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第十章 封印の神域と千年の夢
封印の守人、十二神柱
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神域のさらに奥、白い靄に包まれた空間は、どこか現実味を欠いていた。重力も、時間の流れすらも希薄になったような錯覚。そこには天も地も存在せず、ただ無限に広がる白銀の結界だけがあった。
イッセイたちが辿り着いたのは、“封印の座”と呼ばれる場所だった。
「……ここが、神代の記憶が眠る場所……」
シャルロッテの言葉に、仲間たちは無言で周囲を見渡す。精霊たちの気配が、今まで以上に濃密に漂っていた。まるで世界そのものが、目を凝らして見つめているかのように――。
その時、空間に不協和音のような震動が走った。
白銀の空間がひび割れ、その中央に、一人の人物が姿を現す。
それは人でも、獣でもなかった。無数の光が交差して形成された、曖昧な輪郭の存在。黒と金、風と炎、雷と光――あらゆる属性の力がその姿に宿っている。
「我が名は――“神代の番人”」
性別さえ感じさせぬその声は、全方位から響くように一行の耳へと届く。
「封印の神域を守護する者。かつて、神と精霊と人が共に在りし時代に、選ばれし十二の魂を束ねし存在だ」
ミュリルの耳がぴくりと動く。「にゃんにゃん、やたらと仰々しいのが出てきたにゃ……」
「十二の魂……?」
フィーナが顔を上げた。「まさか、それって……」
番人が頷いた。
「そう、“十二神柱じゅうにしんちゅう”。千年前、この世界を滅びから救いし十二の英雄たちの魂。その力と意志は、いまなおこの地に宿り、封印を維持している」
「リアナも……その封印の一部だった、ということか?」
イッセイが一歩前に出る。視線は真っ直ぐ番人を見据えていた。
「そうだ。だが、彼女の意志が完全に継承されるには……お前たちが試されねばならぬ」
その言葉と共に、空間が再び揺れる。
すると、番人の背後に十二の光輪が浮かび上がる。そのうちの三つが、静かに前へと押し出されてきた。
その光が収束し――三つの“姿”が具現化する。
一人は、剣を携えた蒼き鎧の騎士。もう一人は、炎をまとった赤髪の槍使い。そして最後の一柱は、薄布を纏った神官風の女性――瞳に深い悲しみと優しさを湛えていた。
「我はシグナ・ヴァルガ。炎の英雄」
「我はカイル・ノクス。蒼雷の盾」
「……私は、リエナ。かつての癒し手にして、時の記録を守る者」
彼らの気配は、精霊とは異なる重みを持っていた。人としての想いと神々の力、そして永遠に続く封印の記憶。それらすべてが、今も生きているのだと感じさせる。
「試練とは……戦うことか?」
サーシャが構えを取る。
だが、番人は首を振った。
「否。これは“意志”を問うもの。お前たちが、何を選び、何を守るのか――それを示せ」
シグナが一歩前へ進む。
「イッセイ・アークフェルド。お前に問う。我らの記憶を受け入れ、世界の“真実”と向き合う覚悟があるか?」
イッセイは、静かに剣の柄に手を置いた。その目は、揺らぎなく真っ直ぐ。
「リアナの記憶を見た。彼女が何を願い、何を失ったのか。そのすべてを、受け止めるつもりだ」
すると、リエナが微笑んだ。
「ならば――我らの魂の試練を受けなさい。あなたが“継ぐ者”に相応しいかどうか……今こそ、証明するとき」
光が、再び渦を巻く。
そしてイッセイたちは、“魂の回廊”と呼ばれる精神世界へと引き込まれていく。
それは、かつての英雄たちの最期――封印に命を捧げた記憶と対話する場だった。
イッセイの中で、何かが静かに軋んだ。
――リアナだけじゃない。千年前の英雄たちも、また。
記録から消された、もうひとつの真実が、今まさに明かされようとしていた。
光の渦が収まった先――そこはどこまでも広がる鏡の間だった。床も天井も壁もなく、上下左右の区別すら曖昧な空間。反射する無数の“記憶”が、まるで命あるもののように蠢いていた。
「ここは……?」
イッセイが静かに呟く。
「魂の回廊――英雄たちが記憶と化し、今なお語りかけてくる場所だ」
番人の声が四方から響いた。
