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11.わたしの心を送り込む
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不気味な容貌をした国王の猟犬、シモン。
黒狼騎士団400名を従え、暴虐の王に歯向かう者の暗殺と、王国内部の諜報を担う。
貴族はもちろん、王族にも容赦はない。
そのシモンが、王宮からの使者として謁見室で片膝を突いている。
――昨晩のわたしのふる舞いから、なにか嗅ぎ取られてしまった……?
という、恐れを押し殺し、そしらぬ顔をして主座に座る。
シモンの軽く伏せた顔の肌はザラザラで、おろし金のように硬そう。しかも、生まれ持ったものなのか病いの痕跡なのか、薄紫色をしている。
怖気の立つ面貌に沸き立つ嫌悪感を抑えて、口をひらく。
「……火急の要件と聞きました」
「はっ」
硬い肌をナイフで裂いたようなほそい目が、わたしに向く。
その隙間で不気味にひかる瞳孔に見据えられ、背筋を汗がつたう。
わたしは、王国の大罪人、アーヴィド王子を匿っている。
それをシモンに見抜かれたのなら、すべてが終わる。わたしはもちろん、となりで控える侍女のフレイヤ、王宮の姉トゥイッカにも累が及び……、
――いや、まだ決まった訳ではない。
呼吸を乱さない――、そのことだけを心がけ、わたしもシモンを見詰め返した。
シモンの薄い唇から漏れ出る、感情の読めないしわがれ声。
もたらされた急報に、虚を突かれた。
「……収穫祭を」
「オロフ陛下のご聖断にございます」
秋の収穫祭を、明日、予定どおりに挙行するという報せだった。
王国各地を治める貴族が集う収穫祭。
謀反ごときで中止しては、王国の威信に関わるという国王の判断だった。
――また、王宮に……。
昨夜は混乱のなか、国王陛下へ急ぎの見舞いという名目で、早々に切り上げることができた。
だけど、収穫祭への列席ともなれば、そうはいかない。
ながく滞在すれば、その分だけ緊張を強いられる。ふる舞いを怪しまれたら、わたしの首は飛び、追討の兵は離宮に向かう……。
それに、またわたしは、重体のアーヴィド王子から離れなくてはいけない。
昨夜王宮に上がったことで、しばらくはアーヴィド王子のそばにいられると思っていた。
だけど、いまは動揺を見せられない。
シモンの目がある。
ただ、黒狼騎士団の団長がみずから、わたしへの使者にたった理由は意外とシンプルだった。
みんな忙しくて、それどころではなかったのだ。
昨日の謀反騒ぎから、今日になっての収穫祭決行の決定。
王太子殿下、第2王子殿下、第3王子殿下がそろってご不在となり、各種式典の段取りはすべてやり直し。
近衛も侍従もおおわらわ。
逃亡中の王子追討の兵も発したため、ただでさえ人員が足りてない。
見かねたシモンが、わたしへの使者を買って出たということだった。
――そんな気遣いのできる男だったのか……。
だけど、何を考えているか分からない男だ。
わたしから何かを嗅ぎ取り、離宮の様子をうかがう名目として、使者の役を利用したのかもしれない。
油断は禁物だ。
ただ、追討の兵の行方をそれとなく聞けば、要するに国境を封鎖するための出兵だった。
わたしの離宮はとっくに通り過ぎていた。
安堵を隠し、凶事に眉をひそめて見せた。
用件が終わったはずのシモンが、もう一度まっすぐにわたしを見た。
「私事ながら……」
ヒヤリとする。
慎重に表情と声音を選んで、シモンに応えた。
「……なんであろうか?」
「昨晩、ヴェーラ陛下にお取り成しいただきましたご恩は、忘れませぬ」
いつもは爬虫類のように薄気味の悪い眼光が、純朴な少年のように光った。
だけどそれも、わたしになにか喋らせるための罠かもしれない。
「いつか、ヴェーラ陛下がお困りになられましたら、このシモンめを思い出してくださいませ。必ずやご恩に報います」
「分かりました。忘れずにおきます」
あれこれ言わず、素直に微笑んでみせると、シモンは謁見室を出ていった。
「懐かれましたわね」
