月のない夜、命は仄青く光る

日諸 畔(ひもろ ほとり)

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第3章 友情と信頼の在処

第16話 学校

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 その日の辰浦高校は、静かに動揺していた。
 地味な身なりをしているがその実、かなりの美女と評される矢辻 由美が髪を切った。
 整える程度ではなく、かなり大胆にだ。しかも、それが抜群という言葉がみすぼらしく感じるほどに似合っていた。
 
 普段は長身や豊満な体型を隠すように背を丸めていた。それが、一日学校を休んだ翌日は、髪形の変化と同調するように軽くではあるが伸ばされていた。
 衣替え前の制服が、男女問わず振り返ってしまう程に美しく見える。

 昨年度の冬に起きたとある事件から、彼女は男子生徒の間で触れ得ざる者として扱われていた。その半ば紳士協定のような約定が破られるのは時間の問題であった。
 
 失恋なのか、逆に恋人ができたのか。それとも恋人募集を始めたのか。生徒の間では様々な噂が飛び交う。そのどれもが恋愛がらみであったのは、彼ら彼女らの若さゆえの産物だった。
 しかし、由美本人は騒ぎの本質に気が付いていなかった。

「おはよー。由美、髪切ったんだね!」
「紗奈子、おはよう」

 いつものように、友人が肩を叩く。全体的に浮ついた校内の雰囲気を受け、由美自身も落ち着かない気持ちになったまま席についていた。変わらず明るい声は、安心感を与えてくれる。

「変じゃないかな?」
「全然、似合ってるよ。前よりいいと思う」
「そっかぁ、よかった」

 自分が人の視線を集めやすいのは理解していた。身長や胸の大きさは、由美にとってはコンプレックスであった。それが今日は特にひどい。髪形を変えたことで、印象が悪化したのではないかと気が気ではなかった。

「なるほど、そういうことか」
「え、何?」
「これは困ったことになったよ」
「困ったこと?」

 紗奈子は顎に手を当て、唇の右端を吊り上げた。何か興味深いことがあった際にする仕草だ。

「ずっと言ってたけどね、あんた美人なのよ」
「え?」

 由美の両肩に手を置き、紗奈子は視線を合わす。声色の半分は面白がり、もう半分は真剣だった。

「んで、イメチェンでそれがバレた。理由は知らないけどね」
「そうなの?」
「そうです」

 自分は美人だと、今まで紗奈子から散々言われてきた。本人として実感がなかったため、意図的にその認識を避けてきた。注目されているのも体型のせいだと思い込んでいた部分もある。
 しかし、友人の話と学校の騒ぎと、冬の出来事を総括して考えれば受け入れざるを得なくなってしまう。

「矢辻 由美の争奪戦が始まるかも」
「それは、困るよぉ」
「でしょ。しばらく大人しくしてた連中や、これまで放置してた連中も動き出すかも」
「そんなことになる?」
「なるね」
「えぇー」

 由美は紗奈子の両腕を掴み、小さな悲鳴を上げた。過去を受け入れ前に進もうという決意が、全く別の効力を発揮してしまったのだ。自然と涙目になってしまうのも仕方がない。

「大丈夫、任せて」
「さなこー」

 昨年度の冬、半年と少し前の出来事が由美の脳裏によぎる。
 久隆を失ってから暫くの間、由美は自分でも記憶が定かではない程に茫然自失となっていた。それを隙ありと判断した一部の男子生徒が、由美に声をかけ始めた。
 
 後から紗奈子に聞かされた話によると、当時から隠れ美女として狙われていたらしい。ただ、意図的に人付き合いを避けていたため、あまり標的に上がることはなかったそうだ。
 
 しつこく遊びに誘う数人の男子と、結果的に無視をする由美。しびれを切らした一人が、褒めながら長い髪に触れた時だった。必死に抑えていた感情が爆発し、行き場を失った憤りは自分自身を襲った。
 
 由美は涙と吐瀉物を撒き散らし、その場で気を失った。以降、二週間ほどの間、保健室への登校をすることになる。
 
 男子生徒たちは停学処分となり、由美は本人のあずかり知らぬところで、触れ得ざる者との扱いを受けることになった。

「大丈夫、今度はひとりにしないからね」
「うん、ありがとう」

 今はもうその時ほどの拒絶反応は起きないだろう。それでも、自分に強く興味を持つ同年代の異性は恐ろしかった。哉太を受け入れられたのは、彼は結衣に好意を抱いている様子だったからなのだろう。
 
 髪を切った時も、当初は驚いていたもののすぐにいつもの態度になっていた。同居人として安心できるという事は、由美にとって大変ありがたいことだった。

 その日から数日、視線の変化以外は特に何もなく過ぎていった。学校から駅まで、紗奈子は片時も由美から離れなかった。
 話しかけようとする男子生徒への対応を一手に引き受けてくれている。そんな友人の行動に、心から感謝した。

「紗奈子、ごめんね。大変な思いさせて」
「いいんだよ。そのうち落ち着くでしょ。今後ケーキでも奢って」
「うん、約束」

 紗奈子の存在は、学校生活での救いだった。彼女に出会えなかったら、不登校になっていたかもしれない。いつかしっかりとした礼をしたいと思っていた。

「由美に興味ない男の子、霧崎君くらいなんじゃないかな」
「え、霧崎君?」

 唐突に出た哉太の名に、由美は露骨に反応してしまった。

「あらー、気になる?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
「かっこいいもんね、いい人だし」
「違う違う。転校生なのにみんなとすぐに仲良くなって凄いなって」
「あー、そういうことね」
 
 転校生の哉太は、驚くほど場に馴染んでいた。親しい友人も作り、何度か遊びに出かけている様子もあった。それでも修練には遅れず参加するあたり、彼の真面目さが際立って感じられた。激戦を潜り抜け、訓練と寝食を共にした相手として、充分以上に信頼できる相手となっていた。
 
 ただし、学校ではほぼ会話することはなかった。代人のことも、同居していることも隠しているからだ。転校生に関わる気のない由美と噂に踊らされない哉太とでは、クラスメイトである以上の接点は存在していない。

「由美が霧崎君狙ってくれたら、私にとってもいいのにー」
「ああ、そういうことね」

 哉太は紗奈子の想い人である佐々木 誠と、特に仲が良い様子だった。そのため、由美が哉太と深い仲になれば、自分にも利点があるという事だ。
 複数の意味を込めて由美は「それはない」と苦笑した。紗奈子もあわせて笑ってくれた。

「矢辻って子、いる? このクラスって聞いたけど」

 由美が髪を切ってから二週間弱。金曜の昼休みに教室の出入り口から声がかかる。それは、辛うじて維持していた平穏を壊す呼びかけだった。
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