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6 恋わずらい
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いつもと変わらぬルイス。そのはずなのに、今あいなを背後から抱きしめる彼の腕は異性を感じさせるのに充分だった。
剣術や銃撃戦の技術をシャルから高く評価されているだけあって、ルイスの体は細身でありながらほどよく筋肉が付いていて逞(たくま)しい。昔、空手の稽古(けいこ)で様々な男子と戦ったあいなだからこそ、なおさら、子供と大人で違う男性の体つきの違いを感じた。
「あの、ルイスさん……?」
一分ほどだろうか。軽く、それでいてしっかりと抱きしめられたまま、あいなはルイスの腕の中から抜け出せないでいた。
(ルイスさんは普段から執事として完璧に振る舞ってるけど、私には気を許してくれてる?だから、こうやって弱い部分も出してくれるのかな?)
その相手がルイスでなかったらこうして抱きしめられることに拒否反応を示したかもしれないが、これまで親身に支えてくれた相手なので、あいなは逆に甘えられていることを嬉しく思った。
「ルイスさん。私、今、懐かしい感じがします。昔も、こういうことがあったんですか?」
弾かれたように、ルイスはあいなから腕を離した。
「っ……!私としたことが、次期王妃様にとんだ無礼を……。どうかお許しください」
「いいんです。それより、ルイスさん、やっぱり無理してますね?」
あいなは不安げにルイスの顔をのぞきこむ。その無邪気な表情に嫌悪感が浮かんでいないことを確認し、ルイスは安堵(あんど)した。
「知らず知らずのうちに無理をしてしまったのかもしれません。少々立ちくらみが……。肩をお貸ししていただいたおかげで助かりました」
「それならいいんですが……」
ルイスは執事の顔に戻り、尋ねる。
「懐かしいとおっしゃいましたね。もしかして、シャル様は過去のことをあいな様にお話になられたのですか?」
「はい。私を結婚相手に決めたのはそれが大きなキッカケだったと話してくれました」
「そうでしたか。お話になられたのですね、シャル様は」
あいなにプロポーズをする前、シャルはルイスにこう言っていた。あいなが過去のことを忘れているのならば、自分もそれに合わせ今の自分で彼女にぶつかっていく、と。しかし、シャルはあいなに過去の話をした。
わけも分からぬまま結婚させられるあいなの不安を和らげるためにシャルがそうしたことを、ルイスは悟(さと)った。
「あいな様のお顔が、さらに美しくなられているわけですね」
「えっ!?」
あいなは両手で自分の顔をペタペタ触り、照れた。あいなを見下ろすルイスの目が吸い込むような艶(つや)っぽさに満ちていることも、彼女を戸惑わせる理由だった。異性に甘い言葉をかけられることに、彼女はまだまだ不慣れである。
「そんな、何も変わってないですよっ」
「ご自分では気付きにくい変化かもしれませんね。あいな様のご不安が解消されたようで安心しました」
「ありがとうございます」
照れをわずかに感じつつ、あいなは言葉を継いだ。
「ルイスさんの言っていた通りでしたね。シャルは、私のことをちゃんと好きって言ってくれました。私の気持ちはまだ、シャルに答えられるレベルにまで達していないのかもしれませんが……。これから前向きにシャルのことを見ていきたいと思います」
「そのように思っていただき、私も光栄です。シャル様の執事として」
ルイスは、今自分が口にしている言葉全てを自分で疑っていた。シャルの執事として発したセリフには重みがなく、絵空事のように感じていた。
神蔵(かみくら)あいな。彼女を目にしていると、自分の中に隠された本性を剥(む)き出しにされそうな焦燥(しょうそう)感を覚え、冷や汗が背中を伝う。
シャルの妻となる女性に、特別な感情を持ってはならない。自分は王子の専属執事なのだから――。これまでの数日間はそうやって理性で抑えてこられた感情を、今は解放したくてたまらない。
あいなに対していつの間にこれだけの想いを募らせていたのか、ルイス自身にも分からず彼は困惑を極めた。
夜間着(やかんぎ)にエプロンを巻いたあいなの姿は、ルイスの目に扇情(せんじょう)的に映った。そこから、昨夜シャルとあいなが過ごした時間を淫靡(いんび)なものだと想像してしまい、状況的にそうなるわけがないと知りながらも、怒りや悲しみに似た独占欲に胸を染められた。あいなが他の男のものになる、そう考えただけでルイスは連日食欲を無くしてしまったのである。
自分が執事でなかったら、今頃彼女を床に押し倒していたかもしれない。職業柄か、理性で本音を抑えることに慣れていて本当に良かったと思った。
(自分はもっと理性的な人間だと思っていた。恋とは、こんなにも人を変えてしまうのでしょうか……。あいな様を大切にしたい、彼女の幸せを第一に願う、その想いは本物だったはずなのに。結局は私も、腹の底ではシャル様と同じ願いを持っていたということか……。愛する女性を、自分の手で幸せにしたい、と。)
ルイスの心中(しんちゅう)を察するだけの目を持たないあいなは、彼が言い訳に使った「立ちくらみ」というセリフをそのまま信じ、納得し、抱きしめられたことも忘れかけ、話の続きを楽しんだ。
