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3巻

3-2

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 そもそも、今回のジオル森王国の代表団において、ルーティには何の権限もない。
 ルーティが今回の代表団に参加したのは、かつての暗黒大陸を知るアドバイザーとして……そして、英雄の実力を見込まれた護衛としてだ。
 ルーティに政治的取引が出来ず、ザダーク王国にとって利益がない以上、こうして魔王軍の将であるサンクリードにもてなされる理由は何一つない。
 西方将という地位にあるというこの男には、謎が多すぎる。
 魔王軍の将軍が勢ぞろいした演習の場で、ほとんどの代表団のメンバーは、暴虐の権化のような雰囲気を放つラクターという将軍にされていた。
 しかし、ルーティとしては、ラクターよりも、サンクリードのほうが気になって仕方がなかった。
 今この瞬間も。
 ルーティはこの男に、不思議な懐かしさを感じ続けている。

「関係か」
「ええ」

 サンクリードは、つまらなそうな調子で返す。

「これからそういう関係になる。だから気にするな」
「は?」

 その言葉の意味をルーティが考える前に、サンクリードは続けた。

「ジオル森王国とザダーク王国は今日、友好条約を結んだ。これから、両国は友好を深めていくだろう……つまり俺とお前もまた、友好を深めていくということだ。今日はまあ……その第一歩だな」
「……ああ、そういう意味ですか」

 サンクリードは溜息をつくルーティを不思議そうな目で見た後、その手元に視線を落とす。

「ああ。だからまあ、気にするな」
「それと、もう一つ」

 ルーティはサンクリードの目をじっと見据えた。

「まだ何かあるのか?」

 疲れたような様子で言うサンクリードに、ルーティはコップを突き付ける。

「誰が泣いてたって言うんですか」
「お前だが」
「泣いてません」
「そうか。だが……あのままだと泣いただろう?」
「泣きません」
「そうか」
「ええ」

 サンクリードは頷いて、突き付けられたコップをルーティの方へ押し戻した。

「まあ、飲め。美味いぞ?」

 勧められて、ルーティはどんな味がするのか、少し緊張しながらコップに口をつける。
 冷たい石のコップに満たされたジュースは、リンギルのほのかな苦味と、サトウダケの優しい甘味の混ざりあった、まろやかな味だった。

「……美味しい、ですね」
「ああ」

 サンクリードは自分もコップに口をつけて、ジュースを飲む。

「でもなんで、石のコップなんですか?」
「……この国が出来る前、まだ魔王城がボロボロだった頃、食器さえなかったらしくてな。魔王は、石を削って作った食器で食事をしていたそうだ。それにちなんだ工芸品だな」
「……はあ」

 自分が抱いていたイメージとは違う「魔王」の姿に、ルーティは手元のコップを見つめて考え込む。
 魔王ヴェルムドールは、ルーティの知っている、『次元のはざ』にいた魔王シュクロウスとも、「大魔王」グラムフィアとも違う雰囲気をもった魔王だ。
 あの二人の魔王は、冗談でも「和平」などということを口に出さなかっただろう。

「……サンクリード」
「なんだ?」
貴方あなたは今の魔王を、どう思いますか?」

 ルーティの呟いた言葉に、サンクリードは少しの沈黙の後……こう答えた。

「努力家だよ。たぶん、世界の誰よりもな」



   3


「努力家?」

 ルーティは、ヴェルムドールの、かつて出会った「冒険者シオン」としての姿を思い浮かべる。
 図書室で、本を真剣に読みふける姿が印象に残っている。
 特に、歴史に関する本が多かっただろうか。
 勇者に関する本を読んでいたのは、今考えれば彼が魔王だったからだろう。
 冒険者シオンは、小さな村からの依頼や実入りの少ない依頼など、他の冒険者が受けないような依頼を好んで受ける、冒険者のかがみとも言える人物だった。
 その噂を聞いて、ルーティは彼に目をつけたのだ。
 そこで、ふと気付く。

「……そういえば、どうして彼はあんなことをしていたのかしら」

 シオンが主に受けていたのは、村や街を脅かすモンスターの討伐依頼である。
 討伐依頼は危険度の割に報酬が低く、引き受け手がいなくて中々解決されないことも多い。
 しかし、放置すればその地方は脅威にさらされ続け、街も襲われるかもしれない。
 故に、通常は腕試しする者や義憤に駆られた者などが、報酬度外視で依頼を受けているのだ。
 ならば、シオンは――ヴェルムドールは、どうしてそんな依頼を受けていたのか。
 シュタイア大陸に潜伏する為の偽装としては労力がかかり過ぎ、政権の中枢に食い込む為の工作としてはえんに過ぎる。
 敬遠される依頼をこなした結果として「シオン」の名声は上がったが、それは副次的なものでしかないようにルーティには思えた。
 何故なぜ、魔王たるヴェルムドールは、シュタイア大陸内の平穏を守るような真似をしていたのか。
 ルーティには、それが理解できない。
 いや――たった一つ、考えられる答えはある。
 人類の平和こそが目的だった。
 そう考えればつじつまはあう。
 しかし何故なぜ、人類の平和を守る必要があったのか。

「……」

 思考を巡らせ、思い当たったのは――アルヴァ。
 黒光りする身体とこうもりの羽を持つ、棲息地すら不明な謎の魔族。
 アルヴァは突然空間転移で現れては見境なく襲い掛かるため、シュタイア大陸ではたびたび問題になっているのだ。
「冒険者シオン」は、あちこちに現れては破滅をもたらすあの魔族の情報を求めていた。
 事実、「シオン」は多数のアルヴァを葬っていたという。
 魔王は魔族を生み出すことができるらしいので、すべて彼の自作自演だった――そう考えるのは簡単だ。
 しかし、恐らくそうではない。
 アルヴァと「冒険者シオン」の出現時期に開きがありすぎる。
 それに、「シオン」はアルヴァだけを退治していたわけではない。
 そこに関連性を求めるのは無理がある。

「なら……アルヴァとは無関係ということ……? しかし、それでは……」

 それでは、アルヴァは何者だというのか。
 アルヴァは、かつて暗黒大陸に君臨していた大魔王グラムフィアが討伐された後に発生している。
 つまり、グラムフィアの後を継いだ魔王が生み出したと考えるのが妥当な所なのだが……ヴェルムドールが魔王となった時期が不明である以上、これを結論づけることはできない。

「……情報が足りないわ」

 思考の海から帰還したルーティは、目の前にサンクリードの顔があることに気付き後ずさる。

「んなっ!? な、なぁっ……!?」
「ようやく気付いたか。急にブツブツ言い始めるから、妙な呪いでも受けたのかと思ったぞ」

 深く考え込み過ぎて周りが見えなくなっていたようだ。
 顔を真っ赤にするルーティの鼻先に、香ばしい香りのする串焼きが差し出された。

「え?」
「突撃猪とマルたけの串焼きだ。食うか?」
「こんなもの、いつの間に……」
「俺の言葉がお前の耳に入らなくなったであろう辺りにだが」
「え、まさか私を放っておいたんですか!?」

 恥ずかしさをすために理不尽な怒り方をしてみせるルーティだったが……サンクリードは心外だ、という顔をする。

「それこそまさかだ。ちゃんと手を引いて此処ここまで連れてきただろう」
「へ?」

 言われて、ルーティは辺りを見回す。
 確かに、先程までと景色が違う。

「そ、そういえば場所が違いますね」
「そうだな……で、食わんのか?」

 言われてルーティは串を受け取り、かじりついた。
 突撃猪はクセのある風味ではあるが、決して嫌な味ではなかった。

「……で、何をそんなに考えていたんだ?」
「……それは……」

 ルーティは、言いよどむ。
 このサンクリードという男は、誠実であるように見える。
 聞けば大抵のことは正直に答えてくれるだろうし、答えられないことであれば、答えられないと言うだろう。
 少なくとも、騙されることはない……と思う。
 ルーティはサンクリードのことを深く知っているわけではないが、人を見る目には自信があった。

「聞いたら、答えてくれますか」
「確約はしない。だが、答えられることなら答えよう」

 その返答に、ルーティは予想通りだと苦笑した。

「……魔王ヴェルムドールは、シュタイア大陸で何をしようとしていたんですか?」

 ストレートに質問をぶつけた。

「……それを考えていたのか」
「ええ」

 サンクリードはルーティの問いをはんすうするように、視線を空へと向ける。
 どんてんの空。
 そこから視線を戻し、サンクリードはルーティと目を合わせた。

「……人類領域を、平和にしようとしていたらしい」
「それは、何故なぜですか?」
「この国の平和の為だ」

 その言葉の意味をルーティは考える。
 何故なぜ、シュタイア大陸が平和だとザダーク王国が平和になるのか。

「世が乱れれば人類はその責任の所在を求め、魔王の復活を疑う……と、そう考えたようだな」
「それ、は……」

 ない、とはルーティには言えなかった。
 事実、アルヴァの存在は魔王の復活を一部の人に疑わせた。
 しかし、その疑いがそれほど広がらなかったのは、おおむね世の中が平和であり、アルヴァは単なる魔王の残党と考えられていたからだ。
 だが、世が乱れたらどうなるか。
 混乱する世界の原因を、人々がどこに求めるか。
 ――考えるまでもない。
 かつて洗脳魔法を使い人類領域の混乱を加速させた、魔王シュクロウス。そして、更に上位の存在であったという、大魔王グラムフィアのことを人々は思い出すだろう。
 そして、人々は魔王の復活を疑い、すべての混乱の原因は魔族だと考えるだろう。
 かつて、そうであったように。

「だからアイツは抵抗した。それだけの話だ」
「……そう、ですか……」

 納得のいく点はある。
 事実、「冒険者シオン」は魔物の被害による混乱が最小限になるように立ちまわっていたと言える。
 不運にも亜人排斥が声高に叫ばれ始め、政治的な問題が発生したために、人類領域を平和にするという彼の目的は達成できなかった。しかしそうでなければ、「冒険者シオン」の行動は充分に人類領域の平和に貢献していただろう。
 全て符合し、納得がいってしまう。
 もし、サンクリードの話が事実だとするならば――確かに、今回の和平には大きな意味がある。
 本当の平和を実現するための、その大きな一歩と成り得るかもしれない。
 聖アルトリス王国とさえ和平条約を結ぶことができれば、他の国も追随する可能性は充分にあるだろう。
 しかし問題は、どうやって聖アルトリス王国と交渉し、条約締結まで持っていくかだ。
 特に、亜人排斥を主張する者達の説得は困難を極めるに違いない。
 亜人排斥論は、シルフィドやメタリオなどの亜人種族を、魔族と同様に本来の生の営みから外れたものであり、命の神フィリアの意志に反した存在であると主張するものだ。
 それを支持する者たちが、魔族を含んだ世界平和の実現など、すんなり受け入れてくれるはずがない。
 彼等が一体どこまで聖アルトリス王国の中枢に入り込み、国を動かしているか。
 それを知る必要がある。

「……ほら、帰ってこい。串がいい加減冷めるぞ」
「な……ちょっと、勝手に耳に触らないでください!」

 サンクリードに耳を引っ張られ、ルーティの思考は強制的に中断された。
 しかし、確かに串焼きが冷めてしまうのはもったいない。串焼きのマル茸を口に入れて、コリコリとした食感を楽しんだ。
 ゴクリと呑み込み、ルーティは考える。
 こんなものを暗黒大陸で食べる機会があるとは、ついこの前まで考えもしなかった。
 ルーティに限らず、シュタイア大陸の魔族に対する人類の常識は昔のままで止まっている。
 いや、昔からの常識が最新のものとして受け継がれている……というのが正しい。
 実際にシュタイア大陸にいるゴブリンやオウガ、ビスティア達は昔と何ら変わらない。
 だから、人々の認識が変わるはずもない。
 今も昔も、魔族は人類の敵であり続けている。
 その人類の常識を、どうすれば変えられるのか。

「……人類の魔族への認識を変えるのは、難しいですね」
「そうだな。アイツはそれを、ずっと悩み続けていた」

 サンクリードはそう言うと、食べ終わった串を屋台の店主に返す。

「今も悩み続けているだろう……この日常を、守る為にな」
「日常……」

 そう、今、目の前にあるのは日常の光景だ。
 かつての暗黒大陸とは全く違う、シュタイア大陸の街で見られるのと同じ日常が此処ここにある。

「一つだけ、頼みがある」

 サンクリードの言葉に、ルーティはぴくりと反応する。

「俺達は……魔族とジオル森王国は、友人となった」
「ええ。少なくとも書類上は」
「そうだな」

 ルーティの含みのある言葉を、サンクリードも否定はしない。
 ヴェルムドールが条約締結のために取った手段は強引であったし、交わした条約も今後ずっと守られるという保証はない。
 かつて共に歩む盟約を交わしたシュタイア大陸の四大国が、今や亜人排斥論によってバラバラになっているように……だ。

「だが……どうか、裏切らないでやってくれ。少なくとも、お前くらいは」
「……どうして私に?」
「魔王もファイネルも、お前を気に入っているようだからな」
貴方あなたはどうなんですか?」

 その問いにサンクリードは、ふむ、と言って考える。

「俺か……そうだな。これからの関係に期待したいところだ」
「まあ、それが妥当な感想でしょうね」

 そう言って、ルーティは笑った。
 今日初めて会ったばかりなのだから、サンクリードの言葉は当然と言える。

「確約はできません。ですが、努力はしましょう」
「ああ、それでいいさ」

 だからこそ、ルーティは正直に答え、サンクリードもまた頷いた。

「ところで、私は『真実』とかいうものを聞かせてくれると、そちらの国王に伺ったのですけど。さっき聞いた、平和を守るという目的が『真実』ということなんですか?」
「いや……それは知らん。本人に聞いてくれ」
「なら、貴方あなたが橋渡ししてくださいね?」
「……俺が、か?」
「他に誰が?」

 ファイネルがいるだろう、と言いかけて、サンクリードは浅く溜息をつく。

「……まあ、仕方ないな。先に頼み事をしたのはこちらだ」
「ふふ、そうですね……ところでお薦めの店っていうのは先程ので終わりですか?」
「いや、まだあるが……」
「なら行きましょうか。折角の貴方あなたおごりなんですから」

 楽しそうに言うルーティに、サンクリードは苦笑した。

「……なるほどな。アイツ等が見込むわけだ」
「何か言いました?」
「なんでもないさ」

 そう言うと、ルーティとサンクリードは夜のアークヴェルムを再び歩き始めた。



   4


 ザダーク王国にある魔王城、玉座の間。
 城内の何処どこよりも神聖なる場所。
 今は室内の明かりが落とされ、窓から入る月明かりだけが玉座を照らしている。
 そこに座すのは、魔王ヴェルムドール。

「……魔王様」

 かけられた声に、ヴェルムドールは視線を動かす。

「イチカか」
「はい」

 自分の横に現れたイチカに、ヴェルムドールは溜息をついた。

「……お前も働き者だな。いつ寝てるんだ?」
「休める時に、でございます」
「そうか、程々にな。任せられる仕事は他の者にやらせろ」
「仰せのままに」

 そう言ってはみたが……実際問題、仕事の出来でイチカにかなう者は居ない。

「……やはり、雑務専用のメイドを用意した方がいいんじゃないのか?」

 現在の魔王城の業務は、イチカを中心に、中央軍所属のそうよろい達やアウロック率いるビスティア部隊が行っている。
 といっても、イチカがいればあらかたの業務は終わってしまう為、そうよろいやビスティアに回す仕事はほとんどない。
 しかしヴェルムドールとしては、有能なイチカには他の重要な仕事をやってもらうべきだと考えている。
 もっとも、そんなことを言うとイチカは「他の重要な仕事」をも業務に組み入れこなしてしまうのだが。
 一度だけ、ヴェルムドールは地下の大魔法陣で、イチカのサポート役のメイド部隊をこっそり創ろうとしたことがある。
 しかし、いざ取り掛かろうとした時にイチカがやってきて、ヴェルムドールを止めたのだ。
 そして今回もヴェルムドールの提案に、イチカは無表情のままである。

「必要ございません」
「まあ……そう言うだろうとは思ったよ」

 予想通りの答えに、ヴェルムドールは溜息をついた。

「ニノ一人でも手に余るというのに。他の役立たずなど見たくもありません」
「……確かに、お前並の奴は俺も創れる気がしない」

 イチカの言葉を信じるならば、イチカもヴェルムドール同様、あの黒い少女の特製……だったはずだ。
 つまり、その時点で他の魔族とは違う。
 最近になって気付いたが、ヴェルムドールの「ステータス確認」の魔法に対して完璧ないんぺいができるのは、イチカだけだった。
 およそ隙というものが見当たらない。
 本気になった姿を見た者などいない。
 それがイチカというメイドナイトだった。

「正直、お前が敵じゃなくてよかったと思うよ」
「そんなことはありえません。ご安心ください」
「そうだな」

 頷くヴェルムドールを、イチカはじっと見つめる。

「……どうした?」
「そろそろお休みください。明日も重要な政務がおありでしょう?」
「まあな。だが、仕方ないだろう? いよいよ明日から始まるんだ。高揚して仕方がない」
「それでも、です。しっかりとベッドでお休みください」

 一歩も譲らないイチカの言葉に、ヴェルムドールは苦笑した。
 単に融通が利かないのではなく、ヴェルムドールの体調を完全に理解した上での発言だから抗いがたい。
 イチカの業務には、ヴェルムドールの体調管理もデフォルトで組み込まれているのだ。

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