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最終話.公女、少し引いていた。
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第二王女侍女マノンの申し出は、意外なものだった。
「そうですか、ソランジュ殿下が……」
「はい……。毎日のように、こちらに滞在されていた頃を懐かしまれておりまして」
「それは、光栄なことにございますわ」
ソランジュ殿下のご滞在は、決して良いことばかりではなかった。
オーレリアン事件では、カトランが殿下の責も問い、貴賓室に軟禁して尋問するようなことまで行った。
恐らくは姉ファネットのよからぬ企みに巻き込まれただけの殿下にとっても、快い出来事であったはずがない。
マノンが黒縁眼鏡をとり、布巾で静かにレンズを拭いた。
「恐れ多いことを申し上げますが……」
「ええ、心得ております。……ここだけの話とさせていただきますわ」
「ありがとうございます……。殿下は王都に居場所がなく、離宮でひっそりとお過ごしです」
殿下が、王都の乱れた風紀を忌まれていることは滞在中にもヒシヒシと感じた。
たしかに、温泉に浸かられているときは、ゆったりと羽根を伸ばされている風情があった。
もっとも、それでパトリスに抱き付くほどに興奮されたのは行き過ぎだったけれど、後でパトリスにも膝を折って謝罪してくださった。
「アデール様にお願いしたき儀がこれあり、殿下にも内密にまかりこしたのです」
と、黒縁眼鏡をかけ直したマノンが、キリッとわたしを見詰めた。
古めかしい言い回しが、律儀そうな雰囲気のマノンによく似合う。
わたしも思わず、背筋を伸ばした。
「は、はい……。なんでしょうか?」
「殿下がお忍びで、かの温泉地を訪問なされることを、どうにかお許しいただけませんでしょうか?」
「温泉に……」
「はい……。もう二度と訪ねることは叶わないのでしょうねと、寂しそうに呟かれる殿下を見るにつけ……、胸が締め付けられる思いが……」
「う~ん……」
ソランジュ殿下には、パトリスに承認状を授けてくださった恩もある。
オーレリアン事件の償いだったとはいえ、あれのお陰で、セリアを撃退し、母女大公の謀略を粉砕できたともいえる。
パトリスがガルニエ家の世子だと王家の承認があればこそ、母女大公は〈密命〉という形しかとれなかった。
母女大公はカトランの心を掻き乱し、パトリスを奪った母の娘であるわたしとの関係にヒビを入れた上で、側室か愛妾の候補でも送り込む算段だったのではないか。
ガルニエ家の風紀を乱せば、母の掌中に転がり落ちるのは時間の問題だ。
わたしの幸せなど、母は何とも思っていない。
それを防ぐ、最初の盾になったのが、ソランジュ殿下による〈第二王女裁可〉だ。
わたしと個人的に交誼を結びたいとまで仰っていただいた。
「……な、なんとか、お願い出来ませんでしょうか!?」
と、マノンは、テーブルに額をこすり付ける勢いで頭を下げた。
この律儀で生真面目な侍女にも恩がある。
父である伯爵が、領民のために〈女子の復興セット〉を贈ってくれたのは、間違いなくマノンの助言によるものだ。
恐ろしい狂戦公が辺境伯に叙爵された祝いに、庶民向けの布地や手鏡を贈るなど、貴族の発想ではない。
辺境伯領の実情を深く知る者の助言なしには、思い付くことさえなかっただろう。
領民の女子たちを笑顔にしてくれた。
これほどの恩が、いまの辺境伯領にとってほかにあるだろうか。
「……お申し出は承りました」
「誠にございますか!?」
「ただ……」
と、わたしが進めている〈お試し初回〉、そして、上手くいけば続々と村娘と兵士たちのグループ交際の場にしていこうしていることを、正直に話した。
「庶民の……」
「はい。……さすがに、その場に殿下もご一緒に……という訳にもいかず」
「……け、見学させていただけませんでしょうか!?」
「……えっ!?」
「き、清く、正しく、節度ある、男女交際……。なんと、高邁な理想を……」
「あ……、ははっ……」
高邁とまで言われては、王都の風紀を乱し尽くした母女大公の娘として、さすがに気が引けた。
