悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

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第27話 煌めく光

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「東門が破られたのか……?」

 俺の呟きは、誰に聞かれるでもなく夜の闇に吸い込まれていった。
 遠くで上がる火の手が、悪夢のような光景を現実だと突きつけてくる。

『ディランさん! 大変です! 壁の東側で……!』

 ルーの絶叫が脳内に響く。
 次の瞬間、再び学院の東側から巨大な爆音が響いた。
 地面が激しく揺れ、遠くの窓ガラスが砕ける音が夜に響く。

「くっ、一体何が……」

 これは明らかに魔物の攻撃ではない。
 魔法、あるいは爆弾を思わせる。
 いずれにせよ、壁を破壊したのは、知性を持った敵だということだ。

『ディランさん! 魔物が……壁の崩壊地点から、一気に学院内になだれ込んできます!』

 ルーの悲鳴にも似た報告が、俺の最悪の予想を裏付ける。
 俺の魔力感知が捉える、学院内の強力な魔力反応――クライスを初めとする主力は、依然として正門側に集中している。東門は完全に手薄だ。

(まずいな……!) 

 しかし、俺一人が今から東門へ向かったところで、雪崩れ込んでくる魔物の大群を止められるはずがない。犬死にするだけだ。
 ならば、俺が今すべきことは一つ。

 一人でも多く、生徒を教会まで送り届けることだ。

「ルー、魔物の群れは今どこまで来ている?」

『えっと……! もう東側の校舎の外壁に到達しました! でも寮舎まではまだ少し距離があります!』

 よし、間に合う。
 今ならまだ寮舎にいる生徒たちを連れ出せるはずだ。

 俺は敷地を駆け抜ける。
 疲労が身体を軋ませるが、止まるわけにはいかない。

 遠くで火柱が上がり、焦げた匂いが夜風に混じる。
 胸の奥で心臓が痛いほど打ち、呼吸が荒くなった。

「大丈夫か!」

 近寄り、脈を確かめる。まだ温かい。
 ポーションの瓶を口に押し当てると、少年は咳き込みながら目を開けた。

「立てるなら教会に向かえ。そこが一番安全だ」

 少年はうなずき、ふらつきながら駆け出していく。
 その背を見送る暇もなく、俺は再び走り出した。

『魔物が近づいています、急いでください!』

 緊張で胃がねじれる。
 次の瞬間、寮舎の方角から光が瞬き、魔法の炸裂音が夜を裂いた。

 俺はさらに加速する。

 寮舎の前庭では、上級生と思しき生徒たちが必死に魔法を放っていた。
 炎の矢が闇を裂き、土壁が地面からせり上がる。
 ゴブリンを初めとした、小型の魔物はその攻防において攻めあぐねているようだ。


