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第20話 勇者の影
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会場の視線が一斉に集まる。
「――クライス・フォン・アルトナ殿」
ユリウスの声が響くと同時に、クライスは静かに前へ歩み出た。
大精霊との契約もそうだが、その鍛え上げられた体も相まり、より凄みを感じる。
歩みは落ち着いているが、その一歩ごとに場の空気が張り詰めていった。
「それでは」
彼はそう一言呟くと、一本の木を指差す。
皆の視線が集まる。
次の瞬間――突風が吹き荒れたかと思うと、木の幹にぱきりと亀裂が走った。
次いで、音もなく幹が斜めに滑り落ちる。
切り口は鏡のように滑らかで、そこに月明かりと光球の輝きが反射して一瞬きらりと光った。
ズシンと木が倒れる音。
直後、会場がシンと静まり返った。
誰もが息を呑んでいるのが分かる。
それは畏怖か、あるいは称賛か――とにかく、クライスが放った一撃が、今この場の全員に刻みつけられたのは間違いない。
『むむ、相変わらず、攻撃だけはピカイチですね』
脳内に響く場違いな言葉。
それは返って俺の緊張を解してくれた。
やがて、思い出したようにぱちぱちと小さな拍手が起こり、それが次第に広がっていく。
「……さすがだな」
「これが大精霊の力か……」
ざわめきはやがて大きな拍手となり、会場に響き渡った。
クライスはそれを当然のものとして受け止めるかのように、わずかに頷いただけだった。
まさに勇者の如き力だ。
(ゲームで言うところの“カマイタチ”か)
回数制限こそあれどMPの消費をしない便利な技。
ゲーム上の演出では単に斜め線のエフェクトが発生していただけだったが、実際に見るとこうも違うのか。
あんなものを見せられては、嫌でも自分との差を意識せざるを得ない。
「見事だ、クライス殿」
ユリウスが静かに賞賛の言葉を口にする。
「恐れ入ります」
クライスは短く答え、元の位置へと戻っていった。
その背中を見つめながら、兄上が俺の隣で小さく息を吐いた。
「ディラン。あれがアルトナ男爵家の子息か」
「はい。先日、魔物学の実習でも名を馳せていたようです」
「……なるほどな」
兄上の琥珀色の瞳が、鋭くクライスを射抜く。
「アルトナ男爵家か……今まで名を聞いたことがなかったが、注目されることになるだろうな」
「そうですね、ちなみにアルトナ男爵家というのは、どの辺りの……?」
俺としても彼の存在は気になる。
何より原作に登場しなかった点だ。
原作では大精霊と契約していないとしても、現段階でゴブリンを楽々と対峙できる実力。無名のままでいたとは到底考えられない。
「王国西部に領地を持つ家だ。辺境とまでは言わんが、王都からは遠いな。丘陵と小川に囲まれた肥沃な土地で、ワインの産地としても知られている」
自然豊かな静かな領地と聞いて、俺の脳裏には穏やかな田園風景が思い浮かんだ。
ちなみに王国は大陸中央部に位置し、東西南北へ街道が伸びている。
南部は唯一の港があり、東部は深い森が広がり、西方はなだらかな丘と果樹園が連なる地方。我がベルモント侯爵領があるのは北部。山脈と湖水に囲まれた要衝の地だ。
そして人類の宿敵たる魔王はさらにその北方――氷雪の山脈を越えた先にいる。
「王国西部……」
俺は引っかかることがあった。
王国西部は比較的魔物の被害が少ない地帯であり、冒険者ギルドの依頼も主に野盗退治や小型魔獣の駆除が中心だったはずだ。
その平和な土地で、どうやってあれほどの実力を身につけたのか。
そして何より――王国西部は勇者リオンの出身地でもある。
奇妙なところで勇者リオンとの符号。
偶然なのか、それとも必然なのか。
エルナの件もある。
この世界では何がどう繋がっているか分からない。
「……兄上、あのクライス殿は、軍にも籍を置いていたのでしょうか?」
「いや、少なくとも王国軍の名簿にはない。辺境伯の私兵として働いていたか、あるいは……」
