悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

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第74話 影の教団員

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 ――空気が、重い。

 王城の廊下を駆け抜けるたび、肌にまとわりつくような魔力のざわめきが増していく。
 単純に糸が多いから、ではない。
 単純に部屋中満ちる魔力が異常に多いのだ。 

(……何かある)

 息が上がるのも忘れ、俺は足を止めなかった。
 魔力感知を一点に集中し、糸の流れの向こう――その“中心”を探る。

 と、その時だった。

「……ッ!」

 視界の端で、糸がひとつ“跳ねた”。

 まるで俺の存在を知り、揺さぶりをかけてくるような反応。
 細い糸が壁からほどけ、蛇のようにゆらりと動き、また壁へ戻る。

 嫌な汗が背中を伝う。

(見られてる……? いや、これは――)

 糸は俺を追っているわけじゃない。
 糸そのものが“どこかへ情報を送っている”。

 つまり――俺が近づくことを、すでに“向こう”は知っている。

『ディランさん……怖いです』

「大丈夫だ。……行くぞ、ルー」

 言い聞かせるより先に、足がまた動き出す。

 角を曲がるたび、空気の色が濃くなるような錯覚を覚える。
 城壁の白が徐々に陰り、淡い黒が滲むように広がり、まるで廊下そのものが変質していくようだった。

 そして――ついに到達した。

 大広間の前。
 普段なら儀式や謁見に使われるはずの重厚な扉が、今は半ば開いている。

 中から漏れ出る魔力の気配は――桁が違った。

(ここが……中心)

 たどった糸の全てが、この扉の奥へ収束している。
 間違いない。

 操り手は、この中にいる。

「……行くしかない」

 俺はそっと扉へ手を伸ばす。

 指先が触れた瞬間――

 中から、ふっと笑うような気配が弾けた。

(誰か……いる)

 扉がきしりと音を立てながら開く。

 その瞬間、肌を刺すような冷気が頬を撫でた。
 まるで冬の外気が流れ込んだかのような鋭い冷たさ――しかし、これは温度ではない。

 魔力の流れだ。

(……重い)

 足が、一歩だけ勝手に後ずさった。
 それほどまでに、大広間の空気は濃密で、淀んでいて、異様だった。

「よく、ここまで」

 声がした。

 柔らかい。
 優しげですらある。
 だが、その響きが耳の奥にまとわりつくような不快感を含んでいる。

 俺は一歩踏み込み、室内を見渡す。

 まず、目に飛び込んできたのは――床いっぱいに広がる“紋様”だった。

(呪印……?)

 黒い糸のような線が床を這い、交差し、絡まり、幾重にも重なって球体のような“塊”を中心に収束している。

 その中心に――一人の男がいた。

 黒いローブ。
 顔の大半を隠すフード。
 ただ、その口元だけが月のようにゆるく笑っていた。

「歓迎しますよ、ディラン・ベルモンド」

 俺の名前を、当然のように呼ぶ。

「……何者だ」

 問いかけた声は、自分のものとは思えないほど低く掠れていた。
 男は口元の笑みを深め、指先で床の呪印をなぞるようにゆらりと動かした。

「名乗りは不要でしょう。私の名に価値なんてありませんので」

 声は柔らかいのに、響きが妙に乾いている。
 水気のない砂のように耳の奥でこすれる不快な音色。

「ただ、正直に言うと、驚嘆にしています。我々教団がここまで手を尽くしてもなお、貴方は現れたのですから」

 男は続ける。
 軽やかでありながら、深い底を感じさせる声音。

「ディラン・ベルモンド、貴方は何者なのですか?」

 男はそう言って俺に問いかける。
 答える義理はない。
 奴の言うことなんて何一つ聞く必要はない。
 だが同時に、その問いは俺にとって意外だった。
 あの手紙。てっきりこいつらは俺の正体に気づいているものだと思っていたが。

「沈黙とは賢明ですね」

 男は煽るように手をパチパチと鳴らす。

 ――違う。

 俺は咄嗟に両耳を塞ぐ。
 こいつ、拍手と同時に魔法を込めていやがった。

 無音の中で、眼の前の男は口を開け、ワザとらしく驚いたように見せる。

『ディランさん、大丈夫ですか?」

(お前は大丈夫なんだな、奴はなんて?)

