貴族の次男に転生した俺はこの身分を手放して自由を求めて生きていく

陽花紫

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アルベルト

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 街外れにある大きな木の下へと向かえば、すでにアルベルトが笑みを浮かべて待っていた。

 ひどく痩せ細ったその身に、一つに結ばれた傷んだ茶色の長い髪。
 その身に纏う服は俺のものよりさらに擦り切れていたけれど、深い赤の瞳は期待の炎に燃えていた。
 俺たちがかつて貴族の息子だったなんて、誰も信じられないだろう。

「ごめん、待たせた」
「いいや。今きたところだよ、リオ」
 その名を呼ばれるたびに、胸の奥が少しだけ熱くなる。
 もう俺は、リオンではない。
 ここにいるのは、ただのリオだ。
「行こうか、アル」
「そうだな」
 そしてアルベルトもまた、ただのアルになった。

 俺たちは、静かに連れ立って歩き出した。

 これから一緒に住む予定の家に向けて、何日もかけて歩いていた。
 アルが見つけたその小さな家は、これまで暮らしてきた屋敷からはあまりにも遠い場所にあったんだ。

 誰も俺たちのことを知らず、過去を詮索するような人もいない。
 その事実が、これほどこの心を軽くするとは思わなかった。

 アルは先に荷物を送っていたらしく、家に到着しても何一つとして不自由なことはなかった。
 簡素だが、しっかりとした造りの小さな家。
 ほのかに木の匂いがして、窓からは柔らかな光が差し込んでいた。

 どさりと椅子に腰を下ろして、俺たちは疲れ切った足を投げ出していた。
「……やっと、解放されたな。リオ」
「そうだな、アル」
 互いに新たな名を呼び合って、思わず心の底から笑みがこぼれた。
 それは俺が、貴族だった頃には決して見せなかったものでもあった。

 ――これから、穏やかな日々がはじまるんだ。

 心から、そう思えた。

***

 アルは貴族らしくなく、料理も洗濯も手慣れたものだった。
 俺もまた、前世の知識を活かして手伝いながら平民としての暮らしを楽しんでいた。
 地位も名誉も、そこまで金もないけれど。
 それでも自由な時間と、確かな幸せを手に入れていた。

 朝は一緒に目を覚まして、食卓を囲む。
 昼はそれぞれ好きなことをして、夕方にはまた顔を合わせる。

 これまで疲れきっていたアルの表情は、日を追うごとに柔らいでいた。
 数多の借金や責任からも解放されて、これまでに見たどの顔よりも、生き生きとしていたんだ。
 アルはいつも、庭の手入れに汗を流していた。
 そしていつの間にか、色とりどりの花が咲くようになっていた。
 自然と触れ合うことが、唯一の楽しみだと言っていた。
 そして俺は、屋敷から持ってきた多くの本を少しずつ読み終えていた。

「リオ、今日はどんな本を読んだんだ?」
「うん?冒険の話だよ」
「へえ……、面白い?」
「まあまあかな」
「そうなんだ……。読み終わったら、借りても?」
「もちろんだよ」

 一緒に食事をとって、こうして肩を並べて笑って。
 時には、一緒に湯なんか浴びて。
 そして寝台の中で、静かにこの唇を重ねていく。

 実は、俺たちは恋人同士でもあったんだ。

***

 いつしか、あの施設に顔を出すうちに。
 俺は、アルの優しさと控えめな佇まいに惹かれていた。

 最初は、違うとわかっていながらも、かつての使用人であったフランの姿をアルの身に重ねていた。
 もしかしたら、失った温もりを探していたのかもしれない。
 けれど、アルはフランとは違っていた。
 優しいだけじゃ、なかったんだ。
 貴族の長子として培われた、静かな誇りと、強い情熱をその胸に秘めていたのだから。

 初めて二人きりで話をした日のことを、今でもよく覚えている。
 アルは、俺の手をしっかりと握りしめてこう言った。
「君を、好きになってしまったんだ」
「えっ?」
 何を言われたのか、信じられなかった。
 あまりにも突然で、それから先の言葉は出なかった。

 一目惚れなのだと、アルは小さな声で、けれど饒舌に語っていた。
「身分を手放すことになった時には、どうか俺と一緒に暮らしてほしい。もう、家も決めてあるんだ」
 その必死さに、胸がひどく締め付けられた。
 それでも俺は、すぐには頷くことができなかった。
 大切な人を失うことが、怖かったからだ。

 それでも、何度か言葉を交わすうちに。
 アルからの確かな愛を感じていくうちに、俺は答えを決めていた。

 そして今、こうして愛する人と共に生きることの尊さを感じている。

「毎日が、幸せだ。リオと同じ時を過ごせるのだから……」
 そう微笑むアルに向けて、俺は正直な気持ちを返していた。
「俺もだよ。……幸せすぎて、怖いくらいだ」
「リオでも、怖いことがあるんだな」
「あるよ。……アルは?」
 アルは少し考えてから、静かに告げた。
「……リオがいなくなるのが、怖い」
「いなくならないよ、アル」

 そう言いながら、俺はその細い身を強く抱き寄せていた。
 失うことを知っているからこそ、今の幸せがやけに眩しく感じられていた。

 アルは深く、俺のことを愛してくれていた。
 そして俺もまた、アルのことを心から愛している。
 この幸せを、誰にも邪魔されたくはなかった。
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