【完結】ドグマ

大塚波

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第一章 見えない。

第三話 長田

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 小燕こつばめ向葵あおいを捜査本部があるという警察署まで送り届け、錆殻さびがら光臣みつおみは今日の仕事場であるテレビ局のスタジオに向かった。LINEで連絡をしたところ、マネージャーの長田おさだは既に楽屋前にいるということだった。錆殻光臣には大抵、人ひとりで使うには広すぎるほどの個室が楽屋として与えられる。「中で茶でも飲んで待っていろ」と長田にメッセージを追加し、テレビ局の駐車場にクルマを置きに向かった。

「おはようございます、先生」
「おう」

 長田は、楽屋で茶を飲んで待っては──いなかった。楽屋の中にはいたが、鏡台の傍に置かれた丸椅子にちょこんと腰を下ろし、本日の収録内容が書かれた台本に目を通していた。
 今日の収録は、数ヶ月後、初夏に放送される予定のバラエティ番組。もちろん怪談特番だ。光臣を除く出演者たちは、まだ肌寒いこの時期に夏を思わせる服装で収録に挑まなければならないというから、難儀な話だ。
 錆殻光臣は常に、喪服を思わせる真っ黒いスーツで仕事をする。季節が夏であっても、冬であっても、変わらない。

「茶」
「あ、淹れますね、すみません」
「飲んでろって言っただろう」
「ああ~……すみません」

 肩を竦めて笑う長田との付き合いは長い。出会いは一〇年近く前。タレント霊能者としてテレビ局に頻繁に招かれる光臣の現場担当・ロードマネージャーとしてやって来たのが長田だった。30代になったばかりだという長田は光臣からすればほんの小娘にしか見えなくて、彼女に頼らずとも自分の仕事は自分で取り仕切ることができると思っていたのだが、

「長田」
「はい、なんですか?」
「今日、刑事に会ってきた」
「え? ……刑事? ……警察の人、ですか?」
「そうだよ」

 楽屋に置かれた小さな丸テーブルと、座り心地の良いひとり掛け用ソファ。そこにどっかと腰を下ろした光臣の前にコーヒーを出しながら、長田はしぱしぱと瞳を瞬く。

小燕こつばめ向葵あおい。会ったことなかったか」
「ああ……そういえば、以前、先生と一緒に海に……?」
「そうだ。その小燕が、妙な案件を持ち込んできて」
「案件? ですか?」

 小首を傾げる長田は、。光臣自ら明かしたのだ。彼女がチーフマネージャーに昇進した、祝いの席でのことだった。

「どのような……というか、先生に案件を持ち込むということは、つまり……?」
「甥。もしくはあの秘書に任せることになる。いや、もう任せた案件だったんだ」
「……すみません、先生。話が良く見えません」

 座れ、と指示を出すと、長田は大人しく丸テーブルを挟んで正面のソファに浅く腰掛けた。光臣は左手で自身の顎を撫でると、

「去年の夏頃。妙なアベックが来ただろう」
「アベック……あ!」

 長田が両目を大きく見開き、光臣は静かに首を縦に振る。長田が忘れているはずがないのだ。あのアベック──秋元あきもと慎也しんや政岡まさおか涼子りょうこ。あのふたりが祓いの依頼を持って現れた日、長田の身に異変が起きた。

「私……あの時……吐いてしまって……」
「別に悔やむようなことじゃない。もう済んだ話だ。それより長田、教えてほしい。あの時おまえ、何かを見たのか?」
「……」

 膝の上で両手をぎゅっと握り締めた長田が、上目遣いに光臣を見る。光臣は再び、黙って首を縦に振る。ここは密室。ここで交わされた会話が──光臣、長田両人の合意なく外に出ることは、絶対にない。

「先生、その……」
「おまえが見えるタイプだったかどうかも、俺は忘れてしまってな」
「私は……」

 長田の逡巡を他所に、光臣は手元のコーヒーをひと息に飲み干す。美味い。長田はコーヒーを淹れるのがとても上手い。

「先生、……先に聞かせてください。あのアベックに何かあったんですか?」
「どうしてそう思う?」
「質問に質問で返すのは良くないですよ」

 くちびるを尖らせる長田に光臣は静かに笑い、

「それはそうだ。あのふたりは死んだ」
「死んだ?」
「自死だったそうだ。だが通常の自死とは到底言えない──所謂まあ、変死だよ。だから警察も動いている」
「……そうですか」

 口元を僅かに痙攣させて、長田が沈黙する。急かすつもりはない。収録開始時間までに、あの日、あの夏の日、長田が何を見て嘔吐し、救急車を呼ぶ事態になってしまったのか。その理由が分かれば、それでいい。
 沈黙自体は、そう長いものではなかった。「あの日」と長田は言った。

「あのアベックの他に、
「……もうひとり?」

 そんな話は聞いていない。甥からも、菅原からも。
 長田が見える人間なのかどうかを、光臣は本当に忘れている。正確には、彼女からそのような申告を受けた覚えもない。
 だが甥と菅原すがわらは違う。長田に何かが見えたなら、甥と菅原も同じものを見たはずだ。

(……しらばっくれていたのか?)

 奥歯をぎゅっと噛み締める光臣に、

「性別も年齢も分かりません」

 長田が淡々と続ける。

「先生の……甥御さんと、あと、菅原さんでしたっけ? 背の高い」
「ああ」
「あのおふたりも、気付いていなかった、というか──
「来客そのものが?」
「はい」
「……」

 ジャケットの内ポケットに手を突っ込み、煙草を取り出そうとしてやめる。楽屋は禁煙だ。幾ら広い部屋を与えられて、丁重にもてなされているとはいっても、喫煙だけは許されない。妙な話だ。
 しかし──と光臣は考える。長田の言葉の通り「」のだとしたら、甥と菅原が特に何も情報を寄越さなかったのも理解ができる。長田より見る力が強い甥と菅原には、三人目の性別も、年齢も、──顔も。すべて見えていたのではないだろうか。

「それで……その三人目に、何かをされた?」
「何か、というほどは……ただ、三人いる、って思った瞬間すごく気分が悪くなって」
「それで嘔吐か」

 長田が頷く。光臣は沈黙する。
 三人目。
 この世のものでは確実にない。そして錆殻光臣には、その三人目を見る能力がない。
 甥か菅原を引っ張り出してくるか? 長田をあのマンション──秋元・政岡の死亡現場になった部屋に連れて行く気はない。危険すぎる。

「……せ、先生?」
「うん?」
「もうそろそろ、収録が」
「ああ。そうだったな」

 気持ちを切り替える。
 ここからは、タレント霊能者・錆殻光臣の時間だ。
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