『えっと――驚いた、これを見破られるとは、やはり貴方は魔力が見えているのですね、って』

 俺はゆっくりと指をほどく。

 空気が、再び波打つように聴覚へ戻る。
 男の指先にはもう魔力の揺らぎはない。
 ただ、あいかわらず嫌に柔らかい声だけが大広間に満ちていた。

「やはり、面白い」

 男は愉悦を隠そうともせずに呟いた。

「魔力を“読む”者――それも、手品に埋め込んだ微細な魔力の流れまで看破する者など、滅多にいませんよ」

 相変わらず男は飄々とした口調で、俺に賛辞を送っていた。

「いい加減にしろ」

 思わず悪態が口をつく。

「はて、何のことですか?」

 男はわざとらしく肩を竦める。

「魔力が見えるって言ったんだろうが」

 俺は懐から短剣を取り出し男へ向ける。
 今、こうしている中でも、部屋中に張り巡らせた糸が動いているのを感じる。
 こいつは、会話をしながら今もなお死体を弄び続けているのだ。

「ああ、失礼しました。これで良いですか?」

 男が指を鳴らした瞬間、
 部屋中に張り巡らされていた“糸の気配”が一斉に消えた。

 ――わざと、止めた?

 一瞬、思考が緩む。

『ディランさん、後ろです!』

 ルーの悲鳴じみた声が飛び込んだ瞬間、思考より先に身体が動いた。

「っ!」

 横へ跳ぶ。
 直後、床石が抉れ、空気が押し潰されるような重音が轟く。

(この圧……死体じゃない!)

 そこに立っていたのは――

 騎士服の男。

 生きている。

 呪印を刻まれながらも、“殺すためだけ”の魔力を膨らませた生者。

「まだ、仲間がいたのか」

 口から漏れた声は低く、震えていた。

 先日の呪殺事件からは対象外となった騎士なのだろう。
 要するにこの時のために“生かされてきた”駒。

 そして――

 ここから先を阻むために、今、俺の前に立っている。
 気を抜けば――一瞬で首を刎ねられる。

 その確信があった。

(……影の教団員)

 糸で操られた痕跡はどこにもない。
 魔力の流れは均整が取れており、脈動は騎士として鍛えられたそれと同じ――いや、それ以上だ。

 研ぎ澄まされた“殺すための魔力”が、全身を包み込んでいる。

 男は、俺を阻むために自らここへ立っている。
 本物の敵意。
 本物の意志。

(死人よりよっぽど厄介だ……)

 剣技は間違いなく俺より上。
 今の俺なら、魔力感知で恐らく予測はできるだろう。
 だが、それでも歴然とした差はある。

「……来いよ、ベルモンド」

 低い声。
 その声音に濁りはない。

 本物の兵士が、敵として剣を構えた時の声だ。

 男はゆっくりと剣を前に構えた。
 その動作に無駄が一つもない。
 足の角度、重心、視線――全てが“最短で斬り殺す”ためにある。

(完全に……戦い慣れてる)

 魔物でも、操り死体でもない。
 戦場で鍛えられた人間の剣だ。

 魔力の流れを読むまでもなく理解できる。
 この男は“本気で俺を殺そうとしている”。

 生者の殺意は、死人のそれより遥かに鋭い。

「……そうかよ」

 短剣を握り直し、低く息を吐く。

 その瞬間――

 男の魔力が跳ねた。

 床を蹴る音すら消える。
 踏み込みの一手で空気が爆ぜ、視界から身体が消える。

(速っ――!)

 魔力の線だけが見えた。
 刃の軌道よりも先に、攻撃の“意志”が魔力で走る。

「っ!」

 肩を捻り、ギリギリで避ける。
 直後、背後で床石が斜めに裂けた。

 やっぱり、死体とは違う。
 軌道が生々しく、読みづらい。

 騎士の男は振り向きざま、ためらいなく二撃目を振り下ろす。
 斬撃に魔力が乗り、空気が切り裂かれる。

『ディランさん!』

(分かってる!)

 俺は男の三撃目を見た。
 正確だ。
 淡々としていて、余計な膨張もない。
 騎士らしく、力強い剣。
 教団の狂気ではなく、兵士の理性で殺しにきていた。

『この人、とてつもなく強いです……!』

 逃げられない。
 この男は、ここで俺を仕留める気だ。

「猛り、きぬとせよ。静かに満ちて——『常強』」

 早く、淡々と詠唱。
 身体に魔力が満ちる。 

 助けは期待できない。
 なら今ある俺の全力をもって切り結ぶしかない。

 騎士の男が足を踏み締める。

 次の瞬間――大広間で火花が散った。
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