「初めて城の中を歩き回った時や、ルイスさんが書庫に案内してくれた時、デジャブみたいに懐かしい感じがしたんですが、シャルの話を聞いて、なるほど!と思ったんです。
昔シャルと出会ってたってことは、私はルイスさんとも出会ってたってことですよね」
「ええ、その通りでございます。私は過去に、あいな様と龍河(りゅうが)様にお会いしていました」
「やっぱり…!だからですね。ルイスさんとは、初対面のはずなのに懐かしいというか、最初は反発してたのにいつの間にか相談とかも聞いてもらったりするようになってて……」
あいなは柔らかく笑い、ルイスを見上げた。
「もし良かったら、友達になってもらえませんか?」
「……友人に、ですか?私はただの使用人でございます。次期王妃様の友人になるなど、分(ぶ)を越えています」
「そういう堅苦しいの、ナシにしたいんです。シャルとも話してたんですが、これまで守られてきた王室独特のやり方を崩して私達らしい結婚生活の形を作りたいんです」
「シャル様が、そのようなことを……」
「ダメですか?私、ルイスさんといい友達になりたいんです」
「私にはもったいないお言葉です。しかし……」
自分が執事だから。ルイスがあいなとの友情成立をためらう理由は、それだけではなかった。自分が、執事よりも縛りの甘い友達という枠の中で彼女と冷静に接する自信がなかったからだ。
ただでさえ、今、感情が乱れそうになっている。あいなの一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)で、ルイスの反応は吉へも凶へも転がる。好きな女性と友情を結ぶなんて器用なこと、他事に関しては器用にこなせても自分にはできない。リスキーな行為だと、ルイスは考えた。
「あの、やっぱりダメですか?」
普段感情を表に出さないルイスのためらいを、さすがのあいなも感じた。珍しく、ルイスが難しい顔をしているからである。
「もしかして、怒ってますか?」
「え……?」
あいなは申し訳なさげに眉を下げた。
「ここへ連れてこられてすぐの頃、私、ルイスさんをからかう感じで行きすぎた質問をしちゃいましたよね。好きな人はいるのか?って。悪気はなくて、ただ、この状況を楽しくしなきゃって精一杯で、あの時はルイスさんの気持ち全く考えてませんでした。変なテンションになってたのもあって、ルイスさんに好きな人がいるって勝手に決めつけちゃったりとかしました。気分悪かったですよね?本当に本当に、ごめんなさいっ!」
腰を90度に折り、あいなは頭を下げた。あの時のことは反省している。ああいう質問が通用するのは親友の秋葉(あきは)に対してだけだ。
ルイスと友達になりたい。あいなは心からそう願った。今までうわべだけの付き合いだった男友達とは違う。長い人生を共に歩く仲間として、ルイスと助け合えるような関係になりたい。
「私、今までルイスさんに助けてもらってばかりだったから。今度は私がルイスさんの力になりたいんです」
ルイスが居なかったら、あいなはシャルとの結婚を悲観するばかりだった。
「お気持ちは充分に伝わりました。どうか、頭をあげてください。未来のプリンセスとなる方にそのような真似をさせたと知られたら、私がシャル様からお叱りを受けます」
あいなの肩をやんわりと抱き起こし、ルイスは彼女の正面に立った。あいなは恐(おそ)る恐るルイスの顔を見つめる。
「ルイスさん、怒ってるのならそう言ってください。私鈍感なので、ハッキリ注意されないと気付かないから……」
「怒ってなどいませんよ。あの時から分かっていました。緊張や不安を紛(まぎ)らすべくあなたが私に立ち入った質問をしたこと。そうさせた私に責任があります。責められなくてはならないのはむしろ私やシャル様の方です。一人で知らぬ部屋に連れてこられ、さぞかし不安だったでしょう……」
穏やかに紡がれる言葉。ルイスの瞳からはもう、迷いや戸惑いは消えていた。優しくまっすぐに、あいなを見つめる。
「私などでよろしければ、ぜひ、あいな様の友人にならせてください。これまで以上に、あなたをお支えいたします」
「本当ですかっ!?」
「ええ。もちろんでございます。誠心誠意、尽くしたいと思います」
男として彼女を愛せばいつか別れが訪れるかもしれないが、友達としてならば一生そばにいることを許される。ルイスはそう言い聞かせるように、自分自身を落ち着けた。
(いつか、この決断を後悔する日が来るのかもしれない。でも、私は今たしかに、あいな様の力になりたいと思っている。一生自分の手で愛せないのだとしてもいい。…いつか後悔してもかまわない……!)
手放しで喜んでばかりもいられない現状。ヒリヒリ焼けそうな胸の内。しかし、喜べることも多かった。友情を築きたいと思えるほどにはあいなから好感を得ている。好きな女性に友人扱いされるのは男として複雑ではあるが、ルイスは、あいなと友人になれる自分は宇宙一の幸福者(しあわせもの)だと思った。
「嬉しいです!ルイスさんのお仕事のことはもちろん、これからはたくさん、恋の話もしましょうねっ」
満面の笑みで喜びをあらわにするあいな。ルイスは咳払(せきばら)いをして、あいなのリクエストに答えた。
「では、さっそく。以前あいな様にお尋ねされた件に関してですが……」
「ルイスさんの好きな人の話ですか!?」