兄上は言葉を切り、顎に手を当てる。
「個人で鍛錬を積み、あの域に達したとすれば――並の才ではないな」
兄上の声にはわずかに警戒の色が混じっていた。
兄上はしばし思案するように顎に手を当てたが、やがて軽く首を振った。
「いずれにせよ、今はこれ以上詮索しても仕方あるまい。……お前も、気を張りすぎるな」
「はい」
そう返事をしても、胸の奥に引っかかるものは消えない。
俺は一度息を吐き、気持ちを切り替えるために会場を歩くことにした。
ふと、件の人物が一人でいるのを発見した。
「少し、席を外しても?」
兄上に声をかけると、彼は短く頷いた。
「行ってこい。せっかくの機会だ」
促されるままに、俺はクライスの元へ歩み寄った。
近づくにつれて、場のざわめきが遠ざかるように感じる。
「……先程は見事な精霊術だった」
俺が声をかけると、クライスはわずかに眉を動かし、静かに答えた。
「礼を言う。お前は……確かディランだったか? 魔物学の実習で少し見かけたな」
彼の声音は低く落ち着いていたが、どこか探るような色が混じっていた。
「ああ、そうだな。まあ、あまり良いところは見せられなかったけど」
「いや、初めてにしては動けていた」
クライスは淡々と告げる。その声音には皮肉も侮蔑もなく、ただ事実を述べているだけの冷静さがあった。
「……そう言ってもらえると助かる。クライスは、初めてじゃなかったのか?」
「ああ、一度だけ村の狩人たちと魔物を狩ったことがある」
クライスの視線が、少しだけ遠くを見た。
その横顔には、どこか冷たさではなく、静かな熱が宿っている。
「……領地に魔物が出たのか?」
「ああ。大した脅威ではなかったが、村には兵が常駐していなかったからな」
クライスは淡々と告げる。
王国西部は平穏な土地柄ゆえ、常備兵は少なく、治安維持は領主や村人たちの自衛に委ねられることが多い。
「良く無事だったな」
初めて魔物と対峙したあの実習を思い出す。
恐怖で足が竦み、まともに身体が動かなくなる感覚。
しかもクライスの場合は、それが実習でも何でもない実戦だったという。
「……いや、もちろん洗礼は受けた。幸いにも死者は出なかったが、二度と同じ思いはしたくないと思った」
クライスの声は低いが、その奥に確かな熱がある。
それは恐怖を乗り越えた者の声――単なる強者の自慢ではなく、確かな実感に裏打ちされた言葉だった。
「だから鍛えた。剣も、体も、心も。次に何かが来ても、俺が先に立つ」
その静かな宣言に、俺は言葉を失った。
この男は本気だ。
剣を振るうのは、力を誇示するためではなく――守るため。
俺はその姿に勇者の面影を見た。
『うーん、ディランさん。ちょっとカッコいいですね、あの人』
ルーの無邪気な感想が頭に響く。
俺は苦笑しながらも、胸の奥にひりつく感情を覚えた。
原作では勇者リオンが担ったはずの役割。
だが今この場にいるのは、クライス・フォン・アルトナという男だ。
そして俺は決してそれが間違いなどではないと思ってしまっている。
「……勇者リオンのことは知っているか?」
ふと口をついて出た問いに、クライスはわずかに目を細めた。
「……ああ、もちろん知っている。しかし彼は責務を放棄し、戦うことを止めてしまった」
クライスの言葉は淡々としているのに、どこか棘があった。
「もちろん聞き及んでいる。その原因というのもやはりゴブリンに?」
「ああ、広まっている通りだ」
クライスは短く答えたが、その声音は低く、奥底に燃えるような感情が滲んでいた。
彼のように勇者に対して失望や怒りを抱いている者は決して少なくないのだろう。
それに同年代、同郷となると更にその気持も強いのかも知れない。
「そうか……分かった、ありがとう。これからも学友として、よろしく頼む」
そうしてクライスは軽く頭を下げ、再び人混みの中へと戻っていく。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
勇者がいなくなった世界で、何がどう変わっていくのか。
