私が一番近かったのに…

和泉 花奈

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6章:壊れていく音と、あなたの優しさ

43話

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「明日はお休みだけど、お店には行くつもりでいるよ。講義で必要な資料のコピーを取りくて。この近所でコピーできるの、うちのお店ぐらいしかないから」

学校の近くでコピーを取ればいいだけの話だが、鞄が重くなるのを避けたいので、なるべく家の近所を選んでいる。
バイト終わりにもちょくちょくコピーを取っているが、あともう少し必要な書類があるため、もう一踏ん張りといったところだ。

「幸奈はよく頑張ってて偉いな。あ、そうだ。明日、店に顔を出すなら、差し入れを持ってきてくれないか?」

彼女とあれこれあったばかりだというのに、全く気にする素振りもなく、平然としている。
もう愁の中では、完全に終わったことになっているみたいだ。
そしてまさか、彼女にお願いするような頼みを、私に頼んでくるなんて、思いもしなかった。

「差し入れか…。例えばどんなのが欲しいの?」

驚きを隠せなかった。今までこんなお願いをされたことなんてなかった。
これはもしかして、再び私にも春が到来したのかもしれない。

「幸奈の手料理が食べてみたい」

手料理をお願いされるなんて、思ってもみなかった。
料理は得意か不得意かでいえば、自分の飢えを凌ぐ程度の腕前である。他人に料理を振る舞える程の腕はない。
どうしよう。これは断るべきだろうか。無理をする必要なんてない。できることだけをやればいいのだから。
でもやっぱり、好きな人にお願いされると嬉しくなってしまう。
そんなに料理は得意ではないが、こんなお願い、滅多にされることなんてないので、挑戦してみようかな。
とりあえず、一応、確認を取ってみることにした。

「私、料理はそこまで得意じゃないので、あまり期待はしないでほしいのですが…」

こんなことなら、常日頃からちゃんとした料理を作っておけばよかった。
そうすれば、こんなふうに困ることなんてなく、すぐ承諾することができたのに。
それか、今すぐにでも練習をする時間がほしい。そしたら、愁に美味しい手料理を食べさせてあげることができるのに…。

「俺は幸奈の手料理だから、食べてみたいんだ。もちろん、無理強いはしないが…」

この流れは絶対に、私が納得するまで折れないパターンだ。
つまり、私には最初から拒否権がないということだ。
どうして、愁は私に手料理をお願いしたのだろうか。彼女と喧嘩したばかりだから、誰かに慰めてもらいたいだけなのかもしれない。
だとしても、友達に手料理を頼んだりするだろうか。普通は友達に手料理を頼んだりはしない。

「分かったよ。作ってあげる。でも、冷凍食品も入れるけど、それでいいよね?」

これ以上、選択肢は与えない。できるだけ自分で作れるものは作って、手を抜くところは手を抜く。
少しは愁にも妥協してほしい。私も妥協したのだから。

「それはもちろん、オッケーだよ。俺の勝手な我儘に付き合ってもらってるんだから、それだけでも感謝してる。俺の我儘なお願いを受け入れてくれて、本当にありがとう」

私が手料理を作るというだけで、愁はとても嬉しそうにしていた。
そんな嬉しそうな姿を見せられてしまったら、私も釣られて嬉しくなってしまいそうだ。

「どんな料理を作ってくれるのか、今から楽しみだ」

その期待は余計にプレッシャーを与えるので、そんなに期待しないで…と、心の中で小さく願った。

「あまり期待しないでね?本当に上手く作れないからさ」

私は明日、差し入れに何を作ろうかと、頭の中はそのことでいっぱいだ。
その前に本当に作れるかどうか、不安で仕方がなかった。

「俺は誰が作ったかが大事だから、無責任かもしれないけど、幸奈が作ったものなら、何でも美味しいと思う」

一体、愁は私にどんな幻想を抱いているのだろうか。謙遜していると勘違いしているのかもしれない。
もしくは、たとえどんなに下手でも、広い心で受け止められるという、彼なりの優しさをアピールしているのかもしれない。
今の私には、そんな優しさがあるのならば、私に料理を作らせることを諦めるか、時間を設けてくれと心の中で密かに願った。

「それで、私は明日、どこで差し入れを渡せばいいの?」

問題は渡し方である。昨日の今日ということもあり、さすがに皆の前で渡すことはできない。彼女がいる人に私が手作りお弁当を渡すなんて、どう考えても不自然だからである。
それと同時に、この遠回しなお断りに、そろそろ気づいてほしい。私にはまだ手料理は早い。ハードルが高すぎる。

「それなら、俺がタイミングを見計らって、休憩時間に連絡するから、その時に持ってきてくれないか?」

あくまで自分が基準であり、私のことは一切、考えてはくれていなかった。
そして、私の意図にも全く気づいてもらえなかった。

「愁、やっぱり作らないとダメ?」

もういい!この際、直球勝負だ。私にだって気持ちがある。やれることとやれないことがあって、今まさにやれないことに直面している。
さすがに料理だけは無理だ。料理以外でのお願いなら、愁のして欲しいことを何でもしてあげるから、今回だけは許して……。