あいなはキラキラと目を輝かせる。ルイスは彼女の肩にそっと右手を置き、柔らかな口調で語った。
「今の私にはそういう人はいません。でも、昔はいました。初恋の相手です」
「どんな恋だったんですか?」
「突然私の目の前に現れ、夢のように消えてしまう儚(はかない)い人でした」
「もしかして……」
あいなは悪い方に想像を働かせた。ルイスの想い人は死んでしまったのだ、と。しかし、悪戯(いたずら)っぽく笑うルイスを見て、そうではないと分かった。
「彼女は今でも元気にしておられますよ。最近は会っていませんが……。風の噂で、彼女はとある男性の妻になり、幸せに暮らしていると聞きました」
「その女の人は幸せなんですね。……いいお話って言いたいですけど、ルイスさん的には切ないですよね……」
「いい思い出ですよ。もう過去の話ですから」
ルイスの話に嘘が盛られていることや、その話の中に出てくる女性が自分のことであるなど、あいなは考えもしなかった。
「ルイスさんのそういうお話、なんか新鮮です」
「シャル様にも言われますが、私はそんなに無感情な人間に見えますか?」
からかうように、ルイスは笑う。
「すっ、すいません、そういうわけじゃないんですけど。ルイスさんって私なんかと違っていつも落ち着いてるし、シャルからもルイスさんの話を色々聞きましたが改めてすごい人なんだなって思ったから。そんなルイスさんが好きになる女の人は、ものすごく綺麗で頭のいい人なんじゃないかなって、勝手に想像しちゃって」
クスリと笑い、ルイスは切なげに瞳を揺らした。
「私も、好きな女性の前ではただの男です。彼女を抱きしめたい、愛したい、そう強く思うのですよ」
そうではないと分かっているのに、ルイスの視線や言葉、雰囲気全てが自分に注がれているような感覚がして、あいなの胸は激しく高鳴った。頬まで赤く染まってしまうから困る。
「今でも、彼女のことは鮮明に思い出せます。心の美しい女性でした。私などが下手(へた)に触れて汚してはならないと思うほどに……。その無垢(むく)さゆえ、彼女は自分の魅力を自覚していないふしもありましたね」
ルイスの言葉ひとつひとつから未練を感じ、あいなは寂しくなる。
「あの……。余計な口出しかもしれませんが……。その気持ち、本人には伝えましたか?伝えなかったから消化不良みたいになって残るんじゃ……」
「伝えて、きっぱりと振られましたよ。もう、彼女に未練はありません」
「そうですか……」
これ以上はいけない。ルイスは自分を戒(いまし)めるように、話を切り上げに入った。
「ご心配いただき、嬉しいです。そういえば、彼女はどことなくあいな様に似ていたかもしれません」
「えっ!?」
ルイスの想いは初恋の女性に対するもの。分かっていても、彼の言葉の節々がこちらの心を隅々まで撫(な)でる様に伝わってくるので、あいなはくすぐったい気持ちになる。例えるなら、恋愛ドラマで愛を告白されたヒロインに感情移入したような感覚である。
「ルイスさんみたいな人がフラれるなんて、嘘みたいですよ。ルイスさんはとても……」
「とても……?」
ルイスがあいなに詰めることで、わずかに近付いた二人の距離。小さく熱く細やかに、どちらのものか分からない心音が二人の間に響いていた。
惜(お)しむように距離を取り、ルイスはスッと頭を下げた。
「では、私からもひとつ、友人としてあいな様にアドバイスをさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「なっ、何ですか?」
話を変えられ困惑しつつも、あいなはしっかりルイスを見つめる。
「シャル様は非常に嫉妬深いお方です。私やメイドの前でなら問題ありませんが、他の男性の前に出る時はそのようなお召し物はお控えいただいた方がよろしいかと」
「そっ、そうですよね」
城の人間に用意してもらった次期王妃専用の夜間着。あいなのために作られた新品だ。
寝起きにすぐ調理を始めたあいなは、普段着に着替えることを忘れていた。
「教えてくれてありがとうございます。お城的なパジャマなんですよね、コレ。こんなんで人に会うなんて、だらしなかったです」
「いえ、それはそれで気品があり大変お似合いです。しかし、無防備なそのお姿に良からぬ考えを巡らせる男性もいますから、念のために」
「そうなんですね、気を付けます」
城に来る前まで男性から女性扱いをされることがなかったあいなは、ルイスの忠告の意味がいまいち理解できずにいたが、ルイスの言うことに間違いはないという絶対的な信頼感は持ち合わせていた。
「そういえば、初恋の話と言えば、私もルイスさんに聞いてほしいことがあるんです」
「何か、気にかかることがおありのようですね」
「ハロルドさんのことなんですけど……」
「ハロルド様、ですか?」
空気が変わる。
「あの人、私の初恋の人にすごくそっくりだったんです。だからどうってわけじゃないんですけど、シャルのことすごく褒めてました」
「そのようなことが……」
ハロルド。その名前を聞いて、ルイスは思考を巡らせた。
(ハロルド様は、あいな様に接触している。シャル様もそう言っていましたね……。シャル様の権力を奪うべく暗躍(あんやく)していると噂されるハロルド様がシャル様を褒めたとは……。あいな様が嘘を言っているようには見えないし、そんな女性でないことは分かっている。ハロルド様は、一体何を目的に動いているんです?)
