天下を駆ける(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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    天下を駆ける
牛馬走
    第一章

    一
 朱雀帝の御世、小満の頃のことだ。
 野山の植物が実を結び、蚕が盛んに桑を食べ始め、田植えの準備がなされる時節が訪れている。

 東洞院大路と三条大路の交わる辺りで、銀光が閃いた。
 水干姿の石上史郎の一撃は鎬をひしぎ打って相手の眉間に太刀を食い込ませた。
 頭蓋、脳髄を割られ、青侍は痙攣してその場に倒れる。
 ほかにふたり、青侍、それに牛飼童、それに雑人が三人いた。物部史郎は脇に太刀を構え、ひとりに向かって肩を突き出すような姿勢を取った。
 青侍はやけくそになって声をあげて踏みつけてくる。
 刹那、史郎は足を踏み変え、太刀をふるった。
 相手の、右の手首が切断される。
 悲鳴が周囲にとどろいた。
「ああ、生きるのは面倒だ」
 史郎は心底思う。
「面倒なら、死ね」
 残った、それを聞きつけて青侍が憤怒の表情で怒鳴った。
「したが、地獄で獄卒に責められるのも億劫だ」
 史郎の返答に、闇の中でも相手が青筋を立てるのが分かる。
 刹那、史郎は脇に退いた。
 石が空を切る。牛車の後ろに隠れていた雑人の仕業だ。
 史郎は太刀から右手を離して、腰刀を抜くや投げる。重心さえ把握していれば、手のひら大の刃物でなくとも狙い打てる。
 雑人の腹に腰刀が吸い込まれた。
「ああ、面倒だ」
 脇刀を引き抜いて血糊を拭う必要が生まれた。
「なあ」
 と史郎は青侍たちに声をかける。
「どうせ、俺と戦ってもどうせ皆殺しだ。だったら、みずから首を掻き切って楽に死んだほうがいいと思わないか?」
 真面目な提案だった。
 が、返答は銀光だ。
 史郎は左足をわずかに引く。四十五度の角度で相手の左手首を狙い打った。
 切断には至らない。だが、当分は使い物にならない傷を与えた。
 青侍は絶叫を上げた。
 刹那、史郎はその口に太刀の刀身を突き込んだ。
 悲鳴が途切れる。
 青侍たちが逃げ出した。
 史郎は無造作に牛車へと歩み寄った。後ろにまわる。
 簾に向かって突き込んだ。
 とたん、小さく悲鳴をあげた。
「出てこい、源前伊賀守」
 史郎は犬を呼ぶように相手を呼ばわった。
 が、返答はない。
 史郎は鼻を鳴らし、太刀を一閃する。簾が斜めに切断され、下に落ちた。
 太刀を血ぶりして納刀し、彼は牛車に乗り込んだ。
 牛車には青ざめた顔のうりざね顔の貴族の姿がある。任国だった伊賀国で民を搾取して財を成した男だが、そんなことは史郎にはどうでもいい。
 突如、貴族が掴みがかってきた。窮鼠が猫を噛もうというのだのだろう。
 とたん、史郎は相手の掴んでくる腕を打って横に払った。反対の手が相手の喉首をとらえる。
 前伊賀守が白目を剥いて倒れた。
 これで面倒が省ける――史郎は前伊賀守の首を両手で持つ。
 次の瞬間、思い切り捻った。骨が折れる壮絶な音がひびいた。
「これでよし」
 史郎はうなずき、外に出て伸びをした。
“面倒”が片付いて少し気分がいい。
 だが、それもこの場限りのものだ。刺客としての働きは終わりが見えない。
 急に沈んだ気分になり、史郎はその場から歩き出す。
 兄の藤原忠平の陰に隠れて菅原道真の祟りを避けた藤原忠平は朱雀帝を擁立して、のちに言う摂関政治の始まりを歩んでいた。地方に目を移すと、受領が荘園を圧迫するようになり、もののふの台頭など、藤原道長の台頭を前にして律令制が崩れ次の時代への芽が吹きつつあった。そろそろ、将門の乱、純友の乱の起こりが近づいている。
 だが、そんな時世のことなど、
 俺には関係ない――。
 それが史郎の本音だ。

