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第3節:蚕糸(さんし)
第9話:ボツの山
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──月刊『深層(アビス)』編集部員・中澤拓海の取材記録より
※以下は、中澤拓海(当時32歳)が所持していた取材ノート、ICレコーダーの録音データ、メール履歴、および掲載誌面を、後日第三者が編纂・再構成したものである。中澤本人の所在は現在確認されていない。
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六月の企画会議はいつも通り荒れた。
月刊『深層(アビス)』の編集部は、神保町の雑居ビルの四階にある。エレベーターなし。階段を上がると廊下の突き当たりにすりガラスのドアがあって、その向こうに二十畳ほどのスペースが広がっている。『広がっている』というのは嘘で、実際にはバックナンバーの入った段ボールと資料の山で床面積の半分が埋まっていた。
その隙間に四つのデスクが押し込まれ、正社員二名とバイト一名、それに編集長の黒田が座る。これが日本で最も古いオカルト専門月刊誌の全容である。発行部数は公称一万二千、実売はその六掛け。潰れないのが不思議だと業界では言われていたが、黒田に言わせれば「潰れないんじゃない、潰さないんだ」ということになる。
黒田康夫、五十七歳。業界では「オカルト界の最後の良心」と呼ばれている。誰が最初にそう呼んだのかは知らないが、的を射たあだ名であった。
裏取りに異常なほど厳格で、一次ソースが確認できない原稿は載せない。心霊写真はすべてメタデータ解析にかける。超常現象の記事にも必ず懐疑論を併記する。
「信じるためにこそ疑え」が口癖で、そのせいで読者からは「夢がない」と苦情が来ることもあった。しかし黒田のその姿勢こそが、ネットに粗悪なオカルトコンテンツ溢れるこの時代に、『深層』が固定読者を保っている理由でもあった。
黒田には独特の癖がある。原稿を読むとき、最初の三行で判断する。三行で引き込めない原稿は、続きがどれほど良くても載せない。「読者は忙しい。最初の三行で離れた読者は二度と戻ってこない」。その基準で二十年以上やってきた。
企画会議は毎月第一水曜日。黒田が腕を組んで座り、編集部員が順番に次号のネタを提案する。
バイトの村瀬が口火を切った。「関東近県のUFO目撃の新証言を――」
「去年の八月号でやった。切り口変えるなら具体案出せ」
先輩編集の園田が続く。「某心霊スポットの再調査で、新しい証言者が――」
「その心霊スポット、先月よそのYouTuberが入って全部配信してる。二番煎じ以下だ」
園田が引き下がり中澤の番が来た。中澤拓海、三十二歳、入社五年目。もともとルポライター志望で、大学ではジャーナリズムを専攻した。報道系の出版社を片端から受けて全滅し、就活失敗の波に呑まれてここに流れ着いた。
オカルトへの関心は正直なところ薄い。ただ、取材と文章の技術だけは黒田も認めていて、それが五年間ここに留まっている理由だった。あるいは、ここ以外に行く場所がないから留まっているだけなのかもしれなかったが、理由はもう曖昧になっていた。
「SNSで拡散されてる心霊写真のシリーズがあって、その真偽検証を――」
黒田の目が細くなった。悪い兆候だ。
「中澤。うちはまとめサイトじゃない」
「はい」
「お前はいつからデスクに根が生えた? 足で稼いだ一次情報を出せ。スマホの画面の中に記事は落ちてない。それはお前が一番よく知ってるはずだろう」
反論はできなかった。言われた通りだからだ。最後にまともな取材記事を書いたのはいつだったか。半年前か、もっと前か。最近はネットで拾える二次情報を再構成するだけの仕事が増えていた。楽だから。そして楽な仕事は黒田が最も嫌うものだった。
「来週までに企画を出し直せ。次はないと思え」
会議が終わり、各自がデスクに戻る。中澤は椅子の背にもたれて天井を見上げた。資料の埃が空気中に漂っているのが、斜めに差す西日に照らされて見えた。
入社一年目の自分なら、黒田の叱責をバネにその日のうちに外に飛び出しただろう。取材先を見つけ、アポを取り、翌朝には話を聞いていただろう。あの頃はまだ、文章で世の中に何かを突きつけられるという幻想を持っていた。
五年経って幻想は薄れ、代わりに残ったのはデスクワークの手際の良さと、締め切りを守る能力と、どこにも行けないという漠然とした感覚だった。
ルポライターになりたかった。名前のない人々の声を記事にして、世に出す仕事がしたかった。結局そうはならなかった。流れ着いた場所で、流れてくるものを処理している。それが中澤拓海の現在地だった。
デスクの引き出しを開けた。名刺の束、取材ノートの使いかけ、缶コーヒーのプルタブ。引き出しの奥に大学時代に書いたルポルタージュのコピーが挟まっていた。地方の限界集落で暮らす老人を取材した卒業制作。ゼミの教授に「君は足で書ける人間だ」と言われた。あの言葉と今日の黒田の叱責は、まったく違う文脈で同じことを指していた。