思案するルイスのそばで、あいなはハロルドの顔を思い出していた。銀髪に青い瞳。柔らかい雰囲気と口調。そんな彼には似合わない陰のある目。
「ハロルド様は、他にも何かおっしゃってみえましたか?」
「散歩に来ただけだと言ってましたよ。でも、シャルの方はハロルドさんのことを敬遠してるというか、あからさまに避けていました。幼なじみに対しての態度じゃないと思いました」
その時のことを思い出し、あいなはため息をついた。
「ハロルドさんはシャルのことすごく慕ってるみたいだったから、シャルに冷たくされて、ハロルドさんが可哀想(かわいそう)でした」
「そのようなことがあったのですね……。あいな様がそうお考えになるのは当然です」
考え込むように間を置き、ルイスは話した。
「いつかあいな様も知ることになりますから、今のうちにお話させていただきますね。ハロルド様は、シャル様に深い恨(うら)みを抱いておられます。シャル様がハロルド様を避けていらっしゃるのは、これ以上事態を悪化させないためなのです」
「ハロルドさんが、シャルに恨みを!?」
あいなは手のひらに汗がにじむのを感じた。あいながハロルドに会った時、そんな雰囲気は微塵(みじん)もなかった。
「ハロルド様はバロニクス帝国の第三皇子。ゆえに王位継承権はほぼないと言われています。とはいえ王族の血筋の方ですから、そのお立場に見合う女性との婚約が幼い頃から決まっておりました。とある小国の姫君です。しかし……」
何を考えたのか、幼き日のシャルはハロルドの存在を無視するかのごとく、ハロルドの婚約者である小国の姫君と積極的に親しくなった。そのことが原因で、ハロルドと姫君の婚約は破談になる。姫君がシャルに恋をしてしまったからだ。かといって、シャルはその姫君の気持ちに答えるわけでもなく、元から関わりなどなかったと言わんばかりにあっさり彼女との距離を置いた。
目的は分からないが、シャルはわざとそのように振る舞っている……。ルイスの目にはそう映っていた。
「ハロルドさんが怒るの当然ですよ!」
昔の出来事とはいえ、あいなはシャルの言動に反感を覚えた。
「どうしてシャルはそんなことを!?意味分からないです……」
「それが、私にも分からないのです。何度も同じことを尋ねましたが、シャル様はそのことに関して一切語ろうとはなさらないのです。
シャル様に全面的な信頼を寄せていたハロルド様は、その件以来、カスティタ城に姿を見せなくなりました。あいな様がハロルド様に出会ったと聞いた時は本当に驚きでした。彼がカスティタ城に訪れたのは本当に久しぶりのことでしたので……」
「そうだったんですね……。でも、シャルのやつ、ワケわからない……!人の結婚を邪魔しておいて自分は私に結婚を迫るなんて……。後で私からも訊(き)いてみます!じゃないと、なんかモヤモヤするから……」
「お願いしてもよろしいでしょうか?」
ルイスは申し訳なさげに、かつ、ためらうように言った。
「シャル様は、あいな様にならそのことをお話になられるかもしれません」
「だといいんですけど……」
「ハロルド様はロールシャイン王国と同盟を結ぶバロニクス帝国の皇子であらせられます。ハロルド様に国を治める権限はありませんが、ハロルド様はデストロイ皇帝に大変目をかけられています。シャル様がハロルド様に害を成(な)す存在だとデストロイ皇帝が判断した場合、デストロイ皇帝は、シャル様もろともロールシャイン王国を潰しにかかるでしょう。
デストロイ皇帝の決断ひとつで国同士の争いに発展する可能性もあります。今後もこのままの状態が続くのはまずいでしょう……。現に、ハロルド様とシャル様の仲違(なかたが)いをキッカケに、両国の関係は水面下で悪化しているのです」
「そんな……!」
あいなは、これまで学校で学んだ歴史の授業を思い出した。国同士が争う。それは戦争を意味する。戦争がもたらす傷跡は、世代を越えて長年に渡る悲しみを人々に刻みつける。
「戦争なんて……。それだけはダメです!シャルに話して、ハロルドさんと仲良くするように私からも言います!」
「私も同意見です」
二人は視線を交わした。
一刻も早く、ハロルドとシャルの間にあるわだかまりを取り除かなければならない。とはいえ、シャルはこれから公務だし、今は秋葉(あきは)と話しているから、すぐさま説得するというわけにはいかない。
「もどかしいです。早く夜にならないかなぁ……」
焦(じ)れるあいなに、ルイスは穏やかな口調で話しかける。
「あいな様、私のせいで余計な気苦労をおかけしてしまいましたね。でも、大丈夫です。今すぐどうこうなることではありませんし、シャル様はきっと、あいな様の想いに答えてくださいますよ」
「そう、でしょうか?」
「まだ、少し時間があります。あいな様の初恋について、続きをお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
そう問いかける間にテーブルの食器類を素早く片付け、ルイスはあいなを席に座らせた。深刻だった雰囲気は瞬く間に柔らかなものへと変わる。
こわばった顔をホッとゆるませ、あいなは立ち上がった。
「あっ、そういえば、フルーツジュース、飲んで行ってくださいっ」
「そうですね。せっかくのご好意です。慎(つつし)んでいただきます」
あいなが用意すると申し出たが、ルイスはそれをやんわり断り、自らグラスを取り出した。フルーツジュースを二人分注ぎ、彼はあいなの向かいに腰を下ろす。
「どうですか……?自分ち以外で作るの初めてなのでちょっと心配です」
あいなは恐々とルイスを見つめる。そんな彼女を愛しげに見つめ、ルイスはグラスから口を離した。
「優しい味がしますね。好きですよ、あいな様」
「えっ?」
「こちらをお作りになった際は、またぜひ、こうしてお誘いしていただけたらと思います」
「あっ、はい!いつでもどーぞっ。何なら毎日でもっ」
声を裏返し、あいなは自分のジュースを一気飲みした。
(ビックリしたぁ!一瞬、私に好きって言ってきたのかと思った!ジュースのことだね、うん。バカだな、私。ルイスさんがそんなこと言うわけないし……。
私もこのジュース大好きだし、当分家には帰れないだろうからお母さんの手作りジュースにはありつけないだろうし、ルイスさんも気に入ってくれたみたいだし、毎日作ってみようかな。)
おかわりはまだたくさんあるというのに、ルイスは一口一口味わって飲んでいる。
「嬉しいです。そんなに気に入ってもらえて」
「こんな心のこもった物を召し上がるシャル様は幸せでしょうね。羨(うらや)ましいです」
「そうですか?だと、いいんですけど……」
煮え切らない返事に、ルイスは何かを察する。あいなは昨夜のことを思い出し、視線を空(くう)にさ迷わせた。
「シャル様のことで、何か気になることでも?」
「はい……。でも、ルイスさんにはちょっと言いづらいことなんです……」
「何を聞いても私は平気ですよ。どうぞ、お話になって下さい」
出会った頃と変わらないルイスの言動。何もかも受け入れてくれそうな優しさに触れ、あいなは口を開く気になった。
「……シャルは、昔、自分のせいでルイスさんに大怪我をさせたことを後悔していました。今でもそのことを夢に見るらしくて、昨日も、夜中に飛び起きていました。もちろん、ルイスさんが悪くないのは分かってますし、私もシャルに元気になってもらいたいんですが、料理くらいしかできることがなくて。こんな風で次期王妃になれるのか、私には分からないです」
「あいな様はお優しい方です。昔からそれは変わらない。シャル様に対しても、私に対しても」
「そんなことないですよ」
あいなは照れた。
剣術や銃撃戦の技術をシャルから高く評価されているだけあって、ルイスの体は細身でありながらほどよく筋肉が付いていて逞(たくま)しい。昔、空手の稽古(けいこ)で様々な男子と戦ったあいなだからこそ、なおさら、子供と大人で違う男性の体つきの違いを感じた。
「あの、ルイスさん……?」
一分ほどだろうか。軽く、それでいてしっかりと抱きしめられたまま、あいなはルイスの腕の中から抜け出せないでいた。
(ルイスさんは普段から執事として完璧に振る舞ってるけど、私には気を許してくれてる?だから、こうやって弱い部分も出してくれるのかな?)
