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第五十四話 おかえりなさい

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 寧々は、朝になっても目覚めなかった。急変もせず、眠り続けていた。
 夢は、見なかった。

「……」
 一時、目を覚ましたら、詠臣がパソコンを見ながら、恐ろしい表情をして、息を呑んでいるところだった。
(何をそんなに驚いてるの? すごく……怖い映画でもみているの? それなら、抱きしめてあげます……私が守ってあげます)
 痛ましい顔をして、自らの頭を掻きむしり、叩く詠臣に向かって声を掛けようかと思ったけれど、凄く眠くて、目を開けていられなくなった。

 次に意識が浮上すると、匠の声が聞こえてきた。
「お前……本当に俺に運気を移したんじゃないか? 不運な目に遭ってばかりだろ……起きたら、昔行った神社に行って、前言撤回してこいよ……」
(匠さん……神頼み信じてるんだ……かわいい……)
 思わず笑ったけれど、酸素マスクのせいで気づいて貰えなかった。

 また、眠って、今度は五月蠅い音が聞こえてきた。
「ほら、寧々、見て。寧々の昔のスポーツテストだよ! 早く元気にならないと、今度は平詠臣に送るよ」
(琳士……許さない。そんな格好悪いの見たら、詠臣さんの魔法が解けちゃうでしょ……琳士の馬鹿……夢枕に立ってやるから)
 また、泥に沈むように眠りについた。
すると聞き慣れない声に意識が浮上した。

「今日は、皆さん、集めたゴミ捨てのご用がありますので、私が付き添わせて頂きます。折角なので、貴方がご存じない、キエト少佐の伝説を聞かせて差し上げます」
(サムットさん……)
 寝物語に、サムットが匠の事を語ってくれた。ちゃんと聞きたいのに、耳が勝手に閉じていく。

「寧々……もう、全部終わりました。全部、片が付きました」
 寧々は、誰かに頬を撫でられている感覚で、意識が浮上してきた。金縛りに遭っているみたいに瞼が重い。
「……早く帰って来て下さい。貴方がいないと、家が暗いです。無音になります。貴方がいないと、自分がいかに家で何も考えずに、ずっと無でいるか分かりました。恐ろしいです。何もないんです。もう三十になる男が、ひたすら必要な行動をしているだけなんです……私は、貴方が居るだけで、楽しいことが沢山あります。見ているだけで幸せな気分になります。触れあうだけで心が満たされます」
(ど、動揺して心拍数あがってるのが……モニターされていそうで恥ずかしいです! 詠臣さんが甘すぎます……)
 寧々は、何とか目を覚まそうと指を動かそうとしてみたり、喋ろうとするが、出来なかった。
「自分でも……つくづく、情けない男だと思いました。貴方が私の幸せの全部なんです……よく、一人で此処に来ようなんて思ったなと、今更ながら思います」
 詠臣が、自身を馬鹿にして笑う言葉に、必死で反論しようと思うが、金縛り状態は解けない。
「早く、目を覚まさないと……家中に寧々の写真を貼りそうです。個人的には、コレが一番気に入っています」
 目の前にスマホが翳されたのか、顔に降り注ぐ光が少し遮られた。
(見たい! 見たいです! どれ、どんな私が、詠臣さんのど真ん中なの⁉ 参考にしたい、毎日その髪型で、その服着る! 起きて! 私、起きなさい!)
「……寧々?」
 瞼がピクピク痙攣をして、寧々の目が少しづつ開いていった。
「寧々!」
 今まで見た中で、一番くしゃくしゃの笑顔で詠臣が抱きついてきた。
 彼の手に握られたスマホが、枕元に伏せられる。
「……」
(見せて……それを……今すぐ)
 目は開いたけれど、声は喉が重いような硬いような感覚で、まだ動かない。
「良かったです……寧々」
 頭を持ち上げて、至近距離で目を合わせた詠臣の目には、涙が浮かんでいた。
「医師を呼んできます」
 はっと体を起こした詠臣が、すぐさま走り去った。
(え、詠臣さん……きっと枕元に、ナースコールあります……でも、普段冷静沈着なのに、焦っているの胸にキュンとくる……あっ、ス、スマホ……)
 何とか腕を上げたけれど、爪に挟まっている機器が外れて、ぴこんぴこん鳴りだしてしまい、焦って手を下げた。
 結局、それから医師の診察を受けて、寧々は疲れてまた眠ってしまった。
 再び、目を覚ますと、看護士に「ここがどこだか分かりますか? どうして此処にいるか分かりますか?」と質問された。
 寧々は、鈍く働かない頭を使って、思い出そうと頑張った。
(何だっけ? あれ? また、発作でも起こして倒れた? あれ?)
 うーん、うーんと唸っても思い出せなかった。
 そんな調子で二日くらい過ごすと、段々と目が覚めてきた。
「寧々、調子はどうですか?」
 SDIの軍の作業服姿の詠臣が病室に入ってきた。暗めの青い半袖シャツに同色のズボンは、シンプルである分、詠臣の足の長さ、逞しくも引き締まったスタイルの良さが引き立っている。
「おかえりなさい」
 病室で言うのも変だが、妥当な言葉が思い浮かばなかった。まだ、起き上がれないので、寧々は少しだけ右手を挙げた。
 詠臣は、伏し目がちな目を細めて、一言づづ大切に「ただいま」と言葉にした。
「どうですか? 痛い所はありませんか? まだ声が枯れてますね」
「大丈夫です」
「本当ですか? 無理せず、ちゃんと言ってください」
 あまり一度に喋ると、息切れするので、寧々は、詠臣の言葉に小さく頷いた。
「……また増えてませんか?」
 ふと寧々のベッドサイドを見た詠臣は、顎が少し上がって目が細められた。
(詠臣さんが、呆れた顔してる……)
 お花に、タイのお守り、お手製の防犯ブザー、地下でも感度の良いGPS、超小型スタンガン、『防犯と自衛』というタイトルの本。匠と琳士が来る度に物が増えて、そろそろ置き場所が無くなってくる。
 寧々は、あの日……一週間まえに起きた事を、段々と思い出してきた。
 案内を頼まれた車にのって、海岸へ連れて行かれ、海竜に襲われた事……詠臣に助けられた事。
(あの人達はどうなったんだっけ?)
 気になって聞いてみても、詠臣は口を閉ざした。

 寧々は、思い出そうとすると、冷や汗を掻いて、心臓が鼓動を早め、詠臣が悲痛な顔で心配するから、あまり考えないようにしていた。

「いつになったら、お家に帰れますか?」
「すぐですよ。寧々が帰って来る前に……掃除をしないと」
 そう言って詠臣が苦笑したけれど、寧々は、家は綺麗だろうなと確信していた。
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