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#5 そして、最弱冒険者は諦めた。
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呼吸を整える暇もなかった。
『きたああああああああああああ!!!』
『はい、伝説の幕開け』
『史上最強の最弱冒険者』
『最強なのか最弱なのかはっきりしろ。いや、めっちゃ分かるけどwww』
「わ、は!? え!? ちょちょちょちょ、なにこれっ!? まだ開始2秒だぞ!?」
開始二秒にして雪崩のように爆発するコメント欄。
シーカーズでの配信で流れるコメントとはまるで違う。速すぎるし、あ、あったかい……。
『クソ動揺してて草』
『いなばんまじ可愛い!』
『めっちゃ応援してる!』
『今日はなにするの!』
なんてぽかぽかなコメントの数々に、思わず瞳を潤わせる。
「えっと、今日は何かするってわけでもなくて、つか、俺も混乱してて、何がなんだか、みたいな――って、ぇぇえぇぇええええ!?」
訥々と言葉を繰り出す内に、視界の隅に映る同時接続数がみるみるうちに急増していく。それは止まることを知らず、すでに2万もの視聴者がこの配信を見ていた。3万、4万、分刻みに1万人ずつ増えていく。
えっと、確かトップ配信者のミルケラさんが平均視聴者数8万で、次点で人気なあの人が5万くらいだから……え、今俺、トップ配信者レベルじゃね?
嘘だろ? 昨日まで、ゴミみたいな配信してた俺が?
「なにこれ、どうなってんの!? バグ!? バグだよね、違う? 嘘、俺今こんな人気なの!? これ、どうなんの!? 俺どうなっちゃうの!?」
"落ち着けwwwどうにもならねぇよwww"
"ああ、大人気だぞ。つぶやいたーのトレンド一位がお前な"
"はぁああ、相変わらず陰キャ感あってまじですこ"
"部屋きったねぇwww"
"ティッシュまみれで臭くてさいこー!"
「ティッ……!?」
カァアァア、と顔が熱くなる。
何も言わずそそくさとティッシュの山を画面に映らないようにずらして、何もなかったように言葉を紡いだ。
「いや、ヒヨりんさんのお陰で人気出たのは知ってたけど、まさかこんな……。俺なんて、道端に落ちてるゴミクズより無価値なのに、なんで……」
"おい、サラッとティッシュなかったことにすんな思春期ガキ"
"自己肯定感鬼低くて草"
"え、この人まじでだれ? なんでこんなに人いんの?"
"ほい、これURL【最弱冒険者稲葉、10分まとめ】"
"簡単に言うと、ゴブリンにもボコされる雑魚なのに格上殺しに挑戦するヤバイやつ"
"改めて聞くとヤバすぎるwwwwしかもそれで良い感じに戦ってたのが凄すぎるwww"
"ちな格上殺しってのは、未だに成功者が世界に一人もいない挑戦。具体的には3ランク上の魔物を狩る行為を指す。今いるSランクの奴らも割りと失敗者多い"
慌てふためく俺本人のことなど気にもとめず、自分勝手に盛り上がっていくコメント欄。その勢いは留まることを知らずにますます熱を帯びていく。
一方の俺はといえば、とうとう10万まで増えた視聴者数を見て、逆に冷静になりつつあった。なんか、現実味が薄れてきたというか。もはや実感が湧かない。
ただ気になることは一つだけだ。
「こんだけ人集まったら……いくらくらい稼げんだろ」
"初配信にして爆弾発言出てて草"
"いいぞ、いっぱい広告付けろ"
"【ウルチャ:50,000円】はい、これ妹さんへ"
コメント欄を流れる赤い文字に、「ひぅ」と変な声が漏れた。
腹の奥底に熱のわだかまりが出来て、ゆっくりと喉元まで迫り上がってくる。気づけば、熱が口先から迸っていた。
「ご、5万んんんんんんんぁぁああああ!? な、なんだこれ、は!? なになになに!? ちょ、待て待て、お前ら一旦落ち着け!」
"落ち着くのはお前だよwww"
"【ウルチャ:50,000円】ん?"
"富豪の悪ノリキタァアアアアア!!!"
