規格外の螺子

cassisband

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「よお、小遣いたんまり稼げたか?」
カウンターに背を向けていたから、一瞬どこから声がしたのかわからなかった。航太は拭きかけのカクテルグラスを丁寧に手元のステンレスの台に置くと、注意深く振り返った。やはり、空耳ではなかった。正面には濁った目をにやつかせた男がこちらを見ている。店内が薄暗いせいもあって、男の瞳はより一層澱んでいるように見える。もっとも、この男と明るい場所で会ったことなどないのだが。
「久しぶりだなあ」
 男は粘つくような口調で話し掛けてきた。
「ご無沙汰しています。お飲みものは何にされますか?」
 航太はただの客と店員の関係で、今日のこの場を切り抜けたかった。
「そうだなあ。“山崎”もらおうか?」
「はい」
 航太は酒瓶がぎっしり並べられた棚から、山崎の十年を取り出した。この男が注文するのは、決まって山崎の十年だ。
「違う。違う。今日は一番いいやつにしてくれ。ほら、二十五年とかあるだろう?今日はいい話もってきてやったたからなあ」
 男は大袈裟に手を振ると、カウンターに両腕を組んで乗せて、航太の方に顔を突き出した。店内に他に客がいないのをいいことに、いつもより横柄な態度だった。その言葉と様子に、喉元まで不快感が込み上げたが、なんとか表情を変えずに持ちこたえた。
「では、この間お世話になった御礼と言うことで」
 高級酒ばかりが並んだ棚のガラス戸をスライドさせて、山崎の二十五年に手を伸ばした。
 隙を見せれば付け込まれるのはわかっていたが、今ここで「いい話」を聞かされたくはなかった。それに、高い酒を飲む気でやって来た男の機嫌を損ねるのも、得策ではないように思えた。
 男はカウンターに乗せた手を引くと、踏ん反り返るように椅子の背にもたれた。自分の話に食いついて来ない航太のことを思案している顔つきだったが、それでも航太が山崎二十五年ロックを目の前にサーブするまで、じっと動きを止めていた。
「お待たせいたしました」
 大きめに砕かれた氷がグラスの中でカタリと高い音をたてる。
「金が要るんだろう?」再び顔をにやつかせながら尋ねてくる。しかし、今度は目は笑っていない。
 三千万円。男がそう言ったかは、わからない。男の後ろを、五、六人の集団の客が大声で騒ぎながら通って行った。二人ほど女性もいる。よほど緊張していたのだろう。ドアから客が入ってきていたのにも気付かなかった。
彼等は二つあるテーブル席の大きい方を陣取ると、何飲む?何飲む?と騒いでいる。その中に常連客の顔がひとつ覗いた。
「あっれー?今日は店長いないの。コウちゃん、一人?」
 ちょっと、と言いながら、常連客はメニューを片手に手招いた。
「ただいま、参ります」
 航太も片手を挙げて、常連客に合図した。
 目の前の男は、ちびりちびりとグラスを口にしている。
「すみません。急に混んできましたね」
 これどうぞ、とツマミを出すと、まっすぐ男を見て続けた。
「高田さん。僕、やっぱり向いてないみたいです。こないだ教えていただいたものも、結局うまくいかなかったんです」
「なんだよ。じゃあ、プリペイドも口座も無駄にしちまったのかよ。勿体ねえなあ」
どちらもこの男から法外な値段で買ったものだ。そっちには勿体ないも何もないだろうと心の中で呟いた。
「ええ、そうなんです。なので、またいろいろ用意していただいても無駄になりますから」
「そうかあ。あんたみたいなのはさあ、コツを掴むとぐんぐん上っていくんだけどなあ」
それは、上るのではなくて、落ちるというほうが正しい表現だと思った。
「見込んでいただいていたのなら、申し訳ありません。実は、金を貯めるのも止めたんです」
 男は興味ありげな眼差しを向けたが、深くは詮索しなかった。奥のテーブル席では、常連客がメニューを掲げて、注文とりはまだか?というジェスチャーを送っている。
「そうかあ。それは残念なこった。まあ、金が要るやつは他にいくらでもいるからな。この話、よそに持って行くわ」
「そうしてください。では、ちょっと失礼します」
 航太は伝票を手にしてテーブル席に向かった。注文をとりながら、ちらりとカウンターに目を向けると、酒の続きを飲んでいる後ろ姿が目に入った。オススメのカクテルは?という甘ったるい女性の声で、またテーブルに顔を戻すと、女性が好みそうなカクテルをいくつか紹介した。結局、女性はそれぞれファジーネーブルとカシスオレンジを注文した。散々騒いだわりに、結局ありきたりのものを飲むのかよ、という思いを悟られないように、明るく注文を繰り返した。
 二人の女性はおそらくかたぎの仕事をしているのだろう。化粧も服装も地味ということはないが、バーのアンダーグラウンド的な雰囲気にいささか興奮しているようだった。常連客が「コウちゃん」と親しげに呼ぶのに倣って、二人もあれこれ、気安く話し掛けてくる。普段なら、女性客の話に付き合って談笑することなど滅多にない。しかし、今の航太には助け船のような状況だった。おしゃべりな客たちのおかげでカウンターの男から遠ざかることができて、内心ありがたかった。
 ひとしきり話を弾ませて、カウンターに戻ると男の姿はなかった。空になったグラスの横には、折り目のついた千円札が置かれている。酒とツマミの代金にしては、足りなかったが、男はそのつもりで置いたのだろう。
 これで、貸し借りなしだ。そんな意味に取れた。航太は男にきっちり対価を支払ったし、男も酒代を置いていった。
 後腐れなく関係を解消した。そんなつもりになってよいのだと思いたかった。
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