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しおりを挟む翌朝。シャルが目を覚ますと、隣のベッドにあいなの姿はなかった。
「あいな……!?」
飛び上がるようにベッドを抜け出したシャルは、あいなのベッドに触れる。まだ微(かす)かにぬくもりが残っていてホッとする。サッと身仕度を整え寝室を出ると、夜間着(やかんぎ)にエプロンを巻いたあいなの姿が目に入った。ダイニングで何やらやっている。
「何をしてるんだ?」
シャルの声に振り返り、あいなは照れたように笑みを浮かべる。
「おはよっ!朝ごはん作ってるの」
「朝食を?ルイスはどうした?」
「うん。さっきルイスさんが来て色々手配するって言ってくれたけど、断ったんだ。ルイスさんも、自由にここを使っていいって言ってくれた」
「だからって、どうして……」
シャルは困惑する。
「お前は次期王妃だ。王族の間(ま)へ来たのならなおさら、そんな雑用をする必要はない」
「シャルにとってはそういう感覚が普通なのかもしれないけど……」
あいなは調理の手を止め、シャルの元にやってくる。
「シャルとの結婚、後悔したくない。だから、良い結婚生活にするために、できることは全部やる。やりたいことは我慢しないって決めたの。こうしたいから、こうする。もちろんこれからは、ルイスさんの言うことも聞いて、コックさん達の作ってくれる料理も食べる。でも、今日くらい私が作ってもいいと思わない?だって、私達が初めて一緒に過ごす朝なんだから」
「……あいな…お前……」
「大丈夫!料理なら家でしょっちゅうやってたから、そこそこできるし!」
「あ、ああ……」
有無を言わせぬあいなの押しに、シャルはたじたじである。次期王妃が自らダイニングに立ち王子に料理を振る舞うなんて聞いたことがない。しかし、これも自分達らしくていいのかもしれないとシャルは思った。
「そうだよな。歴代王家の結婚観を変えるんだ。俺がその先駆者になる……!」
「そうだよ。そうしよう!」
「あいなとならそれを叶えられる気がする。それにしても、たいしたものだな」
実際、テーブルに並ぶ手料理は彩りも良く、これまで城の中にはなかったぬくもりに溢れている。
「冷蔵庫に色んな食材あったから楽しくなって、つい、作り過ぎちゃったんだ。二人で食べるには多いし、ルイスさんにも来てもらおうかな。いつもお世話になってるし……」
「いや、全部俺が食べる。ルイスのことは気にしなくていい。働きに見あった給金を与えている」
「そっ、そうかもしれないけど、シャル一人で食べられる??」
細身なシャルのどこにそんな料理が入るのか、作っておきながらあいなは心配になる。ただ、シャルはシャルで、ルイスにだけは出てきてほしくないと思ったのである。
「お前が言ったんだろ?初めて二人で迎える朝だって。他の男呼んだら、新婚ムードぶち壊れるだろ」
「ム、ムードとかそんなつもりはっ……」
「何だ。いやに積極的かと思ったらまた引くのか。そうやって俺の心を惑わせるなんて、お前はとんだ策士だな」
「さっ、策士になったつもりはないっ!」
真っ赤になって否定するものの、あいなは内心安堵していた。シャルが、心なしか元気を取り戻したように見えたから。
夜中にシャルが取り乱す様を見てから、あいなは何かをせずにはいられない衝動にかられた。とはいえ、異性との交際経験ゼロの自分には男心をくすぐる言葉など言えないし、根が深そうな問題なだけに変に励ますのも躊躇(ためら)われて……。
結果、唯一自分が日常的にこなしていた料理を振る舞うことで、シャルを勇気づけたいと思ったのである。
早朝、王族の間にお茶を淹(い)れに来たルイスに相談したら、彼は快くあいなの提案を受け入れてくれたのでスムーズだった。
生ハムとゆで卵をのせた野菜サラダにスライスチーズをトッピングしたトースト、魚のホイル焼きに茶碗(ちゃわん)蒸(む)し。久しぶりに調理器具に触れたものの、仕事で忙しい両親に代わり家事を担っていたあいなの腕は鈍っておらず、それどころか料理慣れを存分に示せていた。
とても朝食べるような量ではないし、城に来てから出された朝食の何倍もあるが、シャルは文句をつけたりはしなかった。
「ありがたくいただくとしよう。……うまい…!」
食卓についたシャルは目を輝かせて、フォークで取った料理を口に運んでいく。
