ピストンに圧縮されたガソリンの熱効率

麻婆

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空、地上、地下(2)

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 地球は終わりだっていうのに、未来のためにと教育は終わらないらしい。まったく、意味不明だ。
 俺のような人間にも、未来はあるんだろうか。

「くせえなあ!」

 同級の西茂森 神人にししげもり ごっどが、悪態をつきながら俺に教科書を投げつけてきた。
 やつの名前が書かれた教科書は、こいつには何も教えてくれなかったんだろう。俺の頭に激痛をくれてやることしかできなかった。そうなると、もはや教育に意味はないのではないか。
 こいつみたいな人間にも、未来はあっていいんだろうか。

「くっさ!」

 もう一度、西茂森は大げさに叫んで見せた。
 やつに同調し、周囲の男も女も俺を見てクスクスと笑っている。

 そりゃあ、くせえでしょうよ。
 くせえに決まっている。
 ただでさえ合成牛乳は臭い。それを頭からぶっかけられた俺は、そうとうな悪臭だ。自分でもくせえ。

 俺は机に突っ伏し、板張りの床を眺め続ける。嵐が去るのを耐え忍ぶかのように、自己の洞窟でうずくまっている。板と板の隙間に合成牛乳が流れ込んでいくのを、まるで流れる雨水かのように見つめた。

 貴重な食料を無駄にしやがって、という気持ちはない。それよりも匂いの酷さに辟易する。こんなもんを飲み食いしながら生きなくちゃいけないのかと、絶望感がこみ上げる。他を知らずに育った俺たちにとっては慣れた匂いではあるが、臭いもんは臭い。

「おい。誰かゴミ持ってねえか? ゴミはゴミ捨て場に捨てなきゃなあ」

 アーカイブで読む本や映像に出てくるような、昔の物を食ってみたい。きっと、うまいんだろう。ただ、牛からビュービュー出てくる乳とか、解体されていく獣を見ると、それはそれでゲンナリする。行程を知らずに食えるのなら、それがいい。
 いま俺たちが飲み食いしている合成牛乳も合成肉も、いったい何をどう合成しているのか不明だ。やっぱり、それも知らない方が幸せだという気がした。昼に食べた合成肉のサンドイッチが、想像の中で黒いヘドロと化して、嫌な気分が最悪へと落ちていった。

「次はファッキンイングリッシュの教科書だ!」

 手の甲に英語の教科書が当たった。痛いったらない。
 暴風雨が早く止むことを願う。

 授業をサボり、バイクで地上をかっ飛ばしていた俺が登校したのは昼時だった。
 整備工場ガレージが密かに契約している、地上ゲートでの除染。ガレージでのバイクの整備と保管。もろもろを済ませたら、午前の授業はすべて終わっていた。
 サンドイッチ片手に遅刻して現れた俺を、西茂森は生意気だと言った。そして、俺の反応を待たずに殴り、牛乳をぶっかけた。
 その後も、やつが飽きるまで殴られ、蹴られた。体の大きい西茂森の暴力は堪える。それを見て薄ら笑いを浮かべている奴らの視線と、ヒソヒソ声もかなり堪える。

 教室の片隅に追いやられ、周囲から大きく離された俺の机。地上の大穴よろしく、ゴミ捨て場と化した俺の学校での居場所だ。
 なんでこうなったのかは分からない。西茂森と目が合った入学初日。いきなり殴られ、反撃することもなく倒れた時点から、俺の扱いは決まった。
 そこには、俺が納得できるような明快な理由なんてないんだろう。理由もなく気に入らないのだ。
 いや、西茂森からすれば理由はあるのだろうが、俺には分からない。見当すらつかない。そして当然、理由が分からないのだから原因も分からない。分からない原因を排除することは叶わない。ゆえに、俺にとって理不尽だと感じる暴力――西茂森にとっては正当な暴力は、止むことがない。
 汚染された地上を旧車で走る俺を、ほとんどの他人は理解しない。それと同じように、俺も西茂森が俺を痛めつけることを理解しない。危ないだとか、やめろだとか、そういう言葉には意味がない。

「おい、星々きらり。お前の教科書よこせ。俺のなくなっちまった」
「断る」

 黒岩 星々くろいわ きらりは、西茂森の恋人らしい。よく知らないが、たしかにいつも一緒にいるからそうなんだろう。

「いいからよこせって!」
「なんで? 拾えばいい」
「汚えわ」
「じゃあ、なんで投げたの? なんで汚したの?」

 ちらりと窺うと、黒岩は黒板の方を見ながら西茂森と話していた。俺の方は見るのも嫌だといった感じだ。
 ちなみに、授業は続いている。もう期待などしていないが、教師は何もしない。最初からだ。たぶん、もう諦めている。いじめをなくすことを、ではない。真面目に働くことを、だ。
 この惰性の終末期を、大人はどう感じているのか。どういうものなのか。十六の俺には知りようがない。なんとなく想像することしかできない。

 でも、たいていの大人はみんな、ああなってしまう。ただ惰性で日々を過ごしていく。そのうち終わってしまう世界に希望なんて持てないのだ。俺より頭が良くて、自立した大人でさえ――いや、だからこそだろうか。だからこそ、希望など持てない。ただ昔ながらの慣習に沿って生きているだけ。外国は知らないが、少なくとも日本で暴動の類が起こったという話は聞かない。静かに死を待っている。大人はみんな、諦めてしまった。
 とはいえ、馬鹿なガキである俺や西茂森たちも、明日に希望なんか持っちゃいない。と言うよりも、何も考えちゃいない。考えるべき未来のことなど、何もないんだから。
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