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第三十一話
しおりを挟む暫くお店を閉じていたので、常連の人達には随分と心配をかけてしまっていた。
大体の馴染みの人達が来てくれた後に、漸く少し休む時間が出来る。
「はー、体が重い」
カウンターで伸びをすれば、ヴァージルが二階から降りてくるのが分かった。
足音や気配ではなく、感覚で彼が何処にいるのかが何となく分かるのである。
これは一部が混じり合った事の影響らしい。
ヴァージルは隣に立ち、私の顔色が悪くなってないかを確認した。
「大丈夫か? あんまり無理すんな」
「うん。でもいつも通りの方が調子いいから」
鈍った体を戻すには動かすのが一番だろう。寝ていたという八日間、思ったよりも短かった。
実際見たのはヴァージルの若い時までの記憶の一部だったが、それでもかなりの量を見ていたのである。
お店の仕事が八日間以上に久しぶりの感覚だった。
記憶の中は長い悪夢を見たかのようで、まだ目覚めてから間もないからかふとした拍子に思い出してしまう。
商品の瓶詰されている液体の色が、ヴァージルが無理矢理飲まされたあの劇薬に似ているな、とか。
喉を焼かれた痛みが思い出される前に、ヴァージルの手が視界を覆った。
「あれ、包装紙でも巻くか」
ヴァージルは私の感情が何となく分かるらしい。思考まで伝わるようにならなくて良かった。そうだったら、羞恥でまともに生活も出来なかっただろう。
「そうだね」
ヴァージルの手が外される。記憶は時間と共に薄れていくものだ。
きっとその内に今のような敏感さは鈍っていくに違いない。
包装紙を探そうとした所で、ドアベルの音がした。
「あれ? 目が覚めたんだ。思ったよりも早かったね」
扉に視線を向けるとオズワルドが私を見て目を見開いていた。
「オズワルド! 良かった。開放されたんだ」
「うん。君も良かったよ。ヴァージルが凄い悲惨な状態だったからさぁ。カナさんは恩人だし、悪いことしたと思ったんだよ」
そう言いながらカウンター越しに私の両手を握り、前と同じように上下に振る。
「何しに来たんだ?」
ヴァージルが不機嫌そうに問うと、オズワルドは私の手を放して言った。
「様子を見にに決まってるじゃないか。もしもカナさんの目が覚めないなら僕がこの店を乗っ取……冗談だよ」
鋭いヴァージルの殺気を受け、オズワルドは慌てて訂正する。
「カナさんの目が覚めたんなら丁度いいや。魔術師としては君の言う特異体質がどうしても気になって。どうしてあの時、生きてたの?」
「えー、と」
私の記憶を見ただろうヴァージルに一瞬目を向ける。彼はもうその理由を知っているだろう。
何も言わないので、私に伝えるかどうかの判断を任せたようだった。
「神魔術が効かないの」
「……は?」
オズワルドは言われた意味を咀嚼しようとする。この世界の全ての生き物が、数多に存在するいずれかの神の祝福を受けて生まれ落ちる。神はこの世界において実在するのだ。
神魔術は神の力の一部を借りて行使される。神の祝福を受けた全ての生き物に効果がある筈だった。
その神魔術が効かないという事は……。
「異世界人か」
神話や伝説の中に僅かに存在する、極めて稀な存在だった。
オズワルドは堪えきれない興奮に身を震わせ、魔術を飛ばそうと指を動かした所でヴァージルに首筋に剣を突き付けられた。
「今……何をしようとした?」
「確かめようとしただけだって。効かないんだろ?」
どうやら神魔術を私に当てようとしたらしかった。
ヴァージルもだけれど、やっぱり七刃の人はどこかずれている。
二人の殺気が室内に充満する。このままでは色々と壊されかねないと、仲裁の声をかけた。
「びっくりするので、そういうのは止めてください」
「それもそうか。えー、でもどうしよう。絶対に確かめたいんだけれど」
「何でですか」
「だってカナさんが優秀な解呪師じゃなくて、異世界人なら……絶対に魔天会は諦めないよ?」
「え?」
ヴァージルに剣を突き付けられながら、オズワルドは笑って言った。
「隷属の呪具は怨嗟の玉っていう代物から作られてるんだけど、これが神魔術の塊みたいな奴でさ。近づくと問答無用で自殺したくなるんだって。でも異世界人なら何の影響もなく破壊できる。そうなれば、隷属の呪具は一斉にただのガラクタだ」
オズワルドは自分の首輪を外したがっていたから、その情報をどうにか入手していたのだろう。
嘘だと思う要素は無かった。それが本当ならば、十分に私の命を狙う理由になる。
背筋を冷や汗が伝う。現実に戻れたからと、呑気に今の状況のままでいる事は出来なそうだった。
思った以上の情報に殺意が削がれたようで、ヴァージルは舌打ちをして剣を下ろす。
「僕としては復讐もしたいし、是非とも一緒に魔天会に乗り込んで欲しいんだけど。ヴァージルには勝てないからさ、これは単なるお願いだ」
オズワルドは肩をすくめてそう言った。
ヴァージルが魔天会にいた時感情を失う方向へ進んでいったのに対し、オズワルドは憎悪を増幅させていったのだろう。
彼の気さくな青年の姿は仮初でしかなく、その内部には常人とは違った感情が渦巻いているようだった。
「まあ……時間が必要だろうし、今日は帰るよ。後で結論聞かせてね」
オズワルドはひらひらと手を振って、店から出て行った。
残されて静かになった店内で、私はぽつりと呟いた。
「どうしようか」
直ぐにヴァージルから返事がないのは、それだけ難しい問題だという事だろう。
でも魔天会がどういったものか知っている今は、私がどれだけ危険かが分かってしまった。
「この町、出て行かないとだね……」
私が異世界人だと分かった瞬間、どれだけ大事になろうと魔天会は殺しに来るだろう。
その時、シレネの町は破壊されてしまっても不思議ではない。
「……そうだな」
誰よりも私の感情を知るヴァージルは、私の頭をそっと撫でて慰めてくれたのだった。
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