陰陽のアカイイト

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邂逅

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 陰と陽の交わりは、人の性であり、おのずと生まれ出るもの。しかし、陽と陽が交わること、それすなわち天の意思【Omegaberthー陽性《ようせい》妊娠ー黒隆生《こくりゅうせい》・訳】

 陰陽山《いんようざん》に、蝉の声が鳴りひびいている。永凛は、必死に山道を駆けていた。木々の合間を走り抜けるたびに、ほほをぴっ、と枝がかする。

 そのたびに彼の肌には、糸のような赤い線が走っていた。浅黒い肌は、垢じみていて薄汚れて見える。鋭い目つきは、育ちの悪さを物語っている。
 ぼろぼろの服は、やせ細った身体には合っていない。

「あー、しっつけーなあいつ。腐るほど金持ってるくせによ」
 永凛は木にもたれ、息を吐いた。まあ、ここまでくれば大丈夫だろう。懐から戦利品を取り出し、ひひ、と笑う。
「これだけあれば、しばらく食うのに困らないな」

 永凛が手にしていたのは、分厚い財布だった。振っても音がしないくらい、ぱんぱんに中身が詰まっている。にやにやしながら財布を振っていたら、近くで物音がした。永凛ははっとして身をかがめる。あいつが追いついてきたのだろうか?

 ざく、ざく……。何かを掘るような音が聞こえてくる。永凛は、草木の合間から、様子を覗いてみた。男がひとり、木の根元に立っている。彼はスコップを地面に突き立てては、ざくりざくりと土を掘り返していた。

「なにしてんだ? あいつ」
 何か埋めているのだろうか? もしかして、盗んだ金とか? 永凛は、地面を見ようと首を伸ばし、はっとした。男が地面から引きずり出したのは、死体だったのだ。この季節に死体を掘り出すなんて、気が狂っているとしか思えない。

 ひどい匂いだろうに、男は構わずに死体を検分している。どうやら、ご同業どろぼうのようだ。ちらりと男の顔が見えて、永凛はまたもはっとした。

 その男は、驚くくらいに綺麗な顔をしていたのだ。すらりとした立ち姿は、彫像のように美しいが、女々しいわけでもない。それなりに膂力のありそうな背中をしているし、背も高い。身なりは質素だが、全身から気品が漂っている。

(すっげえ綺麗な追い剥ぎ……)
 永凛は、まじまじと彼を見た。もしかして、没落貴族かなにかだろうか。永凛が身を乗り出すと、足元でぱきりと枝が鳴った。

 ハッとしたのもつかの間、彼が振り向く。目が合って、永凛は慌てて立ち上がった。そのまま転がるように走り出す。男が追いかけてくる気配がした。
(大丈夫だ、追いつけやしない)

 永凛は、足の速さに自信があった。なにせ、子供の時からかっぱらいやスリで生きてきたのだ。案の定、男の足音はすぐに聞こえなくなった。永凛は気を良くして、山道を一気に駆け下りようとした。と、いきなり足首がぐん、と引っ張られた。

「!」
 足を取られた永凛は、勢いよく地面に倒れる。見ると、足首に何かが巻きついていた。半透明で、わずかに青みがかっている。まるで、おたまじゃくしのなりそこないのようだ。尻尾に似た部分が、ふよふよと揺れていた。

「なんだ、この、離せ!」
 永凛は、おたまじゃくしを思い切り叩いた。おたまじゃくしはふにょん、と揺れ、その衝撃を受け流す。そうして、足首をぎりぎりと締め上げてきた。

「いだだだだ」
 永凛は悲鳴をあげる。ふよふよのくせに、なんだこの強さは。
 痛みに悶絶していたら、ふっと影が落ちた。顔をあげると、先ほどの男がこちらを見下ろしている。永凛は息を飲み、じり、と後ずさった。

 近くで目にすると、その男は、本当に人形のような美しさだった。だが同時に、ひどく無表情で不気味でもある。こいつ──ただの追い剥ぎじゃない。そう思って、警戒心を強める。びびっているのを知られたくなくて、永凛は語気を強めた。

「こ、このおたまじゃくし、おまえのか」
「おたまじゃくし? 精霊のことか」
「精霊……?」
 なんだ、それは。怪訝な顔をすると、
「知らないのか。五大家の者ではないようだな」

 五大家ってなんだ。そう思っていたら、いきなり財布を奪われた。永凛は、かっとなって手を伸ばす。
「返せ! 俺のだ」
 男は、財布の重さを手のひらで確かめた。冷たい眼でこちらを見る。

「不相応な大金だな……おまえ、スリか」
「だったらなんだ。てめえは追い剥ぎだろうが」
「身なりもきたないが、言葉遣いもひどいな」
「はっ、身なりがどうだろうが、どろぼうには変わらねえよ」
「生意気な」

