6 / 62
6.準備はできている
ひさしぶりの休日になった午後。
やわらかな日差しの差し込む居室で、イロナにお茶を淹れてもらう。
教育役7令嬢が口々にわたしを褒めちぎった興奮がまだ抜けないイロナは、チラチラとわたしの方を見ている。
いまのところ、花乙女宮でイロナが親しく話せるのはわたしだけ。
興奮を分かち合う、お喋り相手もいない。
――だからといって、わたしへの興奮をわたしに語って聞かせたものかとチラチラ見てるのね。
可愛らしいとは思うけど、延々わたしを褒めちぎるだけの話を聞いてやる気にもなれない。
という、わたしはわたしで、
――もう、イロナを口説いて駆け落ちでもするしかないか……。
と、イロナをチラチラ見てしまうし、おかしな時間がながれた。
まあ……、わたしの方は冗談だし、ふうっと息をぬいて窓の外に目をやる。
花を尊ぶ、わがヴィラーグ王国の高位貴族たちがプライドをかけて財力をそそぎ込む、優美で広大な花壇。
各家お抱えの女性庭師たちが、愛情をこめて育てあげる。
夏には夏の花を咲かせ、秋には秋の、冬には冬の花を咲かせる。
だけど、見頃はやっぱり春。
いまがいちばん美しい。
王太子殿下以外の男性が立ち入ることは許されず、国王陛下や公爵家の当主であっても外から眺めることしかできない。
花乙女宮に主人――王太子妃候補があるときは、女性貴族も立ち入りを控える。
つまり、いまこの花壇は、わたしのためだけに花を咲かせている。
王家累代、14人の王妃陛下だけが見てこられた、花乙女宮から眺める美しい景色。
それも、王太子妃候補として花乙女宮で過ごす1年ほどの短い期間だけ眺められる、特別すぎる景色。
――ま、わたしが王太子妃になっちゃったら、最短になりそうなんだけども……。
もしも、わたしが三大公爵家に生まれていたなら心ゆくまで楽しめて、なんなら優越感にひたることも出来ただろうに。
と、広大な花壇のはるか端から、陽光にあざやかな朱色の髪をたなびかせた女性庭師が歩いて来るのに気が付いた。
――いや……、あの装束は騎士か?
わたしはソファから立ち上がって、窓辺に近寄り目を凝らす。
「バルバーラ! バルバーラじゃない?」
わたしの声に気付いた朱色の髪をした女騎士が、花壇の入口あたり、遠くでお辞儀して、それからおおきく手を振ってくれた。
バルバーラ・フォルサングは、わたしより7つ歳上の24歳。ホルヴァース侯爵家の領地で一緒に育った、亡命貴族の家に生まれたお姉さんだ。
――お母様だ……。
メイドと女騎士の手配は、次にリリが来てくれたときに言付けようと思っていたので、お母様がご自身の判断でバルバーラを送り込んでくださったのだ。
だんだん花乙女宮に近づいて来るバルバーラの凛々しい騎士服姿を見るにつけ、
――お母様は、わたしを見捨てたわけではなかったんだ……。
と、胸に熱いものがこみ上げてくる。
――だけど……、バルバーラはまだ騎士になれてなかったはず……。
身分秩序に厳格なヴィラーグ王国では、正式な身分としての〈騎士〉の人数も厳しく制限されている。
――王が感激のあまり騎士号を授ける。
なんて、物語のようなことは、わが国ではあり得ない。
そして、ホルヴァース侯爵家に割り当てられている騎士の座はわずかに5名。
騎士を目指すものは、まず騎士に弟子入りして武芸や教養を身に付け、騎士から認められたら〈従騎士〉の称号を私的に授けてもらう。
これが、騎士になれる資格といっていい。
従騎士の称号を得たら、あとは騎士の座があくのを、ただひたすら待つしかない。
厳密に言えば世襲も行われず、騎士の家系に生まれてもめぐり合わせが悪ければ騎士にはなれず、従騎士のままで終わる者も少なくない。
そして、女騎士はおろか、女従騎士でさえ絶対数が少ない。
ホルヴァース侯爵家に女騎士はおらず、従騎士の称号を持つ女性でさえ、ふたりしかいない。
バルバーラと、わたしだ。
案の定――、
「フェレプ様が引退され、私に騎士座を譲ってくださいました……」
