古国の末姫と加護持ちの王

空月

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彼の答え

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 (――この人は、もう、自分では止まれないんだ)

  わかってしまった。わかってしまったからこそ、口にせずにはいられなかった。

 「まだ、……アル=ラシードを、――殺す、つもりなの?」

  リルの問いにも、彼は微塵も瞳を揺らがせなかった。

 「だとしたら、お前は我を止めるのか」
 「止めます」

  止めるべきだと思った。誰も彼を――彼自身すら彼を止められないというのなら、知ってしまったリルが止めるべきだと思った。本来この時代にいないはずのリルが、この時代に深く関わるべきではないのはわかっていても。

  リルの返答に、彼はふと口元を緩めた――気がした。それはもしかしたら、微笑だったのかもしれない。

 「――安心するがいい。我はもう、アル=ラシードに手は出さぬ。我が我である限り、アル=ラシードを殺したところでどうにもならぬことなど、疾うに知っていた。……そうだな、我も、狂うていたのかもしれぬ。……無意味なことだとわかっていて、それでも亡き者にしようとしていたのだから」

  静かな声だった。それはいっそ、不気味なほどに。

 「我はもう手を出さぬが、――シャラ・シャハル王家そのものもまた歪んでいる。【加護印シャーン】を持つアル=ラシードを目障りに思う人間は、我だけではない。お前がアル=ラシードの安全を願うのなら、目を離さぬ方がよいだろう」

  憑き物が落ちたようだ、という表現はこういうときに使うのだろうかとリルは思う。戸惑うほどにあっさりと、ザイ=サイードはそう告げた。
  その言葉を、丸ごと信用はできない。それだけの関わりは、リルと彼にはない。けれどリルは、ザイ=サイードが口先だけの言葉を吐くようには思えなかった。

  話は終わりだというように、アル=ラシードの所在を教えられる。アル=ラシード自身の宮、その自室で眠っているはずだという。案内役――リルを牢獄からザイ=サイードの元へと連れて行った者――をつけるからアル=ラシードの元へ行くといい、と言われれば、断る理由はリルにはなかった。

  促されるままにザイ=サイードの宮(なのだろう、恐らく。こんなものが幾つもあると考えたくないほど大きいが)を出たあたりで、リルはこっそりと精霊石イースに触れ、呼びかけてみる。

 (【焔】)

  すると今度は思念が伝わってきた。ザイ=サイードのための魔力封じは、彼の宮に限定されているらしい。彼が宮を出る際は、また別に魔力封じを纏うなりするのだろう。

  リルの身を案じてくれる焔に大丈夫だと思念を返して、リルは考える。

 (……ザイ=サイードは、これからどうするんだろう……)

  ザイ=サイードには一般的に言われる『魔力』がない。そしてシャラ・シャハルは『魔法大国』だ。ザイ=サイード自身も言っていたように、魔力がないことを隠し続けることは不可能だろう。
  かと言って、魔力がないので王にはなれないなどと公言することも、彼の生い立ちを考えればできないだろうとわかる。可能不可能ではなく、心情的な問題――彼の母親の名誉のために。

  『魔力なし』は不義の証である、などと言い出したのは一体誰だったのだろう。顔も知らないその人物が目の前にいたら、何の根拠があってそんなことを、と問い詰めたいとリルは思った。
  せめてその認識さえなければ、ザイ=サイードもその母親も、もっと生き易い道があったはずだった。……それらを自身で選んだ面も確かにあったのだろうけれど、始めの一歩を間違えることはなかっただろう。――禁呪にだって、手を出すことはなかった。

  美しく整えられた道を先導する人物を見る。外見的には普通の人間に見える。リルが違和感を抱く気配の無さも、そういう訓練を受けたのだと言えば通るのだろう。だからこそ、ザイ=サイードの側近として働いているのだ。

  けれど彼は普通の人間ではない。ザイ=サイードの母が禁呪に手を染め生み出した、ザイ=サイードの特質を隠し続けるための人柱だ。

  ザイ=サイードの母はもう亡いけれど、裁かれるべき人だった。そこにどんな理由があろうと、誰もが禁忌とする領域に手を出した――それは確かに罪だった。
  それを、子である、そして原因であるザイ=サイードが背負うべきものなのかは、リルにはわからない。それを決められるのは、きっとザイ=サイードだけだった。

  やがて周囲の雰囲気に変化が現れた。もしかしたら宮ごとに趣を変えているのかと考えて、それにかかる手間やその他諸々を想像して遠い目になる。
  『転移所クィ・ラール』も宮ごとにあるとアル=ラシードが言っていたし、流石『魔法大国』だけあるなぁ、とリルは考えるのをやめた。

 「ここから先は、一人で行くように」

  出る際にちらりと確認したザイ=サイードの宮とは、また造りの違う建物の前で立ち止まったかと思うと、そう言われた。ここがアル=ラシードの宮ということなのだろう。予想はしていたので、礼を告げて――それに対する反応はなかった――扉に手を掛ける。

 (……それにしても、人が居なさすぎるような)

  曲がりなりにも王族の住居であるのに、勝手に入って見咎められないとはどういうことだろう。
  それ以前に、ザイ=サイードの宮からここに来るまでにも巡視などしているような様子が見られなかった。賊の侵入などがあったらどうするつもりなのだろう。

 (その辺りは魔法で何かしてるのかな)

  リルの故国・イースヒャンデは閉じた国なのでそもそも賊による襲撃などが起きる可能性は低いが、それでも城のあちこちに魔術的防御を施していた。似たようなことを『魔法大国』であるシャラ・シャハルもしているのかもしれない。それにしたって部外者であるリルが何の制約もなく歩き回れているのはどうかと思うが。

  中に入って、さてどうしようかと考える。この宮の、アル=ラシードの自室だというところにアル=ラシードがいるのは確かなのだろうが、その場所がわからない。それなりに広さのある建物だ。やみくもに探すのは避けたい。

  少し考えて、リルは精霊石イースに触れる。

 (……焔。アル=ラシードの魔力とか、わかる?)

  奥の部屋にいるっぽい感じがする、と応えがあったのでそれを頼りに歩き出す。

  しばらくして、進行方向から微かに物音が聞こえた。忙しない気配がしたかと思ったら、奥の部屋から人影が飛び出してくる。

 「……っ、」

  ぶつかりそうな勢いに慌てて足を止めると、向こうもリルに気付いたらしく、すんでのところで止まった。

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