その相手がルイスでなかったらこうして抱きしめられることに拒否反応を示したかもしれないが、これまで親身に支えてくれた相手なので、あいなは逆に甘えられていることを嬉しく思った。
「ルイスさん。私、今、懐かしい感じがします。昔も、こういうことがあったんですか?」
弾かれたように、ルイスはあいなから腕を離した。
「っ……!私としたことが、次期王妃様にとんだ無礼を……。どうかお許しください」
「いいんです。それより、ルイスさん、やっぱり無理してますね?」
あいなは不安げにルイスの顔をのぞきこむ。その無邪気な表情に嫌悪感が浮かんでいないことを確認し、ルイスは安堵(あんど)した。
「知らず知らずのうちに無理をしてしまったのかもしれません。少々立ちくらみが……。肩をお貸ししていただいたおかげで助かりました」
「それならいいんですが……」
ルイスは執事の顔に戻り、尋ねる。
「懐かしいとおっしゃいましたね。もしかして、シャル様は過去のことをあいな様にお話になられたのですか?」
「はい。私を結婚相手に決めたのはそれが大きなキッカケだったと話してくれました」
「そうでしたか。お話になられたのですね、シャル様は」
あいなにプロポーズをする前、シャルはルイスにこう言っていた。あいなが過去のことを忘れているのならば、自分もそれに合わせ今の自分で彼女にぶつかっていく、と。しかし、シャルはあいなに過去の話をした。
わけも分からぬまま結婚させられるあいなの不安を和らげるためにシャルがそうしたことを、ルイスは悟(さと)った。
「あいな様のお顔が、さらに美しくなられているわけですね」
「えっ!?」
あいなは両手で自分の顔をペタペタ触り、照れた。あいなを見下ろすルイスの目が吸い込むような艶(つや)っぽさに満ちていることも、彼女を戸惑わせる理由だった。異性に甘い言葉をかけられることに、彼女はまだまだ不慣れである。
「そんな、何も変わってないですよっ」
「ご自分では気付きにくい変化かもしれませんね。あいな様のご不安が解消されたようで安心しました」
「ありがとうございます」
照れをわずかに感じつつ、あいなは言葉を継いだ。
「ルイスさんの言っていた通りでしたね。シャルは、私のことをちゃんと好きって言ってくれました。私の気持ちはまだ、シャルに答えられるレベルにまで達していないのかもしれませんが……。これから前向きにシャルのことを見ていきたいと思います」
「そのように思っていただき、私も光栄です。シャル様の執事として」
ルイスは、今自分が口にしている言葉全てを自分で疑っていた。シャルの執事として発したセリフには重みがなく、絵空事のように感じていた。
神蔵(かみくら)あいな。彼女を目にしていると、自分の中に隠された本性を剥(む)き出しにされそうな焦燥(しょうそう)感を覚え、冷や汗が背中を伝う。
シャルの妻となる女性に、特別な感情を持ってはならない。自分は王子の専属執事なのだから――。これまでの数日間はそうやって理性で抑えてこられた感情を、今は解放したくてたまらない。
あいなに対していつの間にこれだけの想いを募らせていたのか、ルイス自身にも分からず彼は困惑を極めた。
夜間着(やかんぎ)にエプロンを巻いたあいなの姿は、ルイスの目に扇情(せんじょう)的に映った。そこから、昨夜シャルとあいなが過ごした時間を淫靡(いんび)なものだと想像してしまい、状況的にそうなるわけがないと知りながらも、怒りや悲しみに似た独占欲に胸を染められた。あいなが他の男のものになる、そう考えただけでルイスは連日食欲を無くしてしまったのである。
自分が執事でなかったら、今頃彼女を床に押し倒していたかもしれない。職業柄か、理性で本音を抑えることに慣れていて本当に良かったと思った。
(自分はもっと理性的な人間だと思っていた。恋とは、こんなにも人を変えてしまうのでしょうか……。あいな様を大切にしたい、彼女の幸せを第一に願う、その想いは本物だったはずなのに。結局は私も、腹の底ではシャル様と同じ願いを持っていたということか……。愛する女性を、自分の手で幸せにしたい、と。)
ルイスの心中(しんちゅう)を察するだけの目を持たないあいなは、彼が言い訳に使った「立ちくらみ」というセリフをそのまま信じ、納得し、抱きしめられたことも忘れかけ、話の続きを楽しんだ。
「初めて城の中を歩き回った時や、ルイスさんが書庫に案内してくれた時、デジャブみたいに懐かしい感じがしたんですが、シャルの話を聞いて、なるほど!と思ったんです。
昔シャルと出会ってたってことは、私はルイスさんとも出会ってたってことですよね」
「ええ、その通りでございます。私は過去に、あいな様と龍河(りゅうが)様にお会いしていました」
「やっぱり…!だからですね。ルイスさんとは、初対面のはずなのに懐かしいというか、最初は反発してたのにいつの間にか相談とかも聞いてもらったりするようになってて……」
あいなは柔らかく笑い、ルイスを見上げた。
「もし良かったら、友達になってもらえませんか?」
「……友人に、ですか?私はただの使用人でございます。次期王妃様の友人になるなど、分(ぶ)を越えています」
「そういう堅苦しいの、ナシにしたいんです。シャルとも話してたんですが、これまで守られてきた王室独特のやり方を崩して私達らしい結婚生活の形を作りたいんです」
「シャル様が、そのようなことを……」
「ダメですか?私、ルイスさんといい友達になりたいんです」
「私にはもったいないお言葉です。しかし……」
自分が執事だから。ルイスがあいなとの友情成立をためらう理由は、それだけではなかった。自分が、執事よりも縛りの甘い友達という枠の中で彼女と冷静に接する自信がなかったからだ。
