それは悲劇などではなく

陽花紫

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秘めやかな愛

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 ひどく静かな、朝であった。
 王宮の中庭に差す陽の光が白い石畳を照らし、噴水の水音が優しく響く。
 その中で、カズはレムの寝顔をただ息を潜めて見つめていた。

 大きなその身が、規則正しく動いていた。
 いま一度、その胸に顔を埋める。
 逞しい胸の鼓動が、力強く広がっていくようでもあったのだ。
 この温もりを感じている瞬間だけが、この世の全てのことを忘れさせるようでもあった。

「……もうすぐ、朝です……」

 カズがそう呟くと、レムは薄く目を開けわずかに唇の端を上げていく。

「……逃げるのか?」
「いいえ。ただ……、人の気配がする前に戻らないと……」
「嫌だ」

 レムは力強く、カズの腰を抱き寄せた。
 その指先が、カズの肌の上をゆっくりと撫でていく。
 獣人の手は人間のものよりわずかに皮膚が分厚く硬いというのに、どこまでも優しいものであったのだ。

「ここを出たら、また互いに知らぬ顔をしなくてはならないのか……」
「……誰かに見つかれば、あなたさまのお立場が」
「立場など、大したものではない」

 その言葉は、真実であった。
 しかし、カズには恐ろしいものであるかのように感じられた。
 獣人が、王子という存在が背負うその重さを、カズは知っていたのだから。

「俺はこれまで、自由というものを感じたことがなかった」
「自由……」
「だが、お前と過ごすこのひとときだけは、俺は息をすることができている」

 カズの胸が、わずかに痛む。
 どれほど甘い言葉を交わしても、何度その肌を重ねても現実は決して変わらない。
 しかし、レムの真っ直ぐな瞳に抗うことができずにいた。

「……レム様、」
「レムでいい」
「レム。……俺も、あなたさまといるときが一番幸せです」

 その瞬間、レムの瞳は柔らかく揺れ二人は静かに唇を重ねていく。
 それは、確かな愛の証でもあったのだ。

***

 あれから数ヶ月。
 季節が移ろう間にも、レムとカズは秘めやかな愛を育んでいた。

 ある日、カズは王宮の裏庭で洗濯物を干しながら、そっと腹部に手を当てた。
 その場所は、わずかな膨らみをみせていた。

 ――信じられない。

 心の中で、小さく呟く。
 人間であるカズが、獣人であるレムの子を授かったのであった。

 そのことを伝えた時、レムは心からの喜びを表していた。
 奇跡だ、とカズの身を何度も抱きしめ、溢れる涙まで見せていたのだ。

 しかしカズの胸に次第に広がるのは、喜びよりも恐れであった。
 この命は、王族の血を引く。そして自らは、ただの雑用係。

 生まれる前から、この存在は許されざるものでもあったのだ。

 夜、二人は密かに顔を合わせ、未来の言葉を並べていた。

「俺は、この国を変える。人間も獣人も、同じように生きることができるように」
「レム……」
「お前と、生まれてくる子のために……」

 カズは唇を噛みしめながら、そっとレムの手を包み込む。
 握り返されたその手の強さに、思わず目に涙がにじむ。

「あなたさまがこの国を愛しているように、俺もまた、あなたさまを愛しています」

 レムの瞳もまた、悲しみに沈む。
 しかし彼は何も言わず、ただカズの身を強く抱き寄せるだけであった。

「愛しています」
「愛している」

 それが、最後の穏やかな夜であった。


 翌朝。
 王宮中に、大きなざわめきが駆け抜けていった。

「人間の使用人が、王子の子を身籠ったらしい」
「まさか……!」

 噂は瞬く間に広がり、王宮の長老たちが動き出す。
 そして、王の耳にも届くのにそうは時間はかからなかった。

 その日のうちに、カズは王の間へと連行された。
 冷たい石の間には王と側近たち、そして数多の王子のたちが集う中にレムの姿もあったのだ。

 レムは、血の気の失せた顔で立っていた。
 カズの身を庇おうと一歩前へと進み出たものの、王の低い声がそれを遮る。

「レム。立場を弁えよ」
「父上、ですが……」
「黙れ!この件は国家の恥だ。人間如きが王族の血を汚すことなど、あってはならないのだ」

 カズの身が、びくりと震えた。
 そのとき、レムが声を張り上げてこう叫んだ。

「この子は俺が望んだ命だ!誰にも奪わせやしない!」

 だが、王の視線は変わらず冷ややかなものであった。

「ならば、お前を王位継承から外す」

 その言葉に、レムは何も言えなくなってしまう。
 目の前のカズを守りたいというのに、王族という鎖は決してそれを許すことはなかった。

 その夜、カズは涙を流しながらわずかな荷物をまとめていた。
 誰も、彼を止めようとはしなかった。
 周囲の阻止を振り切り、レムだけが息を切らして駆け寄った。

 そして、震える手でカズの肩を掴んでいた。

「カズ、行くな……」
「行かなくてはなりません。俺がここにいれば、きっとあなたさまは壊れてしまう」
「もう、壊れてる。お前がいないと、俺は生きていけない」

 カズは努めて、にこやかに微笑んだ。

「生きてください。俺のために……」

 そして、涙を堪えて背を向けた。
 外の風が、やけに冷く吹き付けた。

 腹部に手を添えながら、カズはもうひとつの命を守り抜くために静かに一歩を踏み出した。
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