ぽんぽんと赤やら青やら黄色やら、色つきのコメントが質素な画面に彩りを添えていく。目にもとどまらぬ速さでそれらが流れていくものだから、そこに注がれた金の価値が一瞬分からなくなるほどだ。
あわあわと慌てて「待て待て! 金は大事にしないと!」なんて説き伏せようとするのだが、むしろ火に油を注ぐばかりだった。
すでに100万は流れている。行政やら企業にいくら持っていかれるのか分からないが、低めに見積もっても30万は手元に残るだろう。この勢いが続けば、ものの一時間で100万は稼げるかもしれない。
――1億円稼ぐなんて、できっこないよ。
盲言が真実味を帯びていく。
「……まじか」
学校を休んでまで続けた冒険者活動、バイトの掛け持ち、法律違反すれすれの死体漁りに、値切り交渉や節約術で金をなんとかやりくりする日々。
そんな日々が、しかもその積み重ねが、呆気なくこの数分間に吹き飛ばされた。あばら家に嵐が吹いたみたいに、跡形もなく、一瞬で。
――いや、しかしちょっと待った。
俺、稲葉蒼汰は思索に耽《ふけ》る。
昔から感情が昂ぶれば昂ぶるほど、己を俯瞰してしまう質だった。
己に起こっている現状。これは長くは持たない一過性のものだ、とすぐに理解した。そう、浮かれている場合ではないのだ。
いかに上手く立ち回るか。
これをどれだけ長い間維持できるか。
これを逃したら次はないと、痛いくらいに分かっている。
そう、分かってる。冒険者の才能なんてなかった。大鬼を前にした瞬間、それを悟った。俺は目の前の魔物を討ち滅ぼす興奮よりも、ただただ恐怖に打ちひしがれた。
俺にはもう、冒険者になって一攫千金! なんてドリームはない。
だからこれが最後のチャンスだ。神様が俺にくれた、一度きりの。
1億円を稼ぐ。何が何でも。全ては、日菜の病を治すため。
そのためなら、恥も外聞もかなぐり捨てねばならない。
ひりつく喉から、勢いよく声を振り絞った。
「どうもぉぉおおおおおおお、稲葉蒼汰でぇえぇえぇす! 違う違う、本名じゃねぇかそれっ! えっと、いなばんでーす!! まじでなんでもするんで、なんでも言ってください! 俺まじでやるんで、まじなんで、つかもっとウルトラチャットくれ! まじで!」
"あっ……(察し)"
"「待て待て!金は大事にしないと!」……???"
"キャラ変RTAかよ"
"出たわね、金の亡者"
"よし、スタンプとメンバーシップとファンクラブ作ろう"
"いなばんと寝落ちもちもち出来るプランが1万円で入れるって聞いたんですが、本当ですか?"
「よし、やるぞ、全部やるぞ! 寝落ちもちもちは出血大サービスで5000円だ! でも今日はみんなのご要望に答える日だからそれは後日だ! え? 逆立ちでバナナ食え……? やります! いなばん、なんでもやります!」
シーカーズ、みんなの嫌がること担当にして、ポンコツキュート担当。1億円を稼ぐためなら、なんだってやってやる。視聴者のお望み通り。
透明な仮面の下でニィと笑って、俺はあくまで冷静に、冷徹に、逆立ちをしながらバナナを貪り食った。
その甲斐があってか。
コメント欄は狙い通りこれまで一番の盛り上がりを見せている。
"お前、Vtuberにならないか?"
「は? 実写じゃなきゃ俺のイケメンフェイスが勿体ないだろ?」
"【ウルチャ:50000円】ううん。シンプルにブス"
"札束で殴るとはこのこと"
「……ひ、人に言って良いことと、ダメなことが、あんだろ」
"流石に50000円の喜びでは掻き消せないくらい傷ついてて草"
"【こいくちフルーツ】の狂人どもとコラボしてくれ。つかグループに入ってくれ"
「いやいや、無理でしょ、あの人達イカれてるじゃん。どこにでもいるような高校生の俺にはついてけないって」
"……???"