と、わたしの居室で、バルバーラが恐縮してみせた。
「……フェレプって、まだ引退するような歳じゃなかったわよね?」
「はい、……46歳だとか」
わたしのせいだ。
わたしが、ふわふわ王太子に見初められたりしたばかりに、ついに他人の人生まで変えてしまった。
46なんて、まだまだ働き盛り。
従騎士資格でホルヴァース侯爵家軍の将校に移るらしいけど、きっと口惜しい思いをしているに違いない。
つい、唇を噛む。
けれど、そんな顔をいつまでもバルバーラに見せてもいられない。
にっこり微笑んだ。
「おめでとう、バルバーラ。念願の〈花の騎士〉ね。えっと……、フェリプから受け継いだってことは……?」
「ガーベラにございます」
「あら。バルバーラの朱色の髪にピッタリじゃない」
王国の騎士は全員で365名。
一人ひとりに誕生花に相当する花の名前がつけられている。
「わたしのガーベラの騎士様ね」
わたしの祝福に、はにかむバルバーラには笑顔しかむけられない。
だけど、ほんとうに早目に切り上げないと、どんどん他人の人生を変えてしまうのではないかと、
心の奥底では身震いしていた。
Ψ
「……なるほど、お祖母様が」
わたしの母方の祖母が、現王妃フランツィスカ陛下の〈花冠巡賜〉で、ジュハース侯爵家の花冠役を務めていたのだ。
その先例をお母様が聞きに行ってくださり、
――護衛の女騎士様がいらっしゃった。
という情報をつかんで、バルバーラを送り込んでくださっていた。
お母様は、わたしのために奔走してくださっているのだ。
騎士座の継承を、ホルヴァース侯爵家領での儀礼に王宮での儀礼も含めてひと月で終わらせるとは最短に近い。
お母様は、わたしの花乙女宮入りの一報を受けて、おそらく即座に行動に移してくださっている。
だけど、フランツィスカ王太子妃候補がメイドまで連れていたとは、花冠役でしかないお祖母様の目には入らなかっただろう。
もしくは宮付きのメイドに見えたかだ。
ともかく、メイドの手配はこちらからお願いするしかない。
バルバーラを連れ、テレーズ様のお部屋を訪ねた。
「わ……、わざわざのお越し」
「ごめんなさいね、お休みにしたのに」
テレーズ様と恐縮し合いながら向きあって、率直におうかがいした。
「書簡……、ですか?」
わたしは花乙女宮に監禁されてるような気持ちになってたけど、これはどうも違うのではないか? と、思いはじめていた。
外出はともかく、外に書簡を送るくらいは大丈夫なのではないかと考え、テレーズ様に尋ねたのだ。
「う~ん……、実は花衣伯爵家の先例集には、王太子妃教育自体に関することしか遺されていないのです」
「と、言われますと?」
「王太子妃候補の花乙女宮でのプライベートなお振る舞いについては、ほとんど遺されていません。そちらは、公爵家側の先例集に記載されます」
「な、なるほど……」
う、うーん。だからといって、さすがに公爵家に尋ねるわけにもいかない……。
「ただ……、たとえば『お連れになったメイドの体調が優れず、心配された王太子妃候補に配慮してその日のご教授をお休みにした』……などの記述から、類推することはできます」
お、これは意外に難題だな……。
テレーズ様はあごに手をあて、考え込まれている。
「……機密、とまでは言えない気がしますし、教育役7人で話し合ってみます。どこかの家の先例集には記述が遺されているかもしれませんから」
「せっかくお休みにしたのに、なんだか仕事を増やしちゃってすみません」
「いえ。……私たちは、すでにガブリエラ様を主君と仰いでいるつもりです。なんでもご遠慮なく」
主君かぁ……。
花乙女宮にまつわる事柄でさえ、これだけややこしい。
王家や王宮となると、どれだけ複雑なことになっているやら。
わたしが王太子妃になり内廷を形成する前提の「主君」という言葉は、わたしにはすこし重たい。
そして、わたしは見た。
テレーズ様もメイドをお連れだ。
