【完結】ドグマ

大塚波

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第五章 偽る。

第一話 二日間①

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 小料理屋の二階。嘗ては老婆が家族と共に暮らしていた部屋に、錆殻さびがら光臣みつおみ小燕こつばめ向葵あおいは通された。

「あんたはどうすんだ、ババア」

 という光臣の問い掛けには答えず、老婆は店を出、外から鍵を掛けた。光臣と小燕がカウンターの隅で酒を飲んでいるあいだに、数組の客が店を訪れ、食事をし、老婆と会話をして帰った。まるで光臣と小燕が存在しないかのように、どの客も振る舞った。
 敷布団が二組、畳敷の部屋に乱雑に置かれていた。光臣は腰を屈め、布団が真っ直ぐになるように調整する。

「刑事さん、風呂、先に使え」
「ああいや……え?」
「さっきババアに聞いた。俺がこの土地を離れている間に店をリフォームして、二階に風呂も手洗いもあるらしい。俺が水を使うと腐るから、あんたが先に使え」
「……分かった」

 何も分かってはいないような表情で、小燕は応じた。持ち込んだタオルと着替えを手に風呂場に向かう小燕の背を見送り、「さて」と光臣は声を張り上げる。自分を鼓舞するための声だった。小燕に聞かせるつもりはなかった。
 老婆が持ち出した、蛍の幼虫を思い出す。光を残すその死骸を。まるですべてが光臣の責任であるかのように、老婆は言った。それはそうかもしれない、と光臣も思う。老婆からしてみれば、何もかもの原因が錆殻家だと思った方が気は楽になるだろう。だが。

(──冗談じゃねえ)

 それを受け入れてやるほど、錆殻光臣は優しくない。最後の錆殻として、捻くれ曲がった性格で居続ける。光臣にはその責任があった。

「……錆殻光臣」
「おん」
「ここは、温泉でも湧いているのか……?」

 紺色のジャージに白いTシャツ姿の小燕が、髪をタオルで拭きながら戻ってくる。普段は髪をぴしりと撫で付けている小燕の湯上がりの姿を見るのは、別に今回が初めてではない。光臣は、随分と目の前の男に踏み込んでしまった──目の前の男もまた、同様に。

「俺も行ってくる」
「ああ。……いや、それで、温泉なのか?」
「知らん」

 言い募る小燕を一蹴し、「それな」と光臣は敷布団の枕元に置かれた盛り塩を指で示す。

「黒くなったり、溶けたりしたら、新しいのを盛ってくれ」
「もう変色し始めている」

 小燕の指摘は冷静だ。光臣は甲高く舌打ちをし、

「俺の鞄の中に新しいのが入ってる。皿も。黒くなったやつはそっちの──麻袋の中に放り込んでくれ」

 移動中の車内でスマートフォンを放り込んだ麻袋だ。本当は持ち歩きたくなかったが、浄化には必要な道具なので持ってきた。静かに首を縦に振る小燕に「頼むぜ」と言い残して光臣も風呂場に向かう。
 小燕がしつこく「温泉」と繰り返す理由が少し分かる。硫黄の匂いがする。だが、この土地には温泉なんて湧かなかったはずだ。つまり、誰かが温泉を作った──ということ。

(ババアめ)

 光臣が錆殻の最後のひとりであるのと同様に、あの老婆もまた残されたひとりだ。抗うために幾つもの手段を講じたのだろう。想像はできる。だが同情はしない。光臣は、滅亡した錆殻の、その残滓を完全に消し去るために今の仕事を選んだ。邪魔をする者に心を砕いてやる余裕はない。
 硫黄に混ざり、腐った水の匂いが鼻を付いた。風呂場に長居をするつもりはなかった。

「刑事さん、そっちはどうだ」
「キリがないな」

 呼びかける。うんざりした声で返答がある。少しだけ安心する。小燕向葵刑事殿は、錆殻光臣が思っているより心身ともにだいぶ頑健だ。

「塩を変えた途端に変色が始まる。溶けて消えることもあった。どういうことだ?」
「まあ……菅原に特売の粗塩で作らせた浄め塩だからな。効果はまちまちだろう」
「……なぜ、まともな塩を使って作らない? 私はそういう世界には詳しくないが、専門の……そのための塩というのが存在するんじゃないのか?」
「あんたさっき、車の中で聞いただろ。大村おおむら
「雑誌編集部の」
「あの馬鹿、浄め塩をフリマアプリで手に入れたとか言いやがって。本物がそんなところに出回るかよ」
「訳が分からない……錆殻光臣、それに菅原さんも。あんたたちは何者なんだ? 仕事を持ち込んだのは確かに私だし、この件に関しての責任はできる限り取りたいと思っている。だが、錆殻光臣。私はあなたを──タレント霊能者。つまり、本物ではない、と思っていた。仕事を持ち込んだのも、ヒントが欲しいと思ったからだ」
「シーッ。喋りすぎだ」

 布団の上にあぐらをかいて言葉を連ねる小燕の薄いくちびるに人差し指の腹を押し付け、光臣は笑う。その傍らで、浄め塩が黒く変色し、溶ける。

「ったく。積み直しだ」
「錆殻……」
「刑事さん。あんたどこまで知りたい? どこまで知って、どこまで俺と一緒に来る気持ちがある?」
「な……?」

 鞄の中から新しい小皿を取り出し、粗塩を盛る光臣は、小燕を振り返らずに続ける。

「あんたの言ってることは半分正しくて、半分間違っている。俺は確かにタレント霊能者で、本物ではない。この場合の本物というのは例えばそう──最近顔を合わせた相手だと木蓮もくれんだな。あのガキみたいに呪禁ひとつで人間を昏倒させ、首吊り縄の先で何年も揺れ続けた幽霊を蹴り落とす。そういう、尋常じゃないことができる人間を、俺は──それにあんたたちも本物と称する。それではこの俺、錆殻光臣は、いったい何者なのか?」

 小燕が息を呑む──気配で分かる。
 光臣は粗塩を鷲掴みにする。「伏せろ」と唸り、部屋中に浄め塩を振り撒く。
 一瞬。ほんの一瞬でいい。結界を張る。菅原すがわらの結界を。

「錆殻の一族は、ババアが言っていた通り、。神を慰め、喜ばせるために存在していた、だ」
「光臣!」

 その場に伏せていたはずの小燕が鋭く叫び、背後から光臣の体を抱きかかえる。ふたりして畳の上の転がった次の瞬間、盛り塩だけではなく、浄め塩を入れていたビニール袋までもが異臭を放ちながら真っ黒く溶けた。

「おお……見事な反射神経……」
「ふざけている場合か? 光臣! あんた、今、明らかに狙われて……!」
「この土地にはもう神はいない」

 押し倒された格好からゆっくりと起き上がりながら、光臣は薄く笑った。

「遺されたのは、過去、神であった何かだ」

 真顔で硬直する小燕の鼻先を、光臣のまつ毛がそっと擽る。

「何がいる……っていうんだ。今回の事件は全部、その何かが引き起こしているとでもいうのか?」
「それを確認しに来た。さて、どうする刑事さん? 今からならまだ、ギリギリ引き返すこともできるが……?」
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