「……殿下に、せめて土産話を、と思いまして……」
と、マノンに涙ぐまれてしまっては、無碍に断ることも出来なかった。
「カ、カトランの許可を得られたら……」
「何卒! 辺境伯閣下にも、何卒! よしなにお取り成しくださいませ!! 」
と、マノンは飛び上がるようにして、床に伏し、額をこすりつけた。
さすがに、気圧された。
殿下を想うマノンの忠心に胸を打たれたし、殿下ご自身も王都でどれだけ逼塞して暮らされていることかと、胸を痛めた。
マノンの手を取り、ソファに座らせ、カトランの執務室に赴く。
このマノンの訪問が、わたしの運命を大きく動かしていくことになろうとは、このときのわたしは、まったく気が付いていなかった。
そして、おなじ頃。
大公家領に追放された姉ファネットが、兄ナタンを相手に荒れ狂っていたということも、随分、後になるまで知ることがなかったのだ……。
Ψ Ψ Ψ
王都からご機嫌伺いに訪れた兄ナタンに、姉ファネットは手当たり次第に物を投げつけたのだそうだ。
乱雑に荒れ果てた部屋で、ヘラヘラ笑う兄を、寝巻きのようなみだらなドレス姿の姉は肩で息をしながら睨み付けた。
「なんで、私がこんな目に遭わなくちゃいけないのよ!?」
「まあまあ、姉上。……母上も、折りをみて王都に戻すおつもりでしょうから」
「ナタン! ……どうせ、王都の者たちは私を笑いものにして、酒の肴にでもしてるんでしょ!?」
「それは……、まあ」
と、ヘラッと笑った兄に、姉の怒りが増す。
ひとつで平民が20年は暮らせる花瓶を投げ付け、壁にあたって無惨に砕け散る。
「許せない……」
「……そ、そうお怒りになっては、無粋というものですよ? 姉上」
「はあ!? こんな目に遭わされて、無粋も何もないわよ! ……ナタン。お前まで母上の肩を持つの!?」
「あ、いや……、そういう訳では」
「……母上は、アデールばかり可愛がって、私のことなんか……」
「え? ……いや、あの〈使用人の娘〉を、母上が可愛がっていることなど……、姉上の思い違いでは……?」
「私には淫売のような真似までさせておいて、アデールは政館に隠したのよ!? 10年も!!」
「いや……、それは、まあ。そうとも取れますが……」
「母上の政略の道具になって、私がどんな思いで生きて来たと思ってるの!?」
「ははっ、これはまた、姉上らしくもない……」
「その上、6つも歳下のアデールを、私より先に結婚させて……。公女に生まれて、これ以上の屈辱がある!?」
「ですが……、母上は姉上を頼りにして来られた訳ですし……」
「頼りが何よ!」
と、姉はカーテンを引きちぎり、兄に投げ付ける。
「私のことなんか、都合が悪くなったら、汚れたゴミみたいに捨てたじゃない!!」
「いえ、ですから……」
「許さない……。母上も、アデールも!」
「そう、熱くならずに……。何事も諧謔に笑い飛ばしてこそ、王都の粋というものでは……」
「うるさい!!」
「……まあ、では。折りを見て、アデールにはオレから、しっかり意見しましょう」
「……ふん、どうだか」
「なにやら、堅物王女もアデールには肩入れしているとか。……大公家のためにも、ここはオレの出番でしょう」
ヘラヘラと胸を張る兄に、姉は侮蔑の視線を投げ付けた。
けれど、兄にとってそれは、心地良いものであったようだ。価値観が倒錯している。
「……ナタン。お前の好きにしたらいいけど、やるからには、しっかりアデールの欺瞞を滅茶苦茶に壊すのよ?」
「欺瞞?」
「幸せごっこよ」
と、姉は爪を噛んだ。
「……あんなにイライラする景色はなかったわ」
「ふふっ。……今にも姉上自身が飛んで行きそうな勢いですね」
「もちろん。私自身が壊してやるわよ。……ナタン。やるなら早くやることね。私がやる前に……」
「はいはい。それでは優しい弟が、美しい姉の仇討ちに、遠く北の辺地まで無粋な妹を懲らしめに参りますよっと……」
兄ナタンは肩をすくめて歌うようにして部屋を出た。その扉に、姉は壁に飾られていた名剣を投げ付け、突き刺した。
姉は鮮血のように赤い髪を、乱雑に掻きむしる。
「アデール。……絶対、このままじゃ済まさない……。同じ母上の娘でありながら、ひとり綺麗なフリをして……。絶対に、私と同じところまで、堕としてやる」
扉では、刺さった名剣がビーンッと痺れたように揺れていた。
このときの、肩で息をする姉ファネットの瞳は怪しく光り、家人は誰も近付くことさえ出来なかったそうだ。
Ψ Ψ Ψ
もちろん、わたしは遠く離れた大公家領での、姉と兄のやり取りなど知る由もない。
「……そうか。アデールに任せる」
と、カトランから〈お試し初回〉にマノンが同行することへの許可を得て、イソイソと部屋に戻る途中。
廊下を、パトリスが駆けて来た。
「継母上……」
「どうしたの? パトリス」
と、膝を折って、目線を合わせる。
「……抱っこゲーム」
「あ……、うん。分かった!」
セリアが去って以来、パトリスは時々、わたしに抱っこをせがんでくれるようになった。
わたしは絶対、それを断らない。
いついかなる時でも、抱き締める。そして、パトリスが「もう、いいよ」と言うまで放さない。
と言っても、そんなに長い時間ではない。
パトリスは、なにかを確認し終えたら、わたしから離れていく。
それはきっと、いまのパトリスとわたしの間で、とても大切な確認だ。
罰ゲームに少しだけくすぐって、
「うひっ!」
と、パトリスが笑うところまでを含めて。
にっこり笑い、パトリスを抱き上げた。
「……ありがと。継母上」
「ううん、いいのよ。……だけど今、お客様が来ていて、このまま行ってもいい?」
「うん、いいよ」
パトリスを抱いたまま、部屋に戻ると、マノンが微笑ましげに目を細めた。
「……仲睦まじくていらっしゃいますのね」
「あ、ええ……。パトリス? こんにちは、は?」
「こんにちは」
と、パトリスがわたしの腕の中で殊勝に頭を下げると、マノンは黒縁眼鏡の奥の瞳をますます細めた。
「……殿下にも、このような日が参りましたらいいのですが」
「?」
マノンの呟きは、やがて、大きな波紋となって王国の全土を包み込む。
そして、わたしが社交界の女帝へとのし上がり、母女大公を打倒する最初の一歩となることを、このときのわたしは、まだ知らない。
「か、かわいいでちゅねぇ~」
と、パトリスの頬をつつく、マノンの意外な一面に、パトリスとふたり、少し引いていた。
―― 第一部 完 ――
*****
あとがき
第一部、最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
アデールの旅は、まだまだ始まったばかりというところですが、ここで一度、想を練るための休載とさせてくださいm(_ _)m
1日1話更新というゆったりペースながら、多くの方にお読みいただき、本当に励みになりました。
誠にありがとうございます。
第二部の連載再開は1~2か月後を目安に考えておりますが、具体的に決まりましたら、また近況ボードなどでお知らせさせていただきますm(_ _)m
完結は、必ずさせます。
ぜひ、気長にお待ちいただければ幸いです。
また、小説家になろう様とカクヨム様で連載中の『冷遇令嬢の才は敵国で花ひらく~実家侯爵家で壊滅的被害? 自分たちでどうにかしてください』の第二部は、引き続き連載して参ります。
あと、わずかですがKindleで配信中の作品もございます。
https://www.amazon.co.jp/stores/author/B0F27VTDBZ
よろしければ、のぞいてみてくださいm(_ _)m
それでは、アデールの旅前半戦、最後までお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
どうか、またお会いできますように。
「そうですか、ソランジュ殿下が……」
「はい……。毎日のように、こちらに滞在されていた頃を懐かしまれておりまして」
「それは、光栄なことにございますわ」
ソランジュ殿下のご滞在は、決して良いことばかりではなかった。
オーレリアン事件では、カトランが殿下の責も問い、貴賓室に軟禁して尋問するようなことまで行った。
恐らくは姉ファネットのよからぬ企みに巻き込まれただけの殿下にとっても、快い出来事であったはずがない。
マノンが黒縁眼鏡をとり、布巾で静かにレンズを拭いた。
「恐れ多いことを申し上げますが……」
「ええ、心得ております。……ここだけの話とさせていただきますわ」
「ありがとうございます……。殿下は王都に居場所がなく、離宮でひっそりとお過ごしです」
殿下が、王都の乱れた風紀を忌まれていることは滞在中にもヒシヒシと感じた。
たしかに、温泉に浸かられているときは、ゆったりと羽根を伸ばされている風情があった。
もっとも、それでパトリスに抱き付くほどに興奮されたのは行き過ぎだったけれど、後でパトリスにも膝を折って謝罪してくださった。
「アデール様にお願いしたき儀がこれあり、殿下にも内密にまかりこしたのです」
と、黒縁眼鏡をかけ直したマノンが、キリッとわたしを見詰めた。
古めかしい言い回しが、律儀そうな雰囲気のマノンによく似合う。
わたしも思わず、背筋を伸ばした。
「は、はい……。なんでしょうか?」
「殿下がお忍びで、かの温泉地を訪問なされることを、どうにかお許しいただけませんでしょうか?」
「温泉に……」
「はい……。もう二度と訪ねることは叶わないのでしょうねと、寂しそうに呟かれる殿下を見るにつけ……、胸が締め付けられる思いが……」
「う~ん……」
ソランジュ殿下には、パトリスに承認状を授けてくださった恩もある。
オーレリアン事件の償いだったとはいえ、あれのお陰で、セリアを撃退し、母女大公の謀略を粉砕できたともいえる。
パトリスがガルニエ家の世子だと王家の承認があればこそ、母女大公は〈密命〉という形しかとれなかった。
母女大公はカトランの心を掻き乱し、パトリスを奪った母の娘であるわたしとの関係にヒビを入れた上で、側室か愛妾の候補でも送り込む算段だったのではないか。
ガルニエ家の風紀を乱せば、母の掌中に転がり落ちるのは時間の問題だ。
わたしの幸せなど、母は何とも思っていない。
それを防ぐ、最初の盾になったのが、ソランジュ殿下による〈第二王女裁可〉だ。
わたしと個人的に交誼を結びたいとまで仰っていただいた。
「……な、なんとか、お願い出来ませんでしょうか!?」
と、マノンは、テーブルに額をこすり付ける勢いで頭を下げた。
この律儀で生真面目な侍女にも恩がある。
父である伯爵が、領民のために〈女子の復興セット〉を贈ってくれたのは、間違いなくマノンの助言によるものだ。
恐ろしい狂戦公が辺境伯に叙爵された祝いに、庶民向けの布地や手鏡を贈るなど、貴族の発想ではない。
辺境伯領の実情を深く知る者の助言なしには、思い付くことさえなかっただろう。
領民の女子たちを笑顔にしてくれた。
これほどの恩が、いまの辺境伯領にとってほかにあるだろうか。
「……お申し出は承りました」
「誠にございますか!?」
「ただ……」
と、わたしが進めている〈お試し初回〉、そして、上手くいけば続々と村娘と兵士たちのグループ交際の場にしていこうしていることを、正直に話した。
「庶民の……」
「はい。……さすがに、その場に殿下もご一緒に……という訳にもいかず」
「……け、見学させていただけませんでしょうか!?」
「……えっ!?」
「き、清く、正しく、節度ある、男女交際……。なんと、高邁な理想を……」
「あ……、ははっ……」
高邁とまで言われては、王都の風紀を乱し尽くした母女大公の娘として、さすがに気が引けた。
「……殿下に、せめて土産話を、と思いまして……」
と、マノンに涙ぐまれてしまっては、無碍に断ることも出来なかった。
「カ、カトランの許可を得られたら……」
「何卒! 辺境伯閣下にも、何卒! よしなにお取り成しくださいませ!! 」
と、マノンは飛び上がるようにして、床に伏し、額をこすりつけた。
さすがに、気圧された。
殿下を想うマノンの忠心に胸を打たれたし、殿下ご自身も王都でどれだけ逼塞して暮らされていることかと、胸を痛めた。
マノンの手を取り、ソファに座らせ、カトランの執務室に赴く。
このマノンの訪問が、わたしの運命を大きく動かしていくことになろうとは、このときのわたしは、まったく気が付いていなかった。
そして、おなじ頃。
大公家領に追放された姉ファネットが、兄ナタンを相手に荒れ狂っていたということも、随分、後になるまで知ることがなかったのだ……。
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王都からご機嫌伺いに訪れた兄ナタンに、姉ファネットは手当たり次第に物を投げつけたのだそうだ。
乱雑に荒れ果てた部屋で、ヘラヘラ笑う兄を、寝巻きのようなみだらなドレス姿の姉は肩で息をしながら睨み付けた。
「なんで、私がこんな目に遭わなくちゃいけないのよ!?」
「まあまあ、姉上。……母上も、折りをみて王都に戻すおつもりでしょうから」
「ナタン! ……どうせ、王都の者たちは私を笑いものにして、酒の肴にでもしてるんでしょ!?」
「それは……、まあ」
と、ヘラッと笑った兄に、姉の怒りが増す。
ひとつで平民が20年は暮らせる花瓶を投げ付け、壁にあたって無惨に砕け散る。
「許せない……」
「……そ、そうお怒りになっては、無粋というものですよ? 姉上」
「はあ!? こんな目に遭わされて、無粋も何もないわよ! ……ナタン。お前まで母上の肩を持つの!?」
「あ、いや……、そういう訳では」
「……母上は、アデールばかり可愛がって、私のことなんか……」
「え? ……いや、あの〈使用人の娘〉を、母上が可愛がっていることなど……、姉上の思い違いでは……?」
「私には淫売のような真似までさせておいて、アデールは政館に隠したのよ!? 10年も!!」
「いや……、それは、まあ。そうとも取れますが……」
「母上の政略の道具になって、私がどんな思いで生きて来たと思ってるの!?」
「ははっ、これはまた、姉上らしくもない……」
「その上、6つも歳下のアデールを、私より先に結婚させて……。公女に生まれて、これ以上の屈辱がある!?」
「ですが……、母上は姉上を頼りにして来られた訳ですし……」
「頼りが何よ!」
と、姉はカーテンを引きちぎり、兄に投げ付ける。
「私のことなんか、都合が悪くなったら、汚れたゴミみたいに捨てたじゃない!!」
「いえ、ですから……」
「許さない……。母上も、アデールも!」
「そう、熱くならずに……。何事も諧謔に笑い飛ばしてこそ、王都の粋というものでは……」
「うるさい!!」
「……まあ、では。折りを見て、アデールにはオレから、しっかり意見しましょう」
「……ふん、どうだか」
「なにやら、堅物王女もアデールには肩入れしているとか。……大公家のためにも、ここはオレの出番でしょう」
ヘラヘラと胸を張る兄に、姉は侮蔑の視線を投げ付けた。
けれど、兄にとってそれは、心地良いものであったようだ。価値観が倒錯している。
「……ナタン。お前の好きにしたらいいけど、やるからには、しっかりアデールの欺瞞を滅茶苦茶に壊すのよ?」
「欺瞞?」
「幸せごっこよ」
と、姉は爪を噛んだ。
「……あんなにイライラする景色はなかったわ」
「ふふっ。……今にも姉上自身が飛んで行きそうな勢いですね」
「もちろん。私自身が壊してやるわよ。……ナタン。やるなら早くやることね。私がやる前に……」
「はいはい。それでは優しい弟が、美しい姉の仇討ちに、遠く北の辺地まで無粋な妹を懲らしめに参りますよっと……」
兄ナタンは肩をすくめて歌うようにして部屋を出た。その扉に、姉は壁に飾られていた名剣を投げ付け、突き刺した。
姉は鮮血のように赤い髪を、乱雑に掻きむしる。
「アデール。……絶対、このままじゃ済まさない……。同じ母上の娘でありながら、ひとり綺麗なフリをして……。絶対に、私と同じところまで、堕としてやる」
扉では、刺さった名剣がビーンッと痺れたように揺れていた。
このときの、肩で息をする姉ファネットの瞳は怪しく光り、家人は誰も近付くことさえ出来なかったそうだ。
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もちろん、わたしは遠く離れた大公家領での、姉と兄のやり取りなど知る由もない。
「……そうか。アデールに任せる」
と、カトランから〈お試し初回〉にマノンが同行することへの許可を得て、イソイソと部屋に戻る途中。
廊下を、パトリスが駆けて来た。