そして俺は、この先どこまで足掻けるのか。
気づけば拳を握りしめていた。
「――クライス・フォン・アルトナ殿」
ユリウスの声が響くと同時に、クライスは静かに前へ歩み出た。
大精霊との契約もそうだが、その鍛え上げられた体も相まり、より凄みを感じる。
歩みは落ち着いているが、その一歩ごとに場の空気が張り詰めていった。
「それでは」
彼はそう一言呟くと、一本の木を指差す。
皆の視線が集まる。
次の瞬間――突風が吹き荒れたかと思うと、木の幹にぱきりと亀裂が走った。
次いで、音もなく幹が斜めに滑り落ちる。
切り口は鏡のように滑らかで、そこに月明かりと光球の輝きが反射して一瞬きらりと光った。
ズシンと木が倒れる音。
直後、会場がシンと静まり返った。
誰もが息を呑んでいるのが分かる。
それは畏怖か、あるいは称賛か――とにかく、クライスが放った一撃が、今この場の全員に刻みつけられたのは間違いない。
『むむ、相変わらず、攻撃だけはピカイチですね』
脳内に響く場違いな言葉。
それは返って俺の緊張を解してくれた。
やがて、思い出したようにぱちぱちと小さな拍手が起こり、それが次第に広がっていく。
「……さすがだな」
「これが大精霊の力か……」
ざわめきはやがて大きな拍手となり、会場に響き渡った。
クライスはそれを当然のものとして受け止めるかのように、わずかに頷いただけだった。
まさに勇者の如き力だ。
(ゲームで言うところの“カマイタチ”か)
回数制限こそあれどMPの消費をしない便利な技。
ゲーム上の演出では単に斜め線のエフェクトが発生していただけだったが、実際に見るとこうも違うのか。
あんなものを見せられては、嫌でも自分との差を意識せざるを得ない。
「見事だ、クライス殿」
ユリウスが静かに賞賛の言葉を口にする。
「恐れ入ります」
クライスは短く答え、元の位置へと戻っていった。
その背中を見つめながら、兄上が俺の隣で小さく息を吐いた。
「ディラン。あれがアルトナ男爵家の子息か」
「はい。先日、魔物学の実習でも名を馳せていたようです」
「……なるほどな」
兄上の琥珀色の瞳が、鋭くクライスを射抜く。
「アルトナ男爵家か……今まで名を聞いたことがなかったが、注目されることになるだろうな」
「そうですね、ちなみにアルトナ男爵家というのは、どの辺りの……?」
俺としても彼の存在は気になる。
何より原作に登場しなかった点だ。
原作では大精霊と契約していないとしても、現段階でゴブリンを楽々と対峙できる実力。無名のままでいたとは到底考えられない。
「王国西部に領地を持つ家だ。辺境とまでは言わんが、王都からは遠いな。丘陵と小川に囲まれた肥沃な土地で、ワインの産地としても知られている」
自然豊かな静かな領地と聞いて、俺の脳裏には穏やかな田園風景が思い浮かんだ。
ちなみに王国は大陸中央部に位置し、東西南北へ街道が伸びている。
南部は唯一の港があり、東部は深い森が広がり、西方はなだらかな丘と果樹園が連なる地方。我がベルモント侯爵領があるのは北部。山脈と湖水に囲まれた要衝の地だ。
そして人類の宿敵たる魔王はさらにその北方――氷雪の山脈を越えた先にいる。
「王国西部……」
俺は引っかかることがあった。
王国西部は比較的魔物の被害が少ない地帯であり、冒険者ギルドの依頼も主に野盗退治や小型魔獣の駆除が中心だったはずだ。
その平和な土地で、どうやってあれほどの実力を身につけたのか。
そして何より――王国西部は勇者リオンの出身地でもある。
奇妙なところで勇者リオンとの符号。
偶然なのか、それとも必然なのか。
エルナの件もある。
この世界では何がどう繋がっているか分からない。
「……兄上、あのクライス殿は、軍にも籍を置いていたのでしょうか?」
「いや、少なくとも王国軍の名簿にはない。辺境伯の私兵として働いていたか、あるいは……」
兄上は言葉を切り、顎に手を当てる。
「個人で鍛錬を積み、あの域に達したとすれば――並の才ではないな」
兄上の声にはわずかに警戒の色が混じっていた。