「この場でお前たちは、三柱の英雄の“最期”に立ち会い、彼らの想いを受け継ぐことになるだろう。恐れるな。これはただの幻ではない。真に彼らの魂が、お前に答えを求めているのだ」
それは、試練というより“継承”だった。
光がひときわ強くなり、最初の記憶が姿を現す。
――蒼き空、焼け落ちた砦、倒れた兵士たち。
そこに立つのは、蒼雷の盾・カイル・ノクス。
「……これは、俺の最期の戦場だ」
重厚な鎧に身を包んだ青年が、振り返ってイッセイを見つめた。
「俺はかつて、王を守る盾だった。だが、魔王軍の奇襲により、仲間を見捨てて王のみを救う選択を……強いられた」
空から矢の雨が降る。砦の門が打ち破られ、絶望の叫びがこだまする。
イッセイはその情景を、ただ黙って見つめた。カイルの表情に浮かぶ後悔と苦悩――それは、ただの戦いの記憶ではなかった。
「……君は正しい判断をした」
イッセイが口を開く。
「誰かを救うためには、誰かを見捨てねばならない時もある。その重さを背負ったまま、君は生き抜こうとしたんだろう?」
カイルの瞳が揺れた。
「……だが俺は、それを背負いきれなかった。だからこの封印の中で、千年の時を悔い続けた」
「なら、君の記憶を俺が受け取る。もう君一人に背負わせない。共に未来に踏み出すよ」
その言葉に、カイルの姿が淡く光に溶けていく。
「……託すぞ。“選ぶこと”を恐れぬ者よ」
そして次の記憶が、空間に浮かび上がる。
――炎に包まれた山岳の神殿、咆哮を上げる魔獣たち。
その中央で、烈火の槍を構えた女戦士が一人立っていた。
「我が名は、シグナ・ヴァルガ。炎の魂を纏いし者」
燃え上がる髪が風に揺れ、黄金の瞳がイッセイを射抜く。
「私は、“裏切り者”を討った者だ。かつて、私の最も信じた仲間が……封印の力を悪用しようとした」
槍が振るわれ、仲間だった青年の胸を貫く。血しぶきと涙。戦場には似つかわしくない、切なすぎる愛の終焉があった。
「愛していたのだ……だが、それでも私は“英雄”であることを選んだ。正義を貫いた、はずだった……」
「それは……残酷な選択だったんだな」
イッセイが、静かに言った。
「でも、誰かが止めなければ、その未来はもっと悲惨だった。君は……自分を裏切ったわけじゃない」
「――そうだろうか?」
シグナが揺れる瞳で見つめ返す。
「それでも私は、自分を許せぬまま、封印となった」
イッセイは歩み寄り、その手を伸ばす。
「君の後悔は、俺たちが未来に生かす。想いを忘れず、でも止まらないために」
しばしの沈黙。やがて、シグナは小さく笑った。
「ならば、託そう。炎の意志を――希望を捨てぬ者に」
彼女の姿もまた、赤き光と共に消えた。
そして、三つ目の記憶が現れる。
そこは、廃墟と化した大聖堂。倒れ伏す神官たち。血の海の中、中央に立つひとりの少女――リエナ。
「……この記憶は、誰にも見せたくなかった」
淡い声が響く。
「私は“癒し手”だった。けれど、最期に私が下したのは――“見捨てること”だった」
神殿を襲った瘴気病。助けられぬほどの数。時間も薬も足りない。彼女は、自らの魔力のすべてを使って、“ほんの一握りの命”だけを救った。
「私が選んだのは、“小さな希望”……でも、それは多くの命を切り捨てる決断でもあった」
イッセイは、深く頷いた。
「誰かを救おうとするなら、限界がある。それでも手を伸ばした――その想いが、意味を持つんだ」
「本当に……そう思う?」
「思うよ。君の選んだその数人の命が、誰かを救い、また未来へ繋がったかもしれない」
リエナの瞳に、涙が溢れる。
「ありがとう……そう言ってくれたのは、あなたが初めて……」
白い花が舞い、癒しの光に包まれてリエナの姿もまた消えていく。
空間に残るのは、静寂と、深く染み渡る“魂の温度”。
イッセイはそっと目を閉じた。
これが――封印を維持していた英雄たちの“真実”。
後悔も、葛藤も、すべてを受け入れたうえで。
彼らは、自らを犠牲にしてでも、未来を信じたのだ。
その信念と痛みが、イッセイの胸に深く刻み込まれていく。
やがて、空間に漂っていた鏡のような光景が静かに消え、現実へと還る気配が広がった。
そこに、再び“神代の番人”が姿を現す。
大地のように重厚な声が響いた。
「お前は、三柱の英雄の記憶を受け入れた。後悔を知り、決断の重みを知り、それでも進むことを選んだ……」
その言葉とともに、空間の中心に光が灯り、ゆっくりと十二の石柱が地から競り上がる。