「ちょうどいい量だ。今日は公務で歩くことが多いからな。いい働きができそうだ」
嬉しそうにつぶやき食事を続けるシャルの動きはひとつひとつ優雅で、彼の口調とあいまってなおさら上品に見えた。
「なんか、腹だけじゃなく胸の中まで満たされる。こんな朝食は初めてだ」
食材ひとつひとつの味を深く感じるかのように、シャルは瞼(まぶた)を閉じる。テーブルを挟んで向かいで同じく食事をしていたあいなは、恥ずかしくなりノドに物をつまらせそうになった。
「ほめてくれるのは嬉しいけど、家族にすらそんな誉められたことないし、シャルはおおげさだよっ」
「思ったことを言ったまでだ。ルイスには絶対に食べさせたくない。呼ばなくて正解だった」
「まだそんなこと言ってるの?っていうか、何で、ルイスさんのことそこまで??」
「お前がこんなうまい料理を作るからだ」
「……?でも、もういいよ、そんなに誉められるとかえって恥ずかしいから。うぐ……。ぐふっ!」
(シャルって、ホント分かんない、こうやって時々ドキッとさせてくる……!最初の頃から、執事のルイスさんにやたらライバル意識持ってるし……。)
むせるあいなの元に回り込み、シャルは彼女の背中をさすった。
「大丈夫か?待ってろ。水を持ってくる」
「いっ、いいっ!ゴホッ(自分でやるし!)」
目力を駆使(くし)してそう訴えるあいなを、シャルは意地悪な顔で見下ろす。
「甘え下手(べた)な奴だな。自分がつらい時は夫に頼れ。何のための結婚だ」
「……っ(シャル……)ガハッ…ゲホッ!!」
刺激の多い彼の一言一言に、あいなは動揺を深めるばかりだった。
(シャルって、こんなに頼れる人なんだ……。)
コップに入った水を口元で手渡された瞬間、シャルの指先があいなの頬に触れた。
「ひゃっ……!」
思わぬ感触にドキッとし、あいなはのけぞる。シャルの指が触れた所だけ、ほんのり熱を持つ。その拍子でイスから転げ落ちそうになったのを、シャルが受け止めた。
「子供みたいなやつだな。落ち着けよ」
「~~~~~~!!」
水を一気に飲み干し言い返そうとするあいなの頭を、シャルはポンポンと柔らかくなでた。
「かわいい奴。目が離せないな、これじゃ」
「~~~~~!!!」
「ん?顔が赤いな。ちょっとは俺のことを意識してくれてるのか?」
「んな!」
そんなわけないと言いたいのに、出会った頃のようにあいなはシャルに反発できなかった。彼の言う通りだからだ。
(悔しいから言わないけど……。私、シャルのこと見直すことが増えてる……。)
「早く俺を好きになれ。お前の全てが欲しい」
「なっ!」
「本音だが冗談だ。そんなに怒ってると寿命が縮むぞ」
「誰のせいだ、誰の!」
「さすが俺の妃になる女だ。怒った顔も可愛いな」
(前言撤回(ぜんげんてっかい)!シャルはただのヘラヘラ野郎だっ!)
夜中のしおらしさが全く感じられないシャルの言動にはため息が出るが、元気のない彼よりこういう振る舞いをしている方が彼らしくて、あいなは安心できるのであった。
(初めの頃は、コイツのこと空手技でボコボコにしたいと思ってたのに、そういうのどこへ行っちゃったんだろ。自分の変化が、ウソみたい……。)
「シャル様、そろそろ公務のお時間です」
朝食を食べ終わる頃、ルイスが王族の間にシャルを迎えにきた。シャルは時計を見てふてくされた顔をする。
「ルイス、お前わざと早く来ただろ?時間にはまだまだ余裕があるが」
「5分前行動をご存じありませんか?不測の事態に備え、早め早めに行動するべきです」
「5分どころか、一時間も早いんだが」
わざとらしくため息をつき、ルイスは言った。
「お忘れですか?公務の前に秋葉(あきは)様の客室に出向くとおっしゃっていたではありませんか」
「秋葉の部屋に?」
あいなは、シャルとルイスを交互に見た。シャルはあいなの髪をなで、優しい眼差(まなざ)しで彼女を見下ろす。
「お前を心配してここまで来てくれた親友だろ?危険をかえりみずそこまでしてくれた客人だ。俺からも彼女に礼を言いたい。スパイの件に関しての情報をくれたことも合わせて、な」
「シャル……」
自分自身と同じくらい大切な親友秋葉のことを大切に考えてくれるシャルに、あいなはますます好感を抱いた。
「秋葉のことそうやって言ってくれてありがとう」
「夫として、王子として、当然だ。それよりルイス」