という、眉間にしわを寄せたフレイヤの言葉にギョッとした。
「えっと……、そう見えた?」
「ええ。シモン閣下がヴェーラ陛下を見詰める視線は……、母を慕う子どものようでしたわ」
フレイヤの堅い声音が、わたしの眉間にも力を込めさせる。
――わたしの見間違いではなかったか……。
本当は、シモンのような危険な男には無関心でいてもらうのが一番だ。
たとえそれが好意であっても、わたしの方に視線が向いていることは、それだけで脅威になる。
まして明日が収穫祭となれば、ずっと見張られているようなものだ。
「……あたま痛いわね」
「ふる舞いにお気を付けくださいませ」
堅い表情を崩さないフレイヤに、ぎこちなくうなずいた。
Ψ
収穫祭決行の報せで、離宮はてんてこまいになった。
昨日の騒動で、直前の準備期間を1日無駄にしてしまったメイドたちが、慌ただしく駆け回る。
差配をフレイヤに任せ、わたしは再び隠し部屋に降りて、アーヴィド王子の看病をイサクと替わった。
地上の喧騒が嘘のような、静寂。
せまい地下室には、アーヴィド王子の荒い呼吸音だけが響く。
昨晩は一睡もしていないのに、眠気はおきない。
アーヴィド王子の逞しい胸板をつたう汗を、そっと拭う。
そろそろ水分を摂らないと危険だ。
だけど、上体を起こして水差しから口に含ませても、飲み下してくれない。
意識を失った状態の負傷兵に、水を飲ませた記憶を何度もたどる。
いくつかのやり方を思い出しながら試すのだけど、まるで生きることを拒むかのように、吐き出されてしまう。
丸一日、水を飲まずにいるのに、高熱で汗がとまらない。
口のなかを湿らせるだけでは、身体のなかの水分が足りなくなるはずだ。
「……イヤになっちゃった? 生きるのが? ……死んじゃうよ?」
わたしの呼び掛けに、アーヴィド王子は答えてくれない。
このまま、お別れになるのだろうか?
いや、わたしが収穫祭に行っている間に旅立たれては、臨終にすら立ち会えない。
「……母をのこして旅立つなど、……許しませんよ?」
――いやいや、母上! そんなことはしませんよ!?
と、アーヴィド王子の明るい返事を、いまは聞くことができない。
4つ歳上の息子。
わたしが心ひそかに愛する人。
生死のはざまで……、戦ってはくれないのだろうか?
「わたしを生かしておいて、先に逝こうとするなんて、……ひどいわ」
わたしとて明日、王宮から生きて出られる保証はない。
王を、王国を、そして姉王妃トゥイッカを、裏切っているのはわたしだ。
わたしがアーヴィド王子の無実を信じているからといって、匿うことはまぎれもなく王国への裏切りで、大罪。
ことが露見すれば、わたしの首は刎ねられ、姉や部族やたくさんの人たちを巻き添えにするだろう。
――わたしが……、道ならぬ恋に殉じてしまったがために。
わたしは水差しを両手で手に取り、ひと口、水を口に含ませる。
これで最期なのだというのなら、せめてアーヴィド王子には、わたしの望みをひとつだけ叶えてほしい。
レモンブロンドの前髪をかきあげ、アーヴィド王子の美しい顔をのぞき込む。
そっと唇を重ねて、目を閉じる。
わたしをアーヴィド王子のなかに溶かし込むように、舌を進ませ、唇を開かせる。
そろりと、わたしのほおに蓄えた水を王子の口の中へと移してゆく。わたしの心を送り込むように――、
――あ。
わたしの舌先に触れたやわらかな感触が、アーヴィド王子の舌だと気付いた瞬間、
――ゴクリ。
王子の喉から、かすかな音が漏れた。
安堵の涙がひと筋、ほおを伝った。
――生きて……、わたしのために。
わたしの身勝手な想いを、アーヴィド王子に押し付けているのかもしれない。
でも――、
水をすべて流し込み、顔を離した。
「気に入らないんだったら、はやく起きて、わたしに文句のひとつも言ってよね!?」
へへんっと笑って、涙をぬぐった。
黒狼騎士団400名を従え、暴虐の王に歯向かう者の暗殺と、王国内部の諜報を担う。
貴族はもちろん、王族にも容赦はない。
そのシモンが、王宮からの使者として謁見室で片膝を突いている。
――昨晩のわたしのふる舞いから、なにか嗅ぎ取られてしまった……?
