異世界で目覚めたら猫耳としっぽが生えてたんですけど

金時るるの

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お仕事予想

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 問うと、男性は私の顔を見つめて何度か瞬きする。

「どうしてそんな事がわかるのだ?」
「虫歯じゃないのに歯が痛いって言ってたし、それに、さっき手を洗ってたから、手が汚れるお仕事なのかなーと」
「手はともかく、歯痛になんの関係が?」
「芸術家とか、何かものを作る仕事をしてる人って、作業に集中しすぎて無意識に歯を食いしばってしまう事が多いって聞いた事があります。それが原因で歯が痛くなるって」

 日本でも、大量の絵を描いた後で「歯が痛い」というコメントを残した画家がいたとか。

「加えて、先ほどお客様は朝食以外口にしていないと仰ってたし、もしかして、朝からずっと何かを作ってたんじゃないですか? 今日みたいに長時間でないにせよ、仕事自体は毎日するだろうし、そのたびに歯を食いしばってたら痛くなって当然ですよ」

 男性は心当たりがあるのか頬のあたりを撫でている。
 その姿を見ながら私は続ける。

「でも、どこかの工房だとか複数人で作業する場所で働いてるなら、食事をとるのための休憩なんかは必ずあるだろうし、制作を中断する事で歯をくいしばる事もある程度避けられるはず。それなのに昼食もとらずにこんな時間まで制作に没頭してしまうのは、職場にあなた以外存在しない。つまりお客様は個人で活動している芸術家、もしくは職人だと思ったんです」
「ほう。そんな事までわかるのか。なかなかの観察眼だ」

 私の推測に、男性は感嘆の声を上げる。

「当たっている。実は我輩は画家なのだ。いずれ偉大な功績を上げる予定の」 
 
 いずれ、ということは今は……? 
 そんな疑問がかすめたが、画家という言葉に私は身を乗り出す。

「画家さんですか。すごい。どんな絵を描かれるんですか?」

 私も元の世界にいた頃は、趣味で漫画的イラストのようなものを描いていたが、正直言ってあまり上手くない。イラスト投稿サイトで「いいね」が10ほど貰えれば上出来だ。
 だから絵で生計を立てられるほどの実力のある人には尊敬や憧れのようなものがある。

「依頼されたらなんでも描く。今はチラシやポスターだとか……本当はじっくり人体を描いてみたいが、なかなか難し――あ、いや、そんな事はどうでもいい。今日はお前の言った通り、朝からずっと仕事用の絵を描いていた。歯が痛いのも、きっとそのせいなのだろう」
「こんなこと言うのは差し出がましいとは思いますけど、こまめに休憩を取ったほうがいいですよ。でないとそのうち歯がぼろぼろになっちゃう……」

 私の進言に男性は考えるように腕組みした。

「いや、それが……一度の制作を始めると周りが見えなくなると言うか……時間が気にならなくなってしまうのだ」

 なるほど、食事もとらずに制作に没頭してしまうタイプなのか。

「あ、それなら、ちょっと待っててください」

 わたしはふと思いついて、林檎の乗ったお皿を回収すると、厨房で塩水を満たしたボウルに林檎のうさぎを投入していく。
 その間にお店の名前入り布製ナプキンを一枚拝借してくる。
 ボウルからとり出した林檎のうさぎを再びお皿に並べていると、背後から手が伸びてきた。

「ひとつ貰うぞ」

 レオンさんが、さっと林檎を一切れ摘んで持っていってしまった。

「あ、それはお客様のための……」
「うるせー。一切れくらいいいだろ。どうせわかんねえよ」

 もしかしてレオンさんも疲れていて、甘いものが欲しかったのかな。
 彼は明日の仕込みをしつつ、この食堂の名物メニューにも使われるスープストックを作るため、朝まで火の番をする事になっている。その代わり明日は夕方までお休みらしいが。それにしてもご苦労な事だ。
 私は林檎が一切れ減ったお皿にナプキンを被せて再び男性の元へ戻る。