「当然だろう。ダメだ。俺は幸奈にお願いしているんだ。幸奈じゃなければ意味がない」

この男…。絶対に自分の意思を曲げようとはしない。
もう…どうすんのよ。この際、副店長と中山くんは置いといて、他の人達の視線が怖い。
私にだって、立場がある。間違いなく私は、彼女がいる人に堂々とアプローチをしている女に映るに違いない。
そして万が一にでも、愁の彼女にこの事が耳に入ってしまえば、私はより疑いをかけられるであろう。
愁は何がしたいのだろうか。彼女と喧嘩中とはいえ、私はセフレである。彼女に私達の関係がバレても構わないということなのだろうか。
やっぱり、愁の考えていることがよく分からない。こんなの彼女への当てつけにすぎない。

「私だから…ね。分かった。今回は仕方ないから、折れてあげるけども、半分以上は冷凍食品だからね。
手作りは、これから練習して上手くなってからでもいい?今回はやれる範囲内で頑張るから」

冷凍食品が手作り弁当と言えるかは謎だが、私なりの配慮である。
この際、お弁当という体であれば問題ないと、開き直ることにした。

「あぁ。幸奈が俺のために、一生懸命何を作ろうかと悩んでくれていると思うだけで幸せだ」

私が何を作ろうか悩んでいる姿を想像するだけで、愁は幸せみたいだ。恥ずかしいので、想像するのをやめてほしいが…。
手料理なんて初めてのことだから、緊張するし、味の保証もできない。
もし、仮に私が愁の彼女だったら、いつか手料理を振る舞う姿を想像できたけど、彼女でもなんでもないのに、そんな機会が訪れることになるなんて、全く想像していなかった。

「大袈裟だよ。そもそもまともに作れるかどうかすら、怪しいし…」

私に足りないものは女子力。こういう時、堂々と自信を持って私に任せてと、言える女性になりたい。

「そんなに自分を卑下するな。幸奈はやればできると俺は信じてる。
それに、練習して上達したら、また作ってくれる機会があるって、信じてもいいんだよな?」

確かに私は先程、練習をしたら…とは言った。そういう意味で言ったわけではないが、そういう意味合いもないといえば嘘になる。
もう発言は取り消せない。また作る宣言をしてしまったようなもので。墓穴を掘ってしまっただけに過ぎなかった。

「…ごめん。それはもう忘れて」

愁が励ましてくれればくれるほど、心の中がモヤモヤしていく。
自信がない時の私は、とことん面倒くさい女だ。不安ばかりが勝ち、人の気持ちを無駄にしてしまう。
愁の気持ちに嘘偽りはない。もちろん、半分は作って欲しいという下心もあるとは思うが…。
人のまっすぐな想いに、素直に応えられない自分が悔しい。自信がほしい。料理さえできれば問題ないのに。

「幸奈は普段、料理をするのか?」

何の脈略もなく、唐突に質問された。さっきから断っているのに、察しが悪い。

「あんまり。インスタントがあるから基本、楽なものに頼らせてもらってます」

大学生の一人暮らしなんてそんなものだ。あとはバイト終わりに軽いものを買って帰る日々。
料理なんてまともにできない。目玉焼きを作れるぐらい。
料理をしているかどうかの確認をしてきたということは、殆ど料理をしたことがない人間の手料理を食べるのが、急に怖くなったのであろう。それでいい。ササッと諦めてもらい、早く話題を変えたい。

「俺もそんなもんだ。男だから余計にな。そんなことはどうでもいいんだ。俺は幸奈が作る料理がどんなものなのか、見てみたいんだ」

やっと諦めてくれたかと思いきや、まだ愁は諦めてはいなかった。
まさか手料理を作って欲しい理由が、私の手料理が見てみたいという理由なんて思わなかった。
そんなの、絶対に嫌に決まってる。だって料理が下手だから。そんな下手な料理なんか見せたくない。

「料理だけじゃなくて、もっと色々、幸奈のことを知りたいんだ」

それは私だって同じだ。もっと色んな愁を見たい。
それに、愁の本当の気持ちも知りたい。私や彼女のことをどう想っているのか。

「前にも話したとは思うが、俺は独占欲が強いんだ。俺以外にお前の初めてを渡したくない。お前の初めては全部、俺であってほしいんだ」

つまり、愁は手料理自体はどうでもよくて。私の初めてを欲しいだけみたいだ。

「ごめん。料理だけは…」

どんなに愁が欲しがっても、それだけはまだあげられない。他ならいくらでもあげられるから、それで我慢してほしい。

「急な頼みだからな。そりゃ無理だよな」

ようやく諦めてくれたみたいだ。でも、差し入れは持っていこうと思う。手料理ができない代わりに、ちょっとお高い美味しいものを。
これがもし、手料理ではなく、あのお店のあれを買ってきてとかだったら、まだ楽だったのにな…。

