悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

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第73話 痕跡を追え

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「はぁ、はぁ……」

 一時の静寂の中、自分の息遣いだけが耳に届く。

「まだ、動きそうだね」

 リリアからうんざりしたような声が響く。
 俺の魔力感知もその言葉が間違っていないことを告げていた。
 このままでは、本当に彼の身体を――破壊するしかなくなる。

「お兄さん、さっきの話、あの人って魔力で何かに操られてるの?」

 リリアからの問いに対し、俺は頷いた。

「はい、身体中に糸のようなものが通っています」

「糸……」

 リリアは短く息を呑み、ちらりとカインの方を見る。
 魔断符の影響で動きは鈍っているが、それでも胸の黒い紋様が脈打つたび――身体のどこかが不自然に震えた。

 生者の鼓動ではない。
 操られるためだけに強制的に刻まれる、歪んだ“拍動”。

「お兄さん、その魔力の糸って……辿れる?」

 胸の奥がひやりと冷えた。
 だが、すぐにカインへ意識を集中させる。

「……はい。部屋の外へと続いています。途中までは、確かに」

 答えると、リリアは一度黙り込んだ。
 短い思案。
 そして、言葉が続く。

「じゃあ、お兄さんはその糸を辿って」

「え?」

 思わず振り返る。

「それじゃ、リリア様は……?」

「大丈夫だよ。だって私、宮廷魔法師だよ?」

 明るい声だった。
 笑顔だった。
 けれど――強がりでも何でも、その目には確かな意志が宿っていた。

「……分かりました。お気をつけて」

 俺は頷いた。
 彼女の言う通り、リリアは宮廷魔法師だ。
 俺が彼女の心配するなんて、それこそおこがましい。

「任せて!」

 リリアの笑顔に背を押されるように、俺は深く息を吸い込んだ。

 ――辿る。

 魔力感知を、ただの“感知”ではなく、“一点集中”へ切り替える。
 世界の輪郭が薄れ、雑音が遠のき、視界の奥に“線”が浮かび上がる。

(……これだ)

 皮膚の裏を這い、体内を貫き、部屋の外へ伸びる魔力の糸。
 魔断符の影響で揺らいではいるが――確かに道は続いている。

「じゃあ、お願いします!」

 短く告げ、俺は駆け出した。
 目指すは外。
 扉に手をかける――その刹那、カインがすぐ側に迫る気配。

「ッ」

 だがその直後、音が弾ける。
 横目に映ったのは光。
 リリアが放ったであろう、鮮烈な青白い閃光。

「動かないでって言ってるでしょ!」

 彼女の声が弾けるのと同時に、空気そのものが震えた。
 圧縮された魔力の塊が、カインの胸部へ叩き込まれる。

 直撃。
 カインの身体が一瞬だけ後ろへくの字に折れ曲がり、床へ縫い付けられるように沈む。

 だが――完全には止まらない。

 胸の黒い紋様が脈打つたび、肉体のどこかが跳ねる。
 まるで命令を拒否された操り手が、糸を何度も引き直しているかのようだった。

「……行って!」

 その声に背中を押されるように、俺は研究室から飛び出した。

 ざわめき。
 外は研究室とはまた違う、騒ぎに包まれていた。
 城外からは相変わらず、超常の戦いの音が響き渡っている。
 そして城内からは、人々の走り回る音、そして怒号や悲鳴が響き渡っていた。

「……なんだこれ」

 俺は思わず呟く。

『ディランさん……』

 ルーの声も、どこか震えていた。
 彼女も俺と同じ景色が見えているのだろうか。
 廊下は明らかに“正常”ではなかった。

 何故なら、城内の至るところに――魔力の糸が張り巡らされていたからだ。

 一つどころじゃない。
 カインを操っていたであろう糸だけでなく、廊下の天井、壁、床、そして部屋と部屋の隙間――まるで蜘蛛の巣のように、無数の糸が絡みついていた。

(これは……)

 嫌な予感が頭を過ぎる。
 カインは影の教団によって呪殺された犠牲者だった。
 もしあの“動く死体”が呪印の隠された力だったとしたら――

 喉をゴクリ、と鳴らす。

(早く、黒幕の元に……!)