"一番の狂人がなんか言ってる"
"ゴブリン一匹倒すたびに50000円スパチャします"
「え、やる! ゴブリン倒す! いっぱい倒す!」
"なお→URL【ゴブリンに一発も攻撃を当てられない最弱冒険者wwww】"
「きゃああああ!? やめろ、黒歴史だから! それ貼るの禁止!」
流れるコメントにハイテンションで食らいつく。
ぶっちゃ結構疲れるんだけど、金のためと思えばやぶさかではない。
とはいえ視聴者の熱は収まりつつあって、既に10万を超えていたはずの視聴者は8万まで目減りしてた。更にちらほらと不満をこぼすコメントが流れ始める。
"なんか想像してたのと違った"
"もっと可愛い系かと思ってたのに"
"かかりすぎじゃない? 肩の力抜け"
"うん、なんか頑張ってるって感じ"
"金金金。人間の醜いところ見てるみたい"
"まあ、もう見ないかな。あんま面白くない"
焦燥で額に汗が滲んで、言い訳じみた言葉が口から吐いて出そうになって、ぐっと飲み込んだ。
……分かってる。分かってるよ。
胸の中がもやもやして、視聴者数が減るのを見るたびに鬱憤が溜まってくのがわかった。
俺には何もない。人に誇れるようなものなんて何一つない。人付き合いは下手くそだし、頭も悪い。唯一の取り柄だった運動神経も、使い物にならなくなったのならガラクタ同然だ。
単なる一般人。ただ、偶然の積み重ねで、有名になってしまっただけ。
分かってる。だからなんだ。折角のチャンスなんだよ。
開き直りキャラの方向で舵を切ったのは、ひとえに俺が『いや、そんな簡単にお金投げないで!』なんて宣うMeTuber共が大嫌いだったからだ。がっつり金儲けを企んでいるくせにそれをひた隠そうとする狡猾さが嫌いだった。
だから開き直りキャラで行こうとした。
それが裏目に出たのはなんとなく察したし、このハイテンション芸がダダ滑りしているのも薄々肌で感じている。
でも、諦めたくない。
「えっと、まだまだやりたいこととかいっぱいあって、あ、ゲーム実況とか、ダンジョン探索配信とかもやる予定で! あと、あと……」
あと、あと、なんだよ。なんかあるだろ。絞り出せって。ばか、あほ。なんで何も出ないんだよ。
目に涙が滲んで視界がゆがむ。
ちっぽけな自分にひどく嫌気がさす。もし、俺じゃなかったら。ふとそう考えて、キュッと胸が痛くなった。じわじわと自己嫌悪が体を蝕む。
ああ、そうだよ。
俺じゃなかったら、きっともっと上手くやれてた。
――本当に?
肌を刺すような強烈な日差しが、窓からじりりと首筋を焦がしていた。光を反射して光り輝く画面に、一つのコメントが流れていく。
カラカラに乾いた喉から、そのコメントを繰り返し、詠唱するようにゆっくりと、丁寧に一文字ずつ口にした。
「――格上、殺し……」
爽やかな風がふきぬける。
心臓がバクバクとざわついて、再度盛り上がりを見せるコメント欄に目を見開いた。
"キタアァアアアアア!"
"やっぱやんの!?"
"大鬼とのリベンジマッチが見たい!"
"つかヒヨりんはどうなったの!?"
「いや、えっと……」
戸惑う俺など置き去りにして、コメントは加速的に盛り上がっていく。
"大鬼とリベンジまじか"
"次は本気で格上殺しするんだよな?"
"まじで伝説の幕開け"
「ちょっと、待って……」
焼けたように喉が痛くて、心ここにあらずといった具合で、急速に流れるコメント欄に置いていかれるような感覚がして、画面に思わず手を伸ばした。
”いなばんに求めてたのはそれだ”
”大鬼倒したらまじで伝説だし、というかMeTuberとしても冒険者としても世界史上初の記録出る”
”お前なら出来る。やろう、いなばん”
「だ、だから……」
額に手を当てる。くらりと立ち眩みがした。
キュッと唇を結んで、溢れ出そうになる言葉を口の中に封じ込めた。
(――だから、俺に出来るわけないだろうが)
諦めを胸の内で呟いた瞬間、風が吹きすさんで、長い髪をさらって突き抜けていくような感覚がした。
ハッと息を呑む。
閉じた瞼の裏側に、深い深い闇がはびこっている。
そこでは淀むような重たい空気が体中にまとわりついていて、呼吸さえままならない。目の前には3mほどもある化け物が佇んでいて、口から突き出た牙の先端からは粘ついた涎が滴っている。
化け物がこちらを見て、笑った。雄たけびだけで身がすくみあがった。気づけば背を向けて逃げ出していた。握り締めていたはずの剣は、いつの間にか手の中になかった。前に回り込んだ化け物が道を通せんぼして、また、笑った。
「助けて」なんて、あまりにも情けない悲鳴が自分の口から漏れたものだと気づいた瞬間、仕様がなく落胆してしまって、俺は、俺を諦めた。
「……無理だ」その場で浅い呼吸を繰り返す。いつの間にか息が上がっていた。思い出すだけでこの有様だ。自嘲するように右口角を吊り上げて、首を横に振った。「やっぱり、俺には、無理だって」
”は?”
