【本編完結】嫌われ偽聖者の俺に、最狂聖騎士が死ぬほど執心する理由

司馬犬

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3章

6.偽聖者は読めなかった

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 聖騎士は、この国の騎士の中では憧れの職だ。
 生半可な努力では決して到達できず、それこそ血のにじむ努力と才能が必要だ。フシェンだって相当な苦労をしたはずだ。それをあっさりと辞めると口にしたのだ。驚かない方が無理と言えるだろう。
 
「当然のことだよ。ああ、もしかして忘れてる?」
 
 驚いた俺を見て、フシェンは不思議そうに小首を傾げた。そして、手をこちらに伸ばして、頬に触れる。俺の横髪を掻き分け、少し固い手がゆっくりと頬を撫でた。
 
「レダが言ったんだろう? “俺の側で生きろ”ってね」
 
 フシェンは、笑った。
 それは柔らかくて、少し照れくさそうで──そして、どこか寂しさを含んだような笑みだった。
 それを見ていると心臓の奥がぎゅっと締め付けられて、苦しくなる。
 
「実のところ、未だにあの方の元に行きたいと願いは変わっていないんだよ」
「……フシェン」
 
 俺がフシェンを睨みつけると、彼は少し眉を垂らして肩を竦めた。しかし、俺も内心では当然だと考えていた。俺の言葉一つくらいで、彼の考え方を一変させることなどできるはずもないとわかっていたからだ。
 フシェンは、ただ俺の頬を優しく撫で続ける。俺はその手から逃げてもいいし、避けてもいい。しかし、俺はそうしたいとは思わなかった。
 
「けれど、初めてだったんだよ。大切だって言われたのは」
 
 小さな風が吹き抜け、夜に溶けそうな黒い髪が揺れる。翠色の瞳は俺を捉えたままで、決して逸らさない。優しい温かさに満ちた瞳が眩しそうに細められる。
 
「──初めてだったんだ……側で生きろって言われたのも」
 
 フシェンの微かに寂しそうな声は小さく、風音でかき消されそうな程だった。それでもしっかりと俺の耳には届いて、心臓がきゅっと締め付けられているような痛みが続く。
 痛みといっても不快ではなく、嬉しいような苦しいような例えようのない感情が沸き上がってくる。
 そうすると、なんだか無性にフシェンを抱きしめたくなって、その手を強く握ってあげたくなる。
 しかし、それはさすがにまずい。今感情のまま動くと……つい、変なことを言い出してしまいそうだった。
 
「だからこそ、言ったことの責任はとって貰わないと困るな。レダが聖者じゃなくても、どこにでもついていくよ」
「どこでも、とは大きく出たな」
 
 しっかりと言い切るところがフシェンらしく、俺は思わず口許が緩む。すると、それにつられたのかフシェンも小さく笑ってから、その場に跪いた。
 
「うん、どこでもついていくよ。手足をもがれようとも、レダが逃げようとも」
 
 フシェンはテラスの床に片膝を突き、顔をゆっくりと上に向けた。そして、俺の手をそっと掴むと、そのまま手の甲に唇を落とした。
 
「私は絶対に逃がさないつもりだから、安心してほしい」
 
 この体勢は、聖者の間でフシェンと出会った時のことを思い出させる。あの時のフシェンは血まみれの手で俺を掴んで、陶酔したような笑顔を向けていた。
 今のフシェンの手は血に濡れていない。そして、微笑みなどは向けずに真っ直ぐにこちらを見ているだけだ。
 それなのに、あの時よりも翠色の瞳は獰猛で、鋭い。以前の瞳に宿っていたのが甘い熱だとすれば、今見えるのは溶岩のような激しい熱さを感じる。
 どろりどろりと、全てを溶かしても決して止まらない熱情が今の俺に注がれていた。
 俺の背筋がぞくりと震える。フシェンは言った通りに行動するような男だと俺は知っている。文字通り手足がちぎれても、俺の側にいるつもりだろう。
 しかし、果たしてそれは俺が愛していると伝えても、変わらないのだろうか。
 
「……さてと、レダはそろそろ寝たほうがいいね。明日は準備もあって早いから」
 
 フシェンは、先ほどのことが何もなかったかのように微笑んでみせると、立ち上がって俺に背を向けてしまう。
 
「あ、ああ。聖者の正装に着替えるんだったな。明日の朝は勝手に入ってくれていいから」
「うん、わかったよ。私はここに少し仕掛けを張ってから部屋に戻るから、先に寝てくれ」
 
 どうやらテラスからの襲撃を避けるために何か罠でも張るらしく、俺がいても邪魔だろう。
 言われた通り、部屋に戻るために窓を開く。それでも戻る前に一瞬だけ足を止めて、振り返った。
 
「おやすみ、フシェン」
「……おやすみ、レダ」
 
 フシェンは一度もこちらを振り返ることはしなかった。俺はそれを確認してから部屋へと戻る。部屋の明かりは消えているが、フシェンのためにいくつかの燭台には火が点いたままだ。それをしっかりと確認してから、フシェンにかけて貰った布を掴んで、ベッドに潜り込む。
 薄暗い天井をぼんやりと眺めていると、突如眼前に金色の霧が広がっていく。
 
『ねえねえ、レダ』
 
 ゴートだ。すっかり寝ているものだと思っていたが、どうやら起きていたらしい。シーツがもぞもぞと動いたかと思うと、指先だけがひょこりと顔を出した。
 
「起きてたのか」
 
 俺が小声で問いかけると、人差し指だけを左右に揺らして起きていることを知らせてくれる。ゴートは、いつもこの時間であれば、ぐっすりなのに今日は起きているなんてかなり珍しい。
 
「どうした?」
『レダはさぁ。僕の事どう思ってる?』
「どうって……」
 
 俺とゴートの付き合いはなんだかんだいって長い。五歳の時から、ゴートはずっと俺の側にいた。彼が、神業務以外で俺を助けたりしたことは一度もなかったが、俺のことで怒ってくれたり、悲しんでくれたりしていたことは知っている。
 だから、俺はゴートが好きだ。
 しかし俺は、彼に対してそういうことを言わないようにしていた。なぜなら、ゴートが優しい左手であることを知っているからだ。
 ゴートは傍観者であり、平等でなければならない。俺を好きになっても嫌いになっても、駄目だ。だからこそ、俺が好きだと伝えれば、優しい彼を苦しめることになるだろう。
 
「利き手より優秀な、左手だと思っているよ」
『そう? えへへ……♪』
 
 ゴートは器用なことに記号までしっかりと書いて感情を表してくれる。自分で言っておいてなんだが、どこが褒め言葉なのかよくわからない。しかし、ゴートはどうやら満足したようなので、よしとしよう。
 金色の霧は宙から消え失せて、暫く時間が流れる。そのまま眠ってしまったのかと思っていると、ゴートはごそごそと動き出して、俺の右手に近付く。
 
『あのね、レダ。僕はね……本当はね』
 
 ゴートは俺の人差し指を、二本の指できゅっと優しく握った。ゴートの手はいつだって温かい。
 続く文字を待っていたが、なかなか現れない。すると眠気がゆっくりと俺に襲い掛かってきて、段々と目蓋が重くなってくる。
 必死に耐えようとしたが、意識は途切れ途切れになって、耐えきれず目蓋を閉じた。その最後の瞬間、金色の霧を見たような気がしたが、俺の意識は闇に飲まれて、読むことはできないまま眠りに落ちていった。
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