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第1章

9.

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「……今戻った」

 扉を開いて中に入れば、変わらない家とベッドにいるアカ。それを確認してキーリは下唇を小さく噛みしめた。
 結局、かなりの時間をあの場所で過ごしてしまい、何も手に入れる事は出来ないまま帰ってきてしまったのだ。
 まだ少し食料は残っている、明日また頑張ればいいとキーリは自分に言い聞かす。それでも気力が戻る事はなく、疲労感が全身を包んでいた。
 キーリは無気力になり、帰ってすぐに床に転がり横になる。寝転んだ状態でくるりと背を丸めて、膝を抱えた。
 そのまま目蓋を閉じてじっとして、どれくらいの時間が過ぎただろう。
 キーリは半分眠気に襲われていたが、大きな物音がして驚いて目が覚める。
 音の方へ目を向けると、側にはアカがいた。アカの足はまだ完治していない。それでも何かを支えにすれば、どうにか歩けるくらいには回復していた。
 アカは、ベッドに掴まりながらこちらに来たのだろう。今はキーリのすぐ側に座り込んで見下ろしていた。

「どうかしたのか、キーリ」

 それは心配の言葉だったので、キーリは驚いた。
 アカは、全くもって自分に興味がないとキーリは思っていた。しかし、キーリを見ているその瞳の奥には憂心が滲んでいる。
 赤い瞳、頬から首にかかる火傷の痕、深い傷。キーリはそれらをゆっくりと眺めてから、間違いないと改めて確信した。
 トーマック一家が探しているのは、アカだろう。
 あの瞬間は誤魔化したが、彼らの事だ。いずれここにいる事もバレるだろう事は想像に難くなかった。そうなればアカもキーリも終わりだ。

「キーリ」

 アカに対してキーリは割とお喋りだった。それなのに、帰宅と同時に黙り込んでいるので、アカも心配なのだろう。
 しかし、キーリの頭の中は先程の事でいっぱいだった。

 ──アカはどうして、トーマック一家と揉めたんだ? 何をしたんだ?

 アカを問い詰めて聞いた方がいいのだろうか、とも考える。しかし、アカは答えてくれるのだろうか。
 そのような考えばかりがぐるぐる巡って、気分も悪さが増す。
 不安、恐怖、悲しみ。色々な感情がキーリの心を埋め尽くして、破裂しそうだった。
 そんな時に、キーリの頭に温かいものが触れた。
 それがアカの手だというのを少し遅れて気付いた。
 思った以上に温かい手が、キーリの髪をゆっくりと撫でてくれる。
 それには、またしても驚かされた。アカは断固として、キーリには触れないようにしていたからだ。

 ──ああ、こうして優しく頭撫でて貰えたのっていつぶりだっけ。

 考えて思い当たったのは、今は亡きキーリの父親だけだった。

「……アカは、さ」

 ぽつりと呟く。キーリは続く言葉は考えていなかった。ただアカに何かを伝えないと、そんな気持ちだけで声を掛けた。
 声に反応して、アカは真っ直ぐにこちらを見る。血の様な深さを持つ赤の中にキーリが映る。

「優しいよな」

 するりと口から零れたのは、素直な感情だった。わざわざ気にしてくれるなんて、アカは優しい人間だ。
 キーリがそう言うと、アカは何故か固まった。それこそ時を忘れたように動きを止めた。そして、何か答えようとしているのか唇だけが小さく動く。
 何と言いたかったのかわからない。それは声にはならずに、唇がぎゅっと強く閉じられてしまったからだ。
 そして、すぐさまキーリから顔を逸らしてしまった。
 キーリとしては何か気に障ったのかと、次にかける言葉に躊躇ってしまう。
 しかし、気のせいだろうか。
 一瞬見えたアカの顔が、今にも泣きそうに見えたのは。
 キーリは結局その日、トーマック一家の事をアカに話す事は出来ずにただ時間だけが過ぎていった。

 ◾︎◾︎◾︎

 キーリがトーマック一家の幹部、ロイドという男と会ってから今日で二日が過ぎていた。
 キーリとアカの同居生活はいまだに続いており、何の事件も起こっていない。
 最初こそは、見つかるのではとびくびく震えていたキーリだが、ここまで何にもないと大丈夫ではないだろうかと余裕がうまれてきていた。
 よくよく考えればアカがここから出た事は一度もない。本当にアカが探し人だとしても、わかるはずもないだろう。
 それに、アカが探し人であるかは決まっていないのだ。
 そうして臆病な自分を叱咤して、キーリは再度盗みの獲物探しに出かけることにした。怯えてまた家から出なかったので、本格的に食料が切れそうだったのだ。
 いつも通り家から出る前にアカに声を掛けて、キーリは家から出る。
 外は、快晴。気温も温かく気持ちがいい。家の前で大きく深呼吸する。
 頬を撫でる風も心地が良い。今日は良い事がありそうだ。
 昔父親が歌っていた鼻歌を真似て、上機嫌に歩き出す。家から最初の角を左手に曲がった時だった。
 そこには誰かが立っていて、とんっと軽く肩がぶつかる。

 ──しまった、油断していた。

 咄嗟に謝る体勢に入りながらも、相手の方を見る。そして────

「すっ、すいませ……っ」

 キーリの思考は停止した。

「いえ、気にしていませんよ。キーリさん」

 見覚えのある顔、頭に巻かれたバンダナ、ここらであまり聞かない丁寧な口調。それらが一気に頭に飛び込んで、意識が一瞬飛びそうになる。
 じわじわと、現状を理解すると自然と足が震え始めた。そうなると逃げるのはもう無理だ。喉を鳴らして唾を飲み込んだ。しかし、すぐに口の中が乾いていく。

「──ろ、ろ……ロイド、さん?」

 キーリが名前を呼ぶと、彼は両目を薄く細め、唇は綺麗な弧を描いた。
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