ある因習村に関する考察

赤紫

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第1節:帰りたい場所

第2話:後編

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 映像は続く。
 
 薄暗い部屋。椅子に座った三十代位の女性が、照明用のライトに照らされている。字幕には『伊藤晴美 看護師』と。

「身体は驚くほど元気でした。十日間も山にいた人とは思えないくらい。バイタルも安定してるし、凍傷もほとんどない。ドクターも首を傾げてました」

 伊藤は腕を組み、少し考える。

「一つだけ変なことがあって。食事は普通に摂るんですけど、味噌汁を飲んだあとにふっと『味がしない』って言うんです。舌がおかしいとかじゃなくて、もっと変な言い方で。『これは食べものだけど、食べものじゃない気がする』って。じゃあ食べなきゃいいのに、全部きれいに食べるんです。毎食」

「それと、夕方ですね。午後四時半くらいになると、必ず窓の前に立つんです」

 伊藤の声が少し慎重になる。

「西の方、山が見える方角をずっと見つめているんです。三十分くらいですかね? じっと立ったまま。話しかけても返事がないんです。目は開いてるんですけど、こっちを見てない感じ。しばらくするとパッと我に返ったように普通に喋る。本人に聞くと『え? 窓の前にいました?』って」

 沈黙する彼女。

「毎日です、それも同じ時間に。時計を見てるわけでもないのに、いつもぴったり四時半」

---------------------------------------------------------------

 映像が切り替わり、テロップが出る。

「202X年2月26日 午前2時37分」

 次の映像は監視カメラの映像のようだ。画質が粗いが、場所は病院の廊下だとわかる。
 タイムスタンプが画面の右下に秒を刻んでいる。人影はない。蛍光灯の光が廊下に反射している。

02:37:14:

 奥のドアが開く。栗原が出てくる。病衣にスリッパ、髪が乱れている。寝起きとも違う。目は開いているが、どこか焦点が合っていない。

 廊下を歩く。ナースステーションの前を通過する。詰め所の明かりは点いているが、夜勤の看護師は書類に目を落としていて気づかない。栗原の足音は聞こえない。スリッパが廊下の床を擦る音すら、映像からは聞き取れない。

 非常階段を降り一階へ。非常口のバーを押して外に出る。

 カメラが切り替わった。場所は外の駐車場。氷点下の空気に栗原の吐く息が白い。

 栗原は迷いなく歩く。駐車場を横切り、病院の裏手に回り、敷地の端に向かう。その方角に山がある。暗くて周囲はよく見えないはずだが、栗原には見えているかのようにまっすぐ歩く。

 敷地の端で栗原は立ち止まった。フェンスの手前。山の方角を向いたまま、口が動き始める。何を唱えているのかは分からない。監視カメラにマイクはない。ただ、唇が規則的に動いているのは見える。その動きは同じフレーズの反復を表していた。

 ゆっくりと膝を折り、雪の上にひざまずく。両手を膝の上に置き、背筋を伸ばしたまま、口を動かし続ける栗原。

 パジャマ一枚、氷点下の屋外で山に向かってひざまずいている男。映像はそのまま動かない。タイムスタンプだけが時を刻む。

 十五分後。別の人影が走ってくる。看護師だ。彼は栗原の腕を掴み何かを言っている。

 伊藤看護師の声が被る。画面はインタビュー映像に戻っていた。

「連れ戻したとき、足が氷みたいに冷たくなってました。でも本人はまったく寒がってないんですよ。それより――」

伊藤が一瞬言葉を止める。

「――『戻さないでください。まだ途中です』って。すごく穏やかな声で。怒ってるんじゃなくて。ただ、事実を淡々と言ってるみたいに」

「何が途中なのか聞きました。そしたら」

「黙っちゃって。それきり、その夜は一言も喋らなかった」

---------------------------------------------------------------

「202X年2月28日 午前3時14分」

 一階廊下の監視カメラ映像。

03:14:02:

 蛍光灯が明滅する。一本だけ。二秒で収まる。

03:14:31:

 栗原の病室のドアが開き、栗原が出てくる。
 服が違う、病衣ではない。ジーンズにダウンジャケット、足元は登山靴。

 テロップの表示。

「これらの衣類が病室に持ち込まれた記録はない」

 栗原は廊下を歩く、前回と同じルートを。非常階段を降りて一階非常口へと向かう。

 外のカメラの映像が映る。栗原が出て来た。今度は立ち止まらない。駐車場を横切り、敷地の端を越え、フェンスの隙間を抜け、暗闇の中へと歩いていく。振り返らない。

 カメラの視界の端、月明かりの下、山の稜線がうっすら見える。その稜線の一点に――映像のノイズかもしれない――白いごく小さな光が一瞬だけ瞬く。

 栗原の姿が闇に溶けていく。

 そして、テロップ。

「栗原拓海さんは202X年2月28日以降、発見されていない」

 画面が暗くなった。

---------------------------------------------------------------

 五秒の暗転のあと、再度テロップが表示される。

「以下は栗原さんのスマートフォンから復元された映像である」
「撮影日時は2月12日~13日と推定される」

 映像の質が一変する。スマートフォンの縦画面。激しく揺れている。映っているのは、画面を一面真っ白に覆う吹雪の映像。音声は風の音でほぼ潰れているが、栗原の声が断片的に聞こえる。

「やばい、完全にロストした。GPSもダメだ。電波がない」

 息が荒い。走ってはいないが、雪の中を歩く負荷で呼吸が上がっている。

「――とりあえず沢を下る」

 映像が切れる。

 次の断片映像。時間が経過している。光の角度が変わっている。

「谷が狭くなってる。おかしい。でも、水は下に流れてる」

 カメラが沢を映す。細い流れ。両岸の崖が迫っている。

 さらに、次の断片映像。今度は暗い。夕方か、曇天か。

「泊まるしかない。ツェルトあるからなんとか。なんか、変な感じがする。静かすぎる」

 栗原の声が少し小さくなる。

「風が止んだ……」

 また、映像が切れた。

 次の断片映像。光が変わっている。朝らしい。カメラが前方を向く。

「あれ。何あれ」

 吹雪の向こうに、二本の太い柱のようなものが立っている。カメラが近づくにつれ、木であることがわかる。巨大な杉。二本が上のほうで融合して、アーチを作っている。

「なんだこれ? 御神木? こんな山ん中に?」

 カメラが幹を映す。何かが大量に巻きつけられている。布。色褪せた、何十にも重なった古い布。ところどころ布が千切れて風に揺れている。

 カメラが下を向く。木の根元。

「雪がない。ここだけ地面が出てる」

 栗原の靴が映る。土を踏んでいる。カメラを持つ手が一瞬止まる。

「温かい」

 栗原が木の下に踏み入る。その瞬間、映像に激しいノイズが走る。画面が乱れ、音声が途切れる。一秒、二秒。映像が回復する。

 回復した映像のバックグラウンドに、それまでなかった音が入っている。極めて低い、持続する振動。規則的で、ゆっくりで、呼吸のようなリズム。この音はこの後の映像すべてに、途切れることなく入り続ける。

 木の向こう側。谷が開けている。栗原の声。

「嘘だろ。集落がある」

 遠くに何軒かの家屋が見える。屋根に雪が積もり、煙突から細い煙が上がっている。

「助かった」

 栗原の声が震えている。安堵。涙ぐんでいるかもしれない。カメラが揺れる。


 そして、最後の断片。

 薄暗い室内。囲炉裏の火が赤く映っている。天井の梁が低い。煙が薄く漂っている。

 カメラは斜めに、おそらく床の上に立てかけるようにして置かれている。栗原の横顔が映っている。彼は囲炉裏を囲んで座っていた。

 向かい側に人影がある。ぼやけていて顔は見えない。人影の手が動く。椀を差し出している。年老いた、しかし大きな手。

 栗原が両手で椀を受け取る。

「ありがとう、ございます」

 栗原は受け取った椀を口に運ぶ。中には粥のようなもの。それを一口。

 栗原の表情が変わる。驚きではない。目が一瞬閉じる。何かが身体の内側に広がっていく、そういう顔。目がゆっくり開く。

 小さな声。ほとんど吐息。

「うまい」

 映像が途切れる。

 テロップ。

「スマートフォンのバッテリーは2月13日午後6時23分に完全放電した」
「以降の映像は存在しない」

 再びテロップ。

「栗原拓海さんの捜索は202X年6月に打ち切られた」
「届出上は行方不明のまま処理されている」

 画面が暗転する。

 暗い画面のまま音だけが聞こえる、低い振動音が。心臓の鼓動のような音。栗原が謎の村の御神木の前で聞いたのはこの音であろうか。それは呼吸のようなリズムで、ゆっくりゆっくりと繰り返される。


 数秒後、映像は止まった。
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