「継母上……」
「どうしたの? パトリス」
と、膝を折って、目線を合わせる。
「……抱っこゲーム」
「あ……、うん。分かった!」
セリアが去って以来、パトリスは時々、わたしに抱っこをせがんでくれるようになった。
わたしは絶対、それを断らない。
いついかなる時でも、抱き締める。そして、パトリスが「もう、いいよ」と言うまで放さない。
と言っても、そんなに長い時間ではない。
パトリスは、なにかを確認し終えたら、わたしから離れていく。
それはきっと、いまのパトリスとわたしの間で、とても大切な確認だ。
罰ゲームに少しだけくすぐって、
「うひっ!」
と、パトリスが笑うところまでを含めて。
にっこり笑い、パトリスを抱き上げた。
「……ありがと。継母上」
「ううん、いいのよ。……だけど今、お客様が来ていて、このまま行ってもいい?」
「うん、いいよ」
パトリスを抱いたまま、部屋に戻ると、マノンが微笑ましげに目を細めた。
「……仲睦まじくていらっしゃいますのね」
「あ、ええ……。パトリス? こんにちは、は?」
「こんにちは」
と、パトリスがわたしの腕の中で殊勝に頭を下げると、マノンは黒縁眼鏡の奥の瞳をますます細めた。
「……殿下にも、このような日が参りましたらいいのですが」
「?」
マノンの呟きは、やがて、大きな波紋となって王国の全土を包み込む。
そして、わたしが社交界の女帝へとのし上がり、母女大公を打倒する最初の一歩となることを、このときのわたしは、まだ知らない。
「か、かわいいでちゅねぇ~」
と、パトリスの頬をつつく、マノンの意外な一面に、パトリスとふたり、少し引いていた。
―― 第一部 完 ――
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あとがき
第一部、最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
アデールの旅は、まだまだ始まったばかりというところですが、ここで一度、想を練るための休載とさせてくださいm(_ _)m
1日1話更新というゆったりペースながら、多くの方にお読みいただき、本当に励みになりました。
誠にありがとうございます。
第二部の連載再開は1~2か月後を目安に考えておりますが、具体的に決まりましたら、また近況ボードなどでお知らせさせていただきますm(_ _)m
完結は、必ずさせます。
ぜひ、気長にお待ちいただければ幸いです。
また、小説家になろう様とカクヨム様で連載中の『冷遇令嬢の才は敵国で花ひらく~実家侯爵家で壊滅的被害? 自分たちでどうにかしてください』の第二部は、引き続き連載して参ります。
あと、わずかですがKindleで配信中の作品もございます。
https://www.amazon.co.jp/stores/author/B0F27VTDBZ
よろしければ、のぞいてみてくださいm(_ _)m
それでは、アデールの旅前半戦、最後までお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
どうか、またお会いできますように。
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「ご自身の価値を正しく評価できない愚かさが、極まるところまで極まると、ある種の芸術性を帯びるのだなと」
「き、貴様……!」
殿下、損切りの機会を与えてくださり本当にありがとうございます。
私の頭の中では、すでに新しい事業計画書の第一章が書き始められていました。
それは、愚かな王子に復讐するためだけの計画ではありません。
私が私らしく、論理と計算で幸福を勝ち取るための、輝かしい建国プロジェクトなのです。
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第二部再開までお待たせしてしまいますが、どうぞ引き続きよろしくお願いいたしますm(_ _)m
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