 翌日の昼下がりのことだ。
「ようやった、ようやった」
几帳をあげた御帳台に座す父は、上機嫌な表情を浮かべている。
 南廂に腰を下ろしている史郎は無表情に用意された酒を銚子から盃に注いだ。
「前伊賀守へ、調子に乗って幾人もの公卿に賄賂(まいない)を送るから悪いのだ」
 それが不興を買い、さらには他の公卿への威嚇として、刺客であろう史郎が送られたのだ、前伊賀守にしてみれば「そこまでするか」というところだろう。
 まあ、どうでもいい――史郎にしてみれば殺す相手の素性など、殺しには関係ない。
 史郎は白身魚の干した物を齧った。
 考えてみると、空腹を覚えるために食事をするのも面倒だ。
 心のなかでため息をついた。
「そも、石上は元は物部の名族。それがかように凋落したのは悔しい限りでおじゃる」
 父がいつもの嘆き節を始めた。
「神武天皇より早く倭入りをした饒速日命を先祖とし」
 神を先祖とするならどうして凋落するのか、と思うがやはり史郎は黙っていた。父の嘆き節に疑問をさしはさむとあとが面倒なのだ。ひたすら絡んでくる。
「だが、蘇我の佞臣が天皇をそそのかし、我ら物部を卑劣な罠にかけた」
 聞き流しているうちに、父の嘆き節は終わった。
「喉が渇いたな、麿にもくれでおじゃる」
 いつものことだ、史郎は用意されていた自分のとは別の盃に酒を注いで父のもとに運んだ。
 父はうまそうに酒を飲んだ。
 人殺しを命じた口で。と、その口がふたたび動く。
「そなた、三つ競べに出るでおじゃる」
 ふいの父の言葉に、史郎は疑問符を浮かべた。
「走り、馬、泳ぎで所定の場所に届くまでにいくら時がかかったかを競うものでおじゃる」
「聞いたことがありませんが」
 史郎の疑問に、
「さもあろう。先だって、そのようなものが酒の席で催すことが決まったのだ」
 父は得意げに告げた。後世で言う構成なら、ラン、スイム、バイクとするところを、バイクではなく騎乗に変えたトライアスロンの開催が決定された。
「なかなか乙な趣向であろう?」
 その乙な趣向に息子を駒として送り出すことに、父はみじんも疑問を感じていないようだう。
 確かに、走るのも、馬も、泳ぎも好きで得意だが、それで競えと言われると億劫だった。父がたやすく翻意しないことも事実だった。
「きっと、最初に終点にたどりつくのでおじゃる」
 父は力強く訴える。
「尽力いたしまする」
 史郎は暗に期待するな、とこたえた。
 だが、それは父に通用しない。彼は満足げにうなずいた。

 その後、史郎は父の前を辞す。と、渡殿で面倒な相手に遭遇する。
 兄の誠二郎明平(せいじろうあきひら)だ。
「ふん、人殺しが何食わぬ顔でよう姿を見せるでおじゃる」
「父上のお下知でございます」
 皮肉に顔を歪める父に、史郎も表情に嫌悪を刷いた。
「人殺しの兄上は、何用で? 無心でございますか」
 無心、の言葉に誠二郎は片眉を痙攣させた。
「安心なされ。手前が殺しをするお陰で父の威勢は増し、財も集まりまする。兄上が多少、無心したところで支障(さわり)はありませぬ」
 二度目の無心という言葉に兄は歯を剥いた。
「兄に対して無礼な口を」
 誠二郎が威嚇するような声を出す。
「所詮は脇腹の倅なれば、申し訳ありませぬ」
 史郎の母と誠二郎のそれは違う。
 誠二郎の母は貴族の娘だが、史郎は父がお手付きをした雑人の女だった。
 故に、史郎を父は息子として扱わず、剣技その他を学ばせて刺客として使うようになっている。
「うぬには、そもじの母が死ぬ様を見せてやりたかったわ」
 誠二郎が奥の手をくり出した。
 史郎の母は病を得て、路上に追い出され、孤独に死を迎えたという。その有様を見せてやりたかったというのだ、この兄は。
「お気をつけなされ。誰が病を得るかは分からぬのが公界の摂理」
 史郎は皮肉で返す。
「お前こそ」
 告げて、兄は史郎の脇をすり抜けて寝殿に向かった。
 それから、史郎は近江海を目指す。
 雑人は連れず、ひとりで赴いた。邪魔をされず、自儘にふるまいたいのだ。
 湖畔につくと、岸部の木に馬の綱をつないで太刀と腰刀を置き、着物を脱ぐ。それから、近江海へと入って行った。
 後世でいう平泳ぎを行う。
 岸があっという間に遠ざかった。
 前を確かめるのと息継ぎは別々に行う。頭を出して目をのぞかせる動作と、息継ぎを別にすることで水が口の中に入らなくなる。
 全力で泳ぐ準備として、二町ほどを泳いでさらに一町を八本水を掻く。そして、一町をゆっくりと遊泳する。それから四半刻泳ぎ、その後、二町をゆっくりと湖を進んだ。こうすれば調子が出ると、試行錯誤の末に史郎は見つけ出した水練の鍛錬だ。
 水面でとかすかな波が躍る。そこを水を掻き分け、水鳥のごとく進んでいく。こうしていると、自分が人の摂理を逃れて一匹の魚になったよう心地がする。
 だが、永遠にはつづかない。
 しばらくしたところで、進のを止めて体の向きを岸に向けた。
 岸辺に向かって泳いだ。陽光がさし、水面は輝いている。その景色が、史郎は金より美しく思えた。
 やがて、岸にもどりあがる。
 叢に寝転がった。風がよそいで心地がよかった。
 一生、こうして泳ぐ、休む、泳ぐをくり返したいと思う。
 だが、それでは飢えて死ぬ。苦しんで倒れることになるのだ。
 そう、母のように――死因は違うが、苦しんで死んだことに相違はない。
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