そりゃそうだ。テレーズ様だって伯爵令嬢。身の回りの世話をする者は必要だ。
――要するに、貴族令嬢の集合住宅みたいなものか……。
なるほど。煌びやかな王朝物語としてだけ描かれる読み物で読むのと、実際に体験するのとでは大違い。
これは、テレーズ様たちにはご負担をかけてしまうけど、そもそも王太子妃候補として出来ることを把握するのが初手だったな。
わたしが密かに目指す〈穏便な婚約破棄〉のためにも。
Ψ
「ごめんね。書簡を出すのに問題がなかったら、そのままリリのところに走ってもらおうかと思ってたんだけど」
と、バルバーラに謝った。
ふたりで、ぶらりと花壇を散策する。
「さすがに見事なものですね」
わたしの案内でバルバーラが目を輝かせた。
ホルヴァース侯爵家領で生まれ育ったバルバーラは、もちろん花乙女宮の花壇を初めて目にする。
さっき通ってきた道だけではなく、花壇の全体を案内してあるく。
わが家の受け持つ花壇や、リリのジュハース侯爵家の花壇。それに三大公爵家の花壇。どれも見事に咲き誇っている。
わたしとおなじく長身のバルバーラ。
わたしより肩幅がひろく、新調したばかりの騎士服姿がよく似合っているし、花の騎士様が花々に囲まれているのも絵になる。
「凛々しいわね、バルバーラ」
「ガブリエラ様こそおしとやかになられて、すっかり王都の貴族令嬢様ではございませんか」
「あら、そう? バルバーラにそう言ってもらえるなら努力の甲斐があるわね」
海に面したホルヴァース侯爵家の主城で生まれたわたし。バルバーラたちと港を駆け回って育った。
ガラッパチで、学問好きで、従騎士の称号持ち。
王都にのぼってみれば、お転婆令嬢どころではなかった。
馬上槍試合の経験がある令嬢など、王国広しといえどもわたしくらいなものだろう。
「そうそう、ガブリエラ様。今年、ジョルトが書記官に採用されましたよ」
「あら、そう!」
バルバーラのひとつ下、今年23歳になってるはずのジョルトは幼馴染だ。
ジョルトは、なよっとしてて頼りない男の子だった。
爵位を持たない在地貴族、いわゆる郷紳の息子だったけれど従騎士など望むべくもないし、男の子たちの集まりでも爪はじきにされていた。
だけど、やさしい心の持ち主で放っておけず、わたしが10歳、ジョルトが16歳のときに学問の先生を世話してやった。
お転婆でもガラッパチでも、わたしも領地にいる限りは、33万領民に君臨するお姫様だ。
それなりのことは出来る。
「ガブリエラ様は面倒見がいいですからね」
クスッと笑うバルバーラに、苦笑いを返した。照れ笑いだったかもしれない。
「つよい男がつよいのは普通でしょ? よわい男が懸命に努力してる健気な姿を見ると、放っておけなくなるのよ」
ジョルトはなよっとしてたけど、芯の通ったところもあった。
よわい自分を自覚しながら、どうにか郷紳の長男にふさわしくあろうとあがいてた。
だから、わたしも手を差し伸べられた。
――ふわふわ王太子とは大違い……。
と、声に出しそうになって、あわてて口を塞いだ。
バルバーラに聞かせる話じゃないし、誰かに聞かれてもまずい。
キョロッと、周囲を見渡した。
そういえば、ふわふわ王太子が一度すがたを見せたのは、リリと花壇を歩いてるときだった。
今日もおみえになるのではないかと、しばらくバルバーラと散策をつづけた。
矛盾するようだけど、
――どうせなら、きちんと口説いてほしい。
とも思っている。
わたしを、実家の断絶をも顧みないほどの熱烈な恋に溺れさせてくれるのなら、それはそれで筋が通っている。
見てくれはバッチリだ。
惚れる準備はできてるぞ。たぶん。
けど、放置。
なんだ、これ。
いや、ふわふわ王太子はふわふわ王太子で、ややこしい先例に縛られているのかもしれない。
王家であるエステル家に伝わる先例なんて、わたしたちが目にすることはない。
とにかく一度、じっくり話し合いたい。
口説くなら口説くで、受け止めてやる。
そうでないと、わたしは〈穏便な婚約破棄〉を目指したままだぞ?