シャルは、いつの間にか自分の背後に移動していたルイスを睨(にら)んだ。
「なぜ俺の首根っこを掴(つか)んでいる。地味に痛いぞ」
「私の目の前であいな様に触れているからです」
「好きな女にスキンシップを取ることの何が悪い?ここは夫婦のための空間だ。専属執事だからって、そこまで口を出す筋合いはないだろう」
二人の間に、主従関係を越えた何かが走る。空気がピリッと張りつめた。
「あいな様は女性です。他者の目前で異性に触れられることの羞恥心(しゅうちしん)をお考えになるべきでは」
「……ああ、そうだな。悪かった。あいな。恥ずかしい思いをさせたな。今後は気を付ける」
「ううん、私は平気……。ルイスさん、なんかごめんなさい……」
険悪な雰囲気にのまれ、あいなはしおらしく返事をする。
(ルイスさんもシャルも、なんか、いつもと違う……。)
「あっ、私、食器片付けるねっ!美味しかったぁっ」
わざと陽気な声を出し、あいながテーブルを片付けようとすると、ルイスが彼女の手をやんわり取って制止した。
「シャル様の公務までまだ余裕がありますから、ここは私が片付けますよ。執事として、未来のお妃様にそこまでさせるわけにはいきません」
間近で長身のルイスに見つめられ、あいなはドキッとしてしまう。柔らかく握られた腕には、静かながらもルイスの熱が広がった。
「そ、それじゃあ、お願いします……」
「おい、ルイス!」
ルイスから引き剥(は)がすように、シャルはあいなを自分の腕の中に引き寄せた。
「俺に注意したそばからそれか。お前こそ、あいなに気安く触るな」
「私はただの執事。先程のあなたのように恋情を持ってあいな様に触れたのではありません」
「そうかよ。あいなの前だし、これくらいにしておく……。秋葉の所へ行くぞ。あいな、ここの片付けはルイスに任せて、お前も一緒に来い」
「えっ!?」
突然話を振られ、あいなは固まってしまう。
「私はルイスさんを手伝うよっ。一人で任せるの悪いし……」
「あいな様の意思を尊重されたらどうですか?」
シャルはグッと両手をにぎりしめた。
「秋葉も、シャルと話したいって言ってた。私いない方がいいと思うんだけど……」
「そうだな。……頭冷やしてくる」
頭を冷やす。そのつぶやきは小さすぎて、あいなの耳には届かなかった。寂しげだったシャルの背中に、あいなは後ろ髪を引かれるような思いがした。それを紛(まぎ)らすように、作り置きしておいた料理をルイスに勧めた。
「あの、ルイスさん朝ごはんは食べましたか?もし良かったらシャルの公務の前に少しでも……」
「ありがとうございます。あいな様のお気遣いは大変嬉しいのですが、今日はご遠慮させていただきます。申し訳ありません」
ルイスは冷静に告げつつ、切なげに瞳を下げる。
「そうですか……」
「昨夜から食欲がないのです。先ほど城の医師に栄養剤を投与してもらったので平気ですけれどね」
「そんな…!大丈夫なんですか?」
「ご心配をおかけし申し訳ありません。でも、すぐに治りますよ」
「無理しないで下さいね……」
よく見ると、ルイスの顔色はすぐれなかった。仕事で無理をしているのかもしれない。あいなは、冷蔵庫に作り置きしておいたフルーツジュースを取り出そうと、その場を離れた。
「よけいなお世話かもしれませんが、体調悪い時に良さそうな飲み物作ったんで飲んでみませんか?私が風邪とか引くと、お母さんがいつも作ってくれたやつで……」
冷蔵庫を開けようとした瞬間、あいなの背後からルイスの腕が伸び、彼女の肩を強く抱きしめた。シャルとは違う、清潔感に満ちた男の人の香りがする。
背中全体にルイスの体温を感じ、あいなは顔を赤くした。こんな風に男性に抱きしめられたのは初めてである。
「あの、ルイスさん……!?大丈夫ですか!?」
倒れそうになるくらい、つらいのかもしれない。そう考え、あいなはそっとルイスの腕に触れ慰めるように数回叩いてみたが、ルイスは無言のままだった。気恥ずかしさを隠すように、あいなは声をかけ続ける。
「ルイスさん、無理してたんですね。寝室のベッド貸すので、寝てくださいっ!シャルには私が話しておきますからっ」
「…………」
「ルイスさん?」
彼女の肩を抱きしめるルイスの腕。その力がわずかに強くなったのは、それからすぐのことだった。
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