141 / 141
141・了
しおりを挟む
「吉足、留守を預かってくれと申したはずでしょう」
表情をゆがめた小平次の視線の先には、尻尾をふりながら駆け寄ってくる元は重左エ門の相棒であった犬の姿があった。彼が亡くなって以降は、小平次を主と思い定めたのかすっかりなついている。
それどころか、前の主のように他界して自分のもとを去ってしまうことを恐れてか、姿が見えなくなると追いかけてくる悪癖を身につけていた。
「吉足は御利口ですね」「あ、手を出すと」
近寄ってきた吉足に手をのばす豊に小平次は注意する。
が、予想に反して吉足はおとなしく頭をなでられた。忍犬は飼い主以外に対しては噛みつく危険もあるのだが、豊は例外のようだ。
心配しないで、とでも言いたげに吉足は可愛がられながらも小平次を一瞥する。
邪魔をしておいてよくもそんな目をできますよ――思わず人間を相手にしている心持ちになりながら小平次は恨めしげに見返した。
元気なのは吉足だけではない。無宿忍び衆の一件以後、いくつか仕事をこなしたが誰ひとり欠けることなく吟、馬二、太蔵、それに新しい仲間の定二もやってくれている。一緒に危険をくぐり抜けるうちに、定二との隔たりも最早ほとんど感じられなくなっていた。
また、自害した亀太郎の妹だが、届いた便りによると病は解放に向かっているらしい。それどころか、小平次たちが渡り忍びなる生業をやっていることを知って「わたしも仲間になりたい」と言って世話になっている遠縁の者を困らせているという。できれば、仲間に加えるのは遠慮したいですね――なにかあったら亀太郎に顔向けできない。
また、ふたつ目の仕事の依頼で知り合った森藩藩士の幸太郎とはたまに煮売り酒屋でともに酒杯をかたむける仲になっていた。その後、森藩の城造は公儀に知られることなく平穏に時は過ぎている、と彼は言っていた。
気がかりなことといえば――御庭番とは庄右衛門との衝突以降、特にかかわりはないが、忍び働きをしているのだからいつか再びぶつかる日が来るかもしれない。あるいは、無宿忍び衆討伐の邪魔をした角で恨みに思われている可能性もあった。
「どうかしたの?」
豊の言葉で小平次は我に返る。
「いえ」
小平次は首を横にふって微笑した。とりあえずは“今”を大事にしよう――改めて、二人と一匹で中秋の名月を見上げた。
了
表情をゆがめた小平次の視線の先には、尻尾をふりながら駆け寄ってくる元は重左エ門の相棒であった犬の姿があった。彼が亡くなって以降は、小平次を主と思い定めたのかすっかりなついている。
それどころか、前の主のように他界して自分のもとを去ってしまうことを恐れてか、姿が見えなくなると追いかけてくる悪癖を身につけていた。
「吉足は御利口ですね」「あ、手を出すと」
近寄ってきた吉足に手をのばす豊に小平次は注意する。
が、予想に反して吉足はおとなしく頭をなでられた。忍犬は飼い主以外に対しては噛みつく危険もあるのだが、豊は例外のようだ。
心配しないで、とでも言いたげに吉足は可愛がられながらも小平次を一瞥する。
邪魔をしておいてよくもそんな目をできますよ――思わず人間を相手にしている心持ちになりながら小平次は恨めしげに見返した。
元気なのは吉足だけではない。無宿忍び衆の一件以後、いくつか仕事をこなしたが誰ひとり欠けることなく吟、馬二、太蔵、それに新しい仲間の定二もやってくれている。一緒に危険をくぐり抜けるうちに、定二との隔たりも最早ほとんど感じられなくなっていた。
また、自害した亀太郎の妹だが、届いた便りによると病は解放に向かっているらしい。それどころか、小平次たちが渡り忍びなる生業をやっていることを知って「わたしも仲間になりたい」と言って世話になっている遠縁の者を困らせているという。できれば、仲間に加えるのは遠慮したいですね――なにかあったら亀太郎に顔向けできない。
また、ふたつ目の仕事の依頼で知り合った森藩藩士の幸太郎とはたまに煮売り酒屋でともに酒杯をかたむける仲になっていた。その後、森藩の城造は公儀に知られることなく平穏に時は過ぎている、と彼は言っていた。
気がかりなことといえば――御庭番とは庄右衛門との衝突以降、特にかかわりはないが、忍び働きをしているのだからいつか再びぶつかる日が来るかもしれない。あるいは、無宿忍び衆討伐の邪魔をした角で恨みに思われている可能性もあった。
「どうかしたの?」
豊の言葉で小平次は我に返る。
「いえ」
小平次は首を横にふって微笑した。とりあえずは“今”を大事にしよう――改めて、二人と一匹で中秋の名月を見上げた。
了
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる