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第三章 融ける。
第一話 小燕向葵③
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アベックの片割れ、女の方、なんという名前だったか──スマートフォンを開いて確認しようとする錆殻光臣に、「政岡涼子」と小燕向葵が言った。
「その、政岡の?」
「大学時代の友人とかいう女がコンタクトを取ってきた」
「……いったい、どういう理由で? あんたがこの件に首を突っ込んでいると、どういうルートで知ったんだ?」
小燕が作る朝食は、ごくごく簡易なものだった。トーストにバター、一杯のコーヒー。キッチンの片隅や低い冷蔵庫の上など、各所に盛り塩があることに光臣はすぐに気付いた。特売の粗塩で作られた盛り塩。菅原の置き土産だ。
早くも変色し始めている。
今夜辺り再び菅原を派遣して、新しい盛り塩を──もっとまともなものを作らせる必要がある。この部屋まで汚染されるわけにはいかない。シャワーを浴びることさえできなくなる。冗談じゃない。
小燕はひとり掛けのソファに座り、光臣は立ったままでトーストを齧った。美味くも不味くもない朝食。それより何より、コーヒーから腐臭がしないのがありがたい。
「俺は一応、テレビにも出てる有名人だからな」
「インチキなのに……?」
「事務所にはファンレターと一緒に祓いの依頼が山ほど寄せられる。その中に混ざっていた。別におかしな話じゃない」
「一応、参考までに訊きたいんだが」
と、空になったコーヒーカップと皿をキッチンに運びながら、小燕が言う。
「寄せられるという祓いの依頼──本物は、どの程度混ざってるんだ?」
「さあ。俺は祓わないから分からない」
コーヒーを飲み干し応じる光臣に、「あんたなぁ」と小燕がうんざりした様子で唸る。
「それでも……いや、あんたはイカサマなんだったか……」
「そうだ。本職はタレントだからな」
とはいえ──と光臣は空になったコーヒーカップを小燕に押し付けた手で自身の顎を撫で、
「脅迫状や、刃物が入っている類の封筒以外は一旦自宅に持ち帰る」
「菅原くんに見せるのか」
「そうだ」
「……それで、菅原くんは?」
昨晩どういう会話を交わしたのか、小燕は菅原に対してずいぶん心を開いているように見える。難攻不落の堅物刑事だとばかり思っていたのだが、菅原はどういう話術を用いたのか。気になるかならないかといえば──別にならない。どうでもいい。小燕はただの仕事相手だ。今回に関していえば、カネにもならない厄介な案件を一方的に持ち込んできた面倒な知り合いに過ぎない。
「アレが本物だというならば本物、そうでなければ勘違い」
「ふむ……」
「本物に関しては甥と菅原に対処させる。勘違いの方は、俺が出向いてちょっと呪禁でも行えば済む」
「じゅごん?」
訝しげに小首を傾げる小燕に、「こういう」と光臣は仕事用の鞄から大ぶりな数珠を取り出し、
「ものを使って、何かを追い払ったり、威嚇したりする。そういう芝居を行う」
「……ペテンじゃないですか」
「違う。俺のところに依頼を寄越すほどの勘違いを起こす連中は心が弱っていて、とにかく何かに縋りたい状態に陥っている者が多い。俺が呪禁を演じることによって連中は──自分は救われる、もう大丈夫だ、と明るい方に錯覚を起こすことができる」
「それとペテンと、何の違いが」
「あ~……あんたほんとに面倒臭いな? そんなに信じられないなら、次の依頼の際に現場を見にくればいい」
数珠を片付けながら言う光臣に、「そんな暇があればな」と小燕が呟くように応じた。
「で? そっちは?」
「進展はない。それどころか、政岡涼子の遺族に捜査を中止するよう要求されている」
「政岡の?」
少し意外だった。ド派手に内臓をぶち撒けて死んだのは秋元の方なのだ。それに、彼の同僚だった鈴谷という男。捜査中止を要求されるとしたら、彼らの勤務していた出版社からだと思っていた。
「政岡涼子には、霊感があったらしい」
「ふむ?」
霊感──とは。今しがた呪禁芝居の説明をしたばかりの光臣には、些か皮肉な響きだった。目を細める光臣に、
「母親と……祖母か。祖母の方は自分には霊感があると言い張って。これ以上捜査を続けると、私たちにも悪いことが起きると……」
「母親は?」
「『おばあちゃんはボケてるから』だそうだ」
「なるほど」
面白い。錆殻光臣は不謹慎な人間だ。そうでなければ、イカサマ霊能タレントなんてやってられない。
政岡涼子の友人を名乗る、清水はるかの証言も引っ掛かっていた。
中川信夫監督作品、映画『地獄』を知ってる、と繰り返した政岡涼子。
彼女は何を知っていたんだ? 親族を叩けば、何かが出てくるのではないか?
「いいね」
「何がいいんだ、錆殻光臣……」
「政岡涼子の母親と、祖母に会う。あんたも来い、小燕向葵」
「はあ!?」
菅原が『綺麗』だと言った小燕向葵はたしかに、端正な顔立ちをしている。タレントとして活動している光臣ほどではないが。だが、対照的ないい男ふたりが揃って聞き込みに行けば──女性ふたり、難なく籠絡できるだろう。光臣は本気で、そう思っていた。
政岡涼子の祖母、政岡勝子に大量の塩をぶつけられる未来など、想像もせずに。
「その、政岡の?」
「大学時代の友人とかいう女がコンタクトを取ってきた」
「……いったい、どういう理由で? あんたがこの件に首を突っ込んでいると、どういうルートで知ったんだ?」
小燕が作る朝食は、ごくごく簡易なものだった。トーストにバター、一杯のコーヒー。キッチンの片隅や低い冷蔵庫の上など、各所に盛り塩があることに光臣はすぐに気付いた。特売の粗塩で作られた盛り塩。菅原の置き土産だ。
早くも変色し始めている。
今夜辺り再び菅原を派遣して、新しい盛り塩を──もっとまともなものを作らせる必要がある。この部屋まで汚染されるわけにはいかない。シャワーを浴びることさえできなくなる。冗談じゃない。
小燕はひとり掛けのソファに座り、光臣は立ったままでトーストを齧った。美味くも不味くもない朝食。それより何より、コーヒーから腐臭がしないのがありがたい。
「俺は一応、テレビにも出てる有名人だからな」
「インチキなのに……?」
「事務所にはファンレターと一緒に祓いの依頼が山ほど寄せられる。その中に混ざっていた。別におかしな話じゃない」
「一応、参考までに訊きたいんだが」
と、空になったコーヒーカップと皿をキッチンに運びながら、小燕が言う。
「寄せられるという祓いの依頼──本物は、どの程度混ざってるんだ?」
「さあ。俺は祓わないから分からない」
コーヒーを飲み干し応じる光臣に、「あんたなぁ」と小燕がうんざりした様子で唸る。
「それでも……いや、あんたはイカサマなんだったか……」
「そうだ。本職はタレントだからな」
とはいえ──と光臣は空になったコーヒーカップを小燕に押し付けた手で自身の顎を撫で、
「脅迫状や、刃物が入っている類の封筒以外は一旦自宅に持ち帰る」
「菅原くんに見せるのか」
「そうだ」
「……それで、菅原くんは?」
昨晩どういう会話を交わしたのか、小燕は菅原に対してずいぶん心を開いているように見える。難攻不落の堅物刑事だとばかり思っていたのだが、菅原はどういう話術を用いたのか。気になるかならないかといえば──別にならない。どうでもいい。小燕はただの仕事相手だ。今回に関していえば、カネにもならない厄介な案件を一方的に持ち込んできた面倒な知り合いに過ぎない。
「アレが本物だというならば本物、そうでなければ勘違い」
「ふむ……」
「本物に関しては甥と菅原に対処させる。勘違いの方は、俺が出向いてちょっと呪禁でも行えば済む」
「じゅごん?」
訝しげに小首を傾げる小燕に、「こういう」と光臣は仕事用の鞄から大ぶりな数珠を取り出し、
「ものを使って、何かを追い払ったり、威嚇したりする。そういう芝居を行う」
「……ペテンじゃないですか」
「違う。俺のところに依頼を寄越すほどの勘違いを起こす連中は心が弱っていて、とにかく何かに縋りたい状態に陥っている者が多い。俺が呪禁を演じることによって連中は──自分は救われる、もう大丈夫だ、と明るい方に錯覚を起こすことができる」
「それとペテンと、何の違いが」
「あ~……あんたほんとに面倒臭いな? そんなに信じられないなら、次の依頼の際に現場を見にくればいい」
数珠を片付けながら言う光臣に、「そんな暇があればな」と小燕が呟くように応じた。
「で? そっちは?」
「進展はない。それどころか、政岡涼子の遺族に捜査を中止するよう要求されている」
「政岡の?」
少し意外だった。ド派手に内臓をぶち撒けて死んだのは秋元の方なのだ。それに、彼の同僚だった鈴谷という男。捜査中止を要求されるとしたら、彼らの勤務していた出版社からだと思っていた。
「政岡涼子には、霊感があったらしい」
「ふむ?」
霊感──とは。今しがた呪禁芝居の説明をしたばかりの光臣には、些か皮肉な響きだった。目を細める光臣に、
「母親と……祖母か。祖母の方は自分には霊感があると言い張って。これ以上捜査を続けると、私たちにも悪いことが起きると……」
「母親は?」
「『おばあちゃんはボケてるから』だそうだ」
「なるほど」
面白い。錆殻光臣は不謹慎な人間だ。そうでなければ、イカサマ霊能タレントなんてやってられない。
政岡涼子の友人を名乗る、清水はるかの証言も引っ掛かっていた。
中川信夫監督作品、映画『地獄』を知ってる、と繰り返した政岡涼子。
彼女は何を知っていたんだ? 親族を叩けば、何かが出てくるのではないか?
「いいね」
「何がいいんだ、錆殻光臣……」
「政岡涼子の母親と、祖母に会う。あんたも来い、小燕向葵」
「はあ!?」
菅原が『綺麗』だと言った小燕向葵はたしかに、端正な顔立ちをしている。タレントとして活動している光臣ほどではないが。だが、対照的ないい男ふたりが揃って聞き込みに行けば──女性ふたり、難なく籠絡できるだろう。光臣は本気で、そう思っていた。
政岡涼子の祖母、政岡勝子に大量の塩をぶつけられる未来など、想像もせずに。
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