 男は永凛を投げ捨てるように放る。地面に倒れた永凛は、彼をきっ、と睨みつけた。男は無関心な眼で永凛を見下ろし、財布を放りなげる。

「エンジ」
 男がそう呼びかけると、足に巻きついたおたまじゃくしがほどける。彼は顎をしゃくり、
「さっさと行け」
 永凛は財布をぎゅっと抱き、だっ、と走り出した。

 陰陽国。それが、永凛が住む国の名だ。四方を山で囲まれており、狭い国土にもまた山がひしめき合っている。なかでも陰陽山と呼ばれる山は、冷厳あらたかな山であると噂され、信仰の対象となっていた。その、信仰の山で盗みを働いた永凛は、山道を転がるように走っていく。

 山を下ると、人々が住む扇状地が広がっている。入り口を間違えてはいけない。下流の生まれである永凛は、遠まわりで街へ向かわなければならないのだ。街の門を抜け、ひたすら歩いていくと、周りは永凛と同じく下流の民で溢れかえる。

 永凛は財布をしっかり懐に抱えて歩く。盗みをした後は、盗んだ品を誰かに盗られないようにするのが肝要だ。足早に歩いていた永凛は、とある店の前で立ち止まった。

「おじさん、肉まん八つくれ」
 そう言うと、店主はぎろりとこちらをにらんだ。
「八つ? 言っとくが値はまけねえぞ」
「金ならあるよ」
 永凛は、懐に手を入れた。札を出すと、店主が眉をあげる。

「どこでかっぱらってきた」
「秘密」
 にやっと笑うと、店主はふん、と鼻を鳴らした。肉まんを包み、釣り銭をくれる。
「ありがと」
 永凛は肉まんが入った袋を抱え、走り出した。

 永凛が住む街は、下陽扇《しもようせん》という名だ。陰陽山のふもとに扇型に広がっているため、そう呼ばれていた。

なだらかな傾斜を描く陽扇の地は、扇の持ち手部分から広がっている部分にいくにつれ、貧富の差が開いていく。上から上陽扇《かみようせん》、中陽扇《ちゅうようせん》、下陽扇《しもようせん》。永凛がすむのは、扇の端、一番貧しい地域だった。

 肉まんを抱えた永凛は、柳揺れる川辺をかけていた。眼下に見えるのは、陽扇を割るように流れている扇川だ。橋の下へと駆け下りていく。頭を下げ、潜り込むと、子供たちが顔をあげた。

「にいちゃん、おかえりなさい」
 にいちゃん、と呼ばれているが、実際はみな赤の他人だ。
「ただいま」
 彼らはわらわらと凛映の周りに集まって、期待を込めた瞳でこちらをみる。
「ねえ、今日はどうだった?」

 永凛はにっ、と笑い、肉まんの袋を掲げた。彼らがわあっと感嘆する。
「取り合うな、一人一個あるから」
 袋は、あっという間に空になった。分けておいて良かった。永凛はもうひとつ袋を取り出し、子供たちをかき分ける。

「はい、柳じいさん」
 隅の方で、本を読んでいた老人がこちらをみた。永凛が言うのもなんだが、柳はとても目つきが悪い。何百年も生きた老木のような肌をしている、頑固そうな男だ。

 今は浮浪者にしか見えないが、おそらく上流の生まれだろう、と永凛は思っていた。子供たちに読み書きを教えたりしているし、色々なことに精通している。

永凛は赤ん坊のころ、この橋の下で柳に拾われた。彼がなぜ橋の下に来たのかは不明だ。詮索する気もない。柳は命の恩人。それで十分だ。

「またかっぱらいか、永凛」
「仕方ねえだろ、日雇いじゃこいつらを養えない」
「定職につけばいい」
「無理だね。貧民街の人間は、上の街では働けない。貧民街には定職なんてない。人を雇う余裕のあるやつは、ここには来ないからな」

 永凛はそう言って、肉まんにかぶりついた。格差社会だなどと嘆くつもりはない。あるやつから奪ってやればいいだけの話だ。ふと、あの姿のいい男が脳裏に蘇った。

「なあ、じいさん。五大家って知ってる?」
 永凛の問いに、柳がああ、と答えた。
「精霊使いの中で、力を持つ五家のことだよ」
「精霊、使い?」

 永凛は、聞きなれない言葉に首を傾げた。そういえばあの綺麗な男も、精霊がどうとか言っていたな。柳は本をめくりながら、
「陰陽国には気ってものがある。それは天候や災害、国の行く末を知るために必要だ。精霊使いはそれぞれ、気を操って精霊を動かす。精霊を用いれば、雨を降らせることもできる」

 永凛は感心した。あのおたまじゃくしもどきに、そんなことができるとは。
「へえ、いいな。精霊とやらが使えたら、スリもらくちんじゃねえか?」
「スリどころか、もし五大家に取り立てられたら、一生食うのに困らない」
「ふーん。五大家って、なんて名前」
「五陽の色からとって、緋、青、黄、白、黒家。長は緋家だ」

