黒のシャンタル 第二話 「新しい嵐の中へ」<完結>

小椋夏己

文字の大きさ
108 / 354
第二章 第二部 宮と神殿

 7 同じ心、違う心

しおりを挟む
 セルマは黙ったままマユリアの私室から出た。

 足が震えている。

 今の今まで、マユリアがあれほど厳しい言葉を自分に投げかけたことはなかった。
 何を言っても何をやってもお咎めもなかった。
 それで自分は、いつの間にか同じ高さにいるのだと勘違いをしていた。

 あの方が、たった一言「セルマを罰せよ」そう言っただけで、自分はすべてを取り上げられ、冷たい牢獄に繋がれるのだ。そのことに気づいて全身が震える。

 許されていた立場にいたのは自分だった。

 煮えたぎったお湯に浸けられようとする鳥は飛んで逃げるが、ほどよい温度のお湯に入れて徐々に茹でられた鳥は気づかずに死んでしまうのだ、と聞いたことがある。まさに自分は鍋の中にいる鳥なのだとあらためて思った。

(あの方が許していたからこそ自分はここにいられるのだ)

 ゾッとした。

 「取次役」と呼ばれて持ち上げられていたが、ふと足元を見ればこんなものなのだ。

(だが)

 と、セルマは心の内で続ける。

(あの方がそうしていられるのも今の間だけだ。数ヶ月のうちには交代がある。あの方は人に戻る。その時にわたくしはまだ宮にいて、そう、その頃には侍女頭になる。宮の最高権力者に)

 神官長はセルマに言っていた。

『交代が終わったら、キリエ殿には『北の離宮』に入っていただき、あなたが正式に侍女頭になるのがよいでしょうね』

 そう、交代さえ終わってしまえばそうなる。
 そうすればすべては自分の思うがままだ。
 キリエがこの三十年に渡って行っていたことを、今度は自分がやるのだ。
 自分にはやれる。
 自分はキリエより上だ。
 もっともっと、この宮を、この国を、この世界を良きものにするために腕を振るうのだ。

(そう、もう少しだ、もう少しの辛抱だ)

 マユリアは、そうは言っても自分に何かをやるつもりはないのだ、と分かっている。
 もう少しの期間を乗り切れば立場は逆転するのだ。
 そう考えることでセルマは心を落ち着かせた。

(だがその前に……)

 どうやってもマユリアに後宮入りを承諾させなければならない。

 それは大事なことだ。

 「いまいちど考える」と言ってはいたが、それを確実なものにしなくてはならない。

(もう一度神官長にご相談を)

 セルマはそう決めて「奥宮」から「前の宮」の方向へと歩いていった。



 セルマが出ていった後、マユリアは深い疲れを感じ、ドサリとソファの上に体を落とした。

「疲れた……」

 らしくもなくつぶやく。

 セルマには自分の健康状態に問題があるように見えるか、と言ったマユリアではあるが、実際、不調は感じていた。 
 けがれが不調を起こすのは、見える場所だけではないのだ。

 八年前、自分が後宮入りの話を受けたのは、すべては先代の、「黒のシャンタル」のためだ。
 いや、世界のためと言い換えてもいい。
 千年前の託宣のためとも。

 そのためにできることは何でもやる。ただその一つだっただけだ。
 その結果、自分が後宮に行くことはないとの確信の上でのことであった。

『どっちに転んでもマユリアはあんたしかいなくなるもんな』

 そう言って磊落らいらくに笑った男のことを思い出した。

 あの男は今どうしているのだろうか。
 そしてあの男と共にこの国を去った先代は。

 マユリアは、もしかしたら例の「中の国」から来られた一行が彼らなのではないかと思った。
 そうして当代に託宣をやらせたのではないかと。
 先代ならば、「黒のシャンタル」ならばそれぐらいの力はある。