”え、格上殺ししないってこと?”
”はい解散”
”ひよりんはどうなったんだよ”
”つまんな”
”おもんなさすぎ。空気読めよ。だから一生底辺なんだよ、バカがよ”
「……一生底辺か。そのとーりだよ。俺には結局のところ、何も出来ないんだよ。出来なかったんだ。……最初から分かってた。分かってたんだよ、俺。多分、でも、気づかないようにしてたんだな」
淡々と言葉を吐いて、配信をぶつ切りにした。
大きくため息を付いて、ゆっくりと目を瞑る。
そのまま小一時間動けなくて、何気なく開いたつぶやいたーにアンチコメントが大量に押し寄せているのを見て、なんでか分からないけど、笑った。
寂寞としただだっ広いリビングで、大の字に寝転がって天井を見上げる。
「もう、いいよな」
誰に言うでもなく呟いて、おもむろに立ち上がった。
「よしっ」言葉が乾いた空気に流れていく。「全部、諦めるか」
数ヶ月、身を粉にして働いて稼いできた30万から、札束を数枚取って、俺はゆっくりと立ち上がった。
玄関をくぐって外に出れば、あまりにも痛快で晴れやかな青空が、どこまでも澄み渡っていた。
納得の行く青空だと、思った。
『きたああああああああああああ!!!』
『はい、伝説の幕開け』
『史上最強の最弱冒険者』
『最強なのか最弱なのかはっきりしろ。いや、めっちゃ分かるけどwww』
「わ、は!? え!? ちょちょちょちょ、なにこれっ!? まだ開始2秒だぞ!?」
開始二秒にして雪崩のように爆発するコメント欄。
シーカーズでの配信で流れるコメントとはまるで違う。速すぎるし、あ、あったかい……。
『クソ動揺してて草』
『いなばんまじ可愛い!』
『めっちゃ応援してる!』
『今日はなにするの!』
なんてぽかぽかなコメントの数々に、思わず瞳を潤わせる。
「えっと、今日は何かするってわけでもなくて、つか、俺も混乱してて、何がなんだか、みたいな――って、ぇぇえぇぇええええ!?」
訥々と言葉を繰り出す内に、視界の隅に映る同時接続数がみるみるうちに急増していく。それは止まることを知らず、すでに2万もの視聴者がこの配信を見ていた。3万、4万、分刻みに1万人ずつ増えていく。
えっと、確かトップ配信者のミルケラさんが平均視聴者数8万で、次点で人気なあの人が5万くらいだから……え、今俺、トップ配信者レベルじゃね?
嘘だろ? 昨日まで、ゴミみたいな配信してた俺が?
「なにこれ、どうなってんの!? バグ!? バグだよね、違う? 嘘、俺今こんな人気なの!? これ、どうなんの!? 俺どうなっちゃうの!?」
"落ち着けwwwどうにもならねぇよwww"
"ああ、大人気だぞ。つぶやいたーのトレンド一位がお前な"
"はぁああ、相変わらず陰キャ感あってまじですこ"
"部屋きったねぇwww"
"ティッシュまみれで臭くてさいこー!"