 俺は剣を抜く。
 一閃。
 背後から奇襲する形でゴブリンの首を断った。血飛沫が夜気に霧散する。

 その一撃で場の空気が一変した。
 生徒たちが一瞬息を呑み、次の瞬間、安堵と歓声が混じった声をあげる。

 その隙にもう一体を踏み込みざまに斬り伏せ、俺は口を開いた。

「全員、後退しろ! 負傷者を連れて教会へ向かえ!」

 返事を待たず、さらに二歩踏み込み、迫る魔物を斬り払う。
 剣筋が夜の冷気を裂き、地面に転がる魔物の体が闇に沈んでいく。

 生徒たちは互いに顔を見合わせ、次の瞬間、素早く動き始めた。

「二階の者を連れてこい! ポーションを分けろ!」

 上級生の指示が飛び交い、怯えていた下級生たちも必死に負傷者を支え始める。

 俺は剣を構え直し、次の一体に狙いを定め――

 ――遅れた。

 影の中から飛び出したゴブリンの腕が閃き、鈍い痛みが脇腹を走る。
 熱い血が滲み、呼吸が詰まった。

「っ……!」

 反射的に剣を振り抜き、ゴブリンを斬り伏せる。
 だが身体がふらついた。

『ディランさん! しっかり!』

 ルーの声が頭の奥で響く。
 息を整える暇もなく、東の方角から再び地鳴りのような魔力が押し寄せてきた。

 脇腹から熱いものが流れ落ちる感覚が、服の下に広がっていく。
 息を吸うたびに鋭い痛みが胸に突き刺さった。

「……全員、急げ!」

 無理やり声を張り上げ、痛みを押し殺す。
 ここで倒れるわけにはいかない。
 立っているだけでいい。剣を構えているだけでいい。俺が崩れなければ、彼らは動ける。

 そうして上級生たちが魔法を放ち、下級生たちが退路を進む。
 寮舎内に魔力感知の反応はもうない。
 どうやら何とかなったようだ。

 足元を血で濡らしながら、俺もゆっくりと後退していく。

 そのとき、地面を這うような低い唸りが夜を震わせた。
 耳鳴りのように響く重い足音。
 魔力感知が告げる——巨大な魔力反応が、寮舎の裏手に出現した。

『ディランさん……何かが来ます!』

 ルーの声が震えている。
 息が詰まるほど濃密な気配が、背後の闇を満たしていく。
 壁がひときわ大きく震え、粉じんが降り注いだ。

「くそっ……!」

 眼の前に影が現れる。
 ゴブリンではない。
 バグベアでもない。
 魔力の圧が、皮膚を焼くように重い。

「……ガーゴイル」

 闇の中から、石の翼を広げた巨体が姿を現した。
 月明かりを反射する岩のような肌。
 その眼孔の奥で、不気味な紅光が燃えている。

 あれは、勝てない。
 ゴブリン、バグベアの比ではない。
 文字通りレベルが違う。

 俺は奥歯を噛み締めた。
 足が自然と後ずさる。
 全身の毛穴が総立ちになり、呼吸が浅くなる。

 そして背後の生徒たちもそれを本能として感じ取ってしまっていた。

「全員、教会まで走れ!」

 痛みに耐え、俺は叫ぶ。
 全員が息を呑んだまま、弾かれたように駆け出す。

 俺は最後尾に残り、剣を構えた。
 震える手を、力で押さえつける。

『ディランさん、ダメです!』

 ルーの叫び。
 しかし、もはや俺に逃げるだけの時間も体力もない。

 ガーゴイルは一歩、また一歩と近づいてくる。
 そのたびに石畳がひび割れ、粉塵が舞い上がった。

「……ふう」

 深呼吸。
 俺は魔力感知を目の前の化け物に集中した。
 今まで時間を費やして磨いた魔力感知が告げてくる。
 目の前の魔物が以下に格上であるかを。

「――ッ」

 ガーゴイルが踏み込む。
 俺は石畳に転がり、肩を強く打つ。
 ガーゴイルの爪先が頭上を通り過ぎ、背後の石壁を粉砕した。
 破片が雨のように降り注ぎ、視界を壊す。

「くっ……!」

 転がるように立ち上がり、再び距離を取る。
 このまま避け続けるだけでは、いずれ体力が尽きる。

 ガーゴイルは再び踏み込んできた。
 今度は右の爪が薙ぎ払うように迫る。

 俺は反射的に身を屈め、それを避ける。
 今度は最小限の動きで避ける事ができた。

 そして次は左の爪。
 またしても早めに回避姿勢を取ることで、辛うじて避ける。

(……これは)

 俺は魔力感知に意識を向けた。
 ガーゴイルの体内を巡る魔力の流れ。
 さっきから、攻撃の直前に妙な変化があることに気づいていた。

 右腕で攻撃するときは右腕に、左腕のときは左腕に——魔力が集中している。

 勘違いでなければ、これはもしかして――。

 ガーゴイルが再び動く。
 今度は魔力が両足に流れ込んだ。
 考えられるのは跳躍攻撃。

 俺は横に転がりつつ、
 予想通り、ガーゴイルが跳び上がり、俺がいた場所に着地した。

「そういうことか……!」

 確信に変わった。
 魔物相手だと魔力感知で、相手の攻撃パターンをある程度は読むことができる。
 しかし、それでも防戦一方なのは変わらない。

 ガーゴイルの魔力が再び右腕に集中し始める。
 右の爪による横薙ぎ。

 俺は身を屈めて避けると同時に、ガーゴイルの懐に踏み込んだ。
 攻撃後の一瞬の隙。

「ッらぁ!」

 剣を握り直し、全力で突きを放つ。
 剣先がガーゴイルの胸部を捉えた。
 だが——

「硬っ……!」

 石のような皮膚に阻まれ、剣は数センチしか刺さらない。

 次の瞬間、右の翼が横殴りに振り抜かれる。
 避けきれずに脇腹を打ち抜かれ、宙を舞った。
 石畳に叩きつけられ、肺の空気が一気に押し出される。

「……っは、ぐ……」

 視界が暗転し、世界がぐるりと回った。
 仰向けのまま夜空が視界を覆う。

 たった一撃。
 これだけの力の差がある。

 絶望と耳鳴りが響く中、天上には星が瞬いているのが見えた。

 ガーゴイルの足音と、生徒たちの悲鳴。
 今すぐ起き上がらなくては。
 しかし、身体に力が入らない。

 視界の端で、ガーゴイルの巨体が迫る。
 その爪が振り下ろされるその瞬間――

 ――星が、落ちた。

 夜空が一瞬、真昼のように輝く。
 次の瞬間、轟音とともに光の矢がガーゴイルの頭上に突き刺さった。
 石の巨体が仰け反り、紅い眼孔がかき消える。

 遅れて、風が押し寄せた。
 耳をつんざく轟音と衝撃波が、俺の体を地面に押し付ける。

「……は……?」

 星が、降ってくる。
 ひとつ、ふたつ――矢のような光が夜を裂き、次々と学院の空を流れていた。

 俺は仰向けのまま、それをただ見上げることしかできない。
 眩しさに目を細め、誰かの影が月明かりの中に降り立つのを見た。

「遅いですよ」

 凛とした、しかし不機嫌さを隠さない少女の声が響く。

「無茶を言う。これでも急いで来たんだが」

 応えたのは、落ち着いた、だが威厳のある壮年の声だった。

 しかし、その会話の折にも、ガーゴイルはその石の身体を再起させ、翼を広げて威嚇の咆哮を上げる。

「……煩いですね」

 少女はそう言って軽く指を振るうと、いくつもの魔法陣が空に描かれ、十数本の光の槍がガーゴイルの全身を寸分の狂いもなく貫いた。
 石の巨体は声も上げられず、内側から崩壊するように砕け散り、砂となって夜風に消える。

 圧倒的な力。
 次元が違う。俺やクライスでさえ、児戯に見えるほどの。

 その人影が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
 月明かりに照らされ、その姿が明らかになった。

 銀色の髪が、夜風にさらりと流れる。
 小柄な身体を包むのは、真紅に黄金の刺繍が入ったローブ。
 そして、俺を見下ろす涼やかな碧眼には、呆れと、ほんの少しの苛立ちが浮かんでいた。

「……エルナ、様……」

 賢者エルナ・グリーベル。
 史上最年少で宮廷魔法師に叙された、天才。
 彼女がそこにいるということは、つまり、この人たちは――

「勇敢な少年よ、我ら宮廷魔法師、ここに遅ればせながら参上仕った」
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