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善鬼が強く印象に残る史郎の姿は、幼い時分の稽古のときのことだ。
史郎は泣いてばかりの童だった。
裏を返せば優しい性根だ。
「若君、なぜ木剣を防ぐことに使われる? 打たねば、戦いに勝つことはできませぬ」
庭で史郎を扱いていた途上の問いかけだった。
言葉の通り、史郎はいくら打たれようと反撃をしようとしない。ただただ防ぐばかりだった。
「相手が怪我したらどうする? 殺めたら?」
史郎の真っすぐな言葉に、善鬼は胸を衝かれた。
人を斬ることなど、殺すことなど当たり前だったため、そんな理屈ははるか遠くにあった。突然、光が目を射たように眩しい。
したが、それでは――駄目だ。史郎の父はもっとも信の置ける“刺客”を所望なのだ。
だから、工夫した。童の心を黒く染めるために。
伺見の彼は犬を仕込んでいた。人を攻撃するよう馴らしている。善鬼は庭におりた史郎から距離を置き、犬の荒嶋と対峙させた。
「若君。これからこの犬をけしかけまする。この犬は人を殺すよう調教しておりまする。斬らねば若君は殺されまする」
それで死ぬなら仕方ない、と事前に主には承諾をもらっていた。
「ま、待て、善鬼」
史郎は声を上ずらせた。
「若君、ご用意を」
善鬼は名前の通り“鬼”となって史郎に告げる。
五つ、心の中で数をかぞえた。そして、
「行け」
と前鬼は犬に鋭く指示する。
風のごとく、犬は走った。史郎を襲うまで一瞬の出来事だった。
結果、史郎は犬を見事、くだした。
ただし、当人の望んだ結果ではないのは明白だった。
防御とも攻撃ともつかない、いやいつもの通り、防ぐための太刀か、正眼から切っ先を上げた木剣が飛び掛かった犬の首に食い込んだ。
犬の喉笛が潰れた。くぐもった声をもらし、犬は史郎の脇へと勢いのまま落ちる。
「若君、それが生きるということです」
善鬼は、淡々とした声で告げた。
本当なのか?
人を殺して生きることが、生きるということなのか?
おのれの生きてきた世界が“そう”だったということではないのか?
のちに平安時代という世、病や飢え、争いに巻き込まれることもあったが、平穏無事に生涯を終える者もいた。
だが、善鬼には穏やかに生きる術を教えられない。
己の歪さは理解していた。だから、妻子を持っていない。
そこに命じられたのが、貴族の若君を刺客として育てるという任だった。
情が移らなかったといえば嘘になる。
いや、翁や父になったような心地がする瞬間があったというのが本音だ。
だからこそ、史郎の腕を卓越したものにしようとした。
父に見放されないよう、そして史郎が刺客としての任の中で死なぬよう、懸命に育てた。
目の前に“今の”史郎がいる。
京の公卿は夜が明ける前に出仕するが、街道を走るのにそういう訳にもいかない。後世の道と違い、くぼみもあれば石もある、そんな全力で駆けては転んで大けがをしかねない。
空が紺、群青、赤という色合いが混じりだしたころ、史郎たちは朝餉の糒を噛んでいた。
そこに善鬼は姿を現わし、史郎に目でうながされ彼の側らに座る。対面には、四千と鳶丸の姿があった。
「史郎様、くだんの剣の上手は凄まじいものにございます」
せめて、少しでも史郎のためになろうと善鬼は報告する。
「村ひとつが公卿の息がかかり刺客と化してございましたが、見事に返り討ちにしてございます」
「見事、か。やつを褒めるのか?」「敵ながら天晴れとしか」
史郎が苦笑いを浮かべる。善鬼も微苦笑をもらした。
「やつの太刀筋をどう思う?」
「おのれの身を斬られても構わぬ、捨て身の太刀にございます」
しかも、と前鬼は言葉をかさねる。
「かの者、横薙ぎを返し瞬時に斬りつける技も会得しておりまする」
「厄介極まりないな」
史郎は悩ましげな声をもらす。
「思案はございますか?」
「まあ、な」
善鬼の問いかけに、史郎は意味ありげな顔をした。
「わたしが助太刀しようか?」
四千が問いかける。
「いや、できるだけ一対一で仕合いたい」
それは、史郎が人殺しになる上で、それでも残した良心のなせるものだと善鬼は理解している。
「でも、ふたりなら」
「勝てるやもな。なれど、それで失われるものという物がある」
善鬼と同じく刺客の倫理で生きる四千の意見を史郎は退ける。
この仁は――この薄汚れた場所から抜け出ることができるかもしれない、とふいに善鬼は思った。
しばし無言の時が流れた。
このときを逃すともう聞けなくなるかもしれない疑問を善鬼はぶつける。
「史郎様、手前を恨んでおいででしょうか?」
恨む、と史郎は怪訝な顔をする。
「あなたさんを刺客に仕立てたのはこちにございまする」
「それで“恨む”か」
史郎が面白がるような表情を浮かべた。
「おまえや四千の父の仕込んだ技には助けられた。子もおり、思いを寄せる者いる、生きていることにはある程度の価値を俺は感じている。だから、“お前たち”には感謝している。そして、その価値を俺は息子の鳶丸につなぎたい。それが、人が生きる意味ではないか、と思うのだ」
真面目に告げて、言葉が終わると照れたような顔つきになる。その視線は善鬼から、義理の息子に移った。
鳶丸は戸惑いと照れの入り混じった顔色になる。
「史郎様」
善鬼は胸が温かいもので満ちるのを感じた。
