故国の仇が可哀想すぎて殺せない~愛は世界を救う。たぶん、~

百花

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第二十八話 可哀想だった

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 私は自室で纏めた荷物の小ささに思わず笑う。荷物袋一つしかなく、それさえも殆ど擬装用で本当に必要な物ではなかった。
 物を必要としないのは神殿騎士の訓練の際、単身で任務を遂行する事を当然のように前提としていたからだ。
 明日には出発しようかと考えていると、玄関の扉を叩く音がした。
 別れを告げに来た誰かかもしれないと思いながら開いた先には、見覚えのない男性が立っていた。頭から生える二本の角が、彼の種族を表している。

 なぜ竜人が此処に?

 不審がる私に、その竜人は冷たい視線を向けて言った。

「お前がセレナか。竜人の混血児、カシュパルの養育者」
「そうだ。誰だ?」
「私はベンヤミン。有鱗騎士団所属の者だ。……入国時の文書を偽造しただろう。人間、お前は血縁者などではない」

 今更その事がばれるとは思っていなかった。思わず呆れた乾いた笑いを零してしまう。
 この別れ際に態々首都から出向いた竜人からその罪を責められるなんて。流石に予想していない展開だ。

「だからどうした」

 竜人を相手に逃げられる訳がない。諦めが胸の中に広がっていく。こうなってしまっては、カシュパルに自分の嘘が知られるのは直ぐだろう。
 自分の救済者が赤の他人だったとしても恨まれはしないだろうが、混乱させてしまうに違いない。
 ベンヤミンは仮面を被ったかのように無表情に言った。

「警吏所で話を聞かせてもらう」
「……ああ、分かった」

 抵抗をする事もなく素直に彼に従う。大人しくしていたからか、拘束はされなかった。
 けれど血縁者を偽って養育する事がこれ程までの罪だとは。
 仰々しい出迎えに少し首を傾げる。孤児一人、誰が育てようと大して問題なく思えるのに。
 私は時を移動する覚悟を決めた。室内では消えたように見えてしまうので、せめて外に出た時に時渡りの腕輪を使う事にする。
 ベンヤミンの隣に並んで歩きながら、服の下に隠していた煙幕弾を密かに手元に偲ばせた。
 後はどの場所で使えば違和感がないだろうかと考えていると、不自然にベンヤミンの足が止まる。

「どうしたんだ?」

 聞いたが警戒するように顔を周囲に向けるだけで、答えてくれない。しかし複数の足音が此方に向かって来た事で理由は直ぐに分かった。

「セレナ!」

 カシュパルが息を切らしてベンヤミンの前に立ち塞がったのだ。私の元に竜人が来たのを知って直ぐに駆け戻って来たに違いない。
 カシュパルだけではなかった。町のあちらこちらから見慣れた顔が集まって来る。カシュパルを慕う紅盾の仲間や友人が、号令を聞いて武装して集まって来ていた。
 皆冷や汗を垂らし緊張した面持ちで、しかし逃げようともせず険しい表情でベンヤミンを囲い込む。
 それはあたかも統率された軍隊かの様である。皆、一様にベンヤミンを睨みつけて敵対した。
 急に不穏な空気に包まれた町並みに、近くを歩いていた獣人達が怯えた表情で走り去っていく。
 通りに面した窓は一斉に閉じられ、中には恐る恐る室内から何事かと目だけを覗かせる者もいた。

「ほう……ラウロが俺を連れ出した時は、大袈裟だと笑ったものだが……。なるほど」

 ベンヤミンの感心した声が響いた。どうやらこの竜人が出向いたのはラウロの意向のようだ。
 カシュパルが堕ちればどうなるか、あの男は事の重大性に気がついたに違いない。
 だから仲間を引き連れセレナの元に来た。ただの孤児の話ではないのだと。
 ベンヤミンは覚悟を決めた表情で自分に向き合う獣人達に目を見張らずにはいられなかった。
 どんな凶悪な犯罪者も、竜人を見れば悲鳴を上げて逃げ出すものだ。街中で歩けば畏怖の目で見られ、幼子でさえ避けて歩く。
 だからこの光景はカシュパルに命を預ける程心酔していなければあり得ない。恐るべき求心力だった。
 しかも彼がこの場にいるという事は、ラウロは無力化されたという事である。

「麒麟児か」

 確かに、野放しには出来ない人物だった。
 ベンヤミンに対し一切怯む様子もなく、カシュパルは今にも噛みつこうとする獣のような荒々しい空気で彼に言った。

「セレナを解放しろ」
「同意しかねる。少なくとも事情を聞くまではな」

 奥歯を噛みしめ、今にも剣を抜きそうなカシュパルに私は言った。

「カシュパル止めろ。もういいんだ」

 竜人に剣を向ける事の意味は、この国において決して軽くはなかった。だからこれ以上カシュパルの立場を悪くしたくなくて、彼を踏み止まらせようとする。
 しかしカシュパルは私に言われた事が信じられないかのように、大きく目を見開いて驚いた顔をした。

