サイードの宮とは、また造りの違う建物の前で立ち止まったかと思うと、そう言われた。ここがアル=ラシードの宮ということなのだろう。予想はしていたので、礼を告げて――それに対する反応はなかった――扉に手を掛ける。
(……それにしても、人が居なさすぎるような)
曲がりなりにも王族の住居であるのに、勝手に入って見咎められないとはどういうことだろう。
それ以前に、ザイ=サイードの宮からここに来るまでにも巡視などしているような様子が見られなかった。賊の侵入などがあったらどうするつもりなのだろう。
(その辺りは魔法で何かしてるのかな)
リルの故国・イースヒャンデは閉じた国なのでそもそも賊による襲撃などが起きる可能性は低いが、それでも城のあちこちに魔術的防御を施していた。似たようなことを『魔法大国』であるシャラ・シャハルもしているのかもしれない。それにしたって部外者であるリルが何の制約もなく歩き回れているのはどうかと思うが。
中に入って、さてどうしようかと考える。この宮の、アル=ラシードの自室だというところにアル=ラシードがいるのは確かなのだろうが、その場所がわからない。それなりに広さのある建物だ。やみくもに探すのは避けたい。
少し考えて、リルは精霊石に触れる。
(……焔。アル=ラシードの魔力とか、わかる?)
奥の部屋にいるっぽい感じがする、と応えがあったのでそれを頼りに歩き出す。
しばらくして、進行方向から微かに物音が聞こえた。忙しない気配がしたかと思ったら、奥の部屋から人影が飛び出してくる。
「……っ、」
ぶつかりそうな勢いに慌てて足を止めると、向こうもリルに気付いたらしく、すんでのところで止まった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる