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3巻
3-2
しおりを挟む「おう! 何回も優勝しているからな。力が強いから、技も豪快でさ!」
「弥助さんに憧れている河童は多いんですよ!」
その興奮っぷりを見ると、憧れている河童の中に河太と河次郎も含まれているようだ。
「弥助は里の自慢です。今回も優勝でぎるどいいんですけど……」
もうすぐ弥助が見つかるかもしれないのに、五平は何故か不安そうだ。
「弥助とはどこではぐれたのか聞いてもいい?」
俺が優しく尋ねると、五平は小さく頷いた。
「俺は弥助と幼馴染で、いづも相撲大会の前は二人で知り合いの所さお世話になっで、集中特訓しでるんです」
「知り合いはオイラ達の里の近くに住んでるんだってさ」
河太の補足に相づちを打った俺は、ふと首を傾げる。
「ってことは、あやかしの世界ではぐれたの? だったら何で人間界に来ているんだろう」
「俺は来たごどないんだけんど、弥助は弥助のばっちゃんどあやかし蔵の近くにある川さ来だごどあるっで言っでました」
じゃあ、一匹で思い出の地を歩き、その時に案内状を落としてしまったのかな。
そんなことを考えながら歩いていると、前方を飛んでいた小鳥が一度旋回した後、突き当たりの道を曲がった。
「あれ。あっちは亀井川の方だな」
亀井川は川幅が三メートルほどの小川で、水位も足首より少し上にくる程度だ。
一方、智樹が案内状を拾ったという竜ノ川は、ここよりも東にある大きな川で、そちらは川幅が広く水深もかなりある。
「亀井川は竜ノ川の支流だから、この近くで落として向こうに流れて行った可能性もあるな。もしくは、弥助って河童がこっちまで探しに来ているのか……」
智樹の推測に、どちらの可能性もありそうだと納得する。
小鳥に誘導されるまま川沿いを歩きながら、辺りを見回す。
亀井川は水深が浅く水も綺麗なので、暑い季節は小学生が川遊びをしている。
だけど、さすがに十月ともなれば、川で遊ぶ子はいないようだ。
すると、亀井川にかかる橋の辺りで、式神の小鳥が土手を下って行く。
「見つけたみたいだな」
千景が走り出して、俺達もその後を追いかける。
草の茂る橋の袂の隅で、赤い河童が膝を抱えて蹲っているのが見えた。河童の頭上で小鳥が旋回しているから、きっとあれが遠野の弥助なのだろう。
「弥助!」
五平の呼びかけに、ビクッと体を震わせて弥助が顔を上げる。
五平だけでなく俺達も一緒にいたことに驚いたらしく、弥助は慌てて立ち上がった。その勢いで、つけていた腰蓑が乾いた音を立てて動く。
「五平……そいづら誰だ」
弥助は五平よりも背が高く、手足もひょろりと長い河童だった。
目がややつり上がり、顔つきはほっそりとしている。結構迫力があるな。
だが、その目は不安げに揺れていたので、俺は安心させるべくにっこりと微笑む。
「安心して。俺はあやかし蔵のある結月邸にお世話になってる者で、小日向蒼真って言うんだ」
「結月様のお屋敷の……。蒼真って名も、聞いたごとある名だ」
「弥助がいなぐなっだから、皆に探しでもらっだんだ。心配しだんだぞ」
五平はそう言って、弥助の体を揺する。俺は胸ポケットの火焔に持たせていた案内状を、弥助に差し出した。
「君の落とし物を拾ったんだ。落として困ってるんじゃないかと思って」
しかし、弥助は大きく首を振って、俺にそれを突っ返す。
「な、何でそれ持ってきだんだ!」
弥助はそう叫んで、再びその場にしゃがみ込む。
てっきり喜んでくれると思っていただけに、俺達は目を瞬かせた。
「はぁ? どういうことだ? これを探してたんじゃないのか?」
「これ、大事な相撲大会の案内状ですよ?」
千景が頭を掻いて尋ね、河次郎が改めて弥助に言った。
「その案内状は……オレが川に投げたんだ」
そう呟いて頭を抱え込む弥助に、俺と千景は首を傾げた。
「投げた?」
すると智樹が顎に手を当てて、小さく唸る。
「確か『投げた』って、岩手の方言で『捨てた』って意味じゃなかったっけ」
……つまり、これは落としたんじゃなくて、自ら捨てたってことか。
「投げだってどういうごとだ、弥助……」
五平は愕然とし、河太は悲しげに尋ねる。
「弥助さん。じゃあ、今回の相撲大会には出たくないってことかい?」
「そうだ。もう、オレ……相撲大会さ出る気力がねぇ」
「……もしがしで、おめぇのばっちゃんが死んじまっだがらか?」
五平は呟き、弥助の顔を覗き込む。
弥助のおばあちゃん、亡くなっていたのか。
妖怪の寿命はその妖怪の種類や、同じ種族でも妖力の差によって異なる。
結月さんのように千年近く生きている妖怪もいれば、二、三百年ほどで命が尽きる妖怪もいる。そして結月さんであっても、その命は永遠ではない。戦いによって命を取られれば死ぬし、長い年月の先で妖力が衰退すればいずれ消滅する。
この落ち込みようからすると、弥助のおばあちゃんは最近亡くなったのかもしれない。
弥助はしばしの沈黙ののち、ポツリポツリと話し始めた。
「オレは昔がら力が強がった。わざとじゃねぇんだども、周りの友達を怪我させることが多くでよぉ。その上、口下手だもんで、誤解されるごどもあって。オレが落ち込んでると、ばっちゃんがいづも慰めでぐれたんだ」
口下手で、おばあちゃん子……俺と似てるな。
結月さんの所でお世話になってから少しずつ変わってきたけれど、以前は初対面の人とは緊張して上手く喋ることが出来なかった。
俺も子供の頃、それで落ち込んで泣いていると、ばあちゃんが慰めてくれたっけ。
弥助とは初めて会ったが、その共通点に何となく親近感を覚える。
「オレの唯一の褒められるごどと言やぁ、相撲くらいしかねぇでよ。優勝してばっちゃんを喜ばせるごどだけが、オレに出来る孝行だったんだ」
「じゃあ、どうして相撲大会に出ないって?」
「相撲大会前にばっちゃんと、この川さ来だごどあっだんだ。今日、ここに来だら、ばっちゃんがいないごど実感しぢまっでよ。喜んでぐれるばっちゃんがいないなら、相撲大会さ出でも意味ねぇと思っちまっだんだ」
寿命の長い妖怪は、人間よりも遥かに長い時間を生きる。少し羨ましさを感じていたが、長く生きるからこそ思い出が多すぎて辛くなることもあるのだろうか。
弥助と同じく辛そうな顔をしていた五平が、弥助の肩に手を置く。
「あんなに特訓したでねぇが……。ばっちゃんも見でるはずだぞ」
「オイラも、相撲大会に出た方が喜ぶんじゃないかと思うなぁ」
どう慰めていいかわからず困り顔で河太が言い、俺もそれに大きく頷いた。
「うん。俺もそう思う。相撲をしている弥助の姿が好きだったおばあちゃんなら、きっと相撲大会に出て欲しいって思うよ」
しかし、五平や俺達の説得にも、弥助は視線を下げたままだ。すると眉をひそめて聞いていた千景が、鼻で笑った。
「優勝する自信がないだけだろ。皆の前で負けるのが嫌で、ばあちゃんのことを言い訳にしてるんじゃねぇの?」
いつになくきつい言い方をする千景に、智樹は「まぁまぁ」と背を叩く。
「本人が棄権したいって言うなら、それも自由だ。とは言っても、それが本心なら……の話だがな」
智樹がチラッと見ると、弥助はさらに俯く。俺はそんな弥助の顔を覗き込んだ。
「弥助は本当に相撲大会に出たくないの? 相撲はおばあちゃんとの大事な思い出でもあるんだろ? 相撲も好きじゃなくなった?」
その問いかけに、弥助はゆっくりと顔を上げる。
「相撲は好ぎだ。んだども……」
口ごもる弥助に、五平が語気を荒らげて言う。
「面倒ぐせえ! わがっだ。俺と相撲とるべ! おめぇが勝っだら、相撲大会に出なぐていい。俺が勝っだら、おめぇの胸にあるお守り石よこせ!」
「……何だど?」
五平の言葉に弥助は目を見開き、そして胸元の首飾りに手をやって目尻を険しくつり上げる。
その首飾りには、大きくて丸い翡翠の石がついていた。
「五平、お守り石っていうのは?」
俺が尋ねると、五平は弥助を睨んだまま言う。
「弥助が初めで相撲大会さ出る時に、弥助のばっちゃんがやっだもんです。『これ持ってだら、相撲でも負けねぇぞ』って。……んだけど、もう相撲大会さ出ねぇならいらねぇーじゃ。そうだべ、弥助」
その強い眼差しを受け、弥助は立ち上がって言った。
「勝っだらええんだべ」
弥助はこの相撲勝負を受ける気のようだ。
睨み合う二匹に、河太がその場でジタバタと足踏みを始める。
「ど、どうしよう! 五平さんが勝ったら弥助さんのばあちゃんの形見が取られちゃうし、弥助さんが勝ったら相撲大会棄権するってことだろ」
「どうしようあんちゃん! どっち応援した方が良い?」
河次郎も河太の動きを真似て足踏みしながら聞く。
「オイラだってどっち応援していいかわかんねぇよ」
「あんちゃん、どうしよう~」
どうしていいのかわからず、河太と河次郎はその場でぐるぐると駆け回る。
「河太も河次郎も落ち着いて。ほら、深呼吸」
宥める俺に向かって、二匹はゆっくり深呼吸する。
河太達の気持ちはよくわかる。
そもそも、弥助の本心が決まっていないまま、本当に勝負をさせていいのだろうか。
迷っている間にも、弥助達は橋の下の空いているスペースに丸く円を描く。
向き合った弥助と五平は、もうすでに後には引けない様子だった。
先ほどまで慌てふためいていた河太と河次郎も、ようやく心構えが出来たらしい。
「よ、よし、二人とも応援しよう」
「そうだね。大事なことは相撲で決めるのが、河童の流儀だもんね」
弥助と五平はお互いを睨みながら、体をゆっくりと屈める。
改めて見ると、弥助の方が筋肉質でがっしりしているな。
そんなことを思った瞬間、二匹は一気に動き出した。
勝負開始後すぐに、驚きの動きを見せたのは五平だ。
大きく横に飛び上がり、弥助の突進をかわして背後に回り込む。
「うわ! 五平さんが八艘飛びをした!」
河太の叫びで、あれが有名な八艘飛びだと知る。
小柄な力士が、体格差のある力士に対して行う戦法だ。まともに組み合えば力で負けると見て、意表を突いて後ろから回しを取りに行ったのだろう。
五平は背後から腰蓑を持って、グイッと持ち上げようとする。
弥助は堪えつつ体を捻った。リーチの長さを活かし、五平の体が沈み込んだ瞬間に、五平の肩越しに腰蓑に手を伸ばす。
そうして、五平の背中側の腰蓑を掴み、自分の前方へ放り投げた。
五平が飛んでいった先には、亀井川があった。大きな音と水しぶきを立てて、五平が川に落ちる。
「五平、大丈夫⁉」
慌てて川に近づくと、水深の浅い川で五平は尻もちをついた格好をしていた。
俺が手を差し出して引っ張ると、苦笑しながら川から出てくる。
「やっぱ、弥助は強ぇなぁ。何回やっでも勝でね。……弥助、おめぇの好ぎにしだらええべ。棄権するなら、里のもんには俺が言っでおぐがら」
もしかして、五平は弥助が棄権すると言いやすいように、この勝負を持ちかけたんだろうか。
「五平……」
弥助は五平の気持ちがわかったのか、悲しげに名前を呼ぶ。俺はそんな弥助を振り返り、正面から真っ直ぐ見つめた。
「弥助。弥助はどうしたい? 棄権して本当に後悔しない?」
「オレは……」
視線を彷徨わせる弥助を、千景は腕組みしながら見つめる。
「お前に期待しているのは、ばあちゃんだけじゃないだろ。五平だって里の奴らだって応援している。河太達だってそうだ。お前にはそれに応える力があるのに、やらずに逃げるなよ」
そう言った千景の表情は、どことなく辛そうに見えた。
妖狐は年齢と共に妖力が増していき、尾が増えていくと聞く。
千景は五百歳にもなるが、元々の妖力が少ないせいか未だに二尾のままだ。
その年齢で二尾な妖狐も珍しく、妖狐の里では肩身の狭い思いをしてきたという。
他の年下の妖狐達に馬鹿にされ、里の年長者には九尾狐である兄の結月さんと比べられ、期待されず、いない者として扱われてきた。
力があって皆に期待されているのにそれを発揮しようとしない弥助を見ていると、千景としては苛立ちと歯がゆさを感じるのだろう。
「逃げんな……か。ばっちゃんもよぐ言っでだなぁ」
弥助は小さく呟いて、首にかけていたお守り石を見つめる。五平は弥助に近づき、小さな声で言った。
「俺もおめぇのばっちゃんには可愛がってもらっだがら、おめぇの気持ちはよぐわがる。無理にどは言わねぇ。んだけんど、俺は相撲大会さ出で欲しい。弥助の相撲さ見るど、おめぇのばっちゃんが笑っでだの思い出すがらよぉ」
泣きながら言う五平の言葉に、弥助も零れ落ちる涙を拭う。俺も目元をこすって、手に持っていた相撲大会の案内状を改めて弥助に差し出した。
「弥助、やっぱり相撲大会に出ようよ。俺達も応援に行くから」
胸ポケットの中の火焔も胸を叩き、河太と河次郎が大きく頷く。
弥助は肌と同じくらい目を赤くして、俺から案内状を受け取った。
「……オレ、きばってみっかな」
呟く弥助に、千景が首を傾げる。
「きばって? どういう意味だ?」
「遠野の方言で、頑張るっで意味です」
五平がそう通訳して、弥助が大きく頷いた。
「そうか。頑張るっていうなら、俺も見に行ってやるかな」
ちょっと偉そうに胸を張る千景に、俺と智樹は苦笑した。
「素直じゃないなぁ」
「普通に応援しに行くって言えばいいのに」
「確認に行くだけだ」
口を尖らす千景に、弥助と五平、それに河太と河次郎も笑った。
それから二日後の、相撲大会当日。智樹と千景に加え、俺の幼馴染で雪女と人間の半妖である兵藤紗雪と、鬼神と人間の半妖の貴島慧と共に相撲大会会場に向かうことになった。
会場へは結月邸にあるあやかし蔵の扉を使う。このあやかし蔵はただの蔵ではなく、結月さんが管理人を務める、あやかしの世界と人間界をつなぐ扉だ。
同じような出入り口は全国各地に存在するが、このあやかし蔵の扉は最も古く、特別なものらしい。この出入り口から伸びるあやかしの世界への道は、基本的に出口の場所を知らないと抜けることが出来ない。行き先がわからない者が通ろうとすれば、道の狭間で迷子になる。
相撲会場へは俺達のうちの誰も行ったことがなかったので、朝霧に道案内を頼んだ。
俺が朝霧を腕に抱き、他の皆は左右に分かれ、俺の肩に手を置いて歩く。
「全く、何でアタシが小僧達の面倒を見なくちゃならないんだい」
結月さんに引率役を頼まれて引き受けてくれたものの、朝霧はブツブツと文句を言っている。
「ごめん。河太達は試合だから、わざわざ来てもらうことが出来ないんだよ」
五平も河次郎もサポート役として選手についているので、それどころではないだろう。初めは結月さんが案内してくれる予定だったのだが、作家でもある結月さんは小説の締め切り間近でそれは叶わなかった。
「どうせ暇なんだからいいじゃないか」
ボソリと呟く千景に、朝霧が目に角を立てる。
「何だって? アンタだけ道の狭間に置いていってもいいんだよ」
千景と朝霧は、結月さんを取り合う犬猿の仲なんだよなぁ。最近は千景も性格が丸くなったし、朝霧も抑えているみたいだけど、相性の悪さはどうにもならないらしい。
今にも噛みつかんと牙を見せる朝霧に、智樹がへラッと笑った。
「すみませんね、朝霧姐さん。あとで叱っておきますから、ここは穏便に……」
「何で俺が叱られるんだよ。引き受けたのに文句を言ってる方が……」
尚も反論しようとする千景に、俺は振り返る。
「千景。朝霧がいなきゃ相撲大会に行けなかったんだよ」
「そうよ。応援しに行くんでしょ?」
俺と紗雪に窘められ、千景はちょっとふて腐れた様子でフイッと顔を背けた。
その時、白く長く続いていたあやかしの道の雰囲気が一変した。
「どうやら相撲大会の会場に到着したらしいな」
慧に言われて、俺達は立ち止まり辺りの様子を窺う。
あやかし蔵を通る前は夕方だったが、相撲会場はとっぷりと日が暮れ、空には大きな月が昇っていた。
スタンド型の大きな提灯立てが幾つも置いてあって、夜でも辺りは昼間のように明るい。
幅の広い大きな川が流れ、その川の脇には大きな土俵と小さな土俵が二つずつあった。小さい方が河太達小柄な河童の試合、大きい方が弥助のような大きな河童の試合をする場所だろう。
土手には観客席が設けられており、すでに多くの河童が腰を下ろしている。
俺はざわめく会場を見回し、視界に入る河童の数に圧倒されていた。
体格、甲羅の有無、頭の皿の形、それぞれ少しずつ違っている。ただ、色は殆ど緑ばかりで、弥助や五平などの赤い河童はあまりいないようだ。
「知識としては知っていたけど、河童の種類の多さを実際に見るとすごいなぁ」
俺が呆気にとられていると、慧と紗雪が笑う。
「全国各地に河童伝説が残ってるから、その分種類も多いんだろうな」
「私だってこんなにたくさんの河童を見たのは初めてよ」
その時、肩に乗っていた火焔が、俺の頬をつついた。指差す方向を見ると、川に架かっている朱色の太鼓橋の下に屋台が見える。興味があったので行って覗いてみると、味こそ微妙に違うようだが、どの屋台にも冷やし胡瓜の一本漬が並んでいた。
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