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244.霊縁(9)ナフィーサ
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「だって、私の捧げる純潔が奇跡を起こすだなんて、ワクワクするじゃありませんか!」
と、ナフィーサが笑った。
「ジーウォに受け入れていただき、見るもの聞くもの、すべてが新鮮でしたけど、このお話が一番、胸躍りましたわ!」
アスマの妹でリヴァント聖堂王国最後の傀儡女王。人獣を撃退した後に亡命してきた。
けど、正直、側室にまで残ってくれた理由は、よく分かってなかった。なんなら2人切りでゆっくり話をするのも、これが初めてだ。
「神ではなく祖先の魂を崇めていることなど、とても驚きましたし、興味深かったものです」
「そうなんだ」
「はい。私は武の道を選んだ姉と違い、祈りの道を選びました」
と、言うナフィーサの装束は白い。黒を基調としたアスマたちとは対照的だ。リヴァントの上流階級において、祈りの者であることを示すそうだ。
「神という概念が希薄なだけでも、それはもう刺激的なのです」
俺に話したいことが山のようにあったのか、荷物を広げてからずっと俺の部屋で話し込んでいる。
楽しそうに楽しそうに話してくれるので、それはいいのだけど、ユエ並みの膨らみがぽいんぽいん揺れるのだけ、目のやり場に困ってる……。
「まず最初に、姉の姿を見たとき魂が抜けるかと思うほど驚きました」
「そうか。ジーウォにいるなんて分からなかったよね」
「はいっ! しかも、その姉が私たちのために一緒に平伏してくれる……。あの姉がですよ!? 並み居る聖職者や貴族を相手に一歩も引くことなく自説を曲げず、私の助言に耳を貸すことさえなかった姉アスマがですよ!?」
「ははっ。アスマって、そうだったんだ」
「抜けた魂が戻ってくるほど驚きましたよ」
「ははは」
「あの強力な人獣たちを退けて城を守り、姉アスマをも変えてしまったジーウォ公とは、どれほど勇ましく逞しいお方なのかと思って平伏しておれば、お出ましになったのは、なんとも柔らかな空気をまとわれたお方」
「拍子抜けした?」
「いえいえ、とんでもない。むしろ興味を掻き立てられました。このお方がどのように闘い、どのように姉を変えたのか」
「そうかあ」
「それに私は……、当然、嬲り者にされるものと覚悟を決めておりました」
「えっ?」
「リヴァントとダーシャンの長い長い戦いの歴史から言えば、降伏してきた女がどのように扱われるか……、尊厳のすべてを奪われ踏み躙られようとも、僅かに遺った国民を助けていただきたかったのです」
ナフィーサが現れたとき、下着姿で地面に平伏していた。
「それがどうです? そっと上着をかけてくださり、手を取って歓待してくださった。さらには、皆に温かい粥を振る舞っていただき、住まいまで用意していただいた。これだけでも、既に惚れない女子はおらぬと言うものっ!」
「ははは」
「あんなに温かく、あんなに美味しい粥は生まれて初めて口にいたしました……」
人獣から逃れて荒野を彷徨っていた頃を思い出したのか、ナフィーサの目には薄く涙が浮かんでいた。
それから2人で外城壁の農地を散歩して歩いた。
リヴァントの遺民で農業に従事してくれてる人たちが手を振ってくれる。
「武で治め急進的な変革を求めた姉は謀略によって追放され、祈りで治めようとした私は蔑ろにされました……」
と、ナフィーサが自嘲的な微笑みを浮かべる。
「調和によって治める……、いえ、調和によって治まる。ジーウォ公の治政には感服しております」
「いやあ、褒め過ぎだよ。皆んなのお陰で、なんとかなってるだけだし」
「それでございます。重臣には女性も多く、身分も問わない。神の御前に平坦とはこのこと。すっかりジーウォの民になったリヴァントの遺民たちも、こうして笑顔で手を振ってくれる」
そう言うナフィーサも穏やかな表情で、皆んなを眺めている。平穏に暮らせているなら、それが一番だ。
それからナフィーサたちの聖堂にお参りして手を合わせた。
「私たちの神にも敬意を払ってくださる」
「うん……」
さすがに褒められっ放しで照れてきた。
「かつて500年前。神は確かに、我らリヴァントの民に奇跡を起こされたようなのです」
「へぇー」
「奇跡を目にすれば、人はコロッと信じてしまうものですから」
「祈りの場所でそんなこと言って大丈夫?」
「神は沈黙しました」
と、ナフィーサは寂しいような咎めるような目で、聖堂の高い天井を見上げた。
「……リヴァントの場合は比喩ではありません。地上の人間を滅ぼせば楽園に招き入れようと仰られた神に従い、大戦を勃こしましたが、ダーシャンの呪い師に敗れ神は沈黙したのです」
500年前、滅亡寸前までいったダーシャンは2代マレビトを召喚して北の蛮族を退けた。
「神の寵愛を取り戻そうと、祈りを捧げ、愛を捧げ、行いを正しくし、ダーシャンに挑み続けました……」
ナフィーサは俺の目を見た。
「いずれリヴァントの信仰は廃れましょう。それでも、ジーウォ公が聖堂を建立してくださったのは嬉しゅうございました」
ずっと信じてきたものを、突然に捨てることは難しい。互いに害がないのなら、そっと共存できるのが一番だ。
「しかも、神ではなく人が起こす奇跡に必要としていただける」
「えっ?」
「私が純潔を捧げれば、奇跡が起こるのでしょう?」
「あ、そうだね……」
「その上、本気で望まれなければ奇跡は起きない! なんとシャイな奇跡でしょう!」
「はは。ほんとだね」
3代マレビトの忌み子事件が俺の頭を離れることはない。
純潔を捧げたのに、自分は望まれてなかったと知った相手の女子は、どれほど惨めな思いをしただろう。女子の一生に一回の大切な思い出を、苦いものにしてしまった山口さんの後悔はどれほど深かっただろうか……。
「お間違いになってはいけませんよ、ジーウォ公」
と、ナフィーサに顔を覗き込まれていた。
「えっ?」
「この歳になって初めて知ったことばかりの私だからこそ、見えるものがあるのです」
「ふふっ」
大真面目ぶって見せるナフィーサの澄まし顔に、思わず笑ってしまった。
「まずは、純潔をお捧げしたくなるほど、惚れたのです」
「はっ」と、思わず吹き出す。俺の気持ちを軽くさせる口調を選んでくれてるのが分かる。
「たとえ私とでは奇跡が起きなくとも、悔いることがないほどに惚れたから、側室にしていただいたのです。分かりますか? ジーウォ公よ」
「はい」
先生ぶって話すナフィーサの講義に、笑いを堪えながら返事する。
「神から寵愛を失っても、神を愛し続けるリヴァントの民を見くびられては困ります。愛されるから愛するのではないのです。愛してやまないから愛するのです。500年、見返りなしに愛を捧げ続けた我らは筋金入りなのです」
「うん……」
「ジーウォで再会した姉は、いつも楽しそうです」
「そうだね。アスマはよく笑うようになった」
「心に、ジーウォ公がお住みになられているからです……。どうか、私の中にもお住まいくださいませ……」
と、見詰める瞳の曇りのなさに、胸を衝かれた。俺を信じてくれるナフィーサを、俺も信じることが出来て、別宅を一つ増やしてしまった――。
視界で渦巻く紋様がひとつ数を増やし、霊縁が結ばれたことが分かる。
「起きましたか……? 奇跡?」
と、俺の胸の中からナフィーサが見上げた。
「うん。起きた」
「そうですか……。良かったです……」
ナフィーサの満たされた笑顔に、俺の胸も温かく満たされた――。
と、ナフィーサが笑った。
「ジーウォに受け入れていただき、見るもの聞くもの、すべてが新鮮でしたけど、このお話が一番、胸躍りましたわ!」
アスマの妹でリヴァント聖堂王国最後の傀儡女王。人獣を撃退した後に亡命してきた。
けど、正直、側室にまで残ってくれた理由は、よく分かってなかった。なんなら2人切りでゆっくり話をするのも、これが初めてだ。
「神ではなく祖先の魂を崇めていることなど、とても驚きましたし、興味深かったものです」
「そうなんだ」
「はい。私は武の道を選んだ姉と違い、祈りの道を選びました」
と、言うナフィーサの装束は白い。黒を基調としたアスマたちとは対照的だ。リヴァントの上流階級において、祈りの者であることを示すそうだ。
「神という概念が希薄なだけでも、それはもう刺激的なのです」
俺に話したいことが山のようにあったのか、荷物を広げてからずっと俺の部屋で話し込んでいる。
楽しそうに楽しそうに話してくれるので、それはいいのだけど、ユエ並みの膨らみがぽいんぽいん揺れるのだけ、目のやり場に困ってる……。
「まず最初に、姉の姿を見たとき魂が抜けるかと思うほど驚きました」
「そうか。ジーウォにいるなんて分からなかったよね」
「はいっ! しかも、その姉が私たちのために一緒に平伏してくれる……。あの姉がですよ!? 並み居る聖職者や貴族を相手に一歩も引くことなく自説を曲げず、私の助言に耳を貸すことさえなかった姉アスマがですよ!?」
「ははっ。アスマって、そうだったんだ」
「抜けた魂が戻ってくるほど驚きましたよ」
「ははは」
「あの強力な人獣たちを退けて城を守り、姉アスマをも変えてしまったジーウォ公とは、どれほど勇ましく逞しいお方なのかと思って平伏しておれば、お出ましになったのは、なんとも柔らかな空気をまとわれたお方」
「拍子抜けした?」
「いえいえ、とんでもない。むしろ興味を掻き立てられました。このお方がどのように闘い、どのように姉を変えたのか」
「そうかあ」
「それに私は……、当然、嬲り者にされるものと覚悟を決めておりました」
「えっ?」
「リヴァントとダーシャンの長い長い戦いの歴史から言えば、降伏してきた女がどのように扱われるか……、尊厳のすべてを奪われ踏み躙られようとも、僅かに遺った国民を助けていただきたかったのです」