「とりあえず、挑戦してみてはくれないか?全部冷凍食品でも、俺は全然構わない。幸奈の好きなようにやってほしい」

これじゃまるで、私の方が駄々を捏ねている子供みたいだ。
段々とバカらしく思えてきた。たかが弁当を作る作らない問題で、ここまで意地を張り合うなんて、私達って本当に似た者同士だなと思った。

「もういいや。私が降参しますよ。作ればいいんでしょう。作りますとも」

もうこの際だから、勢いで作ってやる。
どんなことになっても、責任は全て愁に押しつけてやる。

「ムカつくから、わざと焦げた玉子焼きとか入れてやる…」

「いいよ。俺のために一生懸命作ってくれたんだって思うと、たとえ焦げてたとしても嬉しい」

愁は常に紳士な対応だ。そんな対応されちゃったら、余計に期待しちゃう。
決めた。私は明日、お弁当を届けるついでに、二度目の告白をする。

「…ねぇ、明日って時間ある?バイト終わりに家にきてほしいの。終わるまで待ってるから。どうかな?」

二度目の告白をして、それでもダメだったら、もうこの恋は諦めよう。これでダメなら、脈なんていくら待ってもないに等しい。
そしたら、ササッと次にいける。もう待つのは疲れちゃった。
こんなに思わせぶりな態度までされて、好きじゃなかったら、さすがに立ち直れないと思う。
もしかしたら、これが傍に居られる最後のチャンスかもしれない。
私はもう逃げないと決めた。傍に居られなくなることよりも、こんなチャンス滅多にないので、逃したくない。あなたを自分のモノにしたい。

「何を言っているんだ。いいに決まってるだろう。最初からそのつもりでいたけど」

真っ先に私の元へと駆けつけてくれることが、さも当然かのような言い方が、とても嬉しかった。

「本当?それじゃ、終わるまでバックヤードで待っててもいいかな?」

「いいよ。俺も幸奈が待っててくれると嬉しい。そしたら、一緒に帰れるから」

ずっとあなたの隣を歩いて来た。明日はどんな日になるのかな。
今はただ、最後にならないことを願うのみだ。

「分かった。終わるまで待ってるね」

潤んだ瞳で、愁を見つめる。女性として意識して欲しいがために、自然と身体が動いてしまう。

「そういう目で見つめられると、もう我慢できない。ただでさえ俺、幸奈と一緒に居るだけでも限界なのに…。したい。してもいい?」

ずっと我慢していたのであろう。私もずっとしたいと思っていた。身体が待ち望んでいたかのように、熱を帯び始めている。

「私もしたいから、しよ?」

今の私は積極的だ。きっと告白すると決めたから、気持ちが前向きになっているのかもしれない。
先程までネガティブだった自分が嘘みたいだ。雲が晴れたかのように、清々しい気持ちだ。

「幸奈、目がトロンとしてて可愛い。俺はその目が好き」

自分ではどんな目をしているのかなんて分からない。
どうやら愁の目には、そんなふうに映っているみたいだ。

「トロンとした目ってどんな目なの?」

「妖艶な感じかな」

逆に愁は今、ギラギラした狼のような目をしている。
しかも、色気が三割増しだ。そんな目で見つめられてしまえば、私は逆らえなくなってしまう。
もしかして、これがトロンとした目ってことなのかな?

「そうなの?それなら、私も愁の目が好きだよ」

愁の顔が一瞬、引きつったかのように見えた。しまった…。変なことを言ってしまったと、後悔しても時は既に遅かった。
もう。せっかく告白すると決めたのに。これじゃ、せっかくの告白のチャンスも台無しだ。やっぱり、明日告白するの止めようかな。

「本当か?幸奈も俺の目が好きなのか?」

どうやら引きつっていたのではなく、ただ単に驚いていただけみたいだ。
引かれていたのではないと知り、安心した。それもそうか。愁がこんなことで今更、引いたりしないか。
誰しも自分の顔がどうなっているのかなんて分からない。私だって自分のことは分からないし、それは愁だって同じだ。
私だけが知っているあなたをもっと見てみたい。あなたをもっと独占したいと思ってしまう。

「その目で見つめられると、ゾクゾクしちゃうの…」

もっとその目で見られたい。私をもっと激しく抱いてほしいなんて思ってしまう。

「ゾクゾクしてるんじゃなくて、興奮しているの間違いじゃないか?」

これは一本取られた。確かにそうかもしれない。私はその目に興奮し、感じてしまう。

「うん、そうかもしれない」

「素直に認める幸奈、可愛いすぎ」

どうやら私は、愁が興奮する引き金を引いてしまったみたいだ。
だって嘘はつけない。それに私にだって、愁を欲しい時があると、愁にも知ってもらいたいと思った。
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