「この林檎、よかったら持って帰って後で食べてください。歯の痛みが治まった頃にでも。あ、でもお皿はいつか返してくださいよ。ナプキンは差し上げますので」

 お皿を差し出すと、男性は戸惑ったように口ごもる。

「その気遣いはありがたいが……また制作に没頭して忘れてしまうかもしれない……」
「ここを見てください。このナプキン、お店の名前が入っているでしょう?  『銀のうさぎ亭』って。作品を制作する時に、この上によく使う道具なんかを置いてください。そうすれば制作中にもこのナプキンが目に入りますよね?  その結果、今日の事を思い出して、こまめに休憩を取るようになるかもしれないし、お皿の事だって忘れないはず。それで、休憩がてらお皿を返しにきて頂ければ……更には、そのついでにこのお店でお食事をして頂ければ嬉しいなーと」

 私の言葉に男性はふっと表情を緩めた。

「案外商魂たくましいな。しかし、いい考えかもしれない。林檎を平らげたら、近いうちに必ず皿を返しにくると約束しよう。その時は勿論食事も兼ねてな」
「ほんとですか?  ありがとうございます!」
「先程のサンドイッチは美味かった。おまけにこんな気遣いまでしてくれるとは。また来たくなるのも当然だろう?」

 男性は林檎の乗ったお皿を受け取りながら微笑んだ。
 よし、お客さんひとりゲット!




 男性を見送った後で、厨房で後片付けをしていると、レオンさんが大鍋をかき混ぜながら苛立ったように声を上げる。

「おいネコ子。お前なに勝手に店の備品を人にくれちまってるんだよ。おまけに皿まで渡しやがって」
「そ、それは、だって、店名入りのものなら強く印象に残ると思って……それにあの人、お皿も返してくれるって約束したし……それがきっかけでお客さんが増えるならいいじゃないですか」
「あいつの言った事間に受けてんのか? どこの誰かも知らないのに? まったくお前の頭の中はお花畑だな。あのうさんくさい男みたいに、そのうち本当に頭から花でも生えてくるんじゃねえの? ボケの花がよ」

 うう……そこまで言わなくても……
 でも、レオンさんのいう通り、考えが甘かったかな。ここは日本じゃないのだ。以前の感覚で多少平和ボケしているところはあるかもしれない。もしかするとここはヨハネスブルグ並み……とまではいかないが、私の知っている日本ほど治安のいい国では無いかもしれない。いい人ばかりとは限らないのだ。

「と、いうわけで取引だ」
「え?」

 突然のレオンさんの言葉の意味がよく飲み込めない。取引って?

「ナプキンと皿の事はマスターに黙っててやる」
「え、ほんとですか?」
「ああ。その代わり……さっきの林檎のうさぎの作り方を教えろ」

 もしかして気になってたのかな?  それならそうと取引なんてしなくとも、素直に言えばいくらでも教えるのに。
 でも、マスターに黙っていてくれるというのはありがたい。私はその取引を受ける事にした。

 といっても、林檎のうさぎなんて別段難しいものでもなく、レオンさんはさほど苦労する事もなくさらりと作り方を習得してしまった。

「でもレオンさん、林檎のうさぎの作り方なんて覚えてどうするんですか?」
「客に出せば喜ぶかもしれないだろ。店の名前とも相性良さそうだし……そうだ。このうさぎ、目の代わりにゴマでもくっ付けたらもっとそれらしく見えるかもしれねえな。今度マスターに提案してみるか」

 なるほど。銀のうさぎ亭だから林檎のうさぎか。お客さんに印象付けるにはいいかもしれない。
 レオンさんて、意外と研究熱心だな。





「それじゃあ、私はお先に休ませて頂きますね。お疲れ様です」

 林檎のうさぎの作り方講習を終え、今度こそ戸締りを確認した後で、厨房のレオンさんに声をかける。
 レオンさんは背を向けたまま、短く「ああ」と答えたが、その後で

「悪かったな、遅くまで付き合わせちまって。早いとこ休めよ」

 おお、この人から労いの言葉が聞けるとは意外。明日は大雪か?
 なんて口に出したらその数倍の罵詈雑言が返ってくるに違いないので

「いえ、レオンさんこそ、仕込みと火の番頑張ってくださいね。おやすみなさい」

 いやー、我ながら大人な対応だ。
 その甲斐あってか、レオンさんも短く

「おう、任せとけ」

 とだけ答えた。
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