ナフィーサが現れたとき、下着姿で地面に平伏していた。
「それがどうです? そっと上着をかけてくださり、手を取って歓待してくださった。さらには、皆に温かい粥を振る舞っていただき、住まいまで用意していただいた。これだけでも、既に惚れない女子はおらぬと言うものっ!」
「ははは」
「あんなに温かく、あんなに美味しい粥は生まれて初めて口にいたしました……」
人獣から逃れて荒野を彷徨っていた頃を思い出したのか、ナフィーサの目には薄く涙が浮かんでいた。
それから2人で外城壁の農地を散歩して歩いた。
リヴァントの遺民で農業に従事してくれてる人たちが手を振ってくれる。
「武で治め急進的な変革を求めた姉は謀略によって追放され、祈りで治めようとした私は蔑ろにされました……」
と、ナフィーサが自嘲的な微笑みを浮かべる。
「調和によって治める……、いえ、調和によって治まる。ジーウォ公の治政には感服しております」
「いやあ、褒め過ぎだよ。皆んなのお陰で、なんとかなってるだけだし」
「それでございます。重臣には女性も多く、身分も問わない。神の御前に平坦とはこのこと。すっかりジーウォの民になったリヴァントの遺民たちも、こうして笑顔で手を振ってくれる」
そう言うナフィーサも穏やかな表情で、皆んなを眺めている。平穏に暮らせているなら、それが一番だ。
それからナフィーサたちの聖堂にお参りして手を合わせた。
「私たちの神にも敬意を払ってくださる」
「うん……」
さすがに褒められっ放しで照れてきた。
「かつて500年前。神は確かに、我らリヴァントの民に奇跡を起こされたようなのです」
「へぇー」
「奇跡を目にすれば、人はコロッと信じてしまうものですから」
「祈りの場所でそんなこと言って大丈夫?」
「神は沈黙しました」
と、ナフィーサは寂しいような咎めるような目で、聖堂の高い天井を見上げた。
「……リヴァントの場合は比喩ではありません。地上の人間を滅ぼせば楽園に招き入れようと仰られた神に従い、大戦を勃こしましたが、ダーシャンの呪い師に敗れ神は沈黙したのです」
500年前、滅亡寸前までいったダーシャンは2代マレビトを召喚して北の蛮族を退けた。
「神の寵愛を取り戻そうと、祈りを捧げ、愛を捧げ、行いを正しくし、ダーシャンに挑み続けました……」
ナフィーサは俺の目を見た。
「いずれリヴァントの信仰は廃れましょう。それでも、ジーウォ公が聖堂を建立してくださったのは嬉しゅうございました」
ずっと信じてきたものを、突然に捨てることは難しい。互いに害がないのなら、そっと共存できるのが一番だ。
「しかも、神ではなく人が起こす奇跡に必要としていただける」
「えっ?」
「私が純潔を捧げれば、奇跡が起こるのでしょう?」
「あ、そうだね……」
「その上、本気で望まれなければ奇跡は起きない! なんとシャイな奇跡でしょう!」
「はは。ほんとだね」
3代マレビトの忌み子事件が俺の頭を離れることはない。
純潔を捧げたのに、自分は望まれてなかったと知った相手の女子は、どれほど惨めな思いをしただろう。女子の一生に一回の大切な思い出を、苦いものにしてしまった山口さんの後悔はどれほど深かっただろうか……。
「お間違いになってはいけませんよ、ジーウォ公」
と、ナフィーサに顔を覗き込まれていた。
「えっ?」
「この歳になって初めて知ったことばかりの私だからこそ、見えるものがあるのです」
「ふふっ」
大真面目ぶって見せるナフィーサの澄まし顔に、思わず笑ってしまった。
「まずは、純潔をお捧げしたくなるほど、惚れたのです」
「はっ」と、思わず吹き出す。俺の気持ちを軽くさせる口調を選んでくれてるのが分かる。
「たとえ私とでは奇跡が起きなくとも、悔いることがないほどに惚れたから、側室にしていただいたのです。分かりますか? ジーウォ公よ」
「はい」
先生ぶって話すナフィーサの講義に、笑いを堪えながら返事する。
「神から寵愛を失っても、神を愛し続けるリヴァントの民を見くびられては困ります。愛されるから愛するのではないのです。愛してやまないから愛するのです。500年、見返りなしに愛を捧げ続けた我らは筋金入りなのです」
「うん……」
「ジーウォで再会した姉は、いつも楽しそうです」
「そうだね。アスマはよく笑うようになった」
「心に、ジーウォ公がお住みになられているからです……。どうか、私の中にもお住まいくださいませ……」
と、見詰める瞳の曇りのなさに、胸を衝かれた。俺を信じてくれるナフィーサを、俺も信じることが出来て、別宅を一つ増やしてしまった――。
視界で渦巻く紋様がひとつ数を増やし、霊縁が結ばれたことが分かる。
「起きましたか……? 奇跡?」
と、俺の胸の中からナフィーサが見上げた。
「うん。起きた」
「そうですか……。良かったです……」
ナフィーサの満たされた笑顔に、俺の胸も温かく満たされた――。
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