それぞれの柱には、異なる紋章――炎、風、水、雷、樹、闇、光、時、聖、瘴、命、虚――が刻まれていた。
そのうちの三柱――カイル、シグナ、リエナの名が刻まれた柱が淡く輝き始める。
「三柱は、お前に“継承”の意志を示した。だが、これは始まりに過ぎぬ。リアナの意志を継ぐということは、世界の“均衡”を問うことに等しい」
番人が一歩、イッセイに近づいた。
「問おう。イッセイ・アークフェルド。お前は、己の意志で世界の“真実”に触れ、変革の一歩を踏み出す覚悟があるか?」
静かな問いだった。
しかし、言葉の背後には、千年にわたり保たれてきた封印と均衡、数多の犠牲と希望が重なっていた。
イッセイは、仲間たちの顔を順に見つめた。
クラリスの瞳には揺るぎない誓いが、
ルーナの手には戦う者としての決意が、
セリアの構えには覚悟が、
フィーナの表情には希望が、
ミュリルの耳には震えがありながらも隠せぬ勇気が、
そして、シャルロッテのその瞳には、静かな光が宿っていた。
「私たちは、共に歩んできました。精霊たちも、そう告げています」
シャルロッテが一歩前に出る。
「イッセイは、“過去”を背負ってでも“今”を信じて進める人です。だからこそ、私は……」
彼女の言葉を受け、イッセイは真っ直ぐに番人を見据えた。
「答えは――ひとつしかない」
剣の柄に手を添え、堂々とした声で宣言する。
「俺はリアナの意志を継ぎ、“過去と未来”の狭間に立ってでも、今を守り抜く。世界の真実に触れ、それでも折れず、前に進むと決めたんだ!」
瞬間――十二の石柱が共鳴するように震え、神域全体に鳴動が走った。
天空より降り注ぐような光が広がり、イッセイの身体を包み込む。
それは祝福であり、試練であり――そして、新たなる“鍵”の覚醒だった。
「認めよう。リアナの継承者よ……」
番人が深く頷き、両手を広げる。
「次に進め。“神々の記録”へと至る道が、汝らの前に開かれん――」
神域の奥に、封印のように閉ざされていた石の扉がゆっくりと開かれる。
そこからは、仄かな風と共に、古の言葉が囁くように流れてきた。
《……リアナ……どうか、もう一度……あの微笑みを……》
誰かの、痛切な祈り。
誰かの、失われた記憶。
そして――
新たなる“真実”が、イッセイたちを待っていた。
彼らは再び、足を踏み出す。
かつて封じられた聖女の魂、その核心に触れるために。
イッセイたちが辿り着いたのは、“封印の座”と呼ばれる場所だった。
「……ここが、神代の記憶が眠る場所……」
シャルロッテの言葉に、仲間たちは無言で周囲を見渡す。精霊たちの気配が、今まで以上に濃密に漂っていた。まるで世界そのものが、目を凝らして見つめているかのように――。
その時、空間に不協和音のような震動が走った。
白銀の空間がひび割れ、その中央に、一人の人物が姿を現す。
それは人でも、獣でもなかった。無数の光が交差して形成された、曖昧な輪郭の存在。黒と金、風と炎、雷と光――あらゆる属性の力がその姿に宿っている。
「我が名は――“神代の番人”」
性別さえ感じさせぬその声は、全方位から響くように一行の耳へと届く。
「封印の神域を守護する者。かつて、神と精霊と人が共に在りし時代に、選ばれし十二の魂を束ねし存在だ」
ミュリルの耳がぴくりと動く。「にゃんにゃん、やたらと仰々しいのが出てきたにゃ……」
「十二の魂……?」
フィーナが顔を上げた。「まさか、それって……」
番人が頷いた。
「そう、“十二神柱じゅうにしんちゅう”。千年前、この世界を滅びから救いし十二の英雄たちの魂。その力と意志は、いまなおこの地に宿り、封印を維持している」
「リアナも……その封印の一部だった、ということか?」
イッセイが一歩前に出る。視線は真っ直ぐ番人を見据えていた。
「そうだ。だが、彼女の意志が完全に継承されるには……お前たちが試されねばならぬ」
その言葉と共に、空間が再び揺れる。
すると、番人の背後に十二の光輪が浮かび上がる。そのうちの三つが、静かに前へと押し出されてきた。
その光が収束し――三つの“姿”が具現化する。
一人は、剣を携えた蒼き鎧の騎士。もう一人は、炎をまとった赤髪の槍使い。そして最後の一柱は、薄布を纏った神官風の女性――瞳に深い悲しみと優しさを湛えていた。