「ティッ……!?」
カァアァア、と顔が熱くなる。
何も言わずそそくさとティッシュの山を画面に映らないようにずらして、何もなかったように言葉を紡いだ。
「いや、ヒヨりんさんのお陰で人気出たのは知ってたけど、まさかこんな……。俺なんて、道端に落ちてるゴミクズより無価値なのに、なんで……」
"おい、サラッとティッシュなかったことにすんな思春期ガキ"
"自己肯定感鬼低くて草"
"え、この人まじでだれ? なんでこんなに人いんの?"
"ほい、これURL【最弱冒険者稲葉、10分まとめ】"
"簡単に言うと、ゴブリンにもボコされる雑魚なのに格上殺しに挑戦するヤバイやつ"
"改めて聞くとヤバすぎるwwwwしかもそれで良い感じに戦ってたのが凄すぎるwww"
"ちな格上殺しってのは、未だに成功者が世界に一人もいない挑戦。具体的には3ランク上の魔物を狩る行為を指す。今いるSランクの奴らも割りと失敗者多い"
慌てふためく俺本人のことなど気にもとめず、自分勝手に盛り上がっていくコメント欄。その勢いは留まることを知らずにますます熱を帯びていく。
一方の俺はといえば、とうとう10万まで増えた視聴者数を見て、逆に冷静になりつつあった。なんか、現実味が薄れてきたというか。もはや実感が湧かない。
ただ気になることは一つだけだ。
「こんだけ人集まったら……いくらくらい稼げんだろ」
"初配信にして爆弾発言出てて草"
"いいぞ、いっぱい広告付けろ"
"【ウルチャ:50,000円】はい、これ妹さんへ"
コメント欄を流れる赤い文字に、「ひぅ」と変な声が漏れた。
腹の奥底に熱のわだかまりが出来て、ゆっくりと喉元まで迫り上がってくる。気づけば、熱が口先から迸っていた。
「ご、5万んんんんんんんぁぁああああ!? な、なんだこれ、は!? なになになに!? ちょ、待て待て、お前ら一旦落ち着け!」
"落ち着くのはお前だよwww"
"【ウルチャ:50,000円】ん?"
"富豪の悪ノリキタァアアアアア!!!"
ぽんぽんと赤やら青やら黄色やら、色つきのコメントが質素な画面に彩りを添えていく。目にもとどまらぬ速さでそれらが流れていくものだから、そこに注がれた金の価値が一瞬分からなくなるほどだ。
あわあわと慌てて「待て待て! 金は大事にしないと!」なんて説き伏せようとするのだが、むしろ火に油を注ぐばかりだった。
すでに100万は流れている。行政やら企業にいくら持っていかれるのか分からないが、低めに見積もっても30万は手元に残るだろう。この勢いが続けば、ものの一時間で100万は稼げるかもしれない。
――1億円稼ぐなんて、できっこないよ。
盲言が真実味を帯びていく。
「……まじか」
学校を休んでまで続けた冒険者活動、バイトの掛け持ち、法律違反すれすれの死体漁りに、値切り交渉や節約術で金をなんとかやりくりする日々。
そんな日々が、しかもその積み重ねが、呆気なくこの数分間に吹き飛ばされた。あばら家に嵐が吹いたみたいに、跡形もなく、一瞬で。
――いや、しかしちょっと待った。
俺、稲葉蒼汰は思索に耽《ふけ》る。
昔から感情が昂ぶれば昂ぶるほど、己を俯瞰してしまう質だった。
己に起こっている現状。これは長くは持たない一過性のものだ、とすぐに理解した。そう、浮かれている場合ではないのだ。
いかに上手く立ち回るか。
これをどれだけ長い間維持できるか。
これを逃したら次はないと、痛いくらいに分かっている。
そう、分かってる。冒険者の才能なんてなかった。大鬼を前にした瞬間、それを悟った。俺は目の前の魔物を討ち滅ぼす興奮よりも、ただただ恐怖に打ちひしがれた。
俺にはもう、冒険者になって一攫千金! なんてドリームはない。
だからこれが最後のチャンスだ。神様が俺にくれた、一度きりの。
1億円を稼ぐ。何が何でも。全ては、日菜の病を治すため。
そのためなら、恥も外聞もかなぐり捨てねばならない。
ひりつく喉から、勢いよく声を振り絞った。
「どうもぉぉおおおおおおお、稲葉蒼汰でぇえぇえぇす! 違う違う、本名じゃねぇかそれっ! えっと、いなばんでーす!! まじでなんでもするんで、なんでも言ってください! 俺まじでやるんで、まじなんで、つかもっとウルトラチャットくれ! まじで!」
"あっ……(察し)"
"「待て待て!金は大事にしないと!」……???"