という、恐れを押し殺し、そしらぬ顔をして主座に座る。
シモンの軽く伏せた顔の肌はザラザラで、おろし金のように硬そう。しかも、生まれ持ったものなのか病いの痕跡なのか、薄紫色をしている。
怖気の立つ面貌に沸き立つ嫌悪感を抑えて、口をひらく。
「……火急の要件と聞きました」
「はっ」
硬い肌をナイフで裂いたようなほそい目が、わたしに向く。
その隙間で不気味にひかる瞳孔に見据えられ、背筋を汗がつたう。
わたしは、王国の大罪人、アーヴィド王子を匿っている。
それをシモンに見抜かれたのなら、すべてが終わる。わたしはもちろん、となりで控える侍女のフレイヤ、王宮の姉トゥイッカにも累が及び……、
――いや、まだ決まった訳ではない。
呼吸を乱さない――、そのことだけを心がけ、わたしもシモンを見詰め返した。
シモンの薄い唇から漏れ出る、感情の読めないしわがれ声。
もたらされた急報に、虚を突かれた。
「……収穫祭を」
「オロフ陛下のご聖断にございます」
秋の収穫祭を、明日、予定どおりに挙行するという報せだった。
王国各地を治める貴族が集う収穫祭。
謀反ごときで中止しては、王国の威信に関わるという国王の判断だった。
――また、王宮に……。
昨夜は混乱のなか、国王陛下へ急ぎの見舞いという名目で、早々に切り上げることができた。
だけど、収穫祭への列席ともなれば、そうはいかない。
ながく滞在すれば、その分だけ緊張を強いられる。ふる舞いを怪しまれたら、わたしの首は飛び、追討の兵は離宮に向かう……。
それに、またわたしは、重体のアーヴィド王子から離れなくてはいけない。
昨夜王宮に上がったことで、しばらくはアーヴィド王子のそばにいられると思っていた。
だけど、いまは動揺を見せられない。
シモンの目がある。
ただ、黒狼騎士団の団長がみずから、わたしへの使者にたった理由は意外とシンプルだった。
みんな忙しくて、それどころではなかったのだ。
昨日の謀反騒ぎから、今日になっての収穫祭決行の決定。
王太子殿下、第2王子殿下、第3王子殿下がそろってご不在となり、各種式典の段取りはすべてやり直し。
近衛も侍従もおおわらわ。
逃亡中の王子追討の兵も発したため、ただでさえ人員が足りてない。
見かねたシモンが、わたしへの使者を買って出たということだった。
――そんな気遣いのできる男だったのか……。
だけど、何を考えているか分からない男だ。
わたしから何かを嗅ぎ取り、離宮の様子をうかがう名目として、使者の役を利用したのかもしれない。
油断は禁物だ。
ただ、追討の兵の行方をそれとなく聞けば、要するに国境を封鎖するための出兵だった。
わたしの離宮はとっくに通り過ぎていた。
安堵を隠し、凶事に眉をひそめて見せた。
用件が終わったはずのシモンが、もう一度まっすぐにわたしを見た。
「私事ながら……」
ヒヤリとする。
慎重に表情と声音を選んで、シモンに応えた。
「……なんであろうか?」
「昨晩、ヴェーラ陛下にお取り成しいただきましたご恩は、忘れませぬ」
いつもは爬虫類のように薄気味の悪い眼光が、純朴な少年のように光った。
だけどそれも、わたしになにか喋らせるための罠かもしれない。
「いつか、ヴェーラ陛下がお困りになられましたら、このシモンめを思い出してくださいませ。必ずやご恩に報います」
「分かりました。忘れずにおきます」
あれこれ言わず、素直に微笑んでみせると、シモンは謁見室を出ていった。
「懐かれましたわね」
という、眉間にしわを寄せたフレイヤの言葉にギョッとした。
「えっと……、そう見えた?」
「ええ。シモン閣下がヴェーラ陛下を見詰める視線は……、母を慕う子どものようでしたわ」
フレイヤの堅い声音が、わたしの眉間にも力を込めさせる。