兄上はしばし思案するように顎に手を当てたが、やがて軽く首を振った。
「いずれにせよ、今はこれ以上詮索しても仕方あるまい。……お前も、気を張りすぎるな」
「はい」
そう返事をしても、胸の奥に引っかかるものは消えない。
俺は一度息を吐き、気持ちを切り替えるために会場を歩くことにした。
ふと、件の人物が一人でいるのを発見した。
「少し、席を外しても?」
兄上に声をかけると、彼は短く頷いた。
「行ってこい。せっかくの機会だ」
促されるままに、俺はクライスの元へ歩み寄った。
近づくにつれて、場のざわめきが遠ざかるように感じる。
「……先程は見事な精霊術だった」
俺が声をかけると、クライスはわずかに眉を動かし、静かに答えた。
「礼を言う。お前は……確かディランだったか? 魔物学の実習で少し見かけたな」
彼の声音は低く落ち着いていたが、どこか探るような色が混じっていた。
「ああ、そうだな。まあ、あまり良いところは見せられなかったけど」
「いや、初めてにしては動けていた」
クライスは淡々と告げる。その声音には皮肉も侮蔑もなく、ただ事実を述べているだけの冷静さがあった。
「……そう言ってもらえると助かる。クライスは、初めてじゃなかったのか?」
「ああ、一度だけ村の狩人たちと魔物を狩ったことがある」
クライスの視線が、少しだけ遠くを見た。
その横顔には、どこか冷たさではなく、静かな熱が宿っている。
「……領地に魔物が出たのか?」
「ああ。大した脅威ではなかったが、村には兵が常駐していなかったからな」
クライスは淡々と告げる。
王国西部は平穏な土地柄ゆえ、常備兵は少なく、治安維持は領主や村人たちの自衛に委ねられることが多い。
「良く無事だったな」
初めて魔物と対峙したあの実習を思い出す。
恐怖で足が竦み、まともに身体が動かなくなる感覚。
しかもクライスの場合は、それが実習でも何でもない実戦だったという。
「……いや、もちろん洗礼は受けた。幸いにも死者は出なかったが、二度と同じ思いはしたくないと思った」
クライスの声は低いが、その奥に確かな熱がある。
それは恐怖を乗り越えた者の声――単なる強者の自慢ではなく、確かな実感に裏打ちされた言葉だった。
「だから鍛えた。剣も、体も、心も。次に何かが来ても、俺が先に立つ」
その静かな宣言に、俺は言葉を失った。
この男は本気だ。
剣を振るうのは、力を誇示するためではなく――守るため。
俺はその姿に勇者の面影を見た。
『うーん、ディランさん。ちょっとカッコいいですね、あの人』
ルーの無邪気な感想が頭に響く。
俺は苦笑しながらも、胸の奥にひりつく感情を覚えた。
原作では勇者リオンが担ったはずの役割。
だが今この場にいるのは、クライス・フォン・アルトナという男だ。
そして俺は決してそれが間違いなどではないと思ってしまっている。
「……勇者リオンのことは知っているか?」
ふと口をついて出た問いに、クライスはわずかに目を細めた。
「……ああ、もちろん知っている。しかし彼は責務を放棄し、戦うことを止めてしまった」
クライスの言葉は淡々としているのに、どこか棘があった。
「もちろん聞き及んでいる。その原因というのもやはりゴブリンに?」
「ああ、広まっている通りだ」
クライスは短く答えたが、その声音は低く、奥底に燃えるような感情が滲んでいた。
彼のように勇者に対して失望や怒りを抱いている者は決して少なくないのだろう。
それに同年代、同郷となると更にその気持も強いのかも知れない。
「そうか……分かった、ありがとう。これからも学友として、よろしく頼む」
そうしてクライスは軽く頭を下げ、再び人混みの中へと戻っていく。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
勇者がいなくなった世界で、何がどう変わっていくのか。
そして俺は、この先どこまで足掻けるのか。
気づけば拳を握りしめていた。
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