それは悲劇などではなく

陽花紫

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出会い

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 王都の中心に聳える白金の王宮は、陽の光を浴びるたびに万の輝きを放っていた。
 しかしその美しさの裏で、人間と獣人のあいだには未だ目に見えぬ深い境目が存在していた。

 人間は仕える者として生まれ、獣人は治める者として育つ。
 そのような王宮の片隅で、雑用係として働くとある青年はいつも静かに掃除道具を抱えていた。

 名前を、カズという。
 孤児として拾われ、この王宮で今日まで働きながら生き永らえてきたのである。

 王族である獣人が、複数の足音をたててやってくる。
 カズは思わず、物陰にその身を隠していた。
 下を向くこと、息を潜めること、誰にも気づかれぬように過ごすこと。
 それだけが、カズの生き残る術であった。

 けれどある日を境に、その静けさは音を立てて崩れていく。


「……お前、名前は?」

 黄金の髪を持つ一人の獣人が、階段の上からカズのことを見下ろしていたのだ。
 それは獅子の血を引く王子、レムであった。
 この王宮には、数多の王子が存在した。レムが何番目の王子であるのか、カズには知る由もなかった。
 ただその瞳の色だけは、決して忘れられることはなかった。
 燃えるような琥珀色でありながらも、その底にかすかな哀しみを抱いていたのだから。

 王族の命令は、絶対的なものである。
 カズはそっと呼吸を整え、礼の姿勢をとっていた。

「……カズ、と申します」
「カズ。良い名前だ」

 そう、レムは微笑んだ。
 その微笑みは、王宮で生きる人間の誰もが知らぬほどひどく優しいものであった。

「ああ、俺のことは気にしないで……。このまま、仕事を続けてくれ」

 レムは興味深そうに、カズの働きぶりを見つめていた。

「綺麗なものだ。掃除は、誰かに仕込まれたのか?」
「いえ……。生きるために覚えました」

 その答えに、レムは小さく頷いた。
 そして何を思ったのか、その大きな手がそっとカズの小さな手を包み込む。
 思わず、カズの肩がびくりと跳ねる。

「冷たいな」
「す、すみません……」
「謝るようなことではない。穢れを払う、美しい手だ」

 その言葉に、カズの心がわずかに揺らめく。
 このようにも温かく自らのことを見つめる存在が、この王宮にいたとは。

 それからの日々、レムは不思議なほど頻繁にカズのもとを訪ねていた。
 廊下で気さくに声をかけ、庭で水を汲んでいようものならば、そばへと近づき咲き誇る花々の話をしてみせた。

「この花は、暁の花とも呼ばれている。夜明けにしか、その花は咲かない」
「夜明けに……」
「暗闇を恐れず、光を待つ花とも言われている」

 その言葉は、まるでカズ自身に向けられているようでもあったのだ。

 カズは戸惑いながらも、レムの優しさに少しずつその心を開いていく。
 二人はその立場も身分も、種族さえ何もかもが異なっていた。
 しかし、ささやかに笑いあえる時間があったのだ。
 それだけで、互いはこの世を少しは生きていけるような気がしていた。

***

 ある、夜のこと。
 王宮の庭園では盛大な宴が催されていた。
 数多の獣人たちが笑い声をあげる中で、人間の使用人たちはただ黙々と給仕に従事していた。

 カズもそのうちの一人であったが、その途中でふと足を止める。
 深い青の衣を纏ったレムが、人々の群れの中からまっすぐに彼のことを見つめていたのだ。
 その眼差しが、やけに熱いものであるかのように感じられた。
 もはや言葉など交わさずとも、互いの心は確かに通じ合っていたのだ。

 宴が終わったあと、カズが人気のない廊下を掃除していると背後で静かな足音が響く。
 振り向くよりも早く、その背にあたたかなぬくもりが触れていた。

「……誰かに見られます」
「大丈夫だ、誰も来やしない」

 レムの低い声が、カズの耳もとで大きく震えた。
 その逞しい腕が、細く小さなカズの身を包み込む。
 胸の奥が、苦しいほどに熱く燃え上がる。

「カズ」
「はい……」
「お前のことが、どうしようもなく愛おしい」

 その囁きは、獣のような響きを帯びていた。
 カズは何も言うことができず、ただレムの胸にその身を静かに預けていた。
 王子と使用人、獣人と人間。
 許されぬ関係であることは、互いに理解をしていた。
 しかしこのひとときだけは、二人はただの男と男であったのだ。

 夜が深まる頃、カズはレムの寝台の上で静かに息を吐いていた。
 レムはカズの額に唇を落としてから、こう呟く。

「いつか……。このすべてを手放してでも、お前を選ぶ日が来るかもしれない」

 その言葉が真実になることを、このときのカズはまだ知らない。
 ただ、胸の奥で密かに祈りを捧げていた。

 ――どうか、この温もりが永遠に続きますように。

 白金の月が、抱き合う二人の男を見守るかのように照らしていた。
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