――わたしの見間違いではなかったか……。
本当は、シモンのような危険な男には無関心でいてもらうのが一番だ。
たとえそれが好意であっても、わたしの方に視線が向いていることは、それだけで脅威になる。
まして明日が収穫祭となれば、ずっと見張られているようなものだ。
「……あたま痛いわね」
「ふる舞いにお気を付けくださいませ」
堅い表情を崩さないフレイヤに、ぎこちなくうなずいた。
Ψ
収穫祭決行の報せで、離宮はてんてこまいになった。
昨日の騒動で、直前の準備期間を1日無駄にしてしまったメイドたちが、慌ただしく駆け回る。
差配をフレイヤに任せ、わたしは再び隠し部屋に降りて、アーヴィド王子の看病をイサクと替わった。
地上の喧騒が嘘のような、静寂。
せまい地下室には、アーヴィド王子の荒い呼吸音だけが響く。
昨晩は一睡もしていないのに、眠気はおきない。
アーヴィド王子の逞しい胸板をつたう汗を、そっと拭う。
そろそろ水分を摂らないと危険だ。
だけど、上体を起こして水差しから口に含ませても、飲み下してくれない。
意識を失った状態の負傷兵に、水を飲ませた記憶を何度もたどる。
いくつかのやり方を思い出しながら試すのだけど、まるで生きることを拒むかのように、吐き出されてしまう。
丸一日、水を飲まずにいるのに、高熱で汗がとまらない。
口のなかを湿らせるだけでは、身体のなかの水分が足りなくなるはずだ。
「……イヤになっちゃった? 生きるのが? ……死んじゃうよ?」
わたしの呼び掛けに、アーヴィド王子は答えてくれない。
このまま、お別れになるのだろうか?
いや、わたしが収穫祭に行っている間に旅立たれては、臨終にすら立ち会えない。
「……母をのこして旅立つなど、……許しませんよ?」
――いやいや、母上! そんなことはしませんよ!?
と、アーヴィド王子の明るい返事を、いまは聞くことができない。
4つ歳上の息子。
わたしが心ひそかに愛する人。
生死のはざまで……、戦ってはくれないのだろうか?
「わたしを生かしておいて、先に逝こうとするなんて、……ひどいわ」
わたしとて明日、王宮から生きて出られる保証はない。
王を、王国を、そして姉王妃トゥイッカを、裏切っているのはわたしだ。
わたしがアーヴィド王子の無実を信じているからといって、匿うことはまぎれもなく王国への裏切りで、大罪。
ことが露見すれば、わたしの首は刎ねられ、姉や部族やたくさんの人たちを巻き添えにするだろう。
――わたしが……、道ならぬ恋に殉じてしまったがために。
わたしは水差しを両手で手に取り、ひと口、水を口に含ませる。
これで最期なのだというのなら、せめてアーヴィド王子には、わたしの望みをひとつだけ叶えてほしい。
レモンブロンドの前髪をかきあげ、アーヴィド王子の美しい顔をのぞき込む。
そっと唇を重ねて、目を閉じる。
わたしをアーヴィド王子のなかに溶かし込むように、舌を進ませ、唇を開かせる。
そろりと、わたしのほおに蓄えた水を王子の口の中へと移してゆく。わたしの心を送り込むように――、
――あ。
わたしの舌先に触れたやわらかな感触が、アーヴィド王子の舌だと気付いた瞬間、
――ゴクリ。
王子の喉から、かすかな音が漏れた。
安堵の涙がひと筋、ほおを伝った。
――生きて……、わたしのために。
わたしの身勝手な想いを、アーヴィド王子に押し付けているのかもしれない。
でも――、
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へへんっと笑って、涙をぬぐった。
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