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第2章

12.

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 狼面の人物は、殴り飛ばした男を見下ろしながら、ふうと小さく息を吐いた。
 そこには微かな疲労が滲んでおり、この戦闘が狼面の人物にとっては予想外のものであった事を感じさせる。それでも、咄嗟の対応に迷いはなく、こういう荒事には慣れているようだった。
 彼はすぐさま踵を返し、真っ直ぐキーリの元へ戻ってくる。先程と同じように手を伸ばしてくるが、次は抵抗しなかった。身動き一つせず、狼面の人物に身を任せた。
 そのままキーリを軽々と肩に抱え上げる。そこで狼面の人物が、男だという事がはっきりとわかった。
 背丈に似合わない怪力、ラルの寵愛の力。それらはキーリからすれば、この面の下の人物を予想するには十分過ぎるものだった。
 
「……アレン、か?」
 
 キーリが名前を口にした瞬間、狼面の人物の動きが止まる。動揺が滲んだその反応は、答えたのと同じではないだろうか。
 勘に近い考えだった。キーリにはこの狼面の人物はアレンだと感じる。しかし、それが事実としても、何故アレンがこの仮面をつけているのかがわからなかった。
 キーリが続けて問いかけようと唇を開いたが、再び小屋内に飛び込んできた影を見て、それは引き攣った声へと変わる。
 
「ひっ!」
「なっ、なにがどうなって……!」
 
 小屋内に飛び込んで来たのはギザットだ。彼は小屋の惨状を目の当たりにして、愕然としている。
 当然の反応だった。少し離れた途端に、仲間が二人も倒されてしまっているのだ。
 しかし、ギザットも荒事には慣れていた。すぐに我に返ると、敵から目を離さずにマチェーテを取り出す。すぐさま戦闘態勢へと変わる。そして、怒りと殺気に満ちた瞳は狼面の人物を捉えた。
 
「てめえか! お前……夜の狼の人間か! なるほど、お仲間を助けに来たってことか」
「……」
「ここにきてタダですむと思ってねえよなあ!」
 
 狼面の人物は答えなかった。ただ黙って立っている。
 一触即発。張り詰めた空気は、呼吸さえ許されないと錯覚する。
 事件の中心人物であるキーリは、狼面の人物の肩で身体を小さく震わせていた。
 ギザットはマチェーテを片手にゆっくりと前へ進む。それに反して狼面の人物は動かない。キーリを抱えたままで、静かに息を整えている。
 キーリ自身の考えが当たっており、アレンだとすればラルの力がまだ残っているはずだ。
 限度は四回。あれほど愛している弟が相手なら、間違いなく限度まであるだろう。先程二回その音を聞いた為、残りは二回。それを使えば間違いなくギザットの隙をつく事が出来る。
 それを知っているキーリは、狼面の人物への心配と緊張から震えていた。更に未だ抱えられたままであり、いつ投げ捨てられるか、その点も不安で気が気でない。
 そして、次第に二人の距離が縮まり、ギザットのマチェーテが届く範囲にまで近付いた。
 その時だ。 
 
「​───これは、どういう状況だ」
 
 新たな声が、小屋内に響き渡る。
 その声の主に全員の視線が向かう。その彼は狼面の人物と同じ厚手のローブを纏っていたが、雨で濡れたそれをすぐさま無造作に脱ぎ捨てた。
 見えるのは火傷の痕、鮮血のような瞳、夜の闇を吸い込んだような黒髪。
 
「……さ、サラディ」
 
 誰よりも早く、その人物の名前を呼んだのはキーリだった。
 そして、その声に反応しサラディは直ぐにそちらを捉える。瞳が大きく見開き、一瞬固まる。
 固まったのはその一瞬だけだ。次には、表情から感情は全て削ぎ落とされる。瞳は暗く濁り、光は見えない。
 その場の空気が変わる。
 
「キーリを、どこに連れていくつもりだ?」
 
 サラディは狼面の人物から目を逸らさないまま、ナイフを取り出す。
 そして、すぐにその刃先を自分に向け始め、自身の掌を切り裂いた。その動作は息をするように平然と行われた。
 
「何して……サラディ、っ!?」
 
 痛々しい行動にキーリは眉を顰め、慌てて名前を叫ぶ。
 切り裂いた箇所からは真っ赤な血が溢れ、ぽたぽたと床へ滴り落ちていく。
 
「ひっ、ボス! お、お待ちを!」
 
 サラディの行動に、狼面の男とキーリは困惑する。しかし、この場でただ一人、ギザットだけが引き攣った悲鳴を上げた。それは恐怖に染まった声だった。
 ギザットは、すぐにキーリ達から離れていく。背を向けなりふり構わず逃げていくのだ。その様子は異常だ。
 何が起きるのかわからない狼面の人物は警戒し、真正面から立ち向かうような体勢をとる。
 一方、キーリはサラディの血から目を離せないでいた。
 
 ​───何だ。何か、思い出せそうな……。
 
 キーリの記憶に今のサラディと似た姿を感じ、眉を顰める。
 戦闘はリズムゲームとなる為、その画面に映るのは可愛くデフォルト化された各キャラ達の戦闘だ。
 ただ、高難易度で遊んでいたキーリは各キャラ達の動きを楽しむ余裕がなかった。だから、はっきりと覚えていない。
 それでも、覚えてしまう程に繰り返し動きを見たキャラが一人だけいる。それが、何度も負けた最後のボスであるサラディだ。
 キャラはデフォルト化して、可愛らしい動きだったが、それに合わないモーションだった。
 キーリの記憶と重なる。同じように自分の身体を切り裂き、そして​─────。
 サラディは血の滴る手を力強く横薙ぎに振る。ただそれだけだ。
 同時に血が雫となり、勢い良く散っていく。
 散った血は真っ直ぐ狼面の人物の方へと向かっていく。その時に、そのモーションがキーリの頭に浮かび上がった。
 
「か、屈め!」
 
 キーリが叫ぶ。一瞬、狼面の人物は身を固くしたが判断は早かった。すぐにキーリの言葉を聞き、上体を下げる。しかし、咄嗟の行動だった為にキーリを気遣う事は出来なかった。
 
「ぐえっ」
 
 キーリは、屈んだ反動で肩から滑り、潰れた蛙のような鳴き声を上げて床へ落ちた。
 サラディによって飛ばされた血は、先程狼面の人物の頭上を通り抜けていく。そして、そのまま壁まで飛び​───刺さった。
 血が刺さったのだ。いつの間にかサラディの血は滴ではなく、細長い鋭い針のような形になっていた。木の壁にしっかり刺さっており、その鋭さと硬度にキーリは震え上がる。
 これがサラディの力だと理解する。血の神に寵愛されし者。
 あれが、あのまま直接刺さればと考えたキーリの背筋に悪寒が走る。
 サラディは、キーリが床に放り投げられた事を一瞥すると安堵したような表情を一瞬だけ浮かべる。
 そして、血塗れの手で狼面の人物に人差し指を向けた。
 
「死にたくなければ、そのままキーリを置いて去れ」
「……」
 
 狼面の人物は何も答えない。ただ拳を握り締め、腰を落とした。それはサラディを敵として、応戦する構えだ。それらの行動を見て、サラディは地を這うような低い声で吐き捨てた。
 
「……そうか、わかったよ。殺してやる」
 
 そして、笑う。口角を高く吊り上げた凶暴な笑みは、背筋が震える程に恐ろしいものだった。
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