「何がもういいんだ。こんな冤罪でセレナが連れて行かれて良いはずがない!」

 ああこの子は、私の罪を聞いても信じなかったのだ。あまりにも私を妄信するが故に。
 それを申し訳なく思う。嘘を信じさせいつまでも手放さないでいられたら、確かに幸せだっただろうに。
 けれどもう時間は尽きて、これ以上私がカシュパルを捕まえていられる状況でもなくなってしまった。
 カシュパルが同胞に対して罪を犯す前に、本当の事を教えなければ。
 皆が私に注目していたが、目に入るのはカシュパルだけだった。空しい笑みを浮かべ彼に言った。

「私は、カシュパルの叔母ではない」

 彼が息を呑んだのが分かった。怒りに震えていた直前を忘れたかのように顔色が白くなっていく。
 眉間の皺は解けて表情は抜け落ち、実年齢よりも幼い顔立ちに見えた。

「……セレナ?」

 それは見捨てられた子供のようなか細い声だった。
 私の言葉を飲み込み切れないのか、呆然としてただ私を一心に見つめていた。カシュパルの目には最早ベンヤミンも仲間達も映っていない。
 目を瞬かせた後、意味を飲み込めない様子で信じられないとばかりに首を横に振る。

「嘘だ」
「いいや、本当だ」

 予想通りに大きな衝撃を受けたカシュパルを、慰めてやるだけの時間はなかった。
 けれど大丈夫だろうと楽観的に考えた。彼の周りには危険を承知で戦おうとさえしてくれる仲間がいる。私がいなくても彼等がカシュパルを支えてくれるだろう。

「そんな……なら、何で……何で俺を育てた⁉」

 当然の質問だった。私は彼に愛される為に随分努力した。血縁ならばあり得る献身も、赤の他人だとなれば理解に苦しむだろう。
 周囲の者達はカシュパルの悲痛な叫びに静まり返っていた。仲間達は普段のカシュパルのセレナへの盲目ぶりを知っている。
 彼の心が酷く揺れているのは明白で、もしかすれば粉々に壊れてしまうのではないかと心配せずにはいられなかった。
 ベンヤミンも流石に情があるのか、私に彼に声をかける為の時間を与えてくれている。
 私は皆の注目を浴びながら、その問いに答えなければならなかった。
 息を吸う。そして笑った。
 寂しく、切なく、懐かしく感じながら。


「可哀想だったから」


 拾ったあの時の事を思い出す。今にも死にそうで、ケペルに拾われるまで生きているとは信じられなかった。
 この剣で突き刺す事がどうしても出来なかった。殺す為に過去に来たのに。


「可哀想だったからだよ、カシュパル」


 だから、本当に。それ以上の理由はないんだ。

 カシュパルは私を見ていた。私の言葉の真偽を確かめようと、初めて向ける慎重で疑い深い視線で。
 その事に少しだけ傷つきながら、私は手の中に隠していた煙幕弾を地面に転がり落とす。
 ベンヤミンがそれに反応するよりも早く、勢いよく煙が周囲に立ち昇った。その煙の中で一瞬何かが光った気がするが正体は分からない。

「待て!」

 慌ててセレナのいた場所にベンヤミンが手を伸ばしたがもう遅かった。その手には何も掴めない。
 カシュパルが剣に風を纏わせて煙幕を一掃する。視界が晴れて見渡せるようになった筈なのに、セレナの姿は何処にも存在しない。

「馬鹿な」

 ベンヤミンが呆然と呟く。今の一瞬で逃げられる訳がない。周囲にはカシュパルの仲間達が円を描いて立っている。その囲みさえ抜けて消えるなどあり得ない。
 しかし事実として、セレナの姿は何度目を凝らしても存在しなかった。
 カシュパルも彼女が立っていた場所を見て、周囲から逃走の痕跡を探そうと目を配る。
 立っていた場所はいくら目を凝らしても土埃の地面ばかりで、直ぐ近くの路地裏も誰かが通ったような形跡はない。
 建物の窓は全てが閉められており、そこからこの一瞬で室内に身を隠せた筈がなかった。

 いない。何処にもセレナがいない。

 押し寄せる喪失感に胸を強く掴むが、苦しさが和らぐ事はない。仲間達が気遣う声は頭をすり抜けて、意味を理解出来ない雑音のように聞こえた。

 全部、嘘だったのか。

 その問いに答えてくれる相手は消えてしまった。足元が崩れて行くような感覚。ふらついて蹲る。
 息が、出来ない。
 こうしてある日夢のようにカシュパルを救ったセレナは、残酷な現実に引き戻すかのように跡形もなく彼の前から姿を眩ました。
 最早カシュパルの元に戻って来る気がない事を、絶望と共に悟らざるを得なかった。
 

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