ただでさえ、今、感情が乱れそうになっている。あいなの一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)で、ルイスの反応は吉へも凶へも転がる。好きな女性と友情を結ぶなんて器用なこと、他事に関しては器用にこなせても自分にはできない。リスキーな行為だと、ルイスは考えた。
「あの、やっぱりダメですか?」
普段感情を表に出さないルイスのためらいを、さすがのあいなも感じた。珍しく、ルイスが難しい顔をしているからである。
「もしかして、怒ってますか?」
「え……?」
あいなは申し訳なさげに眉を下げた。
「ここへ連れてこられてすぐの頃、私、ルイスさんをからかう感じで行きすぎた質問をしちゃいましたよね。好きな人はいるのか?って。悪気はなくて、ただ、この状況を楽しくしなきゃって精一杯で、あの時はルイスさんの気持ち全く考えてませんでした。変なテンションになってたのもあって、ルイスさんに好きな人がいるって勝手に決めつけちゃったりとかしました。気分悪かったですよね?本当に本当に、ごめんなさいっ!」
腰を90度に折り、あいなは頭を下げた。あの時のことは反省している。ああいう質問が通用するのは親友の秋葉(あきは)に対してだけだ。
ルイスと友達になりたい。あいなは心からそう願った。今までうわべだけの付き合いだった男友達とは違う。長い人生を共に歩く仲間として、ルイスと助け合えるような関係になりたい。
「私、今までルイスさんに助けてもらってばかりだったから。今度は私がルイスさんの力になりたいんです」
ルイスが居なかったら、あいなはシャルとの結婚を悲観するばかりだった。
「お気持ちは充分に伝わりました。どうか、頭をあげてください。未来のプリンセスとなる方にそのような真似をさせたと知られたら、私がシャル様からお叱りを受けます」
あいなの肩をやんわりと抱き起こし、ルイスは彼女の正面に立った。あいなは恐(おそ)る恐るルイスの顔を見つめる。
「ルイスさん、怒ってるのならそう言ってください。私鈍感なので、ハッキリ注意されないと気付かないから……」
「怒ってなどいませんよ。あの時から分かっていました。緊張や不安を紛(まぎ)らすべくあなたが私に立ち入った質問をしたこと。そうさせた私に責任があります。責められなくてはならないのはむしろ私やシャル様の方です。一人で知らぬ部屋に連れてこられ、さぞかし不安だったでしょう……」
穏やかに紡がれる言葉。ルイスの瞳からはもう、迷いや戸惑いは消えていた。優しくまっすぐに、あいなを見つめる。
「私などでよろしければ、ぜひ、あいな様の友人にならせてください。これまで以上に、あなたをお支えいたします」
「本当ですかっ!?」
「ええ。もちろんでございます。誠心誠意、尽くしたいと思います」
男として彼女を愛せばいつか別れが訪れるかもしれないが、友達としてならば一生そばにいることを許される。ルイスはそう言い聞かせるように、自分自身を落ち着けた。
(いつか、この決断を後悔する日が来るのかもしれない。でも、私は今たしかに、あいな様の力になりたいと思っている。一生自分の手で愛せないのだとしてもいい。…いつか後悔してもかまわない……!)
手放しで喜んでばかりもいられない現状。ヒリヒリ焼けそうな胸の内。しかし、喜べることも多かった。友情を築きたいと思えるほどにはあいなから好感を得ている。好きな女性に友人扱いされるのは男として複雑ではあるが、ルイスは、あいなと友人になれる自分は宇宙一の幸福者(しあわせもの)だと思った。
「嬉しいです!ルイスさんのお仕事のことはもちろん、これからはたくさん、恋の話もしましょうねっ」
満面の笑みで喜びをあらわにするあいな。ルイスは咳払(せきばら)いをして、あいなのリクエストに答えた。
「では、さっそく。以前あいな様にお尋ねされた件に関してですが……」
「ルイスさんの好きな人の話ですか!?」
あいなはキラキラと目を輝かせる。ルイスは彼女の肩にそっと右手を置き、柔らかな口調で語った。
「今の私にはそういう人はいません。でも、昔はいました。初恋の相手です」
「どんな恋だったんですか?」
「突然私の目の前に現れ、夢のように消えてしまう儚(はかない)い人でした」
「もしかして……」
あいなは悪い方に想像を働かせた。ルイスの想い人は死んでしまったのだ、と。しかし、悪戯(いたずら)っぽく笑うルイスを見て、そうではないと分かった。
「彼女は今でも元気にしておられますよ。最近は会っていませんが……。風の噂で、彼女はとある男性の妻になり、幸せに暮らしていると聞きました」
「その女の人は幸せなんですね。……いいお話って言いたいですけど、ルイスさん的には切ないですよね……」
「いい思い出ですよ。もう過去の話ですから」
ルイスの話に嘘が盛られていることや、その話の中に出てくる女性が自分のことであるなど、あいなは考えもしなかった。
「ルイスさんのそういうお話、なんか新鮮です」
「シャル様にも言われますが、私はそんなに無感情な人間に見えますか?」
からかうように、ルイスは笑う。
「すっ、すいません、そういうわけじゃないんですけど。ルイスさんって私なんかと違っていつも落ち着いてるし、シャルからもルイスさんの話を色々聞きましたが改めてすごい人なんだなって思ったから。そんなルイスさんが好きになる女の人は、ものすごく綺麗で頭のいい人なんじゃないかなって、勝手に想像しちゃって」
クスリと笑い、ルイスは切なげに瞳を揺らした。
「私も、好きな女性の前ではただの男です。彼女を抱きしめたい、愛したい、そう強く思うのですよ」
