【完結】ドグマ

大塚波

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第一章 見えない。

第四話 蛍神社

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 収録を終えた錆殻さびがら光臣みつおみは、自家用車をマネージャーの長田おさだに預け、自身はスタジオの最寄駅から地下鉄に乗る。新宿三丁目駅で下車し、徒歩で歌舞伎町方面に。地上三階、地下一階の雑居ビルの地下階で開店している、喫茶店に用がある。

「いらっしゃい」

 防弾ガラス製の扉を開けると、頭上でドアベルがカラコロと涼やかに鳴った。カウンター席が四つ、テーブル席がふたつあるだけの小さな店内には白髪の店主と、それに光臣より幾つか年長の常連客の姿があった。

「錆殻さんじゃあないの」

 常連客が小首を傾げて、ひっそりと笑う。

「珍しいのぉ、こんな時間に」
「本当に、珍しいな」

 店主が穏やかな口調で同調する。光臣は黙って肩を竦め、

「ブレンド」

 とだけ告げて、一番出入り口に近いカウンター席に腰を下ろす。

「はいはい。いやしかし、本当に珍しいな? 錆殻光臣さん。あんたがひとりで来店するなんて」
「俺だって別にいつも腰巾着をぶら下げてる訳じゃない、逢坂さん。それに今日は──そっちのおじさんに用事があって来たんです」
「おれぇ?」

 素っ頓狂な声を上げる男の名は、鹿野かの迷宮めいきゅう。民俗学の学者であり、都内の大学で教鞭を振るっている教授でもある。歌舞伎町に陣取る喫茶店──純喫茶カズイの常連客であり、光臣は迷宮の自宅の住所も電話番号も知ってはいるが(以前名刺を交換したことがある)、日を改めて呼び出したり、どこかで待ち合わせをするよりも、ここに足を運んだ方が早い、そんな直感が働いたのだ。
 大当たりだった。

「何、なに……霊能力者の光臣センセのお役に立てるような情報は持っとらんよ、おれは」
「持ってる」

 店主・逢坂おうさかからブレンドコーヒーが入ったカップを受け取りながら、光臣は即答する。逢坂と迷宮が黙って視線を交わすのが分かる。

「これ」
「何……写真? うわ! グロじゃ!!」
「おいおい、光臣さん……」

 カップに大量のコーヒーシュガーを放り込みながら迷宮の手元に滑らせたのは、刑事・小燕こつばめ向葵あおいから預かった、秋元あきもと慎也しんや政岡まさおか涼子りょうこ両人の自死現場及び検死結果を記録した写真が入った封筒である。まったく何の警戒もせずに封筒の中身を取り出した迷宮が、カウンター席から転げ落ちそうになっている。

「こういうものを持ち込むなら、事前に……」
「事前に連絡したらあんたは店を閉めるだろうし、鹿野迷宮先生は俺が辿り着く前に家に帰ったでしょうが。不意打ちしか手段がない」

 煙草に火を点けながら唸る光臣に、はあ、と逢坂・迷宮が同時に息を吐くのが分かった。

「いや~……グロい。こがなもん、どこで手に入れてきたんか……」
「刑事」

 紫煙を吐きながら、光臣は短く応じる。蓬髪をうなじの辺りで一纏めにし、真っ赤なセーターに細身のデニムといった格好の迷宮は眉根をぎゅっと寄せ、

「刑事……小燕さんのことか」
「不本意ながら、俺が昵懇にしている警察関係者はあの人だけですよ」
「こん……写真。どういうことじゃ。何があったんか」
「男と女が死にました。男の方には見えない、女の方には見える。そういうアベックでした。ところが、男の方の勤務先──出版社の同僚が記事を書くために入っては行けない場所に足を踏み入れ、その結果腹を掻っ捌いて自死しました」
「ああ……そん話は少しじゃけど聞いたことがある。去年の夏頃やったよな?」

 迷宮の言葉に、光臣は首を縦に振る。

「そうです。その後、なぜだか見えないはずの男の方──秋元という彼の身の回りで怪奇現象が起こり、俺の名刺を所持していた出版社の人間が、秋元とその恋人を俺のもとに寄越した」
「祓いのために?」

 迷宮が尋ね、光臣は再び首を縦に振る。

「とはいえ、迷宮先生や逢坂さんはご存知の通り俺は単なるタレントですんでね。案件自体は菅原すがわらに任せた」
「菅原くん……あの背ぇの高い男の子か」
「しかし光臣さん。菅原くんは、んじゃないのか」

