古国の末姫と加護持ちの王

空月

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炎の宮

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  息を呑む。リルの様子が変わったことに気付いたアル=ラシードが怪訝な顔をした。

 「……リル?」

  気遣わしげにリルを窺うアル=ラシードは、リルのいた時代では王だった。初代王以来の、【加護印シャーン】持ちの王。本来王位を継ぐはずだった異腹の兄が死したため・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・に、十を過ぎたばかりの時に王となった――。
  一致していく符号に愕然とするリルに、追い打ちをかけるように焔からの思念が届く。

  ――炎の気配がする。さっき居た宮の方からだ。

  自然のものではなく魔力によるものだと教えられると同時、リルは駆け出していた。先程出てきたばかりの場所――ザイ=サイードの宮へと。

  突然のリルの行動に戸惑うアル=ラシードの声が後ろから聞こえても、立ち止まることはできなかった。後で説明するとだけ告げて必死に駆ける。


  ……辿り着いた宮は、予想通り炎に包まれていた。ごうごうと異常な勢いで燃え盛っているのに、騒ぎにすらなっていない。覆い隠すように結界が張られていることを、焔に教えられて知る。

  リルは精霊石イースに触れ、さだめられたとおりに叩き、焔を呼んだ。

 (――イース・ナアル=【焔】、出てきて)

  顕現した焔は、リルが問う前に口を開いた。

 「今の俺の状態じゃ、この炎を消し止めるのは無理だってわかってるよな。――どうするつもりだ、姫さん」
 「この炎から、わたしを守ることはできる?」
 「それはできる。……やっぱり行くんだな」

  リルが頷くと、焔は淡く苦笑した。

 「ここは過去だ」
 「……うん」
 「わかってて、それでも行くなら、俺は止めない。誰が何と言っても、――どうなっても、姫さんがやりたいようにやればいい」

  焔はリルの背中を押すようにそう言った。精霊イーサーは契約者の意思を尊重する。だからこそ焔はリルが本当にわかっている・・・・・・のか確認したのだと、リルも理解していた。

  そうしてリルは、燃え盛る炎の中――宮の中へと飛び込んだ。


  宮の中は火の海だった。外から見た時点で予想はしていたが、何もかもを燃やし尽くそうとするかのように燃え盛っている。
  ……否、まさしくそのための炎なのだろう。焔のおかげで炎に触れることも、熱さを感じることもないリルでも身の竦む思いをするような業火だった。
  皮肉にも、そのおかげでこの宮の魔力封じは完全に解かれた状態になっていて、焔が力を揮うのにも支障はない。

  一度通っただけの記憶を頼りにザイ=サイードのいた部屋を目指す。しかし、その道中目に入ったものに、思わず足を止めた。

 (……ああ、そうだ。そう言われてた――『側近を全て斬り捨てた』って)

  ひとつの部屋の中、折り重なるようにして人が倒れていた。身体についた傷の状態から、全て正面から抵抗なく・・・・・・・・斬られたのだとわかる。

  ザイ=サイードの母が禁呪によってつくりだした人形達。彼らはかつて人であって、禁呪によって人の身体を用いながら人に非ざるものになった。だからザイ=サイードがそれを望んだのなら、無抵抗に彼の振るう刃を受けるだろう。

  初めて見た死体――正確に表せば、とうに彼らは死んでいるし、今の状態も致命傷を受けて身体を維持する活動が停止したというのが正しい――に、生理的な吐き気を覚える。けれどリルはそこから視線を引きはがし、再び駆け出した。

  そこに至るまでの道は、宮の広さからすれば短いものだったが、とても長く感じた。
  リルと彼が対話をした、その部屋にザイ=サイードはいた。今まさに己の首に剣を当てようとした状態で。

 「――焔!」

  リルの意を即座に汲んで、焔がその剣の刃を溶かす。溶け落ちたそれからゆるりと視線を上げて、ザイ=サイードはリルを見た。

 「……何故、来た」

  ザイ=サイードの求めているのが、ただの人道的な――死にゆく人を助けようと思考する、普遍的な感情に則った答えではないのは、リルにもわかった。けれど、返せる明確な答えはリルの中にはない。

  衝動のようなものだった。ただ看過できなかった。
  この時代の歴史を、大きく変えてしまうかもしれない。取り返しのつかない歪みを生むかもしれない。……リル自身が、どこにも帰れなくなってしまうかもしれない。

  それでも。
  彼がこのまま炎に捲かれて終わってしまうなんて、そんなのはないと思った。

  だから手を伸ばした。伸べた手を取ってほしいと、そう思った。

 「――わたしと一緒に行こう、ザイ=サイード!」

  彼はそんなリルに目を瞠って――参ったとでも言うように相好を崩した。今まで見た中で最も人間味のある表情で、けれどザイ=サイードは首を横に振る。

 「我は、行けぬ」
 「っ、どうして……!」
 「古の魔術興国が生み出した、生者を人柱とし成立する禁忌の術。その起点となっているのは、我だ。……あの者らは、我と母の犠牲になった者たちは、我が死なねば解放されぬ。その魂を囚われたまま、器だけが壊れても意味はない。器を壊し、我が死に、そうしてようやく解き放たれる。故に、我はここで果てねばならぬ」

  そんなことはない、と喉まで出かかった言葉を呑み込む。
  アズィ・アシークで遭遇した『シルメイア』が、結界の魔術を解かれない限り解放されないように、ザイ=サイードの母が禁呪を以って人形と為した彼らは、『命令』が意味をなさなくなるまで半永久的にそれを実行し続ける。――ザイ=サイードという存在がある限り。

 「これは我の選択だ。いつかは選ばねばならなかったことだ。――我は、死なねばならぬ」

  言い含めるように、ザイ=サイードは言った。覚悟を決めた目がリルを射抜く。
  彼の言葉を否定することもできない、説得する材料も持たないリルは、彼の手を強引に掴むこともできない。

  立ち尽くすリルに、ザイ=サイードは部屋を埋め尽くそうとする勢いの炎を見遣り、告げる。

 「……汝に炎の影響は無いようだが、焼け死ぬ様を見せたくはない。帰るといい。人形達に張らせた結界も、我が死ねば無くなるだろう。巻き込まれぬうちに去ることだ」

  ザイ=サイードがそう言い終えると同時、まるでリルとの間を隔てるように炎が広がった。ザイ=サイードの姿が炎に阻まれ見えなくなる。

 「――真実を知れて、よかった。……感謝している」

  炎の向こうから、そう聞こえたのが最後だった。

 「……姫さん、行きな。あいつも言ってただろ――『見せたくはない』って」

  焔が促す。ザイ=サイードが炎に包まれるまで、もう幾ばくも無いのだと、それでわかった。

  背を向けようと足を動かす。と、その足先に何かが当たった。見下ろすと、蓋の開いた箱があった。運よく炎に包まれずにいたらしいそれを、ほとんど無意識の体で手に取る。

 「……これ、…………」

 (どうして、ここに――……ううん、これがあったから・・・・・・・・?)

 「姫さん、早く」


  再度促されて、リルはそれを腕に抱えて走り出した。――振り返る、ことなく。


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