 呪殺事件と、魔誘石の痕跡。
 まさかその二つが、この状況を作り出すための布石だったのだとしたら――

 足が自然と速まる。
 糸は一本ではない。
 廊下の影を縫い、天井の梁を這い、壁の隙間から別の部屋へ入り込み、まるで“呼吸する迷宮”のように複雑に絡みついている。

 そのどれもが、うっすらと震えていた。

 脈動。
 波紋。
 そして――呼応。

 何かが、糸の奥で動いている。

「……まずいな」

 思わず声が零れた。
 今、城内には圧倒的に人が不足しているのだ。
 最大戦力であるエルナ、ヴァルグレイス、そして騎士たちは魔物の対応により外にでているのだから。

「うわあああ!」

 走る俺に対し、横道から文官の一人が現れた。
 ぶつかりそうになるのを寸前で避ける。

 すると、その後ろから人影が現れた。

「……あれは」

 カインと同じように焦点の合ってない目。
 脱力したような立ち姿。
 間違いない、この人も”動く死体”だ。

「助けてくれっ……!」

 声は悲鳴に近い。
 だがその背後からぬらりと揺れた影は、悲鳴を拾うつもりなど最初からなかった。

(速い――!)

 “死体”が、まるで倒れ込むような不自然な姿勢で文官へ飛びかかる。

「危ないッ!」

 咄嗟に文官の腕を掴み、横へ引き倒す。
 その直後、死体の腕が振り下ろされ、さっきまで文官がいた空間を抉るように突き抜けた。

 骨の軋み。
 空気が割れる音。

 すべてがカインの時と同じだ。

(やっぱり、こいつも……糸で動いてる!)

『ディランさん、右です!』

「ッ!」

 ルーの声に反応し、跳ぶように身を引く。
 死体の腕が横薙ぎに振り抜かれ、壁が石粉を散らして砕けた。

 文官が尻もちをついたまま、震える声で問いかける。

「た、助かった……のか……? な、なんだあれは……!」

「逃げてください、奥の部屋へ!」

「ひ、ひぃっ……!」

 文官が四つん這いで逃げていく。
 それを確認する暇もなく、死体がぎこちない動作でこちらへと顔だけをねじ曲げた。

 その“目”を見た瞬間、背筋が冷たくなる。
 だが、“何か”だけは、俺を正確に捕えている。

 胸の紋様が脈動するたび、魔力の糸が波打つ。
 そして――

(ああ……見える。さっきよりも、はっきりと)

 カインの時よりも糸が太い。
 この死体は操り手との距離が近いのか、それとも単純に制御が荒いせいか……。

 どちらにせよ――。

(辿れる。まだ辿れる)

 脈動が、“呼吸”のように全身に広がっている。
 その一点一点に、操り手の魔力が確かに宿っている。

 だが、ここで足を止めて戦っていては意味がない。

 俺の役目はただ一つ。

糸の向こう側――操り手に辿り着くこと。

「……邪魔だ」

 吐き捨て、小さく魔力を練る。
 身体強化の足運びで床を蹴り、死体の横をすり抜ける。

 死体が咄嗟に腕を伸ばしてくるが、
 その直前に“糸の流れが変わる”のが視えた。

(右腕を引く……!)

 動くより前に気配を読んで身を伏せると、
 死体の腕が俺の頭上を裂くように横切った。

「っ……!」

 すぐさま距離を開け、息を整える。
 死体は俺を追おうと一歩踏み出しかけ――

 糸が震え、動きが“ぶれた”。

(……リリア様!?)

 魔断符の余波か、それとも部屋の境界が干渉しているのか。
 いずれにせよ、ほんの僅かにだが“魔力が揺れている”。

『今です、ディランさん!』

「行く!」

 俺は死体を振り返らずに駆け出した。

 廊下の奥へ。
 最も太い糸が伸びている方向へ。
 そして――“脈動の中心”へ。

 廊下の曲がり角を過ぎると、魔力の糸がさらに増えた。
 天井から垂れ下がり、壁を這い、床から芽吹くように伸びるそれらは、
 まるで城全体が巨大な“操りの装置”になっているかのようだった。

「……最悪だな」

 だが、逃げる理由も迷う理由もない。

 あの亡骸を操り――
 カインの死体さえ玩具にした“黒幕”がいる。

 必ず、ここに。

(リリア様……もってください)

 胸中にその名前を刻み、俺はさらに奥へと走った。
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