"キャラ変RTAかよ"
"出たわね、金の亡者"
"よし、スタンプとメンバーシップとファンクラブ作ろう"
"いなばんと寝落ちもちもち出来るプランが1万円で入れるって聞いたんですが、本当ですか?"
「よし、やるぞ、全部やるぞ! 寝落ちもちもちは出血大サービスで5000円だ! でも今日はみんなのご要望に答える日だからそれは後日だ! え? 逆立ちでバナナ食え……? やります! いなばん、なんでもやります!」
シーカーズ、みんなの嫌がること担当にして、ポンコツキュート担当。1億円を稼ぐためなら、なんだってやってやる。視聴者のお望み通り。
透明な仮面の下でニィと笑って、俺はあくまで冷静に、冷徹に、逆立ちをしながらバナナを貪り食った。
その甲斐があってか。
コメント欄は狙い通りこれまで一番の盛り上がりを見せている。
"お前、Vtuberにならないか?"
「は? 実写じゃなきゃ俺のイケメンフェイスが勿体ないだろ?」
"【ウルチャ:50000円】ううん。シンプルにブス"
"札束で殴るとはこのこと"
「……ひ、人に言って良いことと、ダメなことが、あんだろ」
"流石に50000円の喜びでは掻き消せないくらい傷ついてて草"
"【こいくちフルーツ】の狂人どもとコラボしてくれ。つかグループに入ってくれ"
「いやいや、無理でしょ、あの人達イカれてるじゃん。どこにでもいるような高校生の俺にはついてけないって」
"……???"
"一番の狂人がなんか言ってる"
"ゴブリン一匹倒すたびに50000円スパチャします"
「え、やる! ゴブリン倒す! いっぱい倒す!」
"なお→URL【ゴブリンに一発も攻撃を当てられない最弱冒険者wwww】"
「きゃああああ!? やめろ、黒歴史だから! それ貼るの禁止!」
流れるコメントにハイテンションで食らいつく。
ぶっちゃ結構疲れるんだけど、金のためと思えばやぶさかではない。
とはいえ視聴者の熱は収まりつつあって、既に10万を超えていたはずの視聴者は8万まで目減りしてた。更にちらほらと不満をこぼすコメントが流れ始める。
"なんか想像してたのと違った"
"もっと可愛い系かと思ってたのに"
"かかりすぎじゃない? 肩の力抜け"
"うん、なんか頑張ってるって感じ"
"金金金。人間の醜いところ見てるみたい"
"まあ、もう見ないかな。あんま面白くない"
焦燥で額に汗が滲んで、言い訳じみた言葉が口から吐いて出そうになって、ぐっと飲み込んだ。
……分かってる。分かってるよ。
胸の中がもやもやして、視聴者数が減るのを見るたびに鬱憤が溜まってくのがわかった。
俺には何もない。人に誇れるようなものなんて何一つない。人付き合いは下手くそだし、頭も悪い。唯一の取り柄だった運動神経も、使い物にならなくなったのならガラクタ同然だ。
単なる一般人。ただ、偶然の積み重ねで、有名になってしまっただけ。
分かってる。だからなんだ。折角のチャンスなんだよ。
開き直りキャラの方向で舵を切ったのは、ひとえに俺が『いや、そんな簡単にお金投げないで!』なんて宣うMeTuber共が大嫌いだったからだ。がっつり金儲けを企んでいるくせにそれをひた隠そうとする狡猾さが嫌いだった。
だから開き直りキャラで行こうとした。
それが裏目に出たのはなんとなく察したし、このハイテンション芸がダダ滑りしているのも薄々肌で感じている。
でも、諦めたくない。
「えっと、まだまだやりたいこととかいっぱいあって、あ、ゲーム実況とか、ダンジョン探索配信とかもやる予定で! あと、あと……」
あと、あと、なんだよ。なんかあるだろ。絞り出せって。ばか、あほ。なんで何も出ないんだよ。
目に涙が滲んで視界がゆがむ。
ちっぽけな自分にひどく嫌気がさす。もし、俺じゃなかったら。ふとそう考えて、キュッと胸が痛くなった。じわじわと自己嫌悪が体を蝕む。
ああ、そうだよ。
俺じゃなかったら、きっともっと上手くやれてた。
――本当に?