そうではないと分かっているのに、ルイスの視線や言葉、雰囲気全てが自分に注がれているような感覚がして、あいなの胸は激しく高鳴った。頬まで赤く染まってしまうから困る。
「今でも、彼女のことは鮮明に思い出せます。心の美しい女性でした。私などが下手(へた)に触れて汚してはならないと思うほどに……。その無垢(むく)さゆえ、彼女は自分の魅力を自覚していないふしもありましたね」
ルイスの言葉ひとつひとつから未練を感じ、あいなは寂しくなる。
「あの……。余計な口出しかもしれませんが……。その気持ち、本人には伝えましたか?伝えなかったから消化不良みたいになって残るんじゃ……」
「伝えて、きっぱりと振られましたよ。もう、彼女に未練はありません」
「そうですか……」
これ以上はいけない。ルイスは自分を戒(いまし)めるように、話を切り上げに入った。
「ご心配いただき、嬉しいです。そういえば、彼女はどことなくあいな様に似ていたかもしれません」
「えっ!?」
ルイスの想いは初恋の女性に対するもの。分かっていても、彼の言葉の節々がこちらの心を隅々まで撫(な)でる様に伝わってくるので、あいなはくすぐったい気持ちになる。例えるなら、恋愛ドラマで愛を告白されたヒロインに感情移入したような感覚である。
「ルイスさんみたいな人がフラれるなんて、嘘みたいですよ。ルイスさんはとても……」
「とても……?」
ルイスがあいなに詰めることで、わずかに近付いた二人の距離。小さく熱く細やかに、どちらのものか分からない心音が二人の間に響いていた。
惜(お)しむように距離を取り、ルイスはスッと頭を下げた。
「では、私からもひとつ、友人としてあいな様にアドバイスをさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「なっ、何ですか?」
話を変えられ困惑しつつも、あいなはしっかりルイスを見つめる。
「シャル様は非常に嫉妬深いお方です。私やメイドの前でなら問題ありませんが、他の男性の前に出る時はそのようなお召し物はお控えいただいた方がよろしいかと」
「そっ、そうですよね」
城の人間に用意してもらった次期王妃専用の夜間着。あいなのために作られた新品だ。
寝起きにすぐ調理を始めたあいなは、普段着に着替えることを忘れていた。
「教えてくれてありがとうございます。お城的なパジャマなんですよね、コレ。こんなんで人に会うなんて、だらしなかったです」
「いえ、それはそれで気品があり大変お似合いです。しかし、無防備なそのお姿に良からぬ考えを巡らせる男性もいますから、念のために」
「そうなんですね、気を付けます」
城に来る前まで男性から女性扱いをされることがなかったあいなは、ルイスの忠告の意味がいまいち理解できずにいたが、ルイスの言うことに間違いはないという絶対的な信頼感は持ち合わせていた。
「そういえば、初恋の話と言えば、私もルイスさんに聞いてほしいことがあるんです」
「何か、気にかかることがおありのようですね」
「ハロルドさんのことなんですけど……」
「ハロルド様、ですか?」
空気が変わる。
「あの人、私の初恋の人にすごくそっくりだったんです。だからどうってわけじゃないんですけど、シャルのことすごく褒めてました」
「そのようなことが……」
ハロルド。その名前を聞いて、ルイスは思考を巡らせた。
(ハロルド様は、あいな様に接触している。シャル様もそう言っていましたね……。シャル様の権力を奪うべく暗躍(あんやく)していると噂されるハロルド様がシャル様を褒めたとは……。あいな様が嘘を言っているようには見えないし、そんな女性でないことは分かっている。ハロルド様は、一体何を目的に動いているんです?)
思案するルイスのそばで、あいなはハロルドの顔を思い出していた。銀髪に青い瞳。柔らかい雰囲気と口調。そんな彼には似合わない陰のある目。
「ハロルド様は、他にも何かおっしゃってみえましたか?」
「散歩に来ただけだと言ってましたよ。でも、シャルの方はハロルドさんのことを敬遠してるというか、あからさまに避けていました。幼なじみに対しての態度じゃないと思いました」
その時のことを思い出し、あいなはため息をついた。
「ハロルドさんはシャルのことすごく慕ってるみたいだったから、シャルに冷たくされて、ハロルドさんが可哀想(かわいそう)でした」
「そのようなことがあったのですね……。あいな様がそうお考えになるのは当然です」
考え込むように間を置き、ルイスは話した。
「いつかあいな様も知ることになりますから、今のうちにお話させていただきますね。ハロルド様は、シャル様に深い恨(うら)みを抱いておられます。シャル様がハロルド様を避けていらっしゃるのは、これ以上事態を悪化させないためなのです」
「ハロルドさんが、シャルに恨みを!?」
あいなは手のひらに汗がにじむのを感じた。あいながハロルドに会った時、そんな雰囲気は微塵(みじん)もなかった。
「ハロルド様はバロニクス帝国の第三皇子。ゆえに王位継承権はほぼないと言われています。とはいえ王族の血筋の方ですから、そのお立場に見合う女性との婚約が幼い頃から決まっておりました。とある小国の姫君です。しかし……」
何を考えたのか、幼き日のシャルはハロルドの存在を無視するかのごとく、ハロルドの婚約者である小国の姫君と積極的に親しくなった。そのことが原因で、ハロルドと姫君の婚約は破談になる。姫君がシャルに恋をしてしまったからだ。かといって、シャルはその姫君の気持ちに答えるわけでもなく、元から関わりなどなかったと言わんばかりにあっさり彼女との距離を置いた。
目的は分からないが、シャルはわざとそのように振る舞っている……。ルイスの目にはそう映っていた。
「ハロルドさんが怒るの当然ですよ!」
