【完結】ドグマ

大塚波

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第一章 見えない。

第一話 広い部屋①

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 錆殻さびがら光臣みつおみには『見えない』。であるから、現場に赴く意味はない。
 その旨繰り返し刑事・小燕こつばめ向葵あおいに伝えはしたのだが──

「ここが、秋元あきもと慎也しんやさんと政岡まさおか涼子りょうこさんが亡くなった現場、ふたりが同棲していた部屋のあるマンションです」
「……俺を連れてくる意味はない、と何度言えば理解してくれるんだ、あんたは?」
「分譲マンションでしてね。ふたりが借りていた部屋のオーナーが困り果てているんですよ」
「事故物件になっちまった、ってか?」
「その通りです」

 180cm近い長身に加えモデル業を引き受けたこともある体付きの光臣よりは少しばかり小柄、だが凛と背筋を伸ばした小燕は大きく首を縦に振った。

「私が『錆殻光臣と個人的な繋がりを持っている』と伝えたところ、ぜひ会いたいと」
「余計なことを!」
「行きましょう。部屋は……303号室だったか」

 管理人室に陣取っている中年男性に軽く会釈をした小燕が、大股でエントランスを通り抜け、エレベーターホールに向かう。変装用のサングラスと白いマスクで顔を覆った光臣は大きく溜息を吐き、細身だが広い小燕の背中を追い掛ける。

「そもそも──依頼は去年の夏だったろうが。なぜあのアベックが自死を選ぶ必要がある」
「その点、捜査本部としても行き詰まっている面でしてね」
「捜査本部……? 自殺者がふたり出ただけだっていうのに、そんなものが立つのか?」
「写真を見ただろう錆殻光臣。遺体の顔を」
「……」

 ゆっくりと──マンションの最上階、一〇階に留まっていたエレベーターが降りてくる。光臣は一瞬両目を閉じ、あの喫茶店で小燕に強引に見せられた検死写真を思い出す。
 昨年。晩夏。光臣の所属事務所にやって来たアベック、秋元慎也と政岡涼子。祓いの仕事自体は甥と菅原すがわらに丸投げにしたが、霊能者・錆殻光臣を頼ってやって来た依頼人の顔を忘れたりはしない。
 検死写真に写っていた男女の顔は、仮に自死の苦しみでひどく歪んでいたとしても──別人のそれだった。

「錆殻光臣? エレベーターが……」
「ああ。──ああ?」

 おかしな気配がした。
 光臣にはその能力はないはずなのに。
 目の前で開いた扉。エレベーター。
 乗り込んではいけない、と。強く思った。

「小燕」
「うわ」
「階段で行こう」
「は?」

 紺色のジャケットの二の腕を掴まれた小燕が、裏返った声を上げる。

「なんだ、急に……」
「変だ」
「変? ……あんた、能力はないんじゃなかったのか」
「ない」

 短く即答した光臣は、小燕をぐいぐいと引っ張りながら後退りをする。

「だが、ない俺にも分かる。
「意味が分からない……」
「階段はどっちだ? 三階なら、エレベーターを使っても階段で上っても同じだろう」

 そうして、錆殻光臣と小燕向葵は、普段はマンションの住人たちもあまり使わないという寂れた階段を使って303号室に向かった。「エレベーターよりもこっちの方が幽霊が出そうに見えるがな」という小燕の独り言は無視した。光臣とて、自身の覚えた『どうかしている』という感想に違和感を覚えているのだ。

 錆殻光臣には見えない。幼い頃からそうだった。

 それが──四十路も後半に差し掛かったこの年齢で、何かに目覚めるなんてことが、あるか?

(冗談じゃない)

 内心吐き捨て、三階に辿り着く。ワンフロアに三つの部屋があり──

「お待ちしてました、刑事さん。それに……錆殻光臣さん! ご本人にお会いできるなんて!」

 問題の303号室の前で瞳を輝かせているのは、光臣よりひと回りほど年下と思しき女性だった。

「お待たせして申し訳ない。錆殻さん、こちら、303号室のオーナーの吉井よしい一葉かずはさんです」
「吉井です。ご足労いただきありがとうございます」

 吉井一葉は、テレビ番組に出演している錆殻光臣のことを良く知っているのだろう。自身の目線よりも少しばかり小柄な、痩せ型で長身の吉井に小さく会釈をした光臣は、

「錆殻です。この度は、なんというか……」

 災難でしたね、と言うのも他人事過ぎる気がして、取り敢えず営業用の名刺を差し出す。小さな紙切れを恭しく両手で受け取った吉井は、

「吉井です。この部屋のオーナーと……それから、不動産会社を経営しています」
「不動産?」

 白魚のような指が差し出す名刺を受け取り、光臣はゆっくりとまつ毛を上下させる。吉井の名刺には確かに、『株式会社アース 代表取締役社長 吉井一葉』と書かれている。

「社長さんですか」
「ええまあ……って言っても、親族経営の小さな会社です。実際に仕事を取り仕切っているのは私の母親です」

 肩を竦めて応じる吉井は、しかし光臣の言葉に然程大きな感情を抱いているようには見えない。それよりも、テレビタレントで霊能者の錆殻光臣が目の前にいる、という現実に浮かれているようにさえ見える。
 ──つい先日、彼女の持ち物である303号室で人が変死したばかりだと言うのに?

「早速ですが、お部屋を見せていただいても?」
「ええ、はい、もちろん。鍵も持ってきました」

 小燕の言葉に吉井は大きく目を瞬かせ、淡いブルーのジャケットの内ポケットから鍵の束を取り出す。

「入りましょう」

 吉井の声に、「ええ」と光臣は短く応じる。
 やはり、何かがおかしい。
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