肌を刺すような強烈な日差しが、窓からじりりと首筋を焦がしていた。光を反射して光り輝く画面に、一つのコメントが流れていく。
カラカラに乾いた喉から、そのコメントを繰り返し、詠唱するようにゆっくりと、丁寧に一文字ずつ口にした。
「――格上、殺し……」
爽やかな風がふきぬける。
心臓がバクバクとざわついて、再度盛り上がりを見せるコメント欄に目を見開いた。
"キタアァアアアアア!"
"やっぱやんの!?"
"大鬼とのリベンジマッチが見たい!"
"つかヒヨりんはどうなったの!?"
「いや、えっと……」
戸惑う俺など置き去りにして、コメントは加速的に盛り上がっていく。
"大鬼とリベンジまじか"
"次は本気で格上殺しするんだよな?"
"まじで伝説の幕開け"
「ちょっと、待って……」
焼けたように喉が痛くて、心ここにあらずといった具合で、急速に流れるコメント欄に置いていかれるような感覚がして、画面に思わず手を伸ばした。
”いなばんに求めてたのはそれだ”
”大鬼倒したらまじで伝説だし、というかMeTuberとしても冒険者としても世界史上初の記録出る”
”お前なら出来る。やろう、いなばん”
「だ、だから……」
額に手を当てる。くらりと立ち眩みがした。
キュッと唇を結んで、溢れ出そうになる言葉を口の中に封じ込めた。
(――だから、俺に出来るわけないだろうが)
諦めを胸の内で呟いた瞬間、風が吹きすさんで、長い髪をさらって突き抜けていくような感覚がした。
ハッと息を呑む。
閉じた瞼の裏側に、深い深い闇がはびこっている。
そこでは淀むような重たい空気が体中にまとわりついていて、呼吸さえままならない。目の前には3mほどもある化け物が佇んでいて、口から突き出た牙の先端からは粘ついた涎が滴っている。
化け物がこちらを見て、笑った。雄たけびだけで身がすくみあがった。気づけば背を向けて逃げ出していた。握り締めていたはずの剣は、いつの間にか手の中になかった。前に回り込んだ化け物が道を通せんぼして、また、笑った。
「助けて」なんて、あまりにも情けない悲鳴が自分の口から漏れたものだと気づいた瞬間、仕様がなく落胆してしまって、俺は、俺を諦めた。
「……無理だ」その場で浅い呼吸を繰り返す。いつの間にか息が上がっていた。思い出すだけでこの有様だ。自嘲するように右口角を吊り上げて、首を横に振った。「やっぱり、俺には、無理だって」
”は?”
”え、格上殺ししないってこと?”
”はい解散”
”ひよりんはどうなったんだよ”
”つまんな”
”おもんなさすぎ。空気読めよ。だから一生底辺なんだよ、バカがよ”
「……一生底辺か。そのとーりだよ。俺には結局のところ、何も出来ないんだよ。出来なかったんだ。……最初から分かってた。分かってたんだよ、俺。多分、でも、気づかないようにしてたんだな」
淡々と言葉を吐いて、配信をぶつ切りにした。
大きくため息を付いて、ゆっくりと目を瞑る。
そのまま小一時間動けなくて、何気なく開いたつぶやいたーにアンチコメントが大量に押し寄せているのを見て、なんでか分からないけど、笑った。
寂寞としただだっ広いリビングで、大の字に寝転がって天井を見上げる。
「もう、いいよな」
誰に言うでもなく呟いて、おもむろに立ち上がった。
「よしっ」言葉が乾いた空気に流れていく。「全部、諦めるか」
数ヶ月、身を粉にして働いて稼いできた30万から、札束を数枚取って、俺はゆっくりと立ち上がった。
玄関をくぐって外に出れば、あまりにも痛快で晴れやかな青空が、どこまでも澄み渡っていた。
納得の行く青空だと、思った。
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命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
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