 それでキリエに尋ねに行ったのだが、キリエは託宣に対してあのように、

『人の身である自分には分からぬこと』
 
 そう言った。

 そして、それ以上のことは何があろうと語らぬであろう、そう分かった。

「不思議なことです……」

 マユリアはポツリとつぶやく。
 
 キリエの心、たとえ自分の命と引き換えにしてでも、シャンタルと自分のため、この国のためと定めたことはその信念を貫き通す。

「そしておそらく……」

 セルマも、本心からこの国のため、宮のため、そう定めて自分の信念を貫いているのだ、命をかけて。それは理解した。

「同じ信念でありながら、なぜこうも違うのでしょうか」

 マユリアは、神官長がセルマを連れてきて「取次役」に推薦してきた日のことを思い出していた。



「このセルマは『前の宮』で神具係をしていた時から、その優秀さと真面目さ、そして人望、人格、それらを見て、私が『奥宮』に推薦した者です」

 細く、あまり血色のよくはない神官長が、珍しく顔に赤みを帯びながら、そう言って精一杯セルマを推してきた。

 セルマは固い表情でありながら、真っ直ぐを前を見つめ、マユリアを認めると、さっと床に片膝をつき、丁寧に頭を下げた。その動きからは生真面目さを感じさせた。

「よろしいでしょう、神官長がそれほど認めた者ならば」

 そう言ってマユリアも承諾をした。

「ありがとうございます」
 
 神官長も丁寧に片膝をつき、頭を下げて正式の礼をする。

「セルマ」
「はい」

 言われても頭を上げず、礼の姿勢のままセルマは答えた。

「頭をお上げなさい」
「はい」

 そう言われて初めてゆっくりと頭を上げた。

「『奥宮』と『前の宮』の取次役、大変だと思いますがよろしく頼みましたよ」
「はい」

 言葉数も多くなく、実直な人柄にあの時は見えたものだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

【完結】異世界転移した私がドラゴンの魔女と呼ばれるまでの話

yuzuku
ファンタジー
ベランダから落ちて死んだ私は知らない森にいた。 知らない生物、知らない植物、知らない言語。 何もかもを失った私が唯一見つけた希望の光、それはドラゴンだった。 臆病で自信もないどこにでもいるような平凡な私は、そのドラゴンとの出会いで次第に変わっていく。 いや、変わらなければならない。 ほんの少しの勇気を持った女性と青いドラゴンが冒険する異世界ファンタジー。 彼女は後にこう呼ばれることになる。 「ドラゴンの魔女」と。 ※この物語はフィクションです。 実在の人物・団体とは一切関係ありません。

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

追放貴族少年リュウキの成り上がり~魔力を全部奪われたけど、代わりに『闘気』を手に入れました~

さとう
ファンタジー
とある王国貴族に生まれた少年リュウキ。彼は生まれながらにして『大賢者』に匹敵する魔力を持って生まれた……が、義弟を溺愛する継母によって全ての魔力を奪われ、次期当主の座も奪われ追放されてしまう。 全てを失ったリュウキ。家も、婚約者も、母の形見すら奪われ涙する。もう生きる力もなくなり、全てを終わらせようと『龍の森』へ踏み込むと、そこにいたのは死にかけたドラゴンだった。 ドラゴンは、リュウキの境遇を憐れみ、ドラゴンしか使うことのできない『闘気』を命をかけて与えた。 これは、ドラゴンの力を得た少年リュウキが、新しい人生を歩む物語。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

99歳で亡くなり異世界に転生した老人は7歳の子供に生まれ変わり、召喚魔法でドラゴンや前世の世界の物を召喚して世界を変える

ハーフのクロエ
ファンタジー
 夫が病気で長期入院したので夫が途中まで書いていた小説を私なりに書き直して完結まで投稿しますので応援よろしくお願いいたします。  主人公は建築会社を55歳で取り締まり役常務をしていたが惜しげもなく早期退職し田舎で大好きな農業をしていた。99歳で亡くなった老人は前世の記憶を持ったまま7歳の少年マリュウスとして異世界の僻地の男爵家に生まれ変わる。10歳の鑑定の儀で、火、水、風、土、木の5大魔法ではなく、この世界で初めての召喚魔法を授かる。最初に召喚出来たのは弱いスライム、モグラ魔獣でマリウスはガッカリしたが優しい家族に見守られ次第に色んな魔獣や地球の、物などを召喚出来るようになり、僻地の男爵家を発展させ気が付けば大陸一豊かで最強の小さい王国を起こしていた。

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

廃城の泣き虫アデリー

今野綾
ファンタジー
領主の娘だったアデリーはある日家族を殺され育った領地から命からがら逃げ出した。辿り着いた先は廃城。ひとり、ふたりと住人が増える中、問題が次々とおこって… 表紙はフリー素材です

処理中です...