 柳はそこで言葉を切り、
「とはいえ、黒家は事実上お家断絶だが」
「なんで?」
「さあな。そこまでは知らん。五大家は陰陽山の向こうに住んでいて、お目にかかることはまずない」
「なるほど。誰も顔とか知らないんだ」
 柳がこちらをちらっと見た。
「なにか妙なことを考えてないか?」
「妙なことって? 羨ましいなあとしか思ってねえよ」
 永凛はそう言って、肉まんにかぶりついた。


 翌日、永凛は朝早く起きだし、川に入った。ごみ拾いをするためだ。基本的に、貧民街にごみという概念はない。なんであろうが再利用するのが貧乏人なのだ。
しかし、もっと上流の街ならば別だ。朝靄がかかる中、永凛はぱしゃぱしゃと水を漕ぐ。夏でよかった。冬の早朝にこんなことをするのはごめんだ。

水草に絡まっているがらくたを引き上げ、背中のカゴに入れた。上流の街から、ゴミが流れてくるのだ。中には、なかなかのお宝が混じっていたりする。カゴにたまったものを見て、永凛はにやっと笑った。
「大漁、大漁」
 カゴを振ると、カチャカチャ音が鳴った。






「よってらっしゃい、みてらっしゃい、緋家の特別な魔除けだよ」
 永凛は、ぱんぱん、と手を打ち鳴らした。台には緋毛氈を敷き、「魔除け」を並べてある。
といっても、ただ器が砕けたものにすぎないのだが。川で拾い集めたそれを丁寧に洗い、やすりで丸くする。それに「緋」という文字を書けばできあがりだ。
ここは上流の街にある市場で、許可を取れば誰でも商売ができる。人々は物珍しげにこちらを見るが、近寄ってはこない。

 ──なんだ、緋家の知名度って大したことねえな。永凛が落胆していると、
「緋家?」
 男がひとり寄ってきた。肩に酒瓶を担いでいる。盛り上がった筋肉は屈強で、魔除けなどまったく必要なさそうだ。
「はい。どうですか、おひとつ」
 男は魔除けをしげしげと見て、
「おめえ、緋家のもんか?」
 ちげーよ。内心舌を出しながら、永凛は笑顔を浮かべた。

「はい! 緋永凛です」
「永凛?」
 彼がぴく、と肩を揺らす。
「ちなみに俺は、燕蒼華(えんそうか)ってんだ」
「立派なお名前ですねえ」
「聞き覚えねえか」

 有名な武人か何かなんだろうか。なんにせよ、こんな男は知らない。永凛は、すいません、勉強不足で、と答えた。
「おかしいな、緋家とはふかーい付き合いなんだが」
 彼はそう言って、懐から朱塗りの小さな箱を取り出した。あの箱、見たことがある──永凛がそう思っていたら、蒼華が蓋を開いた。中からにゅっ、と出てきたのは、おたまじゃくしもどき。

「!」
「凛映なら知ってるが、永凛なんてやつは知らねえなあ?」
 蒼華はそう言って眉をあげる。こいつ、緋家の関係者か……! 永凛は台をひっくり返し、だっ、と走り出した。がしゃん、という音に混じり、悲鳴が聞こえてくる。

「あっ、こら待て!」
 男が追いかけてくる気配がする。永凛は全力疾走しながらつぶやいた。

「くそっ、なんで緋家のやつがこんなとこに……」
 山の向こうに住んでいるのではなかったのか。永凛は必死に駆けていき、路地に入り込んだ。立てかけてあった竿を倒し、男を妨害する。男は竿をなぎ倒しながら追いかけてきた。

「ひっ」
 永凛は思わず悲鳴をあげた。折れた竿を見てぞっとする。なんなんだ、あの男は。まるで猛獣だ。だが足はそう早くない。貧民街に入ってしまえばこっちのものだ。彼は下流の街には足を踏み入れたこともないだろう。

「ちくしょー、捕まえろ、ソウエン!」
 男が鋭く叫ぶと、何かがひゅん、と飛んできて、ぬるっと首に巻きついた。
「!」
 もがこうとしたら、後ろから押し倒された。
「っ、離せ!」
「よお、足が速いな、緋永凛サマ」

 蒼華は永凛にのしかかり、歯を剥いた。食われる……! 永凛は直感的にそう思う。蒼華は永凛を食う──ことはせず、手に精霊を巻きつけ、拘束した。それから、米俵のように担ぎ上げる。じたばたともがくが、まったく敵わない。

「離せ、このクマ!」
「誰がクマだ。俺は名前に華が入ってんだぞぉ」
「何が華だ、雑草だろ!」
「生意気な餓鬼だなあ。うちのおっかない当主さまにお仕置きしてもらうか?」
「当主さま?」
 永凛はハッとする。
「まさか、緋家に連れてく気か」
「嫌なら謝りな」
「なんでおまえに謝らなきゃならないんだ」
「生意気ー。こりゃお仕置き決定だな」
 クマ、いや蒼華が歩き出す。
「離せええええええええ!」
 永凛は青い空に叫んだ。
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