昔の出来事とはいえ、あいなはシャルの言動に反感を覚えた。
「どうしてシャルはそんなことを!?意味分からないです……」
「それが、私にも分からないのです。何度も同じことを尋ねましたが、シャル様はそのことに関して一切語ろうとはなさらないのです。
シャル様に全面的な信頼を寄せていたハロルド様は、その件以来、カスティタ城に姿を見せなくなりました。あいな様がハロルド様に出会ったと聞いた時は本当に驚きでした。彼がカスティタ城に訪れたのは本当に久しぶりのことでしたので……」
「そうだったんですね……。でも、シャルのやつ、ワケわからない……!人の結婚を邪魔しておいて自分は私に結婚を迫るなんて……。後で私からも訊(き)いてみます!じゃないと、なんかモヤモヤするから……」
「お願いしてもよろしいでしょうか?」
ルイスは申し訳なさげに、かつ、ためらうように言った。
「シャル様は、あいな様にならそのことをお話になられるかもしれません」
「だといいんですけど……」
「ハロルド様はロールシャイン王国と同盟を結ぶバロニクス帝国の皇子であらせられます。ハロルド様に国を治める権限はありませんが、ハロルド様はデストロイ皇帝に大変目をかけられています。シャル様がハロルド様に害を成(な)す存在だとデストロイ皇帝が判断した場合、デストロイ皇帝は、シャル様もろともロールシャイン王国を潰しにかかるでしょう。
デストロイ皇帝の決断ひとつで国同士の争いに発展する可能性もあります。今後もこのままの状態が続くのはまずいでしょう……。現に、ハロルド様とシャル様の仲違(なかたが)いをキッカケに、両国の関係は水面下で悪化しているのです」
「そんな……!」
あいなは、これまで学校で学んだ歴史の授業を思い出した。国同士が争う。それは戦争を意味する。戦争がもたらす傷跡は、世代を越えて長年に渡る悲しみを人々に刻みつける。
「戦争なんて……。それだけはダメです!シャルに話して、ハロルドさんと仲良くするように私からも言います!」
「私も同意見です」
二人は視線を交わした。
一刻も早く、ハロルドとシャルの間にあるわだかまりを取り除かなければならない。とはいえ、シャルはこれから公務だし、今は秋葉(あきは)と話しているから、すぐさま説得するというわけにはいかない。
「もどかしいです。早く夜にならないかなぁ……」
焦(じ)れるあいなに、ルイスは穏やかな口調で話しかける。
「あいな様、私のせいで余計な気苦労をおかけしてしまいましたね。でも、大丈夫です。今すぐどうこうなることではありませんし、シャル様はきっと、あいな様の想いに答えてくださいますよ」
「そう、でしょうか?」
「まだ、少し時間があります。あいな様の初恋について、続きをお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
そう問いかける間にテーブルの食器類を素早く片付け、ルイスはあいなを席に座らせた。深刻だった雰囲気は瞬く間に柔らかなものへと変わる。
こわばった顔をホッとゆるませ、あいなは立ち上がった。
「あっ、そういえば、フルーツジュース、飲んで行ってくださいっ」
「そうですね。せっかくのご好意です。慎(つつし)んでいただきます」
あいなが用意すると申し出たが、ルイスはそれをやんわり断り、自らグラスを取り出した。フルーツジュースを二人分注ぎ、彼はあいなの向かいに腰を下ろす。
「どうですか……?自分ち以外で作るの初めてなのでちょっと心配です」
あいなは恐々とルイスを見つめる。そんな彼女を愛しげに見つめ、ルイスはグラスから口を離した。
「優しい味がしますね。好きですよ、あいな様」
「えっ?」
「こちらをお作りになった際は、またぜひ、こうしてお誘いしていただけたらと思います」
「あっ、はい!いつでもどーぞっ。何なら毎日でもっ」
声を裏返し、あいなは自分のジュースを一気飲みした。
(ビックリしたぁ!一瞬、私に好きって言ってきたのかと思った!ジュースのことだね、うん。バカだな、私。ルイスさんがそんなこと言うわけないし……。
私もこのジュース大好きだし、当分家には帰れないだろうからお母さんの手作りジュースにはありつけないだろうし、ルイスさんも気に入ってくれたみたいだし、毎日作ってみようかな。)
おかわりはまだたくさんあるというのに、ルイスは一口一口味わって飲んでいる。
「嬉しいです。そんなに気に入ってもらえて」
「こんな心のこもった物を召し上がるシャル様は幸せでしょうね。羨(うらや)ましいです」
「そうですか?だと、いいんですけど……」
煮え切らない返事に、ルイスは何かを察する。あいなは昨夜のことを思い出し、視線を空(くう)にさ迷わせた。
「シャル様のことで、何か気になることでも?」
「はい……。でも、ルイスさんにはちょっと言いづらいことなんです……」
「何を聞いても私は平気ですよ。どうぞ、お話になって下さい」
出会った頃と変わらないルイスの言動。何もかも受け入れてくれそうな優しさに触れ、あいなは口を開く気になった。
「……シャルは、昔、自分のせいでルイスさんに大怪我をさせたことを後悔していました。今でもそのことを夢に見るらしくて、昨日も、夜中に飛び起きていました。もちろん、ルイスさんが悪くないのは分かってますし、私もシャルに元気になってもらいたいんですが、料理くらいしかできることがなくて。こんな風で次期王妃になれるのか、私には分からないです」
「あいな様はお優しい方です。昔からそれは変わらない。シャル様に対しても、私に対しても」
「そんなことないですよ」
あいなは照れた。
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