足で稼いだ一次情報。
黒田の言葉が耳の奥でまだ響いていた。
※以下は、中澤拓海(当時32歳)が所持していた取材ノート、ICレコーダーの録音データ、メール履歴、および掲載誌面を、後日第三者が編纂・再構成したものである。中澤本人の所在は現在確認されていない。
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六月の企画会議はいつも通り荒れた。
月刊『深層(アビス)』の編集部は、神保町の雑居ビルの四階にある。エレベーターなし。階段を上がると廊下の突き当たりにすりガラスのドアがあって、その向こうに二十畳ほどのスペースが広がっている。『広がっている』というのは嘘で、実際にはバックナンバーの入った段ボールと資料の山で床面積の半分が埋まっていた。
その隙間に四つのデスクが押し込まれ、正社員二名とバイト一名、それに編集長の黒田が座る。これが日本で最も古いオカルト専門月刊誌の全容である。発行部数は公称一万二千、実売はその六掛け。潰れないのが不思議だと業界では言われていたが、黒田に言わせれば「潰れないんじゃない、潰さないんだ」ということになる。
黒田康夫、五十七歳。業界では「オカルト界の最後の良心」と呼ばれている。誰が最初にそう呼んだのかは知らないが、的を射たあだ名であった。
裏取りに異常なほど厳格で、一次ソースが確認できない原稿は載せない。心霊写真はすべてメタデータ解析にかける。超常現象の記事にも必ず懐疑論を併記する。
「信じるためにこそ疑え」が口癖で、そのせいで読者からは「夢がない」と苦情が来ることもあった。しかし黒田のその姿勢こそが、ネットに粗悪なオカルトコンテンツ溢れるこの時代に、『深層』が固定読者を保っている理由でもあった。
黒田には独特の癖がある。原稿を読むとき、最初の三行で判断する。三行で引き込めない原稿は、続きがどれほど良くても載せない。「読者は忙しい。最初の三行で離れた読者は二度と戻ってこない」。その基準で二十年以上やってきた。
企画会議は毎月第一水曜日。黒田が腕を組んで座り、編集部員が順番に次号のネタを提案する。
バイトの村瀬が口火を切った。「関東近県のUFO目撃の新証言を――」
「去年の八月号でやった。切り口変えるなら具体案出せ」
先輩編集の園田が続く。「某心霊スポットの再調査で、新しい証言者が――」
「その心霊スポット、先月よそのYouTuberが入って全部配信してる。二番煎じ以下だ」
園田が引き下がり中澤の番が来た。中澤拓海、三十二歳、入社五年目。もともとルポライター志望で、大学ではジャーナリズムを専攻した。報道系の出版社を片端から受けて全滅し、就活失敗の波に呑まれてここに流れ着いた。
オカルトへの関心は正直なところ薄い。ただ、取材と文章の技術だけは黒田も認めていて、それが五年間ここに留まっている理由だった。あるいは、ここ以外に行く場所がないから留まっているだけなのかもしれなかったが、理由はもう曖昧になっていた。
「SNSで拡散されてる心霊写真のシリーズがあって、その真偽検証を――」
黒田の目が細くなった。悪い兆候だ。
「中澤。うちはまとめサイトじゃない」
「はい」
「お前はいつからデスクに根が生えた? 足で稼いだ一次情報を出せ。スマホの画面の中に記事は落ちてない。それはお前が一番よく知ってるはずだろう」
反論はできなかった。言われた通りだからだ。最後にまともな取材記事を書いたのはいつだったか。半年前か、もっと前か。最近はネットで拾える二次情報を再構成するだけの仕事が増えていた。楽だから。そして楽な仕事は黒田が最も嫌うものだった。
「来週までに企画を出し直せ。次はないと思え」
会議が終わり、各自がデスクに戻る。中澤は椅子の背にもたれて天井を見上げた。資料の埃が空気中に漂っているのが、斜めに差す西日に照らされて見えた。
入社一年目の自分なら、黒田の叱責をバネにその日のうちに外に飛び出しただろう。取材先を見つけ、アポを取り、翌朝には話を聞いていただろう。あの頃はまだ、文章で世の中に何かを突きつけられるという幻想を持っていた。
五年経って幻想は薄れ、代わりに残ったのはデスクワークの手際の良さと、締め切りを守る能力と、どこにも行けないという漠然とした感覚だった。
ルポライターになりたかった。名前のない人々の声を記事にして、世に出す仕事がしたかった。結局そうはならなかった。流れ着いた場所で、流れてくるものを処理している。それが中澤拓海の現在地だった。
デスクの引き出しを開けた。名刺の束、取材ノートの使いかけ、缶コーヒーのプルタブ。引き出しの奥に大学時代に書いたルポルタージュのコピーが挟まっていた。地方の限界集落で暮らす老人を取材した卒業制作。ゼミの教授に「君は足で書ける人間だ」と言われた。あの言葉と今日の黒田の叱責は、まったく違う文脈で同じことを指していた。
足で稼いだ一次情報。
黒田の言葉が耳の奥でまだ響いていた。
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