「我はシグナ・ヴァルガ。炎の英雄」
「我はカイル・ノクス。蒼雷の盾」
「……私は、リエナ。かつての癒し手にして、時の記録を守る者」
彼らの気配は、精霊とは異なる重みを持っていた。人としての想いと神々の力、そして永遠に続く封印の記憶。それらすべてが、今も生きているのだと感じさせる。
「試練とは……戦うことか?」
サーシャが構えを取る。
だが、番人は首を振った。
「否。これは“意志”を問うもの。お前たちが、何を選び、何を守るのか――それを示せ」
シグナが一歩前へ進む。
「イッセイ・アークフェルド。お前に問う。我らの記憶を受け入れ、世界の“真実”と向き合う覚悟があるか?」
イッセイは、静かに剣の柄に手を置いた。その目は、揺らぎなく真っ直ぐ。
「リアナの記憶を見た。彼女が何を願い、何を失ったのか。そのすべてを、受け止めるつもりだ」
すると、リエナが微笑んだ。
「ならば――我らの魂の試練を受けなさい。あなたが“継ぐ者”に相応しいかどうか……今こそ、証明するとき」
光が、再び渦を巻く。
そしてイッセイたちは、“魂の回廊”と呼ばれる精神世界へと引き込まれていく。
それは、かつての英雄たちの最期――封印に命を捧げた記憶と対話する場だった。
イッセイの中で、何かが静かに軋んだ。
――リアナだけじゃない。千年前の英雄たちも、また。
記録から消された、もうひとつの真実が、今まさに明かされようとしていた。
光の渦が収まった先――そこはどこまでも広がる鏡の間だった。床も天井も壁もなく、上下左右の区別すら曖昧な空間。反射する無数の“記憶”が、まるで命あるもののように蠢いていた。
「ここは……?」
イッセイが静かに呟く。
「魂の回廊――英雄たちが記憶と化し、今なお語りかけてくる場所だ」
番人の声が四方から響いた。
「この場でお前たちは、三柱の英雄の“最期”に立ち会い、彼らの想いを受け継ぐことになるだろう。恐れるな。これはただの幻ではない。真に彼らの魂が、お前に答えを求めているのだ」
それは、試練というより“継承”だった。
光がひときわ強くなり、最初の記憶が姿を現す。
――蒼き空、焼け落ちた砦、倒れた兵士たち。
そこに立つのは、蒼雷の盾・カイル・ノクス。
「……これは、俺の最期の戦場だ」
重厚な鎧に身を包んだ青年が、振り返ってイッセイを見つめた。
「俺はかつて、王を守る盾だった。だが、魔王軍の奇襲により、仲間を見捨てて王のみを救う選択を……強いられた」
空から矢の雨が降る。砦の門が打ち破られ、絶望の叫びがこだまする。
イッセイはその情景を、ただ黙って見つめた。カイルの表情に浮かぶ後悔と苦悩――それは、ただの戦いの記憶ではなかった。
「……君は正しい判断をした」
イッセイが口を開く。
「誰かを救うためには、誰かを見捨てねばならない時もある。その重さを背負ったまま、君は生き抜こうとしたんだろう?」
カイルの瞳が揺れた。
「……だが俺は、それを背負いきれなかった。だからこの封印の中で、千年の時を悔い続けた」
「なら、君の記憶を俺が受け取る。もう君一人に背負わせない。共に未来に踏み出すよ」
その言葉に、カイルの姿が淡く光に溶けていく。
「……託すぞ。“選ぶこと”を恐れぬ者よ」
そして次の記憶が、空間に浮かび上がる。
――炎に包まれた山岳の神殿、咆哮を上げる魔獣たち。
その中央で、烈火の槍を構えた女戦士が一人立っていた。
「我が名は、シグナ・ヴァルガ。炎の魂を纏いし者」
燃え上がる髪が風に揺れ、黄金の瞳がイッセイを射抜く。
「私は、“裏切り者”を討った者だ。かつて、私の最も信じた仲間が……封印の力を悪用しようとした」
槍が振るわれ、仲間だった青年の胸を貫く。血しぶきと涙。戦場には似つかわしくない、切なすぎる愛の終焉があった。
「愛していたのだ……だが、それでも私は“英雄”であることを選んだ。正義を貫いた、はずだった……」
「それは……残酷な選択だったんだな」
イッセイが、静かに言った。
「でも、誰かが止めなければ、その未来はもっと悲惨だった。君は……自分を裏切ったわけじゃない」
「――そうだろうか?」
シグナが揺れる瞳で見つめ返す。
「それでも私は、自分を許せぬまま、封印となった」
イッセイは歩み寄り、その手を伸ばす。
「君の後悔は、俺たちが未来に生かす。想いを忘れず、でも止まらないために」