 今度は逢坂が問い、光臣は三度首肯する。

「ええ。アレは、本物だとか偽物だとか、そういう議論の範疇にない。なので」
「まさかとは思うが、失敗したんか?」

 意を決して現場、及び検死写真に向き合う決意をしたらしい迷宮が呟いた。

「いや……菅原くんが失敗? 有り得んじゃろ」

 自問自答の迷宮に、光臣は低く答える。

「菅原は恐らく、失敗していません。失敗していたとすれば、あいつは今上野のマンションでのんびり暮らしていない」
「つまり……?」
「迷宮先生。そのアベックが亡くなったの、
「は?」

 鹿野迷宮の目が、真っ直ぐに錆殻光臣を見据えた。信じ難い、と顔に書いてある。

「事件は……祓いの依頼は、夏じゃったろう」
「ええ」
「ほいで、菅原くんは失敗しとらん」
「そうです」
「ほんなら……なしてこのふたりはのうなったんじゃ……」
「それをね、確認したくて」

 甘いコーヒーを飲み干し、フィルターぎりぎりまで吸った煙草を灰皿に押し込んだ光臣は、仕事用の鞄からタブレットを取り出してカウンターの上に置く。

「迷宮先生。この場所、ご存知ないですか」
「あん……? なんなら、こりゃあ」
「亡くなったアベックの片割れ、秋元慎也の同僚が夏の心霊特集の記事を書くために踏み込んだ場所。うちの甥に言わせればの場所を示しています」

 地図アプリのど真ん中に、赤いピンが立っている。タブレットを両手で受け取った鹿野迷宮は眉根をぎゅっと寄せ、

「こりゃあ……こりゃあ、。良うない」
「つまらん」
「いけない。誰よ、こんなところに踏み込んだんは」
「秋元慎也の同僚だった記者、鈴谷すずたにという男性だそうです。故人です」
「当たり前よ、そうなって当然じゃ」

 迷宮の人差し指が、良く磨き上げられた飴色のカウンターを忙しなく叩いている。トン、トン、トン、という響きから、光臣は昼間訪問した秋元・政岡が同棲していたマンションのことを思い出す。
 あの音はなんだったのだろう。今はもう聞こえないが、アベックがともに自死した件と無関係ということはあるまい。

「よもつひらさか」

 平坦な声で、迷宮が言った。「何だって?」と店の入り口にかかっていた『OPEN』の札を『CLOSE』に変えた店主がいかにも興味津々といった様子で尋ねる。

「言うたら、あの世とこの世の境目です。気軽に立ち入ってええ場所じゃない」

 驚くような話ではない。秋元慎也の同僚、既に故人である鈴谷という記者は、北関東の片隅にある廃神社に取材に行き、そこで腹を掻っ捌いて自死した。廃神社が以前は黄泉平坂として信仰を集めていたという情報ぐらいは、軽く検索をするだけで得ることができた。
 わざわざ、民俗学者・鹿野迷宮に会うために歌舞伎町まで足を運んだのは、そんな分かりきった話を聞くためではない。

「なんて名前ですか」
「あん……?」
「この神社」
「ああ……書いてあるじゃないの、地図に」

 光臣の顔をちらりと見、迷宮は唸った。

ほたる神社」
「通称でしょう」

 鈴谷の自死の現場となった神社の側には清流があり、その季節になると多くの蛍を見ることができるのだという。それで付いた通称が『』だ。本当の名前ではない。
 あの土地を再開発する予定でも立たない限り、神社が閉鎖されることはない。廃神社と呼んでいるのは通称・蛍神社に無関係な人間たちだけで、土地の人々にはあの神社は今もこの世とあの世の境目として丁重に扱われている──はずだ。
 鹿野迷宮が、長い長い溜め息を吐いた。

「あんた、もう、分かっとるんじゃろ」
「ええまあ」
「ええ根性しとるの。おれの口から吐かせて、何が楽しい」
「特に楽しくは。ただ、確証が欲しい」

 短い沈黙と、迷宮が咥えた煙草の煙。
 光臣は待った。この男の口から正解を聞き出すために、わざわざ歌舞伎町までやって来たのだ。手ぶらで帰る気はない。

「蛍神社の、正式名称は──」

 あの世とこの世の境目に人間が名前を与えるなど。
 あまりにも愚かしい行為だと思いつつ。
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