貴族の次男に転生した俺はこの身分を手放して自由を求めて生きていく

陽花紫

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新たな出会いと終着地

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「そこの君、西の方へ向かうのかい?」

 ふいにかけられたその声に、足を止める。
 そこには、商人にしては妙に整った身なりの男がいた。
 風に揺れる外套は上質なものでありながら、革靴には長旅の埃がついていた。
 けれど不思議と、野暮ったさがない。
「……そんな、ところです」
 曖昧に返事をすれば、男は楽しそうに笑っていた。
「よかったら、乗せていくよ。久々の一人旅で、少し寂しい思いをしていたんだ」

 疑うべきだったのかもしれない。
 けれど俺にはもう、疑う気力すら残ってはいなかった。
 こうして俺は、ハンスと名乗る男の荷馬車の荷台にこの身を預けることになっていく。

 ハンスは西にそびえる大きな山を越えて、その先の街まで荷物を届ける途中だと言っていた。
 道中は数日、決して短くはない旅路でもあった。

「君、訳ありだろう?」
 揺れる馬車の中で、ハンスは軽快な口調でそう言った。
「……兄から、逃げているんです」
 俺は、簡潔にそう告げた。
 それ以上を、語るつもりはなかった。
「喧嘩でもしたのかい?」
 けれどそう尋ねる琥珀色の瞳が、あまりにも澄んで煌めいていて。
 これ以上嘘を重ねることが、ひどく醜い行いであるかのように思えてしまっていたんだ。

 ハンスは、癖のある黒髪に褐色の肌をしていた。
 南の地の生まれだと語り、その風土を思わせるような、強くて柔らかな雰囲気をその身に纏っていた。

 気づけば俺は、幼い頃からのこと。兄のこと、そして逃げ出すまでの経緯を、ぽつりぽつりと語っていた。

「貴族の坊っちゃんが、わざわざ平民にねぇ……」
 ハンスは驚いた様子で目を瞬かせたあと、すぐさま笑ってこう言った。
「でもさ、世界が広がるのは悪いことじゃない。むしろ、いいことだと思うよ」
 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
 そのようなことを言われたのは、身分を捨てたあの時以来でもあったのだから。

「街についたら、リオはどうするんだ?」
「住み込みで働けそうなところを、探すつもりで……」
 そう答えると、ハンスは満足そうに頷いた。

 道中、俺は自然とハンスの手伝いをするようになっていた。
 荷物を下ろし、新たな積み荷を受け取って、再び縄を結び直す。
「ありがとう、リオ。助かるよ」
 そのたびに、ハンスは必ず礼を言った。
 それが当たり前でないことを、俺はよく知っていた。
 あの時声をかけてくれたのがハンスでよかったと、俺はしみじみ感じていた。

 けれど夜になると、途端に不安と恐怖がこの身を襲う。
 暗い闇の中で、兄の声が蘇る。追われる感覚、捕まる悪夢。

 俺とハンスは馬を繋いで、荷台の隅で静かに身を寄せ合って横になっていた。
 しかし眠ろうとしても、ひどくこの身は震えてしまう。

 毎夜そうしていることに、ハンスは気づいたのだろう。
 ある日何も言わず、そっと俺の手を握ってくれた。
 それはアルともフレイとも違う、あたたかな温もりでもあった。

 思わずその腕に甘えたくなってしまった時、ハンスは困ったように眉を寄せていた。
「俺には、想う人がいる」
 突き放すような、静かな声だった。
「血の繋がらない姉でね。……幼い頃から、ずっと一緒だった」
 その言葉に、胸がひどく締めつけられた。
 ハンスは琥珀色の瞳を潤ませて、苦しげな声を出していた。
「……だから。君のお兄さんの気持ち、少しはわかるような気がするんだ」
「ハンス……」
「理由はどうであれ、幼い頃から意中の相手とずっと一緒にいたのなら。その想いは……、どうにもできないほど、複雑なものになってしまう」
 それは決して許されない感情であり、押し殺すべき想いでもあるとハンスは悲しそうに笑っていた。
「むしろ君は、逃げることができてよかった」
 そして、ぽんと軽く俺の肩を叩いた。
「……俺も、距離を置いている。自分と相手を、傷つけないためにも」
 その言葉に、俺は静かに頷いた。

 ――求めてはいけないものほど、強く惹かれてしまう。

 それは、俺自身が一番よく知っていることでもあったからだ。

***

 数日後、やっと目的地である街へと俺たちは辿り着いていた。
「ありがとう、ハンス」
「達者でな、リオ」
 握手を交わして、俺は静かに歩き出す。
 不思議と、寂しさはなかった。
 あとから思い返せば、ハンスは旅の途中で出会った、導標のような存在だったのかもしれない。

 一人、見知らぬ街を歩き続ける。
 そして奇しくも、俺は元貴族の男と出会うことになる。

「リオです、よろしくお願いします」
 とある商家の住み込みの裏方仕事を見つけた俺は、すぐさま頭を下げていた。
 元貴族であったことを正直に打ち明けて、兄から逃げているという事情も話した。

 雇い主は、帳簿を一瞥しただけでこう言った。
「読み書き計算ができれば、それでいい。余計な詮索はしない」
 そして、後方を振り返る。
「セド、教えてやれ」
「はい」
 その軽やかな声に、俺は顔を上げて息を呑む。
「よろしくお願いします」
「その声……。お前……まさか、リオンか?」
「今の名前は、リオだ」
 それはかつての幼馴染の貴族、セドリックでもあったんだ。
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