無意識のうちに生きることが空しい、と彼は思っていたが、その思いが消し飛ぶのを感じる。
史郎は泣いてばかりの童だった。
裏を返せば優しい性根だ。
「若君、なぜ木剣を防ぐことに使われる? 打たねば、戦いに勝つことはできませぬ」
庭で史郎を扱いていた途上の問いかけだった。
言葉の通り、史郎はいくら打たれようと反撃をしようとしない。ただただ防ぐばかりだった。
「相手が怪我したらどうする? 殺めたら?」
史郎の真っすぐな言葉に、善鬼は胸を衝かれた。
人を斬ることなど、殺すことなど当たり前だったため、そんな理屈ははるか遠くにあった。突然、光が目を射たように眩しい。
したが、それでは――駄目だ。史郎の父はもっとも信の置ける“刺客”を所望なのだ。
だから、工夫した。童の心を黒く染めるために。
伺見の彼は犬を仕込んでいた。人を攻撃するよう馴らしている。善鬼は庭におりた史郎から距離を置き、犬の荒嶋と対峙させた。
「若君。これからこの犬をけしかけまする。この犬は人を殺すよう調教しておりまする。斬らねば若君は殺されまする」
それで死ぬなら仕方ない、と事前に主には承諾をもらっていた。
「ま、待て、善鬼」
史郎は声を上ずらせた。
「若君、ご用意を」
善鬼は名前の通り“鬼”となって史郎に告げる。
五つ、心の中で数をかぞえた。そして、
「行け」
と前鬼は犬に鋭く指示する。
風のごとく、犬は走った。史郎を襲うまで一瞬の出来事だった。
結果、史郎は犬を見事、くだした。
ただし、当人の望んだ結果ではないのは明白だった。
防御とも攻撃ともつかない、いやいつもの通り、防ぐための太刀か、正眼から切っ先を上げた木剣が飛び掛かった犬の首に食い込んだ。
犬の喉笛が潰れた。くぐもった声をもらし、犬は史郎の脇へと勢いのまま落ちる。
「若君、それが生きるということです」
善鬼は、淡々とした声で告げた。
本当なのか?
人を殺して生きることが、生きるということなのか?
おのれの生きてきた世界が“そう”だったということではないのか?
のちに平安時代という世、病や飢え、争いに巻き込まれることもあったが、平穏無事に生涯を終える者もいた。
だが、善鬼には穏やかに生きる術を教えられない。
己の歪さは理解していた。だから、妻子を持っていない。
そこに命じられたのが、貴族の若君を刺客として育てるという任だった。
情が移らなかったといえば嘘になる。
いや、翁や父になったような心地がする瞬間があったというのが本音だ。
だからこそ、史郎の腕を卓越したものにしようとした。
父に見放されないよう、そして史郎が刺客としての任の中で死なぬよう、懸命に育てた。
目の前に“今の”史郎がいる。
京の公卿は夜が明ける前に出仕するが、街道を走るのにそういう訳にもいかない。後世の道と違い、くぼみもあれば石もある、そんな全力で駆けては転んで大けがをしかねない。
空が紺、群青、赤という色合いが混じりだしたころ、史郎たちは朝餉の糒を噛んでいた。
そこに善鬼は姿を現わし、史郎に目でうながされ彼の側らに座る。対面には、四千と鳶丸の姿があった。
「史郎様、くだんの剣の上手は凄まじいものにございます」
せめて、少しでも史郎のためになろうと善鬼は報告する。
「村ひとつが公卿の息がかかり刺客と化してございましたが、見事に返り討ちにしてございます」
「見事、か。やつを褒めるのか?」「敵ながら天晴れとしか」
史郎が苦笑いを浮かべる。善鬼も微苦笑をもらした。
「やつの太刀筋をどう思う?」
「おのれの身を斬られても構わぬ、捨て身の太刀にございます」
しかも、と前鬼は言葉をかさねる。
「かの者、横薙ぎを返し瞬時に斬りつける技も会得しておりまする」
「厄介極まりないな」
史郎は悩ましげな声をもらす。
「思案はございますか?」
「まあ、な」
善鬼の問いかけに、史郎は意味ありげな顔をした。
「わたしが助太刀しようか?」
四千が問いかける。
「いや、できるだけ一対一で仕合いたい」
それは、史郎が人殺しになる上で、それでも残した良心のなせるものだと善鬼は理解している。
「でも、ふたりなら」
「勝てるやもな。なれど、それで失われるものという物がある」
善鬼と同じく刺客の倫理で生きる四千の意見を史郎は退ける。
この仁は――この薄汚れた場所から抜け出ることができるかもしれない、とふいに善鬼は思った。
しばし無言の時が流れた。
このときを逃すともう聞けなくなるかもしれない疑問を善鬼はぶつける。
「史郎様、手前を恨んでおいででしょうか?」
恨む、と史郎は怪訝な顔をする。
「あなたさんを刺客に仕立てたのはこちにございまする」
「それで“恨む”か」
史郎が面白がるような表情を浮かべた。
「おまえや四千の父の仕込んだ技には助けられた。子もおり、思いを寄せる者いる、生きていることにはある程度の価値を俺は感じている。だから、“お前たち”には感謝している。そして、その価値を俺は息子の鳶丸につなぎたい。それが、人が生きる意味ではないか、と思うのだ」
真面目に告げて、言葉が終わると照れたような顔つきになる。その視線は善鬼から、義理の息子に移った。
鳶丸は戸惑いと照れの入り混じった顔色になる。
「史郎様」
善鬼は胸が温かいもので満ちるのを感じた。
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