しばしの沈黙。やがて、シグナは小さく笑った。
「ならば、託そう。炎の意志を――希望を捨てぬ者に」
彼女の姿もまた、赤き光と共に消えた。
そして、三つ目の記憶が現れる。
そこは、廃墟と化した大聖堂。倒れ伏す神官たち。血の海の中、中央に立つひとりの少女――リエナ。
「……この記憶は、誰にも見せたくなかった」
淡い声が響く。
「私は“癒し手”だった。けれど、最期に私が下したのは――“見捨てること”だった」
神殿を襲った瘴気病。助けられぬほどの数。時間も薬も足りない。彼女は、自らの魔力のすべてを使って、“ほんの一握りの命”だけを救った。
「私が選んだのは、“小さな希望”……でも、それは多くの命を切り捨てる決断でもあった」
イッセイは、深く頷いた。
「誰かを救おうとするなら、限界がある。それでも手を伸ばした――その想いが、意味を持つんだ」
「本当に……そう思う?」
「思うよ。君の選んだその数人の命が、誰かを救い、また未来へ繋がったかもしれない」
リエナの瞳に、涙が溢れる。
「ありがとう……そう言ってくれたのは、あなたが初めて……」
白い花が舞い、癒しの光に包まれてリエナの姿もまた消えていく。
空間に残るのは、静寂と、深く染み渡る“魂の温度”。
イッセイはそっと目を閉じた。
これが――封印を維持していた英雄たちの“真実”。
後悔も、葛藤も、すべてを受け入れたうえで。
彼らは、自らを犠牲にしてでも、未来を信じたのだ。
その信念と痛みが、イッセイの胸に深く刻み込まれていく。
やがて、空間に漂っていた鏡のような光景が静かに消え、現実へと還る気配が広がった。
そこに、再び“神代の番人”が姿を現す。
大地のように重厚な声が響いた。
「お前は、三柱の英雄の記憶を受け入れた。後悔を知り、決断の重みを知り、それでも進むことを選んだ……」
その言葉とともに、空間の中心に光が灯り、ゆっくりと十二の石柱が地から競り上がる。
それぞれの柱には、異なる紋章――炎、風、水、雷、樹、闇、光、時、聖、瘴、命、虚――が刻まれていた。
そのうちの三柱――カイル、シグナ、リエナの名が刻まれた柱が淡く輝き始める。
「三柱は、お前に“継承”の意志を示した。だが、これは始まりに過ぎぬ。リアナの意志を継ぐということは、世界の“均衡”を問うことに等しい」
番人が一歩、イッセイに近づいた。
「問おう。イッセイ・アークフェルド。お前は、己の意志で世界の“真実”に触れ、変革の一歩を踏み出す覚悟があるか?」
静かな問いだった。
しかし、言葉の背後には、千年にわたり保たれてきた封印と均衡、数多の犠牲と希望が重なっていた。
イッセイは、仲間たちの顔を順に見つめた。
クラリスの瞳には揺るぎない誓いが、
ルーナの手には戦う者としての決意が、
セリアの構えには覚悟が、
フィーナの表情には希望が、
ミュリルの耳には震えがありながらも隠せぬ勇気が、
そして、シャルロッテのその瞳には、静かな光が宿っていた。
「私たちは、共に歩んできました。精霊たちも、そう告げています」
シャルロッテが一歩前に出る。
「イッセイは、“過去”を背負ってでも“今”を信じて進める人です。だからこそ、私は……」
彼女の言葉を受け、イッセイは真っ直ぐに番人を見据えた。
「答えは――ひとつしかない」
剣の柄に手を添え、堂々とした声で宣言する。
「俺はリアナの意志を継ぎ、“過去と未来”の狭間に立ってでも、今を守り抜く。世界の真実に触れ、それでも折れず、前に進むと決めたんだ!」
瞬間――十二の石柱が共鳴するように震え、神域全体に鳴動が走った。
天空より降り注ぐような光が広がり、イッセイの身体を包み込む。
それは祝福であり、試練であり――そして、新たなる“鍵”の覚醒だった。
「認めよう。リアナの継承者よ……」
番人が深く頷き、両手を広げる。
「次に進め。“神々の記録”へと至る道が、汝らの前に開かれん――」
神域の奥に、封印のように閉ざされていた石の扉がゆっくりと開かれる。
そこからは、仄かな風と共に、古の言葉が囁くように流れてきた。
《……リアナ……どうか、もう一度……あの微笑みを……》
誰かの、痛切な祈り。
誰かの、失われた記憶。
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