と、自分がふわふわ王太子に会いたい気持ちを募らせていることに、ふと気が付いた。
やわらかな日差しの差し込む居室で、イロナにお茶を淹れてもらう。
教育役7令嬢が口々にわたしを褒めちぎった興奮がまだ抜けないイロナは、チラチラとわたしの方を見ている。
いまのところ、花乙女宮でイロナが親しく話せるのはわたしだけ。
興奮を分かち合う、お喋り相手もいない。
――だからといって、わたしへの興奮をわたしに語って聞かせたものかとチラチラ見てるのね。
可愛らしいとは思うけど、延々わたしを褒めちぎるだけの話を聞いてやる気にもなれない。
という、わたしはわたしで、
――もう、イロナを口説いて駆け落ちでもするしかないか……。
と、イロナをチラチラ見てしまうし、おかしな時間がながれた。
まあ……、わたしの方は冗談だし、ふうっと息をぬいて窓の外に目をやる。
花を尊ぶ、わがヴィラーグ王国の高位貴族たちがプライドをかけて財力をそそぎ込む、優美で広大な花壇。
各家お抱えの女性庭師たちが、愛情をこめて育てあげる。
夏には夏の花を咲かせ、秋には秋の、冬には冬の花を咲かせる。
だけど、見頃はやっぱり春。
いまがいちばん美しい。
王太子殿下以外の男性が立ち入ることは許されず、国王陛下や公爵家の当主であっても外から眺めることしかできない。
花乙女宮に主人――王太子妃候補があるときは、女性貴族も立ち入りを控える。
つまり、いまこの花壇は、わたしのためだけに花を咲かせている。
王家累代、14人の王妃陛下だけが見てこられた、花乙女宮から眺める美しい景色。
それも、王太子妃候補として花乙女宮で過ごす1年ほどの短い期間だけ眺められる、特別すぎる景色。
――ま、わたしが王太子妃になっちゃったら、最短になりそうなんだけども……。
もしも、わたしが三大公爵家に生まれていたなら心ゆくまで楽しめて、なんなら優越感にひたることも出来ただろうに。
と、広大な花壇のはるか端から、陽光にあざやかな朱色の髪をたなびかせた女性庭師が歩いて来るのに気が付いた。
――いや……、あの装束は騎士か?
わたしはソファから立ち上がって、窓辺に近寄り目を凝らす。
「バルバーラ! バルバーラじゃない?」
わたしの声に気付いた朱色の髪をした女騎士が、花壇の入口あたり、遠くでお辞儀して、それからおおきく手を振ってくれた。
バルバーラ・フォルサングは、わたしより7つ歳上の24歳。ホルヴァース侯爵家の領地で一緒に育った、亡命貴族の家に生まれたお姉さんだ。
――お母様だ……。
メイドと女騎士の手配は、次にリリが来てくれたときに言付けようと思っていたので、お母様がご自身の判断でバルバーラを送り込んでくださったのだ。
だんだん花乙女宮に近づいて来るバルバーラの凛々しい騎士服姿を見るにつけ、
――お母様は、わたしを見捨てたわけではなかったんだ……。
と、胸に熱いものがこみ上げてくる。
――だけど……、バルバーラはまだ騎士になれてなかったはず……。
身分秩序に厳格なヴィラーグ王国では、正式な身分としての〈騎士〉の人数も厳しく制限されている。
――王が感激のあまり騎士号を授ける。
なんて、物語のようなことは、わが国ではあり得ない。
そして、ホルヴァース侯爵家に割り当てられている騎士の座はわずかに5名。
騎士を目指すものは、まず騎士に弟子入りして武芸や教養を身に付け、騎士から認められたら〈従騎士〉の称号を私的に授けてもらう。
これが、騎士になれる資格といっていい。
従騎士の称号を得たら、あとは騎士の座があくのを、ただひたすら待つしかない。
厳密に言えば世襲も行われず、騎士の家系に生まれてもめぐり合わせが悪ければ騎士にはなれず、従騎士のままで終わる者も少なくない。
そして、女騎士はおろか、女従騎士でさえ絶対数が少ない。
ホルヴァース侯爵家に女騎士はおらず、従騎士の称号を持つ女性でさえ、ふたりしかいない。
バルバーラと、わたしだ。
案の定――、
「フェレプ様が引退され、私に騎士座を譲ってくださいました……」
と、わたしの居室で、バルバーラが恐縮してみせた。
「……フェレプって、まだ引退するような歳じゃなかったわよね?」
「はい、……46歳だとか」
わたしのせいだ。
わたしが、ふわふわ王太子に見初められたりしたばかりに、ついに他人の人生まで変えてしまった。
46なんて、まだまだ働き盛り。
従騎士資格でホルヴァース侯爵家軍の将校に移るらしいけど、きっと口惜しい思いをしているに違いない。
つい、唇を噛む。
けれど、そんな顔をいつまでもバルバーラに見せてもいられない。
にっこり微笑んだ。
「おめでとう、バルバーラ。念願の〈花の騎士〉ね。えっと……、フェリプから受け継いだってことは……?」
「ガーベラにございます」
「あら。バルバーラの朱色の髪にピッタリじゃない」
王国の騎士は全員で365名。
一人ひとりに誕生花に相当する花の名前がつけられている。
「わたしのガーベラの騎士様ね」
わたしの祝福に、はにかむバルバーラには笑顔しかむけられない。
だけど、ほんとうに早目に切り上げないと、どんどん他人の人生を変えてしまうのではないかと、
心の奥底では身震いしていた。
Ψ
「……なるほど、お祖母様が」
わたしの母方の祖母が、現王妃フランツィスカ陛下の〈花冠巡賜〉で、ジュハース侯爵家の花冠役を務めていたのだ。
その先例をお母様が聞きに行ってくださり、
――護衛の女騎士様がいらっしゃった。
という情報をつかんで、バルバーラを送り込んでくださっていた。
お母様は、わたしのために奔走してくださっているのだ。
騎士座の継承を、ホルヴァース侯爵家領での儀礼に王宮での儀礼も含めてひと月で終わらせるとは最短に近い。
お母様は、わたしの花乙女宮入りの一報を受けて、おそらく即座に行動に移してくださっている。
だけど、フランツィスカ王太子妃候補がメイドまで連れていたとは、花冠役でしかないお祖母様の目には入らなかっただろう。
もしくは宮付きのメイドに見えたかだ。
ともかく、メイドの手配はこちらからお願いするしかない。
バルバーラを連れ、テレーズ様のお部屋を訪ねた。
「わ……、わざわざのお越し」
「ごめんなさいね、お休みにしたのに」
テレーズ様と恐縮し合いながら向きあって、率直におうかがいした。
「書簡……、ですか?」
わたしは花乙女宮に監禁されてるような気持ちになってたけど、これはどうも違うのではないか? と、思いはじめていた。
外出はともかく、外に書簡を送るくらいは大丈夫なのではないかと考え、テレーズ様に尋ねたのだ。
「う~ん……、実は花衣伯爵家の先例集には、王太子妃教育自体に関することしか遺されていないのです」
「と、言われますと?」
「王太子妃候補の花乙女宮でのプライベートなお振る舞いについては、ほとんど遺されていません。そちらは、公爵家側の先例集に記載されます」
「な、なるほど……」
う、うーん。だからといって、さすがに公爵家に尋ねるわけにもいかない……。
「ただ……、たとえば『お連れになったメイドの体調が優れず、心配された王太子妃候補に配慮してその日のご教授をお休みにした』……などの記述から、類推することはできます」
お、これは意外に難題だな……。
テレーズ様はあごに手をあて、考え込まれている。
「……機密、とまでは言えない気がしますし、教育役7人で話し合ってみます。どこかの家の先例集には記述が遺されているかもしれませんから」
「せっかくお休みにしたのに、なんだか仕事を増やしちゃってすみません」
「いえ。……私たちは、すでにガブリエラ様を主君と仰いでいるつもりです。なんでもご遠慮なく」
主君かぁ……。
花乙女宮にまつわる事柄でさえ、これだけややこしい。
王家や王宮となると、どれだけ複雑なことになっているやら。
わたしが王太子妃になり内廷を形成する前提の「主君」という言葉は、わたしにはすこし重たい。
そして、わたしは見た。
テレーズ様もメイドをお連れだ。
そりゃそうだ。テレーズ様だって伯爵令嬢。身の回りの世話をする者は必要だ。
――要するに、貴族令嬢の集合住宅みたいなものか……。
なるほど。煌びやかな王朝物語としてだけ描かれる読み物で読むのと、実際に体験するのとでは大違い。
これは、テレーズ様たちにはご負担をかけてしまうけど、そもそも王太子妃候補として出来ることを把握するのが初手だったな。
わたしが密かに目指す〈穏便な婚約破棄〉のためにも。
Ψ
「ごめんね。書簡を出すのに問題がなかったら、そのままリリのところに走ってもらおうかと思ってたんだけど」
と、バルバーラに謝った。
ふたりで、ぶらりと花壇を散策する。
「さすがに見事なものですね」
わたしの案内でバルバーラが目を輝かせた。
ホルヴァース侯爵家領で生まれ育ったバルバーラは、もちろん花乙女宮の花壇を初めて目にする。
さっき通ってきた道だけではなく、花壇の全体を案内してあるく。
わが家の受け持つ花壇や、リリのジュハース侯爵家の花壇。それに三大公爵家の花壇。どれも見事に咲き誇っている。
わたしとおなじく長身のバルバーラ。
わたしより肩幅がひろく、新調したばかりの騎士服姿がよく似合っているし、花の騎士様が花々に囲まれているのも絵になる。
「凛々しいわね、バルバーラ」
「ガブリエラ様こそおしとやかになられて、すっかり王都の貴族令嬢様ではございませんか」
「あら、そう? バルバーラにそう言ってもらえるなら努力の甲斐があるわね」
海に面したホルヴァース侯爵家の主城で生まれたわたし。バルバーラたちと港を駆け回って育った。
ガラッパチで、学問好きで、従騎士の称号持ち。
王都にのぼってみれば、お転婆令嬢どころではなかった。
馬上槍試合の経験がある令嬢など、王国広しといえどもわたしくらいなものだろう。
「そうそう、ガブリエラ様。今年、ジョルトが書記官に採用されましたよ」
「あら、そう!」
バルバーラのひとつ下、今年23歳になってるはずのジョルトは幼馴染だ。
ジョルトは、なよっとしてて頼りない男の子だった。
爵位を持たない在地貴族、いわゆる郷紳の息子だったけれど従騎士など望むべくもないし、男の子たちの集まりでも爪はじきにされていた。
だけど、やさしい心の持ち主で放っておけず、わたしが10歳、ジョルトが16歳のときに学問の先生を世話してやった。
お転婆でもガラッパチでも、わたしも領地にいる限りは、33万領民に君臨するお姫様だ。
それなりのことは出来る。
「ガブリエラ様は面倒見がいいですからね」
クスッと笑うバルバーラに、苦笑いを返した。照れ笑いだったかもしれない。
「つよい男がつよいのは普通でしょ? よわい男が懸命に努力してる健気な姿を見ると、放っておけなくなるのよ」
ジョルトはなよっとしてたけど、芯の通ったところもあった。
よわい自分を自覚しながら、どうにか郷紳の長男にふさわしくあろうとあがいてた。
だから、わたしも手を差し伸べられた。
――ふわふわ王太子とは大違い……。
と、声に出しそうになって、あわてて口を塞いだ。
バルバーラに聞かせる話じゃないし、誰かに聞かれてもまずい。
キョロッと、周囲を見渡した。
そういえば、ふわふわ王太子が一度すがたを見せたのは、リリと花壇を歩いてるときだった。
今日もおみえになるのではないかと、しばらくバルバーラと散策をつづけた。
矛盾するようだけど、
――どうせなら、きちんと口説いてほしい。
とも思っている。
わたしを、実家の断絶をも顧みないほどの熱烈な恋に溺れさせてくれるのなら、それはそれで筋が通っている。
見てくれはバッチリだ。
惚れる準備はできてるぞ。たぶん。
けど、放置。
なんだ、これ。
いや、ふわふわ王太子はふわふわ王太子で、ややこしい先例に縛られているのかもしれない。
王家であるエステル家に伝わる先例なんて、わたしたちが目にすることはない。
とにかく一度、じっくり話し合いたい。
口説くなら口説くで、受け止めてやる。
そうでないと、わたしは〈穏便な婚約破棄〉を目指したままだぞ?
と、自分がふわふわ王太子に会いたい気持ちを募らせていることに、ふと気が付いた。
あなたにおすすめの小説
地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです
阿里
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」
そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。
社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。
そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。
過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。
そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。
「君が隣にいない宮廷は退屈だ」
これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。
魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
一度目で黒狼公に討たれた私ですが、二度目の夜はお父様のそばでしか眠れません
師走
恋愛
八歳の冬、リリア・ヴァルグレイは父に殺された。
王国最強の討魔貴族――黒狼公レオンハルト・ヴァルグレイ。
人にも魔にも容赦のないその男は、黒花の災厄に呑まれかけた実の娘を、自らの手で討ったのだ。
けれど次に目を覚ました時、リリアは赤ん坊に戻っていた。
もう二度と、お父様に剣を向けられたくない。
そう願うのに、夜になるとまた黒花の囁きが忍び寄る。甘くやさしいその声は、孤独な心に触れて、静かに破滅へと導こうとする。
そして、その囁きがぴたりと止むのは――世界でいちばん怖いお父様のそばだけだった。
一度目の父は、同じ城で暮らしていても遠い人だった。
リリアを見ない。抱かない。呼びもしない。
そのくせ二度目の父は、相変わらず冷たいまま、なぜか夜ごとリリアを放っておいてくれない。侍女を替え、部屋を守らせ、怯えて眠れない娘を黙って自分の近くへ置いてしまう。
人にはあれほど容赦がないのに、リリアにだけ少しずつおかしくなっていく。
怖い。近づきたくない。
それでも、その腕の中でしか眠れない。
またあの冬が来る。
また同じように、黒花はリリアを呑み込もうとするかもしれない。
今度こそ囁きに負けないために。今度こそ父に剣を抜かせないために。
一度目で父に討たれた娘は、二度目の人生でもっとも恐ろしいその人のそばへ、自分の意志で手を伸ばしていく。
小説家になろう様でも掲載中
【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない
ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。
公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。
旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。
そんな私は旦那様に感謝しています。
無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。
そんな二人の日常を書いてみました。
お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m
無事完結しました!
【完結】「不吉な黒」と捨てられた令嬢、漆黒の竜を「痛いの飛んでいけー!」で完治させてしまう
ムラサメ
恋愛
漆黒の髪と瞳。ただそれだけの理由で「不吉なゴミ」と虐げられてきた公爵令嬢ミア。
死の森に捨てられた彼女が出会ったのは、呪いに侵され、最期を待つ最強の黒竜と、その相棒である隣国の竜騎士ゼノだった。
しかし、ミアが無邪気に放った「おまじない」は、伝説の浄化魔法となって世界を塗り替える。
向こう見ずな天才騎士に拾われたミアは、隣国で「女神」として崇められ、徹底的に甘やかされることに。
一方、浄化の源を失った王国は、みるみるうちに泥沼へと沈んでいき……?
厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです
あおまる三行
恋愛
王都の洗礼式で「厄災をもたらす」という烙印を持っていることを公表された令嬢・ルーチェ。
社交界では腫れ物扱い、家族からも厄介者として距離を置かれ、心がすり減るような日々を送ってきた彼女は、家の事情で辺境伯ダリウスのもとへ嫁ぐことになる。
辺境伯領は「貧乏」で知られている、魔獣のせいで荒廃しきった領地。
冷たい仕打ちには慣れてしまっていたルーチェは抵抗することなくそこへ向かい、辺境の生活にも身を縮める覚悟をしていた。
けれど、実際に待っていたのは──想像とはまるで違う、温かくて優しい人々と、穏やかで心が満たされていくような暮らし。
そして、誰より誠実なダリウスの隣で、ルーチェは少しずつ自分の居場所を取り戻していく。
静かな辺境から始まる、甘く優しい逆転マリッジラブ物語。
【追記】無事完結できました。ありがとうございました。
〖完結〗終着駅のパッセージ
苺 迷音
恋愛
過去、使用人に悪戯をされそうになった事がきっかけとなり、分厚い眼鏡とひっつめた髪を編み帽で覆い、自身の容姿を隠すようになった女性・カレン。
その事情を知りながらも夫ローランは、奇妙で地味な姿の妻を厭い目を逸らし続けた。
婚姻してからわずか三日後の朝。彼は赴任先の北の地へと旅立ちその後、カレンの元へと帰省してきたのは、片手で数えるほどだった。
孤独な結婚生活を送る中。
ある冬の日に、ローランの上官であり北の地を治める領主ハルシオン公爵が、カレン夫妻の邸にやってきた。
始まりは、部下の家族を想う上司としての気遣いだった。
他愛もない会話と、節度を守ったやり取り。ほんの僅かな時間を重ねていく。
そのうちに、お互いに灯り始めた小さな心の想い。
だが二人は、それを決して明かさず語ることはなかった。
それから一年ほどたった冬の夜。
カレンから届いた手紙に、たった一度だけハルシオンは返事を書く。
そこには彼の想いが書かれてあった。
月日は流れ、カレンとローランが婚姻して三年目の冬の日。
カレンはひとつの決意と想いを胸に、北へ向かう汽車に乗った。
※微さまぁか、もしくはざまぁになっていないかもしれないです。
※舞台は近世・産業革命初頭を基にした架空世界だと思っていただけましたら有難いです。
稚拙な作品ではありますがご覧くださいましたら凄く嬉しいです。よろしくお願い致します。
婚活をがんばる枯葉令嬢は薔薇狼の執着にきづかない~なんで溺愛されてるの!?~
白井
恋愛
「我が伯爵家に貴様は相応しくない! 婚約は解消させてもらう」
枯葉のような地味な容姿が原因で家族から疎まれ、婚約者を姉に奪われたステラ。
土下座を強要され自分が悪いと納得しようとしたその時、謎の美形が跪いて手に口づけをする。
「美しき我が光……。やっと、お会いできましたね」
あなた誰!?
やたら綺麗な怪しい男から逃げようとするが、彼の執着は枯葉令嬢ステラの想像以上だった!
虐げられていた令嬢が男の正体を知り、幸せになる話。