忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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 それから、明け方に至るまで父に知りうるすべての痛みを与える技を使った。そして、宣言通りに妻子には手を出さずに長屋を後にする。別に仏心を起こしたわけではない。ただ、両所も自分と同じような立場になって苦しめばいい、という念があっただけだ。
 これまでの人生で感じたことのないほどの、意識が溶けてなくなってしまいそうなほどの爽快感が総身を包んでいた。今なら、母にすら親愛の情を感じそうなほどだ。
 だが、それが錯覚に過ぎなかったことを庄右衛門は思い知る。数日後、まだ明るい気持ちのままに故郷にもどり帰宅した。
 そこで目にしたのは、母が出入りの若い商人と乳繰り合う姿だ。
「しかたがなかろう、夫に捨てられさびしさに耐える辛さがそなたにわかるか」
 またも、“自分のこと”だった。
 息子の気持ちを考え、せめて謝る、のではなくみずからを正当化してみせる。なんと手前勝手なことだ。結句のところ、似たもの夫婦ということか――頭のなかは妙に冴えて冷え冷えとしているというのに、体は違った動きを見せた。母と相手、それについでに遭遇した下男を斬殺し故郷を出奔したのだ。
 だが、それだけでは気が済まなかった。
 忍び働きのなかで培っていた縁を頼りに、幸運にも恵まれ例外的に将軍家御庭番の家に養子入りしたのち、庄右衛門は策謀を巡らせる。江戸表の者たちをあらゆる手段で籠絡しておき、御家騒動を誘発したのだ。その最中、忍び頭と遭遇することもあったが、他愛ない顔を見せて動揺したところを討ち取ってやった。
 そして、家中は改易にあって地上から消滅する。これですべてを忘れられるはずだった。
 しかし、案に相違して違った。どうしてこうも心がささくれ立つのか。胸のうちに蓄積した澱のすべてを打ち消すには、庄右衛門はあまりにも長いこと憎悪しすぎたのだ。黒々とした思いは相からずつきまとう。
 これから先もどす黒い感情と付き合っていかなければならないのか、そう思うと庄右衛門は憂鬱な心持ちになった。
 けれども、思わぬ形で“矛先”を見つける。